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見えない敵


 白い大きな塔の様だなって。


 そんな錯覚を覚えるのは目の前の巨大な魔物の姿に圧倒されているからかもしれない。

 

 半透明のイカの化物……チカサナ先生がネヴァ・クラーケンと呼んだ白い魔物が夜の海からその身を伸ばす。大きな二つの目がぎょろりとあたしたちの船を覗いている。うねうねと動く複数の触手には大きな吸盤がうごめている。


 触手のひとつが海を「叩く」。波が起こり、船がその上を踊らされるように揺れる。あたしは甲板にしがみついて押し寄せる波にさらわれないように力を籠める。ネヴァ・クラーケンはさらに船に巻き付けてくる。ぎしぎしと木のきしむ音がする。


 やばい。しょっぱい波が口に入ってペッと吐きながらあたしは体勢を立て直す。クールブロンに銃弾は込めているけど、あんな巨大な相手には通じるかわからない。


 そのあたしの視界の中を一人の少女が跳んだ。小柄な体に両手にダガーを持っているのはチカサナ先生。彼女は揺れる甲板を走り、クラーケンにダガーを投げる。それは相手の目に刺さり、怪物が悲鳴を上げるように身をよじる。


「きしし」


 身を宙で翻して甲板にチカサナ先生が下りる。投げたはずのダガーが空を舞った。チカサナ先生の手に戻ってくる。その時ダガーにつけられた細い『糸』のようなものが見えた。


 複数の触手が暴れる。


 船体にからみつくもの。無秩序に暴れるもの。白いそれはひとつだけでも脅威になる。チカサナ先生はあの笑い声のままダガーを構える。


「ミラスティアさん……あとそっちの青髪の手練れさん。私が戦いますので、きしし。船を守ってください」


 その声に素早く反応したミラとエリーゼさんが飛び出す。触手が船体に打ち付けられる寸前に二人が触手の一つを切り払う。



 切られた触手が海に落ちてどおんと音が出る間にチカサナ先生は船から飛び出した。荒れ狂う海の上、翔ぶように。


 あたしが叫んだ。それに気が付いたチカサナ先生が空中でこっちを振り向いて笑う。聞こえてないのに「きしし」って言っている気がした。彼女はネヴァ・クラーケンの体にダガーを投げる。月の光でダガーにつけられた透明なはずの線がキラキラと光る。


 チカサナ先生は触手の一つに降りてそれを伝って走る。暴れている触手に降り立つだけでもすごいのにいつの間にか彼女はその触手に『糸』を絡ませていた。チカサナ先生はダガーを逆手に持って魔力を放つ。

 

 一瞬だけ魔力の光をおびた『糸』。次の瞬間には触手が両断されていた。楽しそうにチカサナ先生が笑う。


「きしし。相手が悪かったですね」


 暴れていたネヴァ・クラーケンは巨体をくねらせて、苦し気に大きな体が海中の影になっていくように沈んでいく。激しく波立ち、あたしたちの立っている船が揺れる。振り落とされないように船にしがみつく。


 チカサナ先生は「やばっ」って普通に焦って船にダガーを投げた。船体に突き刺さったそれにつけられた線をロープのようにチカサナ先生が戻ってこようとして間に合わなくて海に落ちた。


 …………。


 あたしとミラとエリーゼさんは普通に惚けていた。


 かっこよく飛び出したからかっこよく帰ってくるかと思った。慌ててロープとか探して海に投げる。さっきの戦闘の時より三人とも慌ててた。ダガーに括りつけられた糸があるからチカサナ先生がだいたいとどこにいるのかわかる。魔力を通した時に光るのが役に立った。


 一転して怪物が海に帰って静かになった海。


 ソフィア達も様子を見にやってきている。彼女とエルはあたし達には何があったのかを聞かずに少し離れたところにいる。


 あと頑張って引き上げたずぶぬれのチカサナ先生。


「やばいですね。きしし」

「いろんな意味でびっくりしたよ。でもあんな大きな魔物が出てきたのに倒せたね」

「倒せた? きしし。マオさん今すごいやばい状況ですよ」


 チカサナ先生の言葉にミラとあたしは顔を見合わせた。彼女はそれに説明を加えてくる。


「あの魔物は海に潜っただけですね。深く深く、潜ってから勢いよく船めがけて突っ込んできます。海の底から飛び出した時には船はどかーんで私たちも死ぬかもしれませんねぇ」


 ……! あたしは思わず立ち上がって海を見た。ざざと一転して穏やかになっている。ついさっきまで巨大な怪物が暴れていたとは思えない。あたしはチカサナ先生に言う。


 ネヴァ・クラーケンは倒せたんじゃない。海底からあたしたちを狙っている。……当然海の上で船を破壊されたら全滅する。仮にあの魔物を倒せても溺れてしまうかもしれない。


 ソフィアが口を開いた。チカサナ先生に言う。


「止める方法は?」

「ないですね。地上ならともかく海の底からやってくる巨体を止めるのは無理でしょう。控えめにいって私たちは処刑台の上ってところですかねぇ」


 のほほんと言ってないで! あたしはそう言おうと思った時ミラが前に出た。彼女は聖剣の黒い刀身に手を当てる。魔力を放ち、ばちりと電撃が流れる。


「海に私の雷撃を放てばどうでしょうか?」

「おっいいアイデアですねぇ。きしし。まあ、いつどこからやってくるかもわからない、見えもしない相手に対してどれくらいの間雷撃を海に放ち続けるのか知りませんが。魔力が尽きて倒れる前に突っ込んできてくれたらいいですね」


