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過去③


 何を考えているのか自分でもわからない。


 『彼女』はいつの間にか、教会に向かっていた。


 襲撃をするのは夜。子供が集まり眠っているときのはずだった。そうであるならば日のあるうちに自分がそこに向かう意味も理由もないはずだった。


 教会のドアは壊れかけている。『彼女』はぎいと音を鳴らしながらドアを開けた。中はほのかに薄暗いが奥に光が見える。皮肉にも屋根が壊れているからこそ光がこぼれるようにそこだけを照らしていた。


 そこには一人の女性がいた。紫の髪が肩まで延びた、魔族の女性。ディアナだった。彼女は箒を手にしていた、掃除の途中だったのだろう。しかし来訪者に気が付くとぱぁと明るく笑った。


「いらっしゃい! 遊びに来てくれたの?」


 箒を手にしたまま彼女はぱたぱたと走ってくる。来訪が純粋にうれしいと感じている。見るだけでそう思えるほど彼女の笑顔はわかりやすかった。


 『彼女』は胸の奥がずきりとした。唇をかんでなぜか感じたそれを押し殺しながら言った。


「こども、達は?」

「え? ああ、今はみんな遊びに行っているわ。お昼はいつもそうなの……なんてね。……みんな実はね。外でちょっとした仕事の手伝いとかをこっそりしてくれているの……私には遊びに行くって言っているけどギルドの……Fランク? だったかしら、一般人でも受けられる仕事をしているのを見たことがあわ」


 はあとディアナはため息をついた。


「私がもう少し医者としてお金を稼げたらみんなにいい暮らしをさせてあげることができるんだけどね。そうそう私が知っていることは秘密ね。みんなが帰ってくるまで町で出会わないように教会の掃除をしていたんだけど、ひとりで寂しくって」


 そしてディアナはまた笑った。


「あなたが来てくれてよかった」

「…………」


 『彼女』には本来用件などない。かといってここに来たこと自体何か理由がなければ不自然だった。今日の夜に目の前の女性を殺し、その孤児たちを拉致することが自分の任務であった。


「……この前の物語の続きを、聞きたくて」


 自分でも何を言っているのかわからなかった。前にディアナが子供たちにしていた物語の続きを聞きに来たという自分。妙なことを言ってしまったと恥ずかしくなったが、ディアナは眼をぱちくりさせて、くすりとした。


「いいわよ。そこに座ってて、本を持ってくるから」


 ――屋根の壊れた教会。そこから差し込む光の下でディアナと『彼女』は並んで座った。


 ディアナが大きな表紙の本を開いた。


「どこまで読んだかしら。確か前にあなたが来たときは、剣の勇者様たちが旅立つところだったわね」

「……」


 正直どうでもよかった。ただのその場しのぎに過ぎないのだから。だから『彼女』はただ頷いた。


「じゃあ、ここからね」


 そういってディアナは本を読み始めた。


 優しい声で紡がれる物語。


 広い草原。


 大きな湖。


 大きな街とそこに暮らす人々。


 魔物や魔族との闘い。


 英雄といわれる者たちがかつて歩いた道をディアナは声に乗せて語る。いつの間にか『彼女』はそれに聞き入っていた。


「…………」


 自分も行ってみたいな、と思った時に苦笑してしまう。行けるわけがないと思ったのだ。


 ディアナはとある場所で話を止めた。そこは魔族の王である『魔王』の話だった。少しだけ考えるように口を閉じる。


「ねえ。魔王様って本当は昔の世界で何を思ったと思う?」

「……さあ」

「私は思うの。魔王様ってもしかして……つらかったんじゃないかって」

「?」

「物語の中では勇者様たちにね、やられちゃうだけなんだけど……ずっと、ずーとこの魔王様は一番先頭に立って戦っているのね。昔から言われているように本当にひどい人だったなら。誰かにやらせて自分は逃げちゃえばいいと思わない?」


 一度ディアナは本を閉じる。


「私ね。子供のころ魔王様が嫌いだったの。彼が負けたから魔族のみんなは貧しい暮らしをしているんだって、思っていた。北の自治領にいる魔族のみんなは寒い冬は本当につらくて、それを超えられない人も大勢いたのよ」


 目を閉じて彼女は顔を上げる。


「だから、これも全部魔王とかいうあいつのせいだって子供のころは口に出さないけど思っていた」


 ディアナは空を見たまま目を開ける。


「……でも大人になるにつれて少しずつ変わってきて。なんで魔王様は戦っていたんだろうって。……私が治癒術が使えるのは、故郷のみんなの手助けをするために勉強したの。……でもね、今は子供たちがいるから北には帰れないし。それでも故郷も大事。どちらをとるということじゃなくて全部大事なの。あ……わかりにくいよね。うー。そうだな。魔王様もたぶんいろんなことを思って、それでもあの時代に足掻いていたんじゃないかなって思ったりしたの」


 ディアナは本を膝に置いて、両手を上げる。


「大人になるにつれてね、だんだん、だんだんと大切なものが増えていくの。家族だったり、昔からの友達だったり、故郷だったりも大事だけど、成長するにつれて勉強したことや仕事も、もちろん子供たちや新しくできた友達も」


 空からの光を抱くように彼女は両手を広げる。


「全部大事だけど……全部を同じように大切にしたい、それでも……できないことがあるとね、私はひとりしかいなくて、この手は2つしかないんだってわかってきたの。私なんかには持てるものはあまり多くはないんだって」


