ノエルの真意
演習場の観覧席には一人の女性が座っている。
「…………」
眼下に繰り広げられる模擬戦を黙って見ている彼女はノエルだ。
『Sランク冒険者』であるアリーの友人にして、ラナ達と引き合わせた張本人でもある。彼女は手に小さな木の箱を持っていた。黒色のそれを両手で持ち、一度視線を落とした。何か考えるように箱の表面をなでる。その後でノエルはまたアリーたちの戦いに目を向ける。
はたから見ても実力は隔絶している。3人がかりとはいえ学生にすぎない子どもにアリーは倒せないということはわかっている。そしてノエルの友人であるアリーも彼女たちを諦めさせることを考えているだろう。
「……どうすればいいかな」
ノエルの言葉を聞いているものは誰もいない。
だが、時間は進んでいく。
☆
演習場の中心に立っているアリーは黒髪を手で払い。優雅に剣を構える。
「これ以上やっても私へ一撃を与えることは難しいでしょう。どうでしょうか? 今から私は貴方たちをそれぞれを倒します。それでこの演習は終わりです」
アリーの言葉は終わりを告げていた。
その言葉を聞いてラナは自分の赤い髪を左手で掻き上げて、唇をかんだ。「目のものを見せてやる」と強がっていったはいいが、何かが思い浮かんだわけではない。だが彼女を守るように前にでたモニカとニナレイアの背中を見てしまえば、そんなことは口が裂けても言えない。
ラナは必死になって考える。
どうやってアリーの裏を突くか。
3人の中で最も近接の戦闘技術が高いモニカでも手も足も出ない。
奇襲ができたニナレイアの『無炎』はおそらく通用しないだろう。
そしてこの狭い演習場の中であればラナ自身の魔法もその発動から見切られてしまう。流石に模擬戦で炎を操るような危険な魔法を使うわけにはいかない。
ラナは自分の心臓の音が聞こえるような気がした。どくどくと音を立てて、そして自然と息が荒くなる。何かを考えなければいけないのに何も考えられない情けない自分に不意に涙がこぼれそうになる。
「……ざけんじゃないわよ」
その涙をぐいと袖でこすってラナは自分の前を睨む。誰が落ち込んでやるかと弱気を跳ね返した。彼女は一度息を吸った。
アリーが声をかけてからわずかな時間しか経ってない。ただラナには長く感じられた。はあと息を吐いてそれから苦虫をかみつぶすような顔をして思う。
――マオならどうするだろう?
それはあんまり考えたくなかったが、ラナは思った。相手がどんなに魔力が上だろうとそれを超える発想をする彼女を何度も見ていた。いや、そもそもラナ自身が圧倒的に魔力が上でもあるにも関わらず頭突きで倒されたことがある。
ラナは自分が発想力でマオにはかなわないと思った。ただ、ちゃんと学んだことならわかる。
模擬戦の時のソフィアとの戦いをラナは思い出した。
「……いいですよアリーさん。私たちが倒されたら……諦めます」
ラナが言った言葉にモニカが振り返り、ニナレイアは無言でアリーを見ている。
「ラナさん……!」
「何度も言うけどモニカ。私に任せときゃいいのよ。……相手が格上だからって、勝とうって話じゃないわ。一撃入れればいいんでしょ」
ラナはモニカとニナレイアに近づいて小さな声で今思いついたことを言った。モニカは困惑した顔で何度か瞬きをする。
「ええ?……本気ですか? そんな危険なことを……」
「私は本気よ。ニーナもいいわね」
「……ああ」
ニナレイアはちらりとラナを見る。
「私はバカだからな。どうせあの人を倒す方法なんてわからない。ならラナを信じるだけだ」
「……あんた。恥ずかしくなることを言わないでよ」
「いや……恥ずかしいことなんて言ってないが」
「ニーナさん……ラナさんは恥ずかしいんじゃなくて照れているんですよ」
ラナはモニカの頭を軽くぺしっと叩く。それにモニカがくすりとする。
そこに声がした。
「作戦会議はもういいですか?」
アリーの声音は一定だった。落ち着いた語りかけるような声。3人の隙といってもいい『作戦会議』もゆったりと彼女は待っていた。それは余裕というものでもあるが、彼女の甘いところでもある。それは美点でもあり欠点でもある。
「それでは先ほど話した通り。私があなた達を倒したところでこの模擬戦は終了です。行きますよ?」
アリーの体を中心に緑色の風が巻き起こる。剣に風を纏わせて構える。
それに対峙する3人も構えた。少し離れて魔導書を構えるラナ、ハルバードをを水平に持つモニカ、そしてニナレイアが腰を落とし体に炎を纏う。オレンジの色の炎は魔力から生まれたものだ。身体能力を強化し、その拳を炎が覆う。
「一の術式」
ニナレイアは前に一歩踏み出る。彼女自身はアリーにとっては全くの脅威にはならない。炎で体を覆うとしてもアリーの斬撃を防ぐことはできないだろう。
ただニナレイアはその場で小さく跳んだ。
「どぉおおりゃああ!」