 今度こそ言ってやろうと思ったらエリーゼさんが先に口を開いた。あたしに少し話させてよ……。


「流石にこんな場所で死ぬわけにはいかないので手を考えましょう。少なくとも船を動かして的を絞らせないようにするべき……」

「まあ、妥当な意見ですね。きしし。あ、そうだ私はSランク冒険者のチカサナです。貴方は?」

「エリーゼ・バーネットです。魔族自治領の領主の娘です」

「よろしくですね。きしし」

「あ、よろしく」


 いや挨拶は後にしてよ!


 こうしている間にもいつ海中からあいつが突っ込んできて船がどかーんってぶっ壊されるかわからない。そんなわけにはいかないから、あたしも話そうとしたのに先にチカサナ先生は言った。


「そーですネ。ネヴァ・クラーケンは幾多の海難事故というか、災害を引き起こしてきた魔物……読んで字のごとく災害級の魔物なわけですが、ミラスティアさんの雷撃でも私のダガーでも、そうですねソフィアさんの魔法でも海の底からのしかも船底への攻撃を防ぐ手立てはありませんね。ちょっと船を動かして無事ならあれにやられた船はもっと少ないでしょうし……仮にそちらの魔族のお嬢様が『魔骸』が使えたとしても有効ではないのは同じでしょう」


 エリーゼさんは腕を組んで黙っている。ソフィアもやっぱり黙っている。ただミラはあたしを見てきた。その瞳はあたしに期待しているような、問いかけているような気がした。だからうんと頷くとぱっとミラは笑った。


 ふふん。


 あたしは両手を組んで顎を上げる。話したかったのに全然話をさせてくれないから、なんとなくそうしてみた。


「そんな程度であきらめるなんて早いよ」


 みんながあたしを見る。戦いにおいて絶体絶命みたいなことは普通にある。今やれることで一番いい方法をやるしかない。あたしは皆を見回す。


「あたしに任せてほしい」


 その言葉にミラが一番に反応してくれた。


「私はもちろん。エリーゼさん、チカサナ先生。それに……ソフィア達もお願いします」

「きしし、よくわかりませんがいいでしょう。ダメで元々」

「……ずいぶんミラスティアさんにマオさんは信頼されているのね。……それで? なにをすればいいのかしら」


 みんなの言葉でほっとした。ただ、そっぽを向いているソフィアにあたしは言った。


「まず、ソフィアにはやってもらいたいことがあるんだ」


 彼女はじろりとあたしを見る。不信感というか嫌悪感というか、そういうものがありありと表情に現れている。ただあたしは今やることをやる。


「お願い」


 頭を下げてお願いする。ソフィアはそれに少し目を開いて、ちっとすごく小さな舌打ちをした。ただやらないとは言わなかった。どちらにせよ時間のないことは彼女もわかっているはずだ。早速やろう。あたしはチカサナ先生に向き直った。


「先生、ダガーをあたしに貸して、一本でいいから」

「構いませんが、マオさんは刃物の扱いは大丈夫なんですか?」

「全然。何か切ったりはできないから別の使い方をするよ。ダガーに糸みたいなのがついているじゃん。あれ魔力に反応するものでしょ」

「……そうです。『魔鋼』といわれる魔鉱石を加工した糸で魔力を浸透させるとすぱすぱとにんげ……げふんごほん。いろんなものを切れます。だから使い方に慣れてないと大けがをしますよ」

「大丈夫だよ。チカサナ先生は見ててよ」


 あんまり深く説明している時間はない。簡単にそれぞれの役割を説明した。


☆☆


 海は静かで、夜風が気持ちいい。


 この暗い水の底からいつ『死』がやってくるかわからない。


 あたしは左手にダガーを持って船べりに足をかける。上着を脱いで、シャツをまくる。


 魔鋼でできた糸を素肌の左手に巻き付けてから夜の空にダガーを投げる。ちゃぽんと水に落ちた。糸でつながっているから釣り糸みたいにも見えるかも。


「本当に大丈夫? マオさん」


 心配そうに声をかけてくれるエリーゼさんにあたしは頷く。それでエリーゼさんあたしの背後に回って背中に手を当ててくれる。赤い魔力を放ち、それをあたしの体に浸透させる。


 借りた魔力を操作する。薄い糸にさらに通していく。左手に巻き付けたのは魔力操作しやすいように。糸が光を放つとともに硬度を上げる。気を抜けば左手が両断される。……それをさせないために魔力で糸の中で操作する。


