過去②
ディアナは古ぼけた教会に住んでいた。
教会と言っても屋根は崩れ、壁には穴が開いている。廃墟といった方が分かりやすい。
「みんなただいまー」
ディアナがそういうと教会の中からたくさんの子供が嬉しそうに駆け寄ってきた。ディアナに抱き着いたり、話しかけたりする。それをこの魔族の女性は困ったような、嬉しそうな顔でひとりひとり声をかける。
孤児を養っている。そこには人間も魔族もいた。
名前のない『彼女』が初めてそこに来たのは夜のことだった。ディアナは「汚れているけど」とあははと笑った。奥に食堂があり、そこには大きなテーブルがあった。古い建物ではあるが、床には散り一つない。隅々まで清掃が行き届いていた。
「彼女は面倒見がいいというか、それが度を過ぎている時もあるけどね」
後ろから声がした。見れば先ほどで会った少女だった。幼い顔立ちというよりは本当に幼いのだろう。しかし言葉は大人びていた。近くの椅子に座ると足の先が地面につかない。ディアナが少女に近づいてきた。
「彼女の名前はセレスティナ……あっ、まちがえちゃった」
何を間違えたのか『彼女』にはわからない。だがセレスティナと言われた少女はやれやれと首をふった。
「今更訂正してもおかしいからそれでいい。普通の名前だしね」
「ごめん~。セレス」
「いいって」
やはり少女は大人びている印象があった。『彼女』はもしかして偽名かとも思ったが、そのような感じはしない。ディアナは手を合わせて謝っている。しかしすぐにディアナは『彼女』に向かって言った。
「今から食事の準備をするから。待っててね」
そして「みんな手伝ってね」とディアナが言うと孤児たちは手を挙げて笑顔で「はーい」と答えた。その光景を見た時に『彼女』は自分が過去と今に置かれている境遇が重なった。自分も身よりはない、だが今目に前にある温かい光景の中の一人でいたことがない。
下らない。そう『彼女』は吐き捨てた。その姿をセレスティナは横目で見ている。美しい紫の瞳をした少女は『彼女』に横に座ることように促した。『彼女』も別にそれを断る理由もなかった。
食堂で子供たちとディアナが楽しそうに何かを作っているのを見ながら、二人は話した。
「君は魔族に対して偏見がないようだね」
「あ」
そういえばと思い出した、魔族は一般常識としては嫌うべきものだった。『彼女』本人からすれば常識などどうでもいい、気にするべきことではないが、少女に対して不自然なふるまいをしていたのだろうかと警戒をした。
セレスティナは料理をするディアナの後姿を見ながら微笑んだ。
「まあ、あんな気さくな魔族はなかなかいないからな。私も永く生きていた……ああ、気にしないでくれ病気みたいな言い方なんだ。とにかく私も大勢の魔族と出会ってきたがディアナのような存在はあまりあったことがない。……いや私の場合は魔族からしてもそんな気持ちにならなかっただろうが」
「……?」
少女の妙な言い回しに疑問を持ちながらも特に『彼女』は聞き返さなかった。そもそも仕事以外で人と私語をしたことがほとんどない。日常会話をすることは能力として持たされた。だが、目的のないただ話すだけの時間は苦手だった。
セレスティナは返答がなくても続けた。
「あの子たちは孤児だが最初はディアナを魔族としてやはり怖がっていたらしい。それでも彼女と一緒に過ごしているうちにああなったようだ」
ディアナは何かを驚きの声を上げて、子供の一人の頭をなでてている。褒められている子供もほめているディアナも幸せそうだった。
「魔族と人間は同じ場所で、一緒に笑い合えることができるなら今の世界はおかしいのかもしれない」
「……今の世界?」
『彼女』は初めて聞き返した。セレスティナは苦笑する。
「妙なことを言ってしまったね。それにしても私もおなかが減った。手伝うか? 君も」
「……私が?」
「ディアナの恩人に手伝わせるのはどうかと思うけれど、まあ、いいじゃないか。細かいことは。ディアナ!」
セレスティナはぴょんと椅子から降りる。それだけを見るとかわいらしい少女としか見えない。呼ばれたディアナはいつの間にかエプロンをしていて、前掛けで手を拭きながら近づいてきた。彼女とセレスティナは話した。
「なに? え? あの子が手伝ってくれるって……悪いよ。だってお礼なのに」
ディアナはちらりと『彼女』を見た。
「そこで休んでていいよ。無理しなくて」
「……あ、いや」
ディアナは申し訳なさそうな顔をしている。そしてにっこり笑って「もう少しでできるから」といった。その表情には優しさだけを『彼女』は感じた。ディアナはそれだけ言って戻って行こうとした。
『彼女』はなぜかその背中に手を伸ばしていた。無意識だった。ただ声が出なかった。
「ディアナ」
セレスティナの声。ディアナが少女を見ると首で『彼女』を示した。そのままディアナは振り向く。
「なぁに?」
声音が優しい。心地よい音がする。『彼女』は言った。なぜか少し恥ずかしくなったが、初めての経験だった。
「てつだっても……いい」
「……わかった……。ありがとう」
ディアナは『彼女』に近づいてきて、手を取る。ディアナの手は温かいと『彼女』は思った。
「そうそう、貴方。もう少し笑った方が可愛いわよ」
「笑う……」
「そっ」
にっとディアナは笑う。よく笑う女性だった。入れると『彼女』は笑うことが難しい。笑顔を作ることはできるが、作り物のそれではなく笑おうとして、
