一緒に帰ろう
ひどい顔だなとキースは思った。
地面に伸びているのは赤い髪の少年アルフレートである。普段美形だろうに白目を剥いて気絶をしている。流石に哀れすぎると思ったのかキースはそのほほを叩いてやる
「おい、起きろ」
「……ん、はっ!? ま、マオ、僕は君を」
「寝ぼけるな。もう戦いは終わった」
アルフレートは勢いよく起き上がってキースを見た。
「終わった? ぼ、僕はいきなり水の剣に叩き伏せられてそれで、何があったんだ」
「何があったかと言われると私も説明に困るのだが……。君が倒れている間にいろいろとあったようだな。とりあえず空を見ろ」
「空?」
そこにはゆったりと旋回する黒い竜の影があった。
「な、なんであんなのが」
「私も説明するすべを持たない。いきなり現れた。それで君の言うマオがあれに乗っていったのを見ていた」
「か、彼女が? なんで?」
「なんでと言われても困る。説明できない。そのせいでとりあえず模擬戦の勝敗はよくわからない状況になったが……私はニナレイア様に」
「なるほど!」
「!?」
アルフレートは立ち上がった。
「よくわからないがトラブルで中止になったんだな! ということはまだ僕はマオには負けていない。彼女を振りむかせ……彼女に力の差をわからせてやるために今回の勝負に参加したんだ。勝敗が決まってないなら引き分けだ!」
キースは呆れたような目で彼を見ていた。アルフレートには聞こえないくらいの声で独りごちる。
「剣の勇者子孫と彼女との戦いを見ていたが……。君は見なくてよかったな」
圧倒的な力の差を感じた。キースは自らの拳を握りしめてじっと見る。修行不足を痛感する……ことができたと彼は結論付けた。ニナレイアとのことも本当は本家筋としてしっかりしてほしいと彼は思っていた。だから結果は悪くはないと思った。
「まあ、負けたままは嫌か」
彼はそう言った。アルフレートは燃えている。
「なあ、君」
「なんだ!?」
「いや、練習相手にならないかと思ったが……鬱陶しそうだな」
「いきなり失礼じゃないか!?」
アルフレートは抗議した。
☆
「ふもとの生徒たちはどう思っているんだろうなぁ」
クロコは煙草をふかしながら大きな岩に腰かけている。そばにはチカサナが空を見上げている。
「さあー、たぶん意味が分からないって思っているんじゃないですかネ。きしし。パニックになっているかも」
「……これくらいのトラブルには冷静であるべきだ、って教師的なことを言うが俺も意味が分からないくらいだからな」
クロコは空を見上げながら言う。
「まあ、こんなことがあってもいいか」
「お、ポジティブシンキングってやつですね」
「お前はいつもポジティブそうだけどな」
「そーでもありませんよ。きしし。私だって悩むことが多くあるものです。あそうだ。クロコ先生聞きたいことがあるのです」
チカサナは振り返る。マントを翻して仮面を外す。中にはかわいらしい瞳をした女の子の顔。ぱちんとウインクする。
「なんでウインクするんだよ」
「いやー、こんなにかわいい素晴らしい美少女が出てきたらクロコ先生も嬉しいかなって思いましてね」
「美少女ってぎりぎりだろ」
「殺すぞ」
「い、いきなりキャラを変えるな!」
「冗談ですよ。怖かったでしょう? きしし」
いたずっらぽく笑うチカサナ。彼女をみていると本当にただの少女のようにも見えるとクロコは思ってしまった。
「騙されているな」
ふーと息を吐きながら彼は思う。
「で、聞きたい事ってなんだ」
「いやー大したことじゃないんですよ。マオさんがドラゴンに話しかけてたじゃあ、ないですか」
「よく聞こえなかったが……何か言ってたな」
チカサナは口角をあげる。
「エステリアって何のことですかね」
クロコは首を傾げた。
「なんだそれ、人の名前みたいだな」
「人……かは、あれですが、名前ですね。きしし」
きしし。
チカサナはわらった。
☆
「こんなところにいたのですか」
エルはやっと見つけ出した所有者に声をかけた。そこに気遣うような温度はない。淡々と伝えていた。
空の見えない森の奥。鬱蒼と茂る木々が光を遮っている。
そこに知の勇者