エトワールズはかく語りき
夜が明けていく。
あたしは船から海を見ている。濃い蒼色の海は船が進むたびに白い波を立てている。
空が夜の黒さがだんだんと綺麗な変わっていく。昇る朝日は静かに世界を照らしているように感じた。
ただ……少し肌寒い。あたしは両手をこすり合わせて、それから口元ではあと息を吹きかける。
昨日の戦闘の後もずっと船は進んでいる。魔鉱石で動く船ってこれからも増えていくのかな。お父さんとお母さんもいつか乗せてあげたら観光とかに来れるだろうか? もちろん弟のロダも。
そんなことを思いながらあたしは甲板で両手を空に向けて伸ばして、うーんと背伸びする。今日あたり目的の場所に着くだろう。魔族と人間の真実の一部が分かるという話……どんなことが待っているんだろう。
あたしは少し運動代わりに船内を歩く。まだみんな船室で寝ていると思う。船自体が大きくないから船室はそんなに広くない。ソフィアは嫌がって甲板で毛布にくるまって寝ていた。見当たらないからもう起きているかもしれない。
操舵をしているのは男性。背の高い筋肉質な人。……前にあたしとミラとニーナが出会ったくらいに馬車に乗ったことがあるけど、その時も御者さんとしていた気がする。
「おはようございます」
あたしがぺこりとするとその男の人はちらりとあたしを見て、少しだけ頷いた。無口な人だ。なんか馬車以外でもあった気もする。
まあ、いいや。
そうこうしているうちに太陽が昇った。光の加減なんだろうけど朝の太陽は白い。
「お、おはよう」
そこにふらふらとミラがやってきた。あたしも挨拶をする。顔色が悪い。
「船酔い大丈夫?」
「う、うん。戦っている時はいいんだけど……普通に立っていると、う」
「す、座ってた方がいいよ」
あたしは近くにあった樽を持ってきてミラを座らせた。うなだれているあたしの親友はきつそうに息をする。いろんなことができるのに船酔いだけはしちゃうみたい。ミラの背中をさすってあげる。
ミラは感覚が鋭いから揺れとかそういうのを大きく感じちゃうのかもしれない……。さすりさすり。
「ありがと」
顔を上げずにミラは言った。船を降りるまでどうしようもないもんね。とりあえずあたしはミラと少し一緒に居ることにした。それにしても朝か……今頃ラナはあたしの残していった手紙を見ているかな。
「みんな、どう思うかな」
…………選んだものに言い訳は効かない。心の奥にまた苦いなにかが広がる気がした、だから手を胸に当ててそれに抑える。
気が付くとミラがあたしのことを見ていた。
「気になる? マオ」
「うん。…………この先に何があるのかわからないけど……。もし……そうだね、あの時魔王を名乗ったヴァイゼンや水路で出会ったロイなんかに遭遇したらみんなを守り切れるかはわからない……」
あたしは手を見る。いつ見ても小さな手。
「今のあたしには力はないから。守り切れなかったときに零れ落ちることが怖い……」
「…………昔みたいに一人でやれるわけじゃないよね」
そっとミラがあたしの手を握った。あたしが彼女を見ると微笑んでいた。それが優しいってそう思った。
「マオはさ。前の模擬戦の前に一人になろうとしている私の手を掴んで引き戻してくれたよね」
「…………思い込むと突っ走っちゃうから」
「そうかも」
ふふとミラは笑った。それでもねと続ける。
「あれからいろんなことを考えるようになって。誰かのことを考えるだけじゃなくて、自分でそうしようと思えるようになった気がする」
「そっか。ミラは頭がいいもんね」
「そんなことはないけど……。ちゃんとマオと一緒に歩ける道を探したいから、先に言っておくね」
「何を……?」
ミラはあたしをその瞳に映しながら言った。
「私を空の上であんな形で引き戻してくれたマオが、この先どう思っても、もう一人になる権利なんてないから」