その彼女にモニカがハルバードを振った。刃を横にしてニナレイアの両足が乗るように振りぬく。空気が音を立ててニナレイアが「撃ちだされる」。
「なっ!?」
アリーは驚愕したが、すぐに冷静に対処を想定した。ニナレイアは炎の矢になって一直線に向かってくる。左右に避けるにしてもその弾道を見切って剣で撃ち落としてもいい。ハルバードの遠心力を使って速度を増したとしても十分に距離を取っていたからこそ奇襲にはなりえない。
――甘い。
アリーは思ったが剣が鈍った。向かってくるニナレイアを攻撃すればけがを負わせるかもしれない。彼女は甘い、だからこそ一瞬だけ思考が止まった。その一瞬がニナレイアへ間合いを詰めさせた。
ニナレイアは空中で鋭く蹴りを繰り出す。空気を切り裂く。それをアリーははわずかに半身をひねって避ける。勢いのままにニナレイアはアリーの後方に着地をする。ずざざと地面を滑るニナレイアの金髪と耳飾りが揺れる。
アリーはふっと笑った。
「やりますね。しかし、この程度ではまだ私には……?」
後方のニナレイアをからラナ達に目を移す。しかしそこにはモニカだけがハルバードを構えている。アリーはラナを探した、演習場を見回したがいない。そこではっと空を見た。
空に人影。そして青い魔法陣。
そこには赤い髪の少女がいた。両手を天に構えている。
――彼女は自分のやっていることに笑ってしまっていた。
アリーがニナレイアの攻撃をかわす一瞬。同じようにモニカがハルバード空に飛ばしたのだろう。
魔力を放つ。青い光を放ち、すべての力を底に注ぎ込む。
「青き清浄なる流れを此処に! 水の精霊であるウンディーネに告げる――」
大気中の水が巨大な球体になる。ただただ量だけを考える。勢いよりも演習場を丸ごと攻撃できるくらいのめちゃくちゃな構築でもいい。ラナは体の中のありったけの魔力をそこに急いでつぎ込んだ。
「全部洗い流せ! アクア・マリーネ!」
ラナが空中で両手を振り下ろすと同時に大量の水が空から『落ちてくる』。アリーはそれを見て「はは」と笑うが、むしろそちらの方が好都合だった。彼女の剣はか弱い少女相手には鈍るが、水相手には容赦をする必要がない。
緑色の風を剣にまとわせ。アリーは剣の切っ先を地から天へ振り上げた。
洗練された魔力の風が空から落ちてくる水の塊を両断する。切り裂かれたそれは、ざああと雨のようにアリーを避けるように降り注ぐ。
ラナの渾身の魔法も彼女には通用しない。それを空から落ちながらラナは見ていた。
強がるこの赤い髪の少女はにやりと笑う。
「任せたわよ」
――魔法の雨の中をモニカが突き進んだ。彼女はハルバードを構えて地を薙ぐように振るう。アリーは慌てることなく一歩下がった。ハルバードは雨と空を切る。だがモニカも笑う。
アリーははっとした。後方に『気配はない』のだ。だがかろうじて彼女は視線を動かした。
下がった先にニナレイアはいる。彼女は全ての魔力を抑える『無炎』を使って構えていた。腰を落としニナレイアは拳を振るう。
彼女の魔力を纏わない拳がアリーの背中に突き刺さった。
「!」
衝撃はほとんどない。ただアリーはその瞬間に自らの出した条件を少女たちが超えたことに小さく微笑んでしまった。
☆☆
「いたたたた」
ラナは演習場の観覧席に寝ていた。衝撃に強いフェリクスの制服を着ているとしてもそれなりの高さから落ちて普通に体が痛かった。骨を折らなかったのは運が良かった。
「なんだかマオ様みたいですね。ラナさん」
「はあ? なわけないでしょ。私は過去の実績からちゃんと考えたのよ」
隣に座るモニカがあきれながらも言う。ただラナからすればマオのようにその場の発想というよりはソフィアとの戦いで見せたように最終的に自分ではなく仲間にとどめを持っていく方式を再現したつもりだった。
ニナレイアもそばに来て言った。
「そういえばミラにもマオに似てきたと前に言われていたな」
「ニーナ……あんたさぁ。余計なことはよく覚えてんのね。そもそもマオなんて一人で十分でしょ! あんなの二人もいらないのよ」
「それは……そうだな」
ニナレイアの素直な言葉にモニカが笑ってしまう。つられてラナも笑ってしまう。
「あーくそ、ほんと似合わないことしたわ」
ラナは寝転がって言った。そこにアリーがやってきた。
「大丈夫ですか?」
ラナは座りなおして答えた。
「はい。ありがとうございます」
相手によってすぐ態度を変えるところにニナレイアが横で表情を変えず感心している。ただラナは目をアリーに向けて聞く。
「ハンデというよりは相当手加減してもらいましたけど……これで私たちにぴーちゃんを貸してもらえますよね。アリーさん」
「……約束は約束ですからね」
その言葉に3人はぱっと笑顔になる。モニカが声を出して喜び、ニナレイアが両手を組んで頷く。ラナははあと安堵した。
「――ただ」
アリーは言葉をつづけた。
