過去⑥
セレスティナの細い指。
その一本一本に魔力がほのかに光る。
左手に蒼い輝きを宿し、右手に赤い激しい魔力を纏っている。同時に別の種類の魔力を操る彼女の瞳は怪しく輝き、その表情は余裕を称えている。
『王の盾』の拠点である砦に守備をしているのであろう仮面をつけた兵士たちが出てくる。数十人程度の人数だろう。一人の少女に対して彼らの数人はボウガンを構えて、矢を放つ。当たれば鋼鉄の鎧も貫くそれが少女に殺到する。
左手を振る。それは舞いを舞っているかのようだった。
青い魔力は冷気となり氷を為した。現れた巨大な氷柱は矢を阻む。
セレスティナは右手を空にかざした。指に宿った赤い魔力は渦を巻いて空に昇り灼熱の炎に変化する。炎は球体になり小さな太陽のように少女の頭上に浮かんでいる。仮面の兵士たちは眼前の光景が信じられないように固まっている。
少女が微笑む。彼女は頭上で指をぱちんと鳴らす。
「サン・レイ」
太陽が無数の光になってはじける。砕けた光は収束して炎の矢のように砦に降り注いだ。一瞬のことだった。反撃する暇もなく仮面の兵士たちは降り注ぐ炎の矢に貫かれて倒れていく。
圧倒的な魔法の力を見せつける彼女はかわいらしい幼女でしかない。それが手練れの兵士たちを一掃した。ふうと息を吐いてセレスティナは長い髪を手で払う。優雅な仕草だった。
彼女は砦の中に向かう。
「よっと」
ちょっと高めの段差はスカートをつまんで上る。彼女を阻むものはいない。わずかな戦闘で彼女が異常な実力の持ち主と気が付いたのだろう。仮面の兵士たちの増援はなかった。代わりに砦への入り口が真黒な口を開けている。
ぱちんと指を鳴らすとセレスティナのそばに炎が浮かぶ。灯りを得て彼女は中に入っていく。
中は暗い。
進むと人の気配がする。
物陰から兵が飛び出してきた。手に持った白刃を煌めかせて彼女に切りかかる。しかし少女の体に刃が触れる前に白い壁に剣が阻まれた。魔力の壁だった。セレスティナはゆっくりと襲い掛かってきた兵士に対して振り向いて右手を向ける。
にこりと笑って炎の魔法を放つ。常に彼女は詠唱をしない。
――少女を止めるものはない。術がないという方が正しいだろう。
砦の地下に進む。暗い階段をおりていくと牢屋が並んでいた。『独特のにおい』がすることに少女は不快な顔をした。
「誰かいるかい?」
彼女の声が響くが返事はない。敵が潜んでいるのかもしれないが彼女には関係ない。セレスティナはそのまま奥まで進んでいく。少し進むと開けた空間に出た。周りが石造りの円形の空間だった。その壁際で振るえている男がいた。
「やあ。君。少し尋ねたいんだけど」
「ひ、ひいい」
男はおびえ切った顔をしていた。平凡な顔をした中年の男性だった。黒い服を纏っているが仮面はつけていない。
「ゆ、許してくださいぃ。まだ死にたくないんです」
男は恥も外聞もなく土下座して、顔を上げた。涙を見せて命乞いをして見せる。セレスティナはくすりとした。
「そんなに演技はしなくていいよ」
「え、えんぎ? ちがいます。あ、あたくしは。ただのくずです」
セレスティナは両手を組んで男を見下ろしている。
「意志とは違うかもしれないが、相手を油断させることにそこまで徹底できるのはすごいと思うな。君。もしかして結構偉い人だったりするのかな?」
「……」
男はぴたりと止まってゆっくりと立ち上がった。顔を両手でぬぐい、はあと息を吐く。髭を生やした中年の男。ボッシュだった。
「怖いな。お嬢さん。怖いよ。なんでいきなりあんたみたいな化物に襲われるのかアタクシにはわかりかねますがね。それにあそこまで泣きまねをしたというのに引っかかってくれないなんて悲しいじゃないですか」
一瞬で態度が変わった。セレスティナは返す。
「まあ、経験の差だろうね」
「……はぁ? 最近のお子様はすごいんですねぇ。へへ。それでアタクシの部下を何人もやっちまうくらいのご用はなんですかね?」
「ああ、友人がひとりここにいるはずだから迎えに来た。金髪の女の子だ。連れて帰りたい」
「あいつを? へへ。へへへ」
何がおかしいのかボッシュは笑っている。セレスティナはその笑いに意味を感じた。ただ言葉にせず体から魔力を放つ。