「き、きしし」
変な笑い声が出て自分でも情けなくなった。だがディアナは言った。
「ほら、かわいい」
「……」
『彼女』からすればディアナは本心からそう思っているようにしか思えない。『彼女』は変な笑い方をした妙な気恥しさも消えてしまう不思議な気持ちになった。そのまま手を引かれる。
――作ったのものは簡単な料理だった。
貧しい食事と言ってしまえばそれまでだが、できるだけ野菜を入れて作ったスープに少しのパン。ディアナの手伝いをして『彼女』も野菜を切り分け、鍋でそれを煮込んだ。セレスティナは魔法使いらしく水も火も彼女が出してくれた。魔法を使うと子供たちは歓声を上げた。
ただそれだけなのだが『彼女』にとっては楽しく感じてしまった。
食事の中で全員がテーブルについてお祈りをしている。『彼女』も見よう見まねでそうしたが、セレスティナはお祈りをしなかった。
塩で味付けをした野菜スープ。粗末な食器だが綺麗に洗ってある。ディアナは「お礼と言ったのにこんなのでごめんね」といったが、『彼女』からすればおいしかった。子供たちとディアナ、それにセレスティナが談笑しながらの食事は楽しかった。だいたい誰と話をしてもディアナはニコニコしていた。
ふと気が付くとディアナはスープに手を付けていない。最後は子供の中の一人にあげてしまっていた。『彼女』はそれに気が付くと食べている自分がなんとなく申し訳なくなってきた。
ディアナはむしろ『彼女』に「おかわりいる?」と聞いてきたからあわてて首を振って断った。
時は進んで夜は更けていく。
子供たちは教会の中で寝床を作っている。粗末な布団を床に敷いて固まって寝る場所を確保している。その中でディアナは本を読んでいた。内容は過去の英雄の物語だった。3勇者がいいことをしましたというような童話である。
それを少し離れたところからセレスティナと『彼女』は聞いていた。
魔族の女性の優しい声で語る童話。
「あるところに一人の少女がいました。その少女はとても魔法が得意でいろんなことができました。ある時、村で水不足があれば水の魔法でみんなを救い。魔物が出れば火の魔法でみんなおっぱらってしましました。彼女はいつもみんなのことを考えていました。どうやればみんなが平和に暮らせるだろうと毎日毎日考えていました」
子供に聞かせるように、いや本当に子供に聞かせているのだからディアナの言葉遣いも柔らかい。彼女のお話はゆったりと教会に響く。だんだんと子供たちは眠たそうにしていたが、頑張って起きて彼女のお話を聞いていた。
「そうして剣の勇者と少女は出会い、知の勇者と言われるようになるのです……今日はここまで」
ぱたんと本を閉じるとディアナは笑う。子供たちは「えー」というが、しかし眠たそうでもあった。ディアナはふふと笑い。
「はいはい、きょうおやすみー」
そうみんなを寝かしつけてしまった。ひとりひとりの頭を優しくなでて、ひとりひとりに声をかけていく。
その姿を『彼女』はみていた。いつの間にか胸元をぎゅっとつかんでいた。自分の過去を不意に思い出してしまっていた。
「さて、帰るか」
セレスティナの声に『彼女』ははっとした。
「今日もありがとねセレス」
「いいよ。私も好きで来ている。そういえば君はどうするんだい? 教会に……寝るところはないよ」
『彼女』は少し言いよどんでから。
「帰る」
「こんな遅くに危ない……なんてこととはないよね。
ディアナは自分が助けられたことを思い出して、『彼女』が手練れであることを思い出した。
「本当は貴方を引き留めたいけどね。こんな貧乏暮らしじゃかえって迷惑かな。あ、でもね。いつでも来てね。子供たちも喜ぶと思うから」
『彼女』はディアナの顔をまっすぐに見れずに少し目が泳いだ。ただただ純粋な好意が嬉しくて、まぶしかった。
☆
数日が過ぎた。
『彼女』は潜伏先として宿場町にある小屋があてがわれた。宿場町であれば人との出入りは激しい。見知らぬものがいても目立ちにくい。かといってやることがあるわけでもない。数日後にまた自分の次の仕事を知らせる使者が来る。
それまでは日課としてダガーを振るう訓練をしたり、あとは体を休めた。
ただたまに市場に出て食料売り場を回ってしまう。教会に持っていけば喜ばれるだろうかと考えてしまう。
「きし」
自分のそんな気持ちがおかしくて笑いそうになって『彼女』は両手で口を押えた。ほんのり恥ずかしかった。
使者は凡庸な格好をした男だった。農夫の姿をしたさえない中年だった。彼は彼女の潜伏先のドアを決まった順序で鳴らす。そして『彼女』が中に招き入れる。
ボッシュという男だった。本名かどうかはわからないがどうでもいい。
「へへへ、前の仕事はご苦労さん。次の仕事は楽だぞ」
「はい」
『彼女』の表情は変わらない
「最近人手不足で人員を補充することになった。まあ、いきなり仕事は無理だからお前たちのように訓練をさせるがな、孤児を少し補充してもらいたい」
「……」
嫌な予感がした。
「ここから近い町で魔族の医者気取りが教会で孤児を養っている」
ボッシュは下卑た笑いを張り付けたまま言う。笑っているというよりもそういう顔の男だった。
「その女はいらんから始末。残りの孤児を全員連れてくるだけだ。流石に捕まえるのと運ぶのに何人かを派遣する。お前がそこで指揮を取れ」
「……はい」
手が震えていた。




