魔王とマオと知の勇者
それは遠い昔の話だった。
一族から擁立され「魔王」として立った少女の初陣。魔族と人間の枠を超えて圧倒的な魔力を誇ったその少女は、人間の王の軍隊を魔術のもとに圧殺した。
無数の死骸が横たわる荒野を背に少女は立つ。
長い髪と真っ黒な魔力を湛え、その表情は冷たい。何も感じていないのか、何も感じないようにしているのか、彼女は一言も発さなかった。
魔族は劣勢に立たされた中で擁立された魔王、それが彼女だった。最初から道など一つしかなかった。
その魔王の前に立った男は美しい剣を持っていた。青い雷を纏ったその聖剣を持つ男は未来に「剣の勇者」として名を馳せることになる。そしてその後ろに輝く手甲をつけた男、そして赤い魔石をはめ込んだ聖杖を持つ女性。
彼らの後ろには無数の魔族の死骸がある。
魔王は人間の死骸を背に、勇者は魔族の死骸を背に対峙する。
☆
はっ!
なんか辛すぎて昔のことを思い出してた、やばっ。死ぬかと思った。
「ほ、ほらマオ、お水」
ミラありがとうぉ、ごくごくごくごくごく。ぷは、うーまだ舌になんか違和感がある。あたしはニーナを睨んだ、ニーナはうっとたじろいだ。
「何をかけたの! すごい辛いんだけど!!」
「た、タバスコ」
「たばすこぉ? 何それ! ニーナも食べてみてよ」
あたしは立ち上がってニーナの手に合った「タバスコ」の小瓶を分捕って、ピザのひときれにかける。もったいないので端っこの方。
「ほら!」
「う、うむ」
くるしめぇ! 人間めぇ!
あたしは呪詛を持ってピザをニーナの口にもっていく。あーんみたいになったけど、気にしてらんない! ニーナはぱくっと食べて、もぐもぐと口を動かす。えびをちゃんと食べてる。
「お、おいしい」
「………………」
ぐぐぐぐぐぐぐぐ。こんな辛い物を食べることができるなんておかしいよ。
あたしは無駄に悔しくて、椅子に座った。ひぃーまだ、舌が痛い。
「マオって辛い物だめなんだね」
ミラがいつの間にかお水を新しくもってきてくれた。透明なガラスに青いお花の絵が描かれたコップ。あたしはお礼を言って受け取る。ごくごくごく。
「だめっていうか、こんなの初めて食べたし」
村で食べるものっていえば固いパンとか、野菜のスープくらいだったから……。いや、おいしいよ? お母さんが作ってくれたんだから。
あたしはピザを一切れ手で持ってガブリと喰いつく。
「んん」
やばい、顔がにやける。こんなんじゃあたしの威厳が保てないじゃん。あたしはうつむきながら食べる。
「まあ、悪かった。謝る」
ニーナがあたしに謝ってきたのとを横目で見る。毒殺かと思ったよ。まあ、許してあげよう。
「君たちは面白いなぁ」
今まで黙っていた腹黒ギルドマスターのイオスが手を叩きながら言った。面白いっていうのはたぶんあたしがのたうちまわるところが面白いって言っていると思う。さいあく。
「それにしてもギルドマスターはなんの用事があったんですか?」
ニーナがイオスに言う。
「うん。野暮用だよ。これからやっていく必要のあることを見に来たのさ。……まあ、道中『暁の夜明け』に襲われるとは思わなかったけどね」
「暁の夜明け……」
ニーナとミラが深刻そうな顔をしている。それはクリスのことだろう、まあ当たり前か。でも『暁の夜明け』というのはたしか魔族の魔王復活を求めている集団……いやよく考えたらクリスにしかあったことないや。
「それにしてもミラ…………さんとマオはなぜあんな危険な奴に襲われたんだ。まあ、マオが何かやったとしか思えないが」
ニーナの決めつけにあたしは「こいつ……」思う。ミラ説明してやって。
「すでにギルドには報告したんだけど……マオの村の周辺のモンスター討伐依頼を受けた時に戦闘になったの……その時に彼女の操っていた黒い狼をマオと一緒に倒したから、かな?」
そうだね。それ以上言えることはないね。それにしてもちゃんとそこまで報告してたんだねミラ。
「そう、ギルドマスターである僕にも報告を聞いたよ。『暁の夜明け』はとしていくつかの事件を起こしている危険な魔族の集団だ。今回は一人だけの襲撃だったから撃退できたという幸運はあったと思うよ」
イオスのいう「危険な魔族の集団」という言い回しにあたしは少し思うところがある。ここ15年あたしは人間として生きてきたから、言っていることはわかる。
「やはり魔族は危険だな」
でもニーナのその言葉にあたしは反応してしまった。
「ニーナ」
「なんだマオ」
「その……魔族にもなんか、こう事情があったんじゃないの?」
「前も魔王の話の時もそんなことを言っていたな、しかし、どういおうと魔族は私たちの先祖が打ち払うまで数々の暴虐を行ったやつらだ。……それはつい先ほど襲われたことからもあきらかだろう」
暴虐……。それは……。
「でも、人間の勇者も魔族を殺したじゃん」
「…………貴様っ!!」
ばんっとニーナがテーブルをたたいて立ち上がった。あたしたちだけじゃなて周りのお客さんもしんとなる。
ニーナはあたしを睨む。純粋な怒りの表情だ。ただ、すぐにはっとしてあたしから目を離した。あたしは正直それでほっとした。ただ、横を向いたままニーナの口から出た言葉にあたしはまた反応してしまった。
「滅多なことを言うな……そもそも剣、力、知の三勇者と言われる私たちの先祖は魔族の理不尽な侵攻に対抗するために戦ったんだ。魔族はただ欲望のままに略奪や虐殺を行った……殺されても、いや死んでも当然だ」
死んで当然?
