階段
聖剣の少女は舞う。
舞台は無数の黒い影が迫る戦場。
魔力を伴った聖剣が振るわれるたびに蒼い一閃が奔る。その一瞬の光の後に一体のシャドウが黒い霧になって消える。
銀髪をなびかせてミラスティアは無軌道に襲ってくる敵の間を走り抜ける。最小の動きで最速の斬撃を重ねて敵を屠っていく。彼女はそのさなかに視線を後方にうつす。城内に通じる扉に彼女の仲間が走って行く姿が見えた。
ミラスティアは魔力を開放させる。バチバチと聖剣の周りに電撃が走る。急激に高まった魔力をすべて青い雷に変え、ミラスティアは聖剣を横に薙ぐように振るう。放たれた魔力が近くにいたシャドウ達を消し飛ばす。一瞬の間にミラスティアの周りにいた彼らは消えた。
青い魔力の残滓が降る中、ミラスティアは聖剣を片手にひとり立つ。
彼女の前には城の外から無限とも錯覚してしまうほど大量の彼らが迫ってくる。無数の敵の前に一人立つ彼女の横顔に怯えはない。真っすぐに前を見つめて対峙する。
影たちが強力な『敵』であるミラスティア・フォン・アイスバーグの前で歩みを止めた。感情を持たない彼らが止まることには意図がある。彼らはそれぞれ人の姿をしている。その姿が崩れ、泣きわめくように頭を抱えて苦しんで黒い霧になっていく。
霧が集まっていく。ミラスティアの前で渦を巻いたそれは巨大な黒の塊を作り、うねうねとその身を震わせる。体中を動かしながら『それ』は大きな人型の姿を形作った。両手で地面に手をつき、真黒な顔はミラスティアを向いている。目はない。口だけはあるが開いたそこには漆黒が広がっている。
『それ』は右手を振った。ただそれだけの動きで地面をえぐり、すさまじい勢いで振りぬかれる。一瞬のことだった。もしも人間に直撃をしていたならば肉塊になっているだろう。
そこにミラスティアは居たはずだった。彼女のいた場所の地面はえぐり取られていた。仕留めたのか『それ』は
今『それ』の右腕の上。両手で聖剣を構えるミラスティアがいた。彼女の片目はその銀髪に隠れ、もう一つの黄金の瞳が敵をとらえている。彼女は巨大な腕を蹴り、宙に舞う。魔力で強化された体と体重を剣に乗せ、渾身の力をもって『それ』の脳天から切り下す。
『それ』の頭から股まで一直線に切り抜け。ミラスティアは着地する。彼女の後ろで切り抜けた巨人が形を崩して黒い霧になる。その前で聖剣を振るう。青い稲妻が空気中に飛んだ。
シャドウ達はそれでも増えていく。巨大な敵を倒しても彼らはさらに外からやってくる。人型のシャドウはミラスティアの周りではなく城壁の壁沿いに城の中へ向かおうとしていた。
「……!」
ミラスティアは大型のシャドウに気を取られている間に後ろへかなりの数のシャドウが抜けていったことに気が付いた。後ろを見れば城の扉の周りにシャドウ達が殺到している。
その瞬間に炎の竜が周りを焼き払った。シャドウ達は炎の中で苦しんで消えていく。
扉の前にラナが魔法陣を展開していた。人差し指を天に向けて叫んでいる。
「ミラ! あんたも速く来なさい! 長くはもたないわよ!」
炎の竜を操りラナは立っている。後ろには城の中へ続く扉があった。ミラスティアは魔力を開放し、身体能力を強化して走る。駆けながら前にいるシャドウ達を切る。
「ラナ! 中に入って! 扉を閉めて!」
「あんたも!」
「大丈夫!」
ミラスティアの声にラナも一瞬だけ躊躇して扉の中に入る。中から扉が閉まっていく音がする。ミラスティアは飛んだ。扉の閉まる隙間に身を滑り込ませ、城の中で着地する。その後ろで扉を閉めた音がする。
ミラスティアはふうと息を一つ吐くと涼し気な顔で立ち上がる。彼女は聖剣を鞘に納めて後ろを振り返る。ラナが両手をついて倒れている。扉にはモニカとニナレイアとエルがいた。彼女たちが閉めたのだろう。見れば扉はかなりの重量がありそうだった。
「はあはあ」
モニカとニナレイアが息を切らしている。魔力で体を強化して無理やり閉めたのだろう。
