過去⑤
明るい光。
その中でディアナの驚いた顔をチカサナはみていた。
教会の昼下がりは温かった。その中でチカサナは今日の夜が危険であることを伝えた。
「子供たちを……連れていく人達が来る……?」
何を言われているのかわからないというようにディアナは言った。驚くというより現実感のない話だった。彼女からすれば街はずれで身寄りのない子供たちと一緒に住んでいるだけで誰と敵対しているわけでない。それこそ子供を連れ去ることも意味が分からない。
身寄りがないからこそ狙われている。そこにディアナは思い至らない。チカサナはそれでも言った。
「……今のうちに逃げてほしい」
「……逃げる……でも、私たちにはいくところはないわ」
「…………」
貧しい暮らしでも屋根があるだけましだろう。ただ教会を捨てれば本当に行くところがない。ディアナはそのことを率直に言った。彼女は心底困った顔をしている。チカサナの話をどう受け止めればいいのかわからなかった。
チカサナは口を開けて、そのまま何も言えずに固まった。
何かを伝えたいのに自分の中の気持ちを伝えるための言葉を彼女は持っていなかった。ただ、このままここに残れば夜には必ず襲撃を受ける。『王の盾』である自分だからこそわかっている。
「私を……信じてほしい」
絞り出した声はそれだけだった。傍から聞けば何の根拠もない言葉だった。ただディアナはそれを聞いて言った。
「わかった」
ふーと息を吐いてディアナは立ち上がった。
「うーん、お引越しかぁ。荷物はないけどどこに行こうかな。王都に行くのもいいかも」
腰に手を当てて光の中でディアナは背筋を伸ばす。チカサナは自分の拙い言葉をあっさりと信じたディアナにむしろ困惑した。
「信じて……くれるの?」
「……泣きそうな顔をして言われたら信じるしかないよ。逃げるのはいいけど……あなたもついてきてくれる?」
チカサナをディアナは振り返った。にっこりと笑う彼女は温かかった。
☆☆
目が覚めた。
チカサナは台の上で寝かされていた、部屋は仄暗い。手足が動かないのは拘束されている。心地よい夢を見た後には随分と現実的な光景だった。服は胸元がはだけている。
「…………」
体中が痛い。骨が何か所か折れているだろう。
ディアナ達を逃がした後、その追撃を鈍らせるために教会に一人戻った。その結果が今である。後悔はしていない。それよりも彼女たちが無事に逃げることができたのかが心配だった。
「お目覚めかな?」
目覚めるのを待っていたのかボッシュが見下ろしてきた。チカサナは彼を冷めた目で見た。
「反抗的なところは変わらずですかい。まあ、それくらいの方がいいかもしれませんがねぇ」
ボッシュはへっへっへと下卑た笑い方をする。
「私をどうする気だ」
「気になるんで? へへ、いろいろと使い道はあると思いますがね。まあ、今回はましな方だと思いますよ。ほらこれ」
ボッシュはそういって手に魔石を指でつまんで持つ。六角形の形をした赤い魔石。中には魔力の光があった。チカサナはそれが何を意味しているの分からない。
「アタクシたち人間というのは脆弱でね。簡単に死んでしまいますがね、魔族というのは意外と頑丈でなかなか死なないから遊べることは知っているでしょう?」
「……」
「魔族は体の中に膨大な魔力を内包しているからこそ、力のある魔族は『魔骸』という異常な力を柄つことができる。ありゃあなかなか面白いですぜ。仕留めた時は達成感というものがある」
しかしねぇ。とボッシュは首を振る。
「アタクシも歳でね、『魔骸』相手に暴れまわるのはなかなかきついのでね。部下にそれをやらせたいんですよ。ただ普通のやつじゃあ、死ぬだけでね。そこで王都の魔法の権威が人間の体の中ない魔石を埋め込んで無理やり体の能力を引き上げるのはどうかとね、思いついたんですよ」
「……!」
「おやぁ、わかりました? それにこの魔石には少し面白い趣向があってですねぇ。召喚術の魔法陣が刻まれているんですよ。これを人間が体の中で宿せばどこか別の世界から体の中にシャドウを呼び出すことができるんで、それを体に纏えば強力な力になると思いませんかね」
へへっへと楽しそうに笑う。
「魔族は体の中から力を開放しますがね。世界の外から力を持ってくる『魔骸』に対抗する力として『魔装』とでも言いましょうかね……。うまくいけあなたはアタクシたちの役に立てるんですよ。ああ、そうだ。胸を開いて埋め込みますがまあ、手術はゆっくりとするようにいっておくんで、よく味わってくださいな」
チカサナは一言も発さない。ボッシュは一人で話をしている。彼はにやりと笑った。
「ああ、そうそう、あなたの逃がそうとした魔族と子供の居場所はわかりましたよ」
「……なっ!」
「げひゃひゃ、げひゃげひゃ。いぃ顔ですね。ひひひ。ひゃははは。それが見たかった」
「貴様、手を出したら」
「なんです? ああ、面白かった。それじゃあ、あとは楽しんでくださいね」
――数日後。牢屋の中でチカサナは苦しんでいた。
彼女の胸元には赤い魔石が埋め込まれている。煌々と光を放つそれは自分の魔力を吸収している。
「ぐがぁあ」
折れたはずの左手を黒い魔力が覆う。それは爪のような形を成して地面をかきむしる。体の中に自分とは違う何かを常に満たそうとしている感覚が常にあった。チカサナはそれが苦しくもがく。
「はあはあはあ」
這いつくばり涙を流す。気を抜けば体の中を黒い魔力が乗っ取ろうとしている。それにあらがうためにチカサナは歯を食いしばって耐えた。しかし異界から胸の魔石が黒い魔力を呼び寄せ続ける。彼女の左目はいつの間にか黒く染まっていた。
壁をかきむしり。地面をたたく。彼女の独房は獣の暴れたように部屋中に傷跡があった。
さらに外から魔力を呼び寄せられる。
悲鳴を上げる。
それが無限に続く。無理やりに強化される肉体は限界を超えて骨と肉を壊してから修復する。チカサナは終わらないその地獄の中で手を伸ばす。だが助けを求めることはない。
だんだんと視界が闇に染まっていく。
☆☆
「やれやれ」
幼い少女は首を振った。
ふわりとした良い仕立ての紺の洋服。胸元に大きなリボン。フリルの付いたスカート。
「少し動きにくいが仕方ない。父にも母にも秘密で抜け出すしたのだからな」
腰まで伸びた長い髪が風に揺れる。紫の宝石のような瞳をした麗しい少女。
セレスティナと言われた彼女は森の奥にある朽ち果てた砦を見ている。そこは『王の盾』の拠点の一つだと彼女の協力者が突き止めた。
「イオスが言うにはあそこか」
砦の周りには数名の影。
「間違いはなさそうだな」
少女は歩いていく。靴がかつかつと音を立てる。ただ歩く、その仕草だけで優雅だった。彼女は散歩でもするかのようにゆったりと歩いていく。
いつの間にか彼女の周りを殺気が取り囲んでいた。
仮面をつけた者たちが姿を現す。セレスティナはスカートをつまんでお辞儀をする。
「ごきげんよう」
そして手を挙げて人差し指をゆっくりと立てる。
「そして、さようなら」
瞬間に赤い魔法陣が展開し、一瞬の光の後にあたりが業火に包まれた。
無詠唱で発動した強力な魔法。炎が渦巻く中でセレスティナは手を振る。その瞬間に赤い炎が霧散して消える。完全な魔法の制御を為した少女。彼女は言う。
「悪いけれど、私は容赦しない」




