その少女の名前はマオ
あたしが起きるのはにわとりの鳴き声よりも早い。
ベッド? そんなしゃれたものはないよ。床に敷いた板敷きにお父さんとお母さんと弟で横並びに寝そべっているんだ。
あたしは目をぱっちりあけてそろりそろりと一人だけ寝床からでる。横には弟が涎を垂らして寝ているから起こすわけにはいかない。誰も起こさないで起きるのなんて文字通り朝飯前だ。
隙間風用の穴の開いた壁から漏れる朝の光の中、あたしは立ち上がる。うーんと体を伸ばして足音を立てずに外に出る。外に出る戸は立て付けが悪くて音を鳴らしそうになるけどちょっとしたコツですーと空けれるんだ。
外に出るとそこにはいつもの光景が広がっている。ほんのり暗い、涼しい朝の時間。あたしの視界には村の光景が広がっている。どこもこかしこも貧乏っぽい。ボロボロの木造の家が並んでいる。
「あぁーーー」
朝起きるといっつも思うんだけど!! あたしは、あたしは。
「魔王だったのにぃ」
両親を起さないように抑えた声で言うんだけど、こればっかりはもう納得いかない。
今のあたしはマオって名前の村娘。ありふれた農村の貧乏な村娘。そんでもって、前世は魔王だった。なんか神様とやらが来世でなんとかって言ってたけど、普通にわとりの世話をさせる?
家の横にはぼろい囲いがあってその中に数羽のにわとりがいる。あたしは囲いの中に入って、箒で掃除とか卵を産んでないかとかちゃんとチェックして回る。
こけこっここここ
うっさーい! あたしの足元にまとわりつく赤いトサカの鳥どもを睨むけど、こいつらに効果はない。うちの財産っていったらこいつらくらいしかない。もしもお金持ちだったらすでにローストチキンにしてやっている。
「う、うう」
箒を片手に自分のみじめさに涙が出る。今のあたしはあの強力な魔力もなければ軍勢もいない。勇者と対峙でもすれば気絶する自信はある。虫けらみたいな存在になってしまったんだ。
こけこっこー
朝の光に反応したのかにわとりが叫ぶ。遠くの山の間から朝日があたしの村を照らす。ああ、遺憾なんだけど、まあ、この光景は嫌いじゃない。
☆
「うんしょ」
と言いながら井戸から組んだお水を汲んできては甕に移す。
「やっほい!」
と言いながらぱかぁんとナタで薪を割る。
「ほぃ」
と言いながら小さな畑に鍬を入れる。手は結構ボロボロなんだけど、お父さんもお母さんも弟も手伝うから魔王たるこのあたしがさぼるわけにはいかない。でも、毎日すっごい働いているはずなんだけど全然暮らしは豊かにならない。
それもそのはずでさっき使った鉈も鍬もあと畑に植えてある種もぜーんぶ借りもの。収穫時に利子を払うから最終的に殆どのこりゃあぁしない。ほんと領主の阿保は頭ふんづけてやりたい。
土まみれになったから近くの小川で顔を洗う。ぱしゃしゃと洗ってから水面をみるとそこには碧い瞳に明るいベージュの髪の毛をした女の子、つまりあたしがいた。
「はぁ」
ため息しかでない。あたしは膝を抱えてうずくまる。顎を膝にのせて川の流れをみるときらきらと光っている。この川、たまに氾濫するふざけたやつで水の精霊を見かけたらぶんなぐってやろうかと思っているところ。ただ一度も見たことはないけど。
あたしは立ち上がって、両手を前に伸ばす。そして呪文を唱える。
私の体からわずかに青い光がほとばしる。
「アクア!」
っていってみたら川の一部がぽちょーんと動いた。水を動かすなんてことは今のあたしにはできそうにない。前なら洪水なんて簡単に起せていたはずなのに! なーんてもう何度したのかわからない。
記憶をたどって魔法の練習を繰り返してやっとこの程度。もともとこの体には魔法の才能何てないのだろうね。ちっくしょう! いつか絶対こんな村でてって成り上がってやる。
あたしが村に帰る途中に村人達から声を掛けられる。やれこの前はありがとうだの、手伝ってくれて助かっただの言われる。あたしは高度な計算でそれをやっているだけで、いつか人間どものをまたこの手でひれ伏させるためにやってんの。勘違いするんじゃあないわ。
「あ、よかった。また手伝ってやるわよ」
「ボラおばあちゃん重いもの持つときはあたしに言いなさいよ」
「子供の相手くらいべつになんでもないわよ」
あたしは適当に言い返しながら歩く。むふむふ。みんな今日はトラブルはなさそう。あたしの下になるんだから、元気でいてもらわないと困るわ。
…………自分を騙すのもけっこうヤバイレベルに至ってるくらいのことはわかってる。いろいろ言い訳しながら人間としての生活を続けているけど、言い訳をしすぎてなんかわけわからなくなってきた。
そう思っていると村の唯一の井戸の前で人だかりができている。
男たちが血相を変えて話し込んでいる。なんだろうとあたしは近付いてみる。そこにはお父さんがいた。お父さんはなんてことないただの農夫。ひげがじょりじょりと痛いだけの。そんなお父さんが泣きそうな顔で私の肩を掴んだ。
「ロダが森に入って帰ってこないんだ!!」
ロダってのはあたしの弟、……な、なんだってぇ! やばいじゃん!