ミラスティアはあたりを見回す。城のどこに当たるのかはわからないが、周りの壁はしっかりしている。だが壊れかけた城である。侵入する場所はいくらでもある。
「みんな。疲れていると思うけど……行こう。扉も破られるかもしれない」
どんどんと外から叩く音がした。モニカが慌てて閂 をするがいずれ撃ち破れられるだろう。ラナが立ち上がった。
「仕方ないわね。……どこに行っても安全な場所なんてないと思うけど」
「それでもここにいるよりはいいよ」
ミラスティアは冷静に返す。モニカがその姿に言った。
「待ってください。やみくもに逃げてもあの化物……影みたいな彼らもこんなにボロボロの城ですからどこからか侵入し来るはずです」
「うん。一階は危険だと思う。上の階に行こう……そして」
クリスを倒す。ミラスティアはその言葉を飲み込んだ。モニカは次の言葉を待っているがミラスティアは目を逸らした。彼女はごまかしもあるが今必要なことを言った。
「どちらしてもここにいる時間は少ない方がいい。行こう」
「待て。ミラ」
「ニーナ。時間がないから移動しながらにしよう」
城の奥に向かう彼ら。ニナレイアはその中で言う。
「さっき一人で囮みたいになっただろう。私たちも戦える。無茶をしすぎじゃないのか」
「……うん。ごめん」
ミラスティアはそう言って、しかし振り向かない。
「今はまずはここに逃げ込まないといけなかったからとっさだったんだよ」
「…………」
乱戦になれば聖剣の力を存分に使うことはできない。そして戦いの中で誰かが窮地に陥っても助けることもできないかもしれない。ミラスティアの行動は合理的なものであった同時に一つの現実を突きつけるものでもあった。
「私たちでは力不足……か?」
「………………そんなことないよ。あの場はそうするしかなかった」
ニナレイアの言葉にミラスティアは少しだけ返すことに時間をかけた。そのわずかな間がニナレイアをはじめとしてラナとモニカの表情を曇らせるには十分だった。彼女たちは前を行く銀髪の少女の背中を見ている。
聖剣を鞘にいれてミラスティアは歩いていく。その歩みによどみはない。
階段があった。
上の階に上ることができるだろう。ミラスティアは階段を上り始める。階段の踊り場に窓がある。そこから中庭が見えた。どうやらここは城の西側らしい。そして中庭の様子にミラスティアは唇を噛んだ。
そこには無数のシャドウがいた。黒い人影の軍勢に埋め尽くされていた。彼らは城の城壁をよじ登り、上へ登ろうとしている。一体一体の力は限定的だったとしても、その数は圧倒的だった。どれだけやられようとシャドウ達からすれば人間を囲むことができればそのまま嬲り殺しにできるのだ
「何よこれ」
ラナの声にミラスティアは「行こう」とだけ返す。冷静な声だった。
あれだけの数を相手にすればミラスティアも魔力を使い果たしてしまうかもしれない。そうなれば死は免れないだろう。だが、彼女は無言で階段を上る。今はそんなことを想像している暇はなかった。
「待って、ミラ」
階段の上からミラスティアは振り向いた。呼び止めたのはラナだった。ミラスティアは「やだな」と誰からも聞かれないように言った。ラナ、ニナレイア、モニカを見下ろすように自分が立っている。そんな想像が彼女の胸の奥に苦いものを感じさせた。エルは少し遅れて上がってくると窓の外を見ている。
「何?」
銀髪の少女はそう声に出した。ラナは言った。
「今の状況であんたが何も考えてないわけないって思うのよ。私たちは何をすればいいのか教えて」
「…………」
ミラスティアは一度モニカを見て。
「とにかく上に行こう」
「そうじゃなくて。今の状況を打開することをあんたは考えているんじゃないの? 言葉にしてくれないと私たちはさっきからあたふたしているだけじゃない」
シャドウを操る術者を倒す。その後船まで逃げる。おそらくクリスを倒さずに森は抜けられない。城にこれだけの数がいるのだから海岸までの道にどれだけの敵がいるのかミラスティアにも想像がつかなかった。