「聞いていませんでしたがどこに行くのですか? 目的地などは……」
「「「あ」」」
3人は固まり、逆にアリーが焦り始めた。
「ど、どこに行くかわからないのですか!?」
ラナが焦りながら答える。
「か、考えてますよ。そ、それはノエルさんに聞こうと」
「一般のギルド職員がSランクの情報は持っていませんよ!?」
「え!? そ、そんな」
ラナはアリーの言葉に固まって。がっくりと肩を落とした。ただすぐにはっとして不安そうにしているモニカとニナレイアを見た。
「ま、まあ。手はあるわよ。私に任せときなさいって」
こういう時でも強がるしかない。ラナは立ち上がったが次の難題に対してどうしようかと考えていた。どうすりゃあいいのと言えれば楽だろうが彼女はそれは言えなかった。
そこにかつかつと靴を鳴らしながらノエルがやってきた。少し濡れているのはさっきの闘いの余波をもらってしまったのだろう。ただその手には木の箱があった。
「おめでとう3人とも。まさかアリーから一本を取るとはね。ただアリー。あんたも油断しすぎよ」
「…………言い訳はしません」
「まあいいわ。ラナさん。はいこれ」
ノエルは木の箱をラナに手渡した。ラナはきょとんとした顔で聞く。
「なんですかこれ?」
「……それに魔力を込めながら開いてみて」
「魔力を?」
ラナはモニカとニナレイアに目で問いかける。二人はうんと頷いた。だからラナは少し回復している魔力を箱に流す。すると箱の表面に幾筋もの魔力の流れが文様を作り淡い桃色に線が走る。ラナはその優しい光の中でふたを開ける。
箱の中からひらりと光る蝶が舞った。
魔力の蝶はラナ達の周りをゆっくりと回る。そしてぱっとはじけて宙に文字と模様を刻む。
『セレーナ島で待ってる』
魔力で描かれた文字はメッセージだった。そして魔力の線はセレーナ島の海図を描く。王都からの距離と方向がそこには描かれていた。しばらくして魔力は四散して消えていく。
ラナが口を開いた。
「これは。マオがFランクの依頼の時の……」
モニカがその後を続ける。
「私の使った蝶の魔法ですね……。もしかしてこれは」
「そう」
ノエルが言う。
「この箱はミラスティアさんが私に預けたもの。もしもラナさんたちが私に頼ることがあって、そのうえで渡してもいいと思ったなら開いてほしいといったものよ。場所がわからないなら危険なことにも関わりようがないからね」
その言葉にラナ達は反応しなかった。
「アリーに認められるなら……とは思ったけど、本当にやり遂げるとは思わなかったわ。だから私の判断で渡したけど、アリー」
「……はい」
「これはギルド職員としてじゃなくて友達としてお願いなんだけど、この子たちについていってくれない? マオちゃんやミラスティアさんたちのこともお願いしたいのよ」
「……」
アリーは一度ラナ達を見てノエルに視線を戻す。はあとため息をついて髪に手を当てる
「何かおごってくださいよ?」
「みんな無事に帰してくれたらね」
「まあ、ラナさんたちがいいならですが。どうですか?」
ラナがはっとした。
「あ、え? アリーさんが着いてきてくれるならぴーちゃんのことも含めて心強いですけど」
「それではお願いできますか? 私も着いていってもいいでしょうか」
アリーは丁寧に「お願い」をした。ラナは「も、もちろんです」と答えて、アリーは「ありがとう」という。それにノエルは苦笑する。
「あんた固すぎ」
「性分ですから」
ノエルはそれで「安心した」といった。それから言う。
「ラナさんたちもあっちでミラスティアさんに会ったら……あれ? どうしたの?」
ノエルが言うとラナとモニカが微妙に不満そうにしている。彼女たちは言う。
「ミラのことどう思います? モニカさん」
「どうもこうもないですね。ラナさん」
「どうすればいいと思う?」
「そうですね。辛いの3倍の刑だとおもいます」
「決まりね。隠れてやるくらいなら最初からすっといえばいいのよ」
「私たちを試したのですから……試してあげましょう。聖剣の伝承者がどれだけ辛いのに耐えられるのかを」
くくく、ふふふとラナとモニカは笑う。ノエルは両の掌を組んでミラスティアさんの前途を軽く祈った。
その時、空に向かって魔力の光が奔った。
ラナ達がはっと顔を上げるとアリーが演習場の中で剣を空に向けている。次の瞬間には遠くで竜の咆哮が聞こえた。アリーは振り返って言う。
「流石に街中には連れてこれませんから。何かあった時はこのように合図をすることにしているのですよ。さあ、ぴーちゃんが来ますよ。急いで支度をしてください。マオさんもミラスティアさんも待っているのでしょう?」
アリーは先ほどのラナとモニカの会話を聞いていないからこそ軽く言う。ただラナはモニカとニナレイアに向かって言う。
「それじゃあ行きますか」
「はい!」
「ああ」
3人がそれぞれ鞄を背負う頃、黒竜が空から降りてきた。