「何を隠しているのか知らないが私はあまり気の長い方じゃない。おとなしく――」
足元が揺れた。
「わっ。地震か……あっ!」
セレスティナが一瞬気を取られた隙にボッシュは奥へ逃げていく。ごごごと何かが這いずるように音が響く。そして次の瞬間だった。
地面から巨大な黒い『手』が生えた。いや床を突き破ってそれは出てきた。
黒い人間のような影。ただ頭が獣のような形をしたいびつな形をしている。セレスティナは戦慄した。
「なんだこの魔力の塊は……」
黒いそれは魔力の塊だった。人の形をしているがその体を構成しているのは黒い魔力でしかない。上半身だけを床から出して這いずり回っている。
「それがご所望の女ですぜ。ひひひ。今ではシャドウに取りつかれた失敗作ですがね」
ボッシュの声が聞こえた。セレスティナはそれを聞いて「これが?」と口に出す。視線を移せば異形の姿をしてた黒い影の塊。
シャドウの右手が形状を変える。黒い影が爪を形成して振るう。セレスティナは白い魔力を構成して盾を作る。
「プロテクション……!」
形成した盾ごと吹き飛ばされる。セレスティナは壁に打ち付けられた。体を覆う魔力でガードしていても衝撃は伝わる。彼女は黒い影を睨む。あの手が直撃すれば致命傷を負う可能性もある。
オオオオオオオオン!!
シャドウが叫ぶ。空気が揺れる。そしてそのままめちゃくちゃに暴れまわる。天井が崩れても意に介さない。
「…………これは助けることは……無理かもしれない」
セレスティナは魔力を右手に収束させる。そのまま前に突き出すと魔法陣が展開する。赤い魔力が渦を巻いて形をなす。
「ギガ・フレア」
魔法陣から巨大な炎が放たれる。それは黒い影を囲んで焼く。悲鳴を上げて影が暴れまわるが体中を焼く。ぼろぼろと黒い影が崩れていく。セレスティナが右手を振るうと炎が一瞬で赤い魔力に変わり、消える。
ぶすぶすと焼け焦げた黒い影。
「外側だけを焼けばいいという安直な考えだったが……彼女は」
おそらく人を姿を核として魔力を纏っているのだろうとセレスティナ想像していた。そしてその想像は正しい。しかし黒い影は動き出した。急速に黒い魔力が溢れて、そのまま体を為していく。崩れたはずの影はもとの形に一瞬で修復して起き上がった。
黒い影は吠えた。魔力を吐きながら空気を振動させる。
その中でセレスティナはふふと笑う。
「悪いが君と連れて帰るとディアナに約束をしたんだよ」
彼女は両手を広げる。一瞬の輝き。まばゆい光が部屋を満たす。
セレスティナの足元に黄金の魔法陣が広がる。
「……万物を司る絶対なる神に願う。我が名セレスティナ・フォン・ドルシネオーズの名を持って世界の理より我が身に加護を与え、我にあだなすものの身を封じよ。セレスタス・チェーン!!」
黄金の魔法陣が少女を中心に光になっていく。それはシャドウの体に巻き付き。光の帯になってその身を封じていく。黒い影が暴れようとしてもさらに光の帯はその身を拘束する。その身を包む黒い魔力はぼろぼろと崩れて消えていく。
わずかな時間の後に残ったのは金髪の少女だけだった。一種纏わぬその身は光の帯に包まれて、胸元に魔力を宿した魔石が埋め込まれている。彼女はチカサナだった。
セレスティナは彼女に近寄るが反応はない。彼女は上着を脱いでチカサナに着せてあげる。しかし光の帯は解かない。
「この魔石がさっきの魔力を呼んでいたのか……召喚術の応用といったところか。そうだろう?」
セレスティナは声を張り上げる。物陰から男が一人出てきた。ボッシュだった。
「あんた、何者なんですかね。今の魔法は……神……に願う?」
「さてね。私は自己紹介をするつもりもないし、この子を連れて帰ることができるならいい……ああいや、ちがうな」
セレスティナは言う。
「君のご主人様となら私は話をしたい。そう主へ言っておいてくれ」
「……わかりやした」
ボッシュはそのまま闇に消えていく。
☆☆
どれくらい時間が過ぎただろうか。
「ん」
ベッドの上でチカサナは目を覚ました。長い間眠っていた気がする。確か牢屋に入れられて魔石を胸に埋め込まれたはずだった。はっとして彼女は胸元を見ればそこには煌々と魔力を讃えた魔石がある。だが体に不調はない。両手を見ても普通の手だった。あの黒い影はここにはない。