ミラスティアは今すぐにでもここを離れて先に進みたい。だが、本音を言うことができなかった。ただモニカを見て言葉に詰まる。
「いいから先に進もう。私だってわからないよ」
「……さっきからなんですか」
モニカが前に出た。ワインレッドの髪。手にはハルバードを持った魔族の少女。彼女の赤い瞳にミラスティアを映す。
「私をチラチラ見て、なんでいちいち目を逸らすんですか?」
「そんなこと……ないよ」
「気が付いてますよ! 私に何かあるんですよね?」
「…………」
モニカは階段を一歩上がる。
「確かにあなたは私よりも遥かに強いです。それでも! 私だってマオ様の力になりたくてここに来たんです。貴方がノエルさんにあの箱を託して私たちを試したんじゃないですか。今更何を遠慮しているんですか。言いたいことがあったら言ってくれないとわかりませんよ」
「…………」
モニカはさらに一歩上に上がる。
「マオ様は貴方だけ一緒に来ました。それは……マオ様にとって貴方が特別なんだと思います。貴方だけがあの人の『秘密』を知っているんですよね?」
「秘密……」
ミラスティアは表情に出ないように手で自分の服をぎゅうとつかんだ。モニカ達が勘づいているようにマオの『秘密』をミラスティアだけが知っている。この世界でただ一人、知っている。モニカが言う。
「私だっていつかそれを打ち明けてくれるよう……そうなってほしいと思っています。だから貴方に後れを取っているわけにはいかないんですよ!」
モニカの瞳には意志があった。ミラスティアは一度目を閉じる。
彼女は思う。短い間に様々なことを考えて、そして短く伝えた。
「私は……マオと一緒に居る覚悟をした。私は弱かったから離れそうになったけど、でも今は何があっても一緒に歩いていきたい。そう思っている……それにモニカ……それにラナとニーナ。もしも……マオがいつかみんなに『話』をした時……それでも一緒に居てほしいと思ってる」
でも、とミラスティアは言った。窓の外を見る。
「マオの歩く道はたぶんこういう道だよ」
外のシャドウ達の。黒い顔をした無数の敵。無秩序に動く彼らはただただ流れるままにうごめいている。
階段の上からミラスティアはモニカ達に視線を移す。
「それでもみんなはマオと一緒に居てくれる?」
わずかな時間
静寂があった。
ただ一番最初に声を出したのはニナレイアだった。彼女は前に出る。
「私は……私はあいつから勝手にヴォルグを倒す約束をされたんだ。だから……だから……今更あいつが勝手に…………私……私との約束を反故にするのは許さない」
ニナレイアは顔を上げる。
「それに……あいつは私の友達だからさ。力になってあげたいよ」
言ってニナレイアは少し俯いて、顔を赤らめて手で表情を隠した。その姿ににミラスティアは少し驚いて目を開く。彼女が何か言いかける前にラナが言った。彼女はニナレイアの肩をポンポンと叩いている。
「ほんと今更な話ね。あいつと一緒に居て一度死にかけているし。それにモニカの言う通り、あんたが用意した箱でここまで来てやっぱりやめましたなんてできないでしょ」
ラナはそこまで言って、少し黙る。それから頭を振る。
「……本音を言うわよ。怖いわよ。死ぬのも、痛いのも。さっきの魔族の強敵て手が震えているわよ。……でもそれ以上にそんな中であいつ一人にする方が嫌。……ミラもそうだからここにいるんでしょ?」
「……ラナ」
ミラスティアは視線をモニカに映すと彼女は怒っていた。えっとミラスティアが下がる。
「私はさっき言った通りです。貴方には負けません」
その言葉にミラスティアはクスッとしてしまう。それでモニカはそっぽを向いてしまう。だがミラスティアは胸もとに手を置いた。嬉しい気持ちがある反面。守らなければならないと思った。
――壁が壊れる音がした。
一階の音だった。
シャドウ達がおそらく侵入してきたのだろう。ミラスティアははっとしてモニカを見た。モニカと目が合う。
「モニカ……今から私の考えを言うよ。……隠すことなく」
ミラスティアは魔族の少女の瞳をまっすぐ見ながら口を開く。