「…………!」
ミラはあたしの手をゆっくりと放した。細い白い指をした彼女は少しきつそうだけど、立ち上がった。あたしもつられて立ち上がる。遠くに島影が見えた。
「あれがセレーナ島かな」
ミラが言った。え? どこって? あたしが聞くと彼女は答えてくれる。
「星屑の丘って、実はずっと昔に聞いたことがあったんだ。かなり前に聞いたことだから思い出すのに時間がかかったけど……やっぱり私の家は『聖剣』の家なだけあって。神様が聖剣を含めて人のために授けてくれた島って書庫に古い記録にあった。すごく簡素な記録しかなかったけど。それがセレーナ島」
「……そうなんだ」
「昔は神様は人のためにって思っていた。……魔族から見たらそれは理不尽なことだったのかもしれない」
海風がミラの髪をなでる。彼女はそれを片手で押さえている。
その時あたしは気が付いた。ミラの頭に手をやる。それから自分の頭に手を動かす。
「な、なに? マオ」
「……ん~」
あたしは気が付いてしまった。
「ミラさ、背が伸びてない?」
「……そうかな」
初めて会った時より絶対伸びてる。ほんの少しだけ目線が高くなっている。……あたしが伸びてないってことじゃん! 立った姿がすらっとしている気がしたけど、足も長くなっている気がする。きのせいかな。ほんの少し大人びて見える。なんとなく悔しい。
「ま、まあ。あたしもそのうち伸びるから」
「……ふふ」
ミラは両手を組んで、ちょっと顎を上げて、ほんの少し右足を前に出す。
「それはどうかな」
「あ! ひどっ! それにその偉そうな態度!」
「昨日のマオの真似!」
「そ、そんな風にしてた?」
「してた」
ふふんって顔をミラがする。
う、うう。背が伸びても伸びなくても何もないし!
☆☆
港の喧騒を背にラナは海を睨んでいた。彼女は船着き場の上に立っている。遠くに海鳥が鳴いている。
王都の朝は早い多くの商人や船乗りがそれぞれの役割をこなすように仕事をしている。その活気のある光景は彼女には関係がなかった。フェリックスの制服と足元に荷物を詰め込んだバッグを置いて、そして手には一通の手紙を握りしめている。
「…………あいつ」
彼女の静かなつぶやきには怒りがにじんでいた。彼女はバッグを手に取り、踵を返す。手紙の中身は自分だけが見た。船着き場から少し離れた広場にはラナと同じように制服を着た少女が二人いた。
モニカとニナレイアだった。彼女たちは広場の隅にいた。
モニカはハルバードを包んだ袋を手に膝を抱えて座り込んでいる。ニナレイアはその横に両手を組んで立っている。ラナがそこへ無言で帰ってくる。3人はそれぞれ会話を交わすわけでもなく、一緒の場所にいる。少しの時間が流れてモニカがぽつりと言った。
「マオ様は私たちが邪魔になったのでしょうか?」
「…………」
ラナはうつむいたまま座っているモニカを見た。彼女はその質問には答えずに言った。
「あいつから手紙が置かれていたのよ。朝気が付いたらね」
それにはっとモニカが顔を上げ、ニナレイアもラナを見た。
「ラナさん……それにはなんて書いてあったのですか?」
「……内容? 大したことは書いてないわよ。こんなもん」
ラナは手紙を取り出して手で破いた。はっとしてモニカが立ち上がった。
「な、なにを。私たちに何かマオ様が」
「……大したこと書いてないって言っているでしょ」
「そ、それでも見せてほしいです」
ラナの肩を持って揺さぶるモニカ。逆にラナは彼女の胸倉をつかんで顔を近づける。息がかかるくらいの距離でラナとモニカの視線が交差する。
「ごめんとか、みんなが大事とか、そういう内容がグダグダ書いてあるだけ。読む意味なんてない」
「そ、そんなことは」
「あんた。最近はっきりものをいうようになったくせに、こんな時にいい子ぶるんじゃないわよ」
