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過去④


 チカサナは夜目が利く。普段の訓練で鍛えられた能力だった。


 教会に侵入してきた仮面をかぶった者たちはフードとマントを羽織っている。顔は見えないが、自分と同じ境遇の者たちだということはわかっている。


 つまりは多少のことでは退くことをしない。命じられたことをただ行うだけだった。


 チカサナは手にもったダガーに指を絡ませるよう持ち、体の中に魔力を通す。筋力の強化を行う。目の前にいる者たちを見れば数は4人。3人は背格好は同じ程度だが一人だけ大柄なものがいる。マントの中に武器を構えているのだろうが、それぞれの得物はわからない。


 チカサナは彼らに言った。


「ここに目的の者たちはいない。私が逃がした」


 短く伝えることは昔からの習慣だった。仮面の者たちはその言葉に無言で返す。内心で何を思っていたとしても表情は仮面で見えず、その仕草に動揺も困惑も表さない。チカサナはそれを鏡を見るように感じている。


 仮に逆の立場なら自分もそうするだろう。そもそも何で今自分がここにいるのかそれもよくわかっていない。そうしたいというあるいは生まれて初めての持った願いのようなものかもしれない。


 大柄な仮面の一人が動いた。静かに体重を足に乗せ、教会の床がぎしりと音を立てた刹那だった。


 斬撃が放たれる。チカサナに向かって飛び込んだ男はマントの中から剣を抜き払う。銀の一閃がチカサナを襲う。彼女はわずかに下がってそれを避ける、目の前を剣がかすめる。


 大柄な仮面がさらに踏みこみ、頭上に剣を構える。それと同時にチカサナは逆に体を低くして足払いをする。大柄な仮面の者が小さく体制を崩した。その懐にチカサナはダガーを構えて突き入れる。手をひねる。感触があった。


「…………私たちはこういう風になりますよね」


 抜いた。同時に大柄な体が床に倒れる。チカサナはダガーを振ってついた液体を払う。床に一筋の赤い線ができた。次の瞬間に彼女は横へ走り出した。


 燃えた。別の仮面をかぶったものが叫びながら魔法を放ったのだ。声から男だとわかった。彼の放った火の魔法は倒れている大柄な仮面の体ごとチカサナのいた場所を燃やした。


 赤い炎が教会を燃やす。


 チカサナは走る。教会の長椅子が並んでいる間を駆ける。魔法を放った男はさらに何かを唱え始めている。その前にチカサナはダガーを投げた。魔法を放った男に刺さる。悲鳴は出さない。教会の中に声はない。


 拳がかすめた。チカサナの後ろに回った別の仮面は拳を魔力で強化している。青く光る両手で彼女に迫る。チカサナのダガーは二振りある。残ったダガーで逆に斬りつける。接近したまま拳と刃は交差する。お互いに当たらない。わずかに重心を移動させながら、二人の対峙する狭い空間で互いに間合いを計る。


 そこに矢が飛んできた。チカサナは体をひねって避けるが、そこに拳を構えた仮面が飛び込んできた。チカサナは左手で体を庇う。魔力を纏った一撃がそこに入った。折れる音がした。チカサナは後方に吹き飛ばされ、長椅子に背を強打する。


「……っ」


 拳を振るう仮面が迫る。左手は使えない。見なくてもわかる。右手に握ったダガーを逆手に持つ。先ほど矢を放った別の敵の姿は視認できない。魔法を放った仮面の男は仕留めきれているか『まだ』確認できていない。


 次の手をしくじれば死ぬだろう。チカサナは思う。


 目の前に迫る仮面。目だけがそこから見える。赤い瞳だった。チカサナは一瞬女性かと思った。


 チカサナは残ったダガーを投げる。魔族の仮面はそれをかわす。その一瞬の隙にチカサナは立ち上がり、蹴りを繰り出した。腰をひねり踵を相手にぶつける。魔族の仮面はそれを強化した拳でガードする。ダメージは通らないが衝撃に魔族の仮面は体勢を崩す。


 チカサナはその隙に駆けた。矢が飛んでくる。彼女が止まれば射抜かれていただろう。見ればボウガンを持っているものが教会の炎を背に立っている。そして魔法を放った男は床に倒れて苦しんでいた。


 ダガーには毒が塗ってある。深々と刺さった刃から染み込んだそれに男はもがいていた。

 

 チカサナは先ほど魔族の仮面に投げたダガーを走りながら回収する。仕留めるべきは飛び道具を持つ者。彼女は足を止めない。足の筋力を魔力で強化して飛ぶ。壁に足をかけてそのまま走る。ボウガンからの矢が飛来する。滑車を使わずに矢をつがえている。


 壁を蹴った。一直線にボウガンを持った仮面の前に飛ぶ。チカサナとボウガンの仮面の距離は一歩。


「くそ」


 ボウガンの仮面はそう言って武器を捨てた。腰に手をまわしたからにはそこに別の武器があるのだろう。だがチカサナはダガーで相手の首筋を狙って突き入れる。たたらを踏んで仮面は下がる。その首筋のフードをチカサナは右手でつかんだ。足を払う。