今度はあたしが立っていた、あんまり考えなかった。ニーナは驚いたみたいだ。
「戦争が始まったのは人間が攻めてきたんだ!」
「なっ?」
「それにあの勇者と言われているやつらなら、きっとそんなこと言ったりしない!」
ニーナはあっけにとられた顔をしている。
あ、やば。あたしは正気に戻った。でも、ニーナは反論してきた。
「人間が魔族を攻めただと? そんなことどこの誰が言っている、魔王戦争と言われる戦乱は魔族の卑劣な奇襲から始まったんだ」
奇襲? あたしは参加してないけど人間の王都への侵攻のことかな。それは人間の魔族の村への襲撃の反撃で行ったとあたしは聞いてる。たしかに、人間との戦争が決定的になったのは当時の魔族の王都への襲撃だ。あたしも知っている。
魔王戦争、って言われているんだ。王都の魔族の強襲は成功し、当時の人間の都は灰燼になった。
「そもそも、それまでも魔族は人間に仇なしてきた連中だ。モンスターを使役する力を持った危険な連中なんだ! 戦争の前から人間に敵対的な行動を行っていた」
「人間も魔族の拉致をしてた、魔力の高いものや見た目のいいからって奴隷にしてたんだ」
「妄想を語るのをやめろ!」
妄想。
そう、あたしの記憶何て所詮妄想と変わらないんだ。そう考えると、途端に悲しくなってきた。ここで証明する手立てなんてないし。くそぉ……いうことがないや。
あたしはなんとなく、ミラを見た。銀髪の剣の勇者の子孫を見た。彼女は困惑したように目を泳がせてから、あたしからそらした。
そのしぐさに少しだけ、少しだけあたしは悲しくなった。でも、それはミラのせいじゃない。それはわかってる。
…………頭をひやそう。ここでニーナに当たってもだめだ。
「…………少し、散歩してくるよ」
あたしは魔銃のケースをひっつかんで、その場から離れようとした。ミラがあわてて立ち上がってくる。
「わ、私も行くよ」
ミラの声に。
「来なくていいよ」
反射的に突き放してしまった。1人になりたかっただけなのに、冷たすぎたかもしれない。ミラは「あ……」と言っただけで、
「わかった……」
肩を落として座り込んだ。
それを見て、あたしは逃げるようにその場を離れようとする。
その時一度振り向くと、イオスがあたしをただ見ていた。いつもの微笑もない、ただ見ている、いや観察しているような顔。あたしはそれも嫌で背を向けた。
☆
「ああぁあー」
頭を抱えた。さっきのあたしはなんであんなことをしたんだろ。
波の音がする。
ここは浜辺。白い砂浜にあたしは一人で立ってる。さらさらした砂の上は歩きにくい。
あたしは久々に見る大きな海を前にはあぁ、とため息をついた。きらきら光る海の向こうに太陽が落ちていく。赤い光がだんだんと世界を満たしていく。
あたしは波打ち際まで歩いていく。波はずっと絶え間なく押し寄せては引いていく、白い泡を残して。それをずっと繰り返している。
「変わってないなぁ」
あたしの最も古い記憶にある海となんにも変わってないと思う。あたしには「記憶」がある、だから子供のころ苦労したし、人間の生活になじむのも時間がかかった。
あたしには魔王として立った記憶がある。
あたしには15年人間として生きてきた記憶がある。
……そういえばあたしが魔王として剣の勇者に倒されたのもあんまり変わらない歳だった気がする、そういえばいくつだったかな。あんまり魔族は歳を考えないから、よくわからないけど。
あたしはブーツと靴下を脱ぎ棄てて、そこら辺に放り出す。
海の中へ足首くらいの場所まで入っていく。つめたい。あたしの足元を波が洗う。
ニーナのいうことは人間としては正しい。
ミラのあの反応は……たぶんあたしにもニーナにも同意したくない、いや喧嘩してほしくなかったんだと思う。笑っちゃうね。少ししか一緒にいないのにもうなんとなく気持ちがわかるんだからさ。
遠くに船が見える。何をしているんだろ。人間のあたしにもわからない。というか知らない。あたしはすうと息を吸う。沈んでいく太陽に対して叫んだ。