「え、い、いい子ぶる?」
ラナははぁと息を吐いて、低い声で言う。
「あいつ……あれだけいろいろと相談しろって言ってたのに、手紙だけでどこかに行ったのよ? たぶんここにいないってことはミラも一緒でしょ」
「う……」
「どう思うの? モニカ?」
「ど、どう思うのと言われても」
モニカは目を逸らそうとした、なのでラナは言った。
「目を逸らすな」
「うう」
「正直に言ってみなさいよ」
「……わ、私も。マオ様と離れようとして……ひどいことをしたことがありますから……私には何も言う権利は……」
「このあほ!!」
「ぴっ!」
ラナはモニカの耳元で叫んだ後に手を離した。モニカはきーんとなる頭を抱えて長い耳を手で押さえる。「あ、あほって」と言いながら、ちょっと涙が出てきている。ラナはこめかみに青筋を立てながら両手を組んでいう。
「そんなん棚上げしときゃいいのよ!」
「た、たなあげって」
「何でもかんでも負い目を感じてたらあのバカは離れていくわよ! 意味不明なくらいに他人のことを抱え込むくせに……一番近い私たちを遠ざけようなんてバ・カ・か!!」
ラナは怒っていた。モニカを指さして言う。
「あんただって本当はそんなしおらしいこと思ってないでしょ! 意外と辛辣なくせに、いい子ぶってんじゃないわよ。さっさと本音くらい言え!」
「……」
モニカは一歩下がって唇をかむ。それから目を閉じて言う。
「なんで勝手に行っちゃうんですか……」
彼女は本当は言いたい相手が目の前にいないからこそラナに代わりに叫んだ。涙がこぼれた。
「私は頼ってほしいんです! それなのに……ミラさんとだけ行ってしまうなんて許せません!」
「ほら! 全然違うこと思ってるでしょ!!」
「そうでず。私はずっと思ってて、今日は初めてギルドの依頼を一緒にできるっておもってました!」
「許せないでしょ!」
「許せません!!」
ラナとモニカの言い合いに、周りは喧嘩しているのかと見てきた。ニナレイアは自分のことを言う前に圧倒されていた。
「あいつ……お仕置きが必要と思うんだけど」
ラナが言うとモニカも返す。
「痛くないことなら協力します!」
「なら苦手なものとかをやらせるとかどうよ」
「マオ様の苦手なものですか? ……お好きなものは知っていますが……嫌いなもの」
モニカが手を顎に当てて真剣に考えている。そこでニナレイアは始めて口を開いた。
「あいつの苦手なものか……確か辛い物がすごく苦手だったはずだ」
その言葉を、
聞いた
ラナとモニカの目がにニナレイアを見た。
無表情に近い二人の迫力にニナレイアは一歩下がってしまぅた。妙な威圧感があった。ラナとモニカは顔を見合わせる。
「ふふふ。いいことを聞きましたねラナさん」
「あいつに今度『おいしいもの』を食べさせてやらないとね」
「ふふふ」
「くくく」
ニナレイアは心の中で「悪いなマオ」と思ったが止める気はなかった。彼女もほんのり怒っている。
ひとしきり3人はそんな感じで話をした後、モニカが言った。
「しかし、これからどうしますか? マオ様の帰りを待つことになると思いますが」
「……あんたね。おいていかれたからはいそうですかお留守番です。なんてしてやってたらあいつは気を遣ってまた同じことをするわよ。……当然、追うにきまってんでしょ。だから手紙なんて受け取ったなんてしない。全部無視して追っかけて首ねっこひっつかまえる」
「追う……それはそうしたいのですが、海ですし。どうやって……」
ラナはすぐには答えずに離れる。かつかつと広場の石板の上を歩き。そして片手を空に向けた。指を立てて彼女は言う。
「空を飛ぶ」
……にやりと笑ったラナ。彼女は不敵な笑みを浮かべたまま言った。
「そう簡単に逃がしてなんかやらない」