 水人形を操るときの感覚よりもさらに繊細さが必要だった。あたしは汗をかきながら光を放つ糸からダガーまで魔力を伝える。水中に浮かぶダガーの刃から魔力を水中に向けて放つ。


 それは薄く、広く、ただの魔力の『波』のようにイメージする。放たれた魔力は何かにぶつかるとあたしの感覚から消えていく。


 深い海の底。そんなイメージがあたしの脳裏に浮かぶ。


 魔力が消えたところで魚か岩か何かに当たったのが分かる。その大きさや形もなんとなくわかる。耳にはさざ波の音だけが聞こえる。


 どこだ? あいつはどこだろう。まだ反応がない。


 なら深く。きっと深くにいるはずだ。


 イメージする。目を閉じて深い海の中に自分が浮いているように。


 通り過ぎていく魚の群れ。水の流れ。さらに深くに潜っていく。


 ――あたしは目を見開いた。


 いた。


 海の底にへばりついてる巨大な塊。うねうねと触手を動かしていることを感じる。やっぱり逃げてなんていなかった。


 姿は見えない。……これは単なる感覚だけどあたしたちを狙っていることを感じる。あんなに深くに潜られたらミラの雷撃でも他の魔法でも届かない。


 いつ動く?


 あたしは捕まえたネヴァ・クラーケンの影を離さない。あいつはゆっくりと船を追走している。


 大きく動いた。水中で旋回して体を上に向ける。突っ込んでくる気だ。あれだけの質量を止めるにはそれだけ強力な打撃を与えるしかない。中途半端な攻撃なら相手にダメージを与えられても勢いが止められずに結局船が転覆か沈没する。


 それに船の底に突っ込んでくるとどうしても甲板にいるあたしたち不利だ。直線的に狙えない。


 唇をなめる。


 魔物の癖によく考えられた攻撃だ。最初に体を海中から出してくれたのは逆に運が良かったとしか言いようがない。


 ネヴァ・クラーケンがすさまじい速さで上昇してくる。あたしは叫んだ。


「ミラ! ソフィア!」


 振り返ったあたしにはミラが聖剣を空に構える姿が見える。白い彼女の魔力が青く光を変えていき、雷に代わっていく。ばちばちと空中で集中していく青い雷撃。あたしがそこに居れば魔力を操作することができる。……ただネヴァ・クラーケンを索敵しながらはそんなことは無理だ。


 ミラの前に紫の髪を魔力の余波でなびかせるソフィアがいる。彼女は右手をあげて、指を立てる。ミラの放った『雷撃』を操作するために集中している。


 勝負は一瞬だ。


 一撃しか猶予はない。


 ミラの魔力の操作じゃ海中の、船の底に攻撃は無理だ。


「くっ……」

「頑張ってソフィア!」

「うるさい……うるさいですわ」


 ソフィアの応援は言葉でしかできない。魔力の操作を続けないとあたしの手が落ちる。そしてタイミングが合わない。


 ネヴァ・クラーケンの姿は見えない。


 海底からすさまじい速度で上がってくる。死が迫っている。


 呼吸する。


 その時間も惜しい。あたしが出すタイミングがずれたら終わる。集中しろ、集中しろ。


 ――「今! 船の真下!」


「……っ」


 ソフィアが右手を振るう。青い雷の塊は宙を旋回する。船の周りをすさまじい速さで一周して海中に飛び込む。ダガーの魔力検知はもう無理だ。海中に飛び込んだネヴァ・クラーケンと魔力の塊がぶつかるかはもう祈るしかない。


 海が光った! 船底からあふれる青い光。


 ごぉおと何がはじけるような音の後に船が揺れる。


「わわわ」

「マオさん危ない」


 転びそうになったのをエリーゼさんが支えてくれる。魔力の浸透を解いた糸が肌に絡む。ごごごと船がきしむ音、波が荒れて、そして静かになった。


 見ればミラもソフィアも腰を落として姿勢を保っている。ソフィアは甲板に手をついて「はあはあ」と息を切らしている。


「やった?」


 敵の姿は見えない。雷撃が直撃したかもわからない。よけられている可能性もある。


 次の瞬間に船の前方の海が盛り上がった。白いしぶきをあげて巨大な魔物が姿をあらわす。


 ミラとエリーゼさんそれにあたしは船首に向かって駆けた、それは残骸のような姿だった。海面から現れたネヴァ・クラーケンはその体の半分を黒焦げになって失っている。ただ残った触手を動かして、断末魔の代わりのように暴れている。


「ミラ、最後のとどめを」


 それでも油断しちゃいけない。あたしがそう言った時にネヴァ・クラーケンの残った体に船から放たれた『光の矢』が突き刺さった。それは半壊していた魔物の体を貫き、ネヴァ・クラーケンは力を失ったように海中に沈んでいく。


 あたしは振り返った。見上げた先に彼女はいた。


 星の見える夜空をバックにマストに上り、足をかけて弓を構えている少女。


 エルは無表情のままあたしたちを見下ろしている。弓を小脇に抱えると、そのまま両手を前にだした。


 ……無表情でダブルピースしてくる。


 とどめを持っていくなんて!! ……ま、まあいっか。






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