「わぁああああ!!!」
なんの言葉でもない。今のあたしには何にも言葉にできない。ただ広い海にあたしの声は溶けていった。
ただ、少しすっきりした。
「よし」
戻ろ、ミラには謝る。よし。うん、それがいいや。くよくよしたって仕方がない。
☆
やばっい。どこにいるんだろ。よく考えたらどこに行くのか聞いてなかった。
「もしかして船に乗ってたりするんじゃ」
さあぁとあたしは青くなった。先に行っちゃったとかならもうどうすればいいのかあたしにはわからない。村に帰るなんて恥ずかしすぎて嫌だ。
空が暗くなっていく。星が出てきて、三日月が出ている。街には篝火がたかれて、人通りは多い。水夫、っていうんだろうか日に焼けた精悍な男が多い気がする。
「どうしよ」
あたしは不安をそのまま口にした。さっき言ったピザの店に行ってみても当たり前だけど誰もいない。
「そうだ! ギルドに行ってみよう」
ミラとニーナがいなくてももしかしたらイオスがいるかもしれない。
最悪、ギルドの人に何か聞けるかもしれない。馬車を置いた時に一度見たから、なんとなく道はわかる。
石畳を走る。
「はあはあ」
息が切れる。魔銃が結構重い。
「あ、あった、ひいひい」
ギルドの看板があった。傍に馬車の置き場がある。イオスがいたギルドよりは大きめの建物だ、あたしはドアを開けるとカランカランと備え付けてあった鈴が鳴った。
中には数人の冒険者らしき人がいた。らしきっていうか、背中に剣を背負っていたり、杖を持っていたりする。そいつらは何故かあたしをじろりと見て、それからすぐに目を背けた。
受付に行くと男性の係員がいた。シャツと黒い袖のないジャケット。
「あのー、聞いていいですか?」
「ん? ああ、何だい」
「ここにイオスって人いますか?」
「イオス……、いや。ああ、バーティアのギルドマスターか」
バーティアっていうのはあたしの来た街のこと。
「帰ってきてはいないよ、何か用かい? よければ伝言しておくよ」
「そっか。じゃあ、あたしマオっていうんだけど、来たことだけ伝えておいてよ」
いないかぁ。仕方ないや。あたしは受付を離れようとして、横を向いた。
そこには女の子がいた。うっすらと微笑を湛えた、紫がかった透明感のある長い髪。白い肌が雪みたいで一瞬目を奪われた。女のあたしが言うのは変かもだけど、美少女だ。
そして引きこまれるくすんだ赤い瞳。髪の間から見える耳が少し尖っているようにみえる。
あ、リボンに黒い上着。これはあたしと同じフェリックスとかいうところの制服だ。
「少しよろしいかしら?」
「え、うん、なに」
「さっきあなたがお仲間と口論をなさっていた時にたまたまわたくしも通りがかりまして、ご意見を拝聴したのですが、魔族にも何らかの事情があると?」
ああ、そんなことか。
「そうだね。そう思うよ、詳しくはわかんないけど」
わからないことにしておこう。あたしはそれだけ言って「あたし人を探しているから」と離れようとした、正直今はその話題をしたくない。
足を引っかけられた。うわ、うわわ。イッタ、いたた。
「な、なにするのさ!」
倒れこんだまま見上げるとその少女は冷たい目であたしを見下ろしている。両手を腰に当ててから、わざとらしい笑顔を作った。
「わたくしの名前はソフィア・フォン・ドルシネオーズ。貴方と一緒におられた、ミラスティア・フォン・アイスバーグとは友人ですの」
ドルシネオーズ?
「魔族なんてものは全て死するべきと、そう思いませんか? えっと、マオさん、でしたかしら」
このソフィアという少女は知らないけど、こいつの先祖は知ってる。
「あんた……知の勇者の子孫?」
あたしがそういうとソフィアはあたしをその赤い目で見た。軽蔑のこもった目だった。
――「いるよ、でも……マオには、合わないかも」
不意に知の勇者を聞いた時のミラの声が蘇った。