最近森では強力な魔物が出るって噂がある。タダの噂で本当かはわからない。犠牲者が出ているわけじゃない。でも、ああ、普通に心配だけど。私は魔王、私は魔王、私は魔王。こんな時は泰然自若として、落ち着いて対処するのが高貴な魔王としての当たり前の行動なんだってわかってるけど心が、ああ体がなんか、冷たい。
「お、お父さん。なんでロダは森に入ったの」
震える声でなんとかそういったあたしにお父さんが首を横に振る。わからないんだろうと思う。もともと痩せているその顔はなんだか血の気がない。今にも気絶でもしてしまいそうなほどだった。あたしは周りの男たちにどこに行ったのか聞いたけど、誰も知らない。
こんな村だ。武装は古びた剣とか槍とか弓が共同の倉庫にあるくらい。魔法を使える奴なんて誰もいない。
「森に出る魔物は大きなオオカミみたいなやつだってよ……」
誰が言ったかはわからない。
ただあたしはそれを聞いた瞬間に頭の中で食い殺されるロダのことを思い浮かべた。どくんと心臓が鳴る音が大きく、大きく聞こえた気がした。
「あたしは、あたしは魔王だ……」
いつの間にか走ってた。呼び止める声が後ろからするけど、止まらない。あたしは近くにあった木の棒を掴んで森の中にかけはいっていく。
がさがさ、ばりばり、とがむしゃらに進んだ。何か叫んでいたんだと思うけれど、自分でももうよくわかっていない。握りしめた木の棒の感触だけを感じている。
音がした、何か唸るような声。あたしはその方向に一目散に駆けだした。
茂みをぬけて、木の枝に頭をぶつけた。いや、額で枝を折ってでも進んだ。遠くに弟の後姿がみえる。その前に灰色のオオカミがみえる、大きいわけではない、噂の魔物ではないかもしれない。でも、あたしは叫んだ。
「あたしのおぉおお! 弟に手をだすなぁあああああ!!」
ロダの振り向いた顔。涙にぬれたその彼にオオカミが飛びつこうとするのをあたしは、おもいっきり木の棒で走りざまにぶんなぐった。
重い衝撃が体に響く。オオカミは投げ出されて地面に転がる。すぐに起き上がって歯を見せて唸っている。
あたしはロダの前に出る。
「誰の弟に手を出しているか、知ってのんのかぁ? あたしは、マオ様だぞ!!」
ぽたぽたと額から血がながれてくる。唸り声をあげるオオカミに対してあたしは木の棒を肩にのせて睨み据える。殺す。弟に手を出すなら殺す。それしか考えられなかった。
オオカミはだんだんと後退りして、茂みの中に消えていった。
あたしはしばらくそのままになってたけど、途端に足の力が抜けてその場にうずくまった。
情けない。体が震えて、なんか、うまく、できない。
「おねえちゃん」
ロダがあたしにしがみついてくるから、なんとかお姉ちゃんらしさ、いや魔王らしさを取り戻そうと唇を噛んで向き直る。おもいっきりしかってやるつもりだった。勝手に危ないことをしたんだからそれはもうこっぴどく。
「大丈夫?? けがはない??」
言っちゃった。そう。
思っていることと別のことをいって、ロダを抱きしめる。だってそうしたかったんだから、どうしようもなかった。
「なんで森に入ったの」
「だぅて、だって、薬草とかとったら売れるかもっておもって」
「ああ」
そうか、きっと家族のことを思ってそうしたんだろう。でもね、危ないことをしたら、危ないことをしたら……だめじゃん……だめだよ。
私はロダを抱きしめながら想う。このままじゃだめだ。魔王としての力はないかもしれないけど、貧乏のままじゃだめだ。成り上がろう、どんな形でもいい。誰にも危ないことをさせないように、
あたしは元魔王だ。なんだってできるに決まっているんだ。