王の盾
斧が城を切る。
それは比喩ではなかった。魔力を伴った斧が城の壁を両断する。
「オオオオオオ!!!」
ドンファンは叫んだ。体中から魔力を放ち。その波動に城がわずかに揺れる。
その中にアリーは飛び込む。白い剣を手に疾風のように突きを繰り出し。ドンファンはそれを斧で受ける。火花が散る。金属のぶつかる音。その後に二人は距離をとる。
ドンファンが斧を振りかぶり、そして雷のように降り下ろす。アリーはわずかに顔を上げた。迫る斧の刃を感じながら身をよじる。紙一重でかわすが、地面を斧が抉る。轟音を響かせ、土煙が上がる。
アリーはわずかに下がる。ドンファンの目がそれを追った。彼の赤い瞳にアリーが映る。そしてそれを狙っている者がいた。
男の頭上。チカサナがダガーを手に降ってくる。刃に体重を乗せてドンファンの首筋に突き立てる。だが強力な魔力で硬質化した彼の肌に刃が通らない。チカサナの目が怪しく光る。凡庸な相手であれば今の一撃で間違いなく死んでいた。つまり彼女は容赦しなかった。
ダガーの柄につけられた魔鉱石を研磨した糸である『魔鋼』。魔力を通せば相当な強度になる。
その糸をチカサナはドンファンの首に括り付けて。背中を蹴って下がった。手にあるダガーを引きながら彼女は地面に降りる。血しぶきが上がるはずだった。だが目の前の大男は手に魔鋼の糸を握り、引きちぎる。
「あは」
それにチカサナは笑ってしまった。ネヴァ・クラーケンという災害級の魔物ですらチーズのように切った。しかし目の前の男には通用しない。あまりの現実に彼女は笑ってしまったのだ。その刹那にドンファンが斧を振るう。はっとチカサナ魔鋼に魔力を通し、ダガーで体をかばう。そして後ろに飛んだ。
斧の先端が掠る。
その衝撃に吹き飛ばされた彼女は床で何度か跳ねた。
「チカサナ!」
アリーは彼女に駆け寄る。チカサナは頭を押さえながらなんとか起き上がった。頭から血が流れていた。とっさに身を引いたとはいえドンファンの強撃を受けてダメージは逃がしきれなかったらしい。
「いてて……ううん。化物ですねぇ。きしし。毒もきかない。首を狙っても刃が通らない。魔鋼も引きちぎる……いやはや困った困った」
「笑い事ではありません。……毒なんていつ使ったんですか」
「刃にたっぷりと塗っておくのも乙女のたしなみですね。それにですねいつでも笑わないと。人生楽しくって言うじゃないですか」
「こんな時にいう言葉ではありません!」
アリーの横でチカサナがきししと笑う。屈託なく笑う彼女の攻撃の手段はただ相手を殺すことに特化している。それでもドンファンには通用しない。
チカサナの手に持ったダガーは刃がかけている。チカサナをそれを見て「わーお」と言った。
――地面が揺れた。
ドンファンが斧を手に地面を鳴らしたのだ。彼の周りは魔力で空間が歪んで見えた。
「貴様も相当な手練れのようだな。名を名乗れ」
「私ですかぁ? Sランク冒険者のチカサナちゃんですよ。以後お見知りおきを。きしし」
頭から血を流しながら笑うチカサナをドンファンはただ見ている。声を荒げるでもなく。彼はただ淡々と言った。
「先ほどの貴様の攻撃から殺気を感じなかった。攻撃の意図を完全に隠すとは生半可な修練では到達できまい。もしやその戦い方は……『王の盾』か?」
「あ?」
チカサナは笑いを収めた。彼女の目が鋭くなる。
「…………」
彼女はダガーを握る手に力を籠める。
「王の盾……? 騎士団の『王の剣』ではなく……」
アリーは構えを解かずに口に出す。ドンファンが答えた。
「人間どもの中で暗殺を生業にする者たちだ。むしろ魔族の我の方がよく知っているかもしれん。あやつらは逆らった魔族をその手にかける薄汚い連中であるからな」
彼は斧の刃を一度下に向けて話す。
「魔族であれ、人間であれ貴様らの王の邪魔になるものを抹殺する者たちだ」
「…………王の邪魔になる者」
アリーは言われたことをそのまま口に出した。だが彼女は考えそうになってやめた。戦闘の途中で別のことを考えている余裕はない。彼女は息を吐いて呼吸を整える。
「よくわかりませんが、人間にはいろいろあるものです。過去のことなど今より重要ではありません」
アリーの言葉にチカサナは少し顔を上げて、目を見開いて、そして笑った。
「きしし。底抜けのお人よしですよねぇ。アリーさんは。……まあー前から思っていましたが」
「冗談を言ってないで構えなさい。チカサナ」
「はいはい。でもまぁ。久々にイラっとくる言葉を聞いたんで止まっちゃいましたね」
チカサナは続けた。
「そこの魔族のおにーさ……いや、おじさん? が言う通り暗殺なんてものをやっている薄汚い連中がいましてね。王様を守るために……いや王様の権力を守るために戦うから『王の盾』なんて言われているのですよ。普段は普通に王都で暮らしている人に見えて実は夜はすごいなんていうのが」
「……軽口はいいので戦闘に集中しなさい」
「まあまあ、アリーさん。聞いてて損はないですヨ。彼らは任務の時に仮面をかぶるのですから」
「仮面?」
仮面をかぶった者がエーベンハルト公を暗殺しかけた事件が起きた。3大貴族の一角でエーベンハルトを『王の手』と言われるものが暗殺しようとしたということ。つまりあの事件はただの襲撃事件ではない。暗殺あるいは粛清だった。アリーはそう想像して冷や汗を流した。
「わかりましたか? きしし。そうです。そういうやつらです。私もね、薄汚い仕事をそれなりにやってましてね。名前も28回くらい変えましたかね。たぶん。回数はてきとうですけど。まあ、ある時転職できまして冒険者になることができたので止めましたけどネ」
彼女は空を仰いで笑う。
「まー、意外とこの世の中はうまく行ってない場所が多いんですよ。そういう物陰にはいろいろと厄介なものが住んでいるということですね」
そして一瞬チカサナは寂しそうな顔をした。
「前に使ってた名前なんて使えないので自分で決めたチカサナなんて適当な語感の適当な感じの名前にしたんですけどね。意外とこれが愛着がわくんですねぇ。不思議ですよねぇ。きしし」
「チカサナ。なんで今そんな話を?」
「そうですね。今強敵を前にして死ぬかもしれないから、お人よしのアリーさんくらいには話しておこうかなって。……そうそう魔族のおじさん」
チカサナはダガーを右手に構える。その目には殺気がこもっている。
「ということで……私を『王の盾』なんて言いやがったこと許しませんよ」
彼女は自らの左手にダガーを突き刺した。
「チカサナ! 何を」
「きしし」
血が流れる。チカサナはその左手の手首をダガーを捨てた右手でつかんで、頭上に構える。
「我が血に呼応せよ。異界の魔物を罪深きわが肉体に宿らせよ」
チカサナを中心に魔法陣が展開する。その中央に立つ彼女の左手に黒と赤い魔力が混ざり合い、巨大な禍々しい鎧のように彼女の左腕を包む。チカサナの顔に魔法の文様が生まれる。
魔法陣の中心でチカサナが笑う。彼女の左腕は赤黒い魔力が鋭い爪を持つ禍々しい形に変貌していた。
「これが『王様』が私にしてくれたことですよ」