寝巻のような姿をしていることにそこで気が付いた。チカサナはぼんやりする頭で自分がいる部屋を見回した。そしてぎょっとしてしまう。自分が寝ているベッドの横で椅子に座ったままデ眠っている女性がいた。
紫の髪をした彼女はこっくりこっくりと船をこいでいる。
その顔を見てチカサナは「あ」と安心してしまう。そしてすぐにはっとした。なぜ自分がここにいるのかわからない。
「おや。起きたのかい?」
部屋に入ってきたのは幼女だった。彼女はセレスティナだった。チカサナは彼女に聞いた。
「私は……なんでここに」
「ああ、それは簡単だ。ディアナが私や仲間に助けを求めたから君を救出した」
「そう……か。それは……いや、でもこの胸の、それに『王の盾』は」
「魔石のことかい? 悪いがそれを取ってやることはできない。君の心臓に深く結びついている」
「心臓……?」
「まあ、それよりも先に今までのことを言おう」
セレスティナはベッドに腰掛けて今までの顛末を簡略にチカサナへ伝えた。セレスティナの語ることは信じられないことばかりだが、チカサナは現にこうしている。彼女はもう一度ディアナの顔を見る。いつもの優しい顔だった。それだけでほっとしてしまう。
「夢の様……な」
「夢か……。悪いがこれは夢じゃない。物事にはいいことも悪いこともある。君の胸の魔石は召喚術の紋章が刻まれていた。放っておけば無限に異界から何かを呼びよせることになる。その上魔石に刻まれた紋章をは心臓まで侵食して無理やりに動かそうとしていたようだね」
チカサナは胸を押さえる。
「今は何ともない……だけど、またあの苦しみが襲ってくるのか」
「どうだろう」
チカサナをみずにセレスティナは言った。
「君はディアナが医者として何かしているところを見たことがあるかい」
「いや……治癒術が使えるとだけ聞いてた」
「魔族には『魔骸』という強力な力がある。一部の魔族にしか使えない強力な魔法のようなものだが、すさまじい力を得る代わりに体に相当な無理をさせるものだ。強力な魔力を使って破壊をする魔族を私は多く見てきた」
セレスティナは立ち上がった。眠っているディアナを見る。
「彼女は『魔骸』が使える……そしてその魔力を治癒術に使っている」
「!」
「すさまじい魔力を治癒術に使えば強力な魔法として構築できる。だが『魔骸』はわずかな時間でも体に負担がかかる。それでも彼女は多くの人に癒しの力を使ってきた。大けがでも治すことのできる医者として僅かなお金でそれを為した」
「……それを、なぜ今話をする」
チカサナは冷や汗をかいた。セレスティナは目を向ける。
「君の魔石の紋章を書き換える必要があった。私はそれはできるが、心臓まで達している魔力の文様を書き換えるには胸元をすまないが切り開く必要があった。流石に私も魔石の書き換えをしながら治癒はできない……だから一晩中ディアナは『魔骸』を使って私が君の魔石の中と心臓の文様を書き換える間に治癒術を使い続けてくれた……だから君は生きている」
チカサナは胸を押さえた。胸元にある魔石を手で触る。
セレスティナは静かに続けた。
「これは夢じゃない。……無理をすればその代償はある。ディアナの体はおそらくどこかが壊れてしまったかもしれない。何が起こっても不思議じゃない」
チカサナは「なんで止めなかったんだ」とセレスティナを責めそうになった。いや、真横で寝ているディアナがいなければそうしていただろう。ただ彼女はうつむいて言った。
「私なんて見捨てればよかったのに」
「ん」
はっとした。ディアナは目をこすりながら起きた。彼女はチカサナを見てから、ぱちぱちと瞬きをしてそれからぱっと笑顔になった。
「よかった……」
心底ほっとしたような顔だった。ディアナの表情はただただ優しかった。彼女は椅子から立ち上がってチカサナに抱き着いた。
「よかったよ……チカサナよかった」
「……………ぅ」
チカサナはその声を聴いて、ディアナの体温を感じて不意に涙が出た。
「ううぅ」
止めようとしても涙が止まらなかった。