 ディアナは手のひらをゆっくりと閉じる。


「魔王様はきっといっぱい抱えていたんだろうね。私よりももっと多く、いっぱいのことを。それはきっとつらいことでもあったんじゃないかなってあはは。やっぱり変な話しちゃったね。……魔王様がどんな人だったかなんて彼も生まれ変わってでもくれないとわからないよね」


 その話を『彼女』は聞いていたが、どう答えればいいのかわからなかった。ただふと口に出してしまう。


「私には……大切なものなんてない」

「……そうなの?」

「…………」


 ディアナは『彼女』を見た。ただ何かを聞いたり、問いただしたりはしなかった。それはディアナのやさしさなのだろう。だが、だからこそ『彼女』は話してしまった。


「私には名前もない……」

「名前がない……?」

「子供のころからいろんな名前を与えられては捨ててきた。最初の名前は憶えていない……。大切なものなんて考える気も起きなかった。……でぃ、ディアナ……さんが抱えているなら、私は何も持ってない」


 『彼女』自分の掌を見た。何も持っていない手。それだけで悲しいような気がした。しかし表情を変えることはしなかった。感情で表情を変えないように訓練した。顔の動きは武器で、笑ったふりも怒ったふりも悲しい振りも何か役に立つときにだけするものだ。


 『彼女』の手をディアナの両手が包むように持った。はっと顔を上げるとディアナの赤い瞳がまっすぐに見ている。


「…………私は貴方の過去のことは何もわからない。でもね。この前助けてくれて、一緒に食事をして、今日も本を一緒に読んだことは私にとっては大切なことなの。……もし、よかったらね。少しの思い出かもしれないけど……貴方も私と一緒にこの思い出を手の中に入れてくれないかな?」


 ね? とディアナは優しく微笑んだ。『彼女』はディアナの手のぬくもりを感じていた。そしてディアナはつづけた。


「……勝手なこと言うけどもし名前がないなら。貴方自身で決めちゃえばいいのよ。そうねぇ、かっこいい名前……いやかわいい名前がいいわね。……誰かのための名前じゃなくて貴方だけの名前を自分につけて怒る人が人なんていない……いやいたとしても私が説教をしてあげる」

「……私が名前を?」

「そう。私もあなたの名前を呼んであげたいから」


 その言葉に『彼女』は視界が歪んだ。ぽろぽろと涙がこぼれてきた。それがなぜなのかわからなかった。


「……?」

「……ここは教会だから、私と神様しかいないから、泣いたっていいと思うわ。ゆっくり、ゆっくりと考えてくれればいいの」


 ディアナの前で『彼女』は「うん……」とだけいった。


 ほんの少しだけ時間が過ぎた。


 次に『彼女』が口を開いた。


「……私の名前。貴方がつけてくれないか?」

「え?? 私が???」


 ディアナは驚いた。目が泳いでいる。その表情に「嫌だったのか?」と『彼女』は悲しい気持ちになったが、ディアナはうーん。うーんと頭を抱えて考えている。そして遠慮がちに言った。


「ら、らぶりーちゃーみー?」


 時が止まった気がした。


 ディアナは慌てて首を振った。


「なし!! いまのなし!!! さ、さすがの私もだめなのはわかるわ!! ……名前を考えるのす、すごく苦手なのよ。昔そう頼まれて考えたら、キラキラしすぎの名前とか言われたことがあるし、うーん。うーーん」


 その姿に『彼女』ぷっと笑ってしまう。きししと歯を見せて楽しそうに笑う。ディアナは「うー」とうなるがしかし一緒に笑った。教会に彼女たちの笑い声が響いた。そして何かを思いついたようにディアナは言った。


「そうだ、本の中の人から名前を借りるのはいいかも」

「本の登場人物?」

「そう。流石に勇者様の名前はキラキラしすぎているからだめだけど。彼らの出会った人たちの名前とかを参考にしたらどうかしら。ほら。女の子ならチカちゃんとかサナちゃんとかほかにもマオちゃんとかもあるわね」


 ぱらぱらと本を開いてディアナは言う。『彼女』は少しだけ黙って言った。


「チカサナ」

「え? 合体させちゃうの?」

「……ダメ?」

「……ダメじゃないわ。かわいい名前だと思う。……じゃあ、今から呼ぶからはーいって答えてね」

「…………」

「チカサナちゃん!」

「…………」

「恥ずかしがらず。ほらっ」

「はい」


 ディアナはそれだけで嬉しそうに笑った。なぜか彼女が嬉しそうだった。その顔を見ながら『彼女』は言った。俯きながら。


☆☆


 夜は深まる。


 街は静まり返っていた。


 それは古ぼけた教会の周りはなおさら人通りもない。月は空にある。


 仮面をかぶった人影が教会を囲むように立っている。影はお互いに合図を送りながら教会を取り囲んでいる。そのうちの数人が入口の扉を開ける。音を立てないように体で押して開けた。


 教会の中も静まり返っている。


 人影が音もなく中に侵入する。目的は2つ。魔族の女性の殺害とその女性の保護している孤児の拉致である。だが、彼らはそれを為す前に教会の奥にたたずむ一人の少女を見つけた。


 壊れた屋根から漏れる月明りに照らされたくすんだ金髪の少女。彼女はそこに立っている。その瞳は侵入者たちを見据えていた。


 教会に侵入した者たちもそれぞれ武器を抜いた。彼女の殺気に気が付いたのかもしれない。


「きしし」


 誰にも聞こえないように、笑う。


 チカサナはダガーを抜く。



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