 体勢を崩して、炎の中に投げ入れる。


 次。


 残りの一人を仕留める。拳を使う魔族の仮面がもっとも手練れだと思った。


 教会が燃えていく。古い木造の建築だからだろう、あっという間に火は広がっていく。子供たちは悲しむだろうとチカサナはわずかに思った。先ほど投げ入れた者の悲鳴はすぐに消えた。


 ――ぱちぱちぱち


 拍手が聞こえた。見れば教会の入り口にたたずむ影。炎の光に照らされている彼。どこにでもいそうな平凡な年配の男性の顔。ボッシュだった。笑いながら彼は手をたたいている。


 拳を振るっていた魔族の仮面は明らかに動揺している。しかしボッシュはそれには何の反応も示さずに言う。


「いや、なかなかの働きぶりだねぇ。何でこんなとちくるったことをしたのかおじさんには理解できないけどねぇ」


 ゆったりとしゃべる。一瞬今は死闘の最中だと忘れてしまいそうになる。チカサナは左手の激痛を自覚して歯を食いしばった。やはり折れているのだろう。


 ボッシュはニコニコしながら言う。


「さて、どういう風に責任を取りたいんで? 見せしめに死ぬまで拷問されるか……もしくは女として生まれてきたことを後悔する方が長生きさせてあげられますけどねぇ」

「…………」


 チカサナはボッシュの顔を見ながら言う


「ここの子供を私たちと同じように扱うつもりだった」

「へへ。そういったじゃあないですかね。それで同胞も始末してでもよく知らないガキと魔族の女を逃がしたっていうんですかね。理解に苦しみますけどねぇ」


 教会が燃えていく。チカサナとしてはボッシュとの会話よりも時間をかけておきたい。その時ふと思いついた質問をしてみる。いや、昔から疑問に思っていたことが今口に出たのかもしれない。ディアナと孤児たちの関わり合いを一瞬だけ思い出した。


「私はいつの間にかこうなっていた……だけど私にも親……がいたはず。……お前はそれをどうした?」

「おやぁ?」


 ボッシュは首をひねった。何でそんなことを聞かれるのか本当に分からない顔だった。


「さあ? そんな昔のことはよくわかりませんねぇ。そんなことを聞いてどうするんです?」


 ボッシュは肩をすくめてやれやれと首を振る。チカサナの言葉に何の興味も抱いていない。彼はゆったりと燃える教会の中を歩いていく。


「やれやれ、本当にくだらない。親ぁ? 今わの際に聞くのがそんなこと……へへへ。アタクシにゃあ理解できませんねぇ。たかが道具が作り手のことを気にしてどうするんですかね。道具は使ってくれる人に感謝しないといけませんぜ」

「…………道具」


 チカサナは笑った。声は立てなかった。


「何がおかしいんで?」

「……私たちは道具。お前も、そこにいるやつも。名前を変えて使われるだけ……」

「それがお前たちの幸せでさ」

「私は自分の名前を決めた」

「はあ? 何を勝手なことしているんですかねぇ」


 チカサナの目的はただの時間稼ぎ。ボッシュがここに居ればディアナ達が遠くまで逃げることができる。会話の中身などどうでもいい。自分の名前を目の前の男がどう思おうと教える気もない。チカサナはそれでも言った。


「私は昔から名前がなかった。ずっと生きてきたのに全部他人事のように感じていた。……『自分の名前』があれば少しだけ変わる気がした」


 チカサナは周りを見る。倒れ伏した者たちの姿。彼らの仮面が外れて中の顔が見える。その中心にチカサナは立っている。赤く染まったダガーを右手に持っている。


「……自分だけの名前を得てもやっていることは変わらない」


 ディアナの語ってくれた物語のことを思い出す。広い世界を旅する『勇者』の物語。そこに小さくあこがれたことを冷たく笑う。


 むしろディアナの語ってくれた『魔王』の方が自分には近いのかもしれないとチカサナは小さく、だれにも聞こえないようにきししと笑う。別のなにかを守るために別の何かを傷つけることしかできない自分。そこに可笑しみを感じてしまうのはなぜかわからなかった。


「もういいですかね」


 ボッシュは右手を挙げた。そこから黒い魔力が溢れてくる。彼の瞳が魔力をおびて光る。


 それに呼応してチカサナはダガーを構える。残った魔力を体の中から引き出す。彼女は足元にあった瓦礫を蹴った。それをボッシュはかわす。その一瞬にチカサナは懐に入り、ダガーを突き入れる。


 チカサナの右手をボッシュが掴んで折る。一瞬のためらいもなかった。そして左手で彼女の口元を掴んだ。ダガーが床に落ちた。


「ぐ」

「おっと、しゃべらないでくださいよ。くだらない話は聞き飽きたのでね」


 ボッシュの残った手が彼女の首を絞める。


「このまま殺してもいいんですがね。健闘したことに対してご褒美をあげたいですね、へへ。どうせ逃げた連中のことはしゃべらんでしょうしねぇ」


 ぎりぎりと首を絞めながらボッシュは笑った。チカサナはだんだんと意識が遠のくことを感じている。目の前にいる男は笑顔だった。それは作られた表情とわかる。


「ぐぐっ」

「いい表情ですね。まあこれから少し実験台になってもらうのですから眠っててください」


 閉じていく視界。


 暗闇に染まっていく中でチカサナはなぜかディアナのことを思いだしていた。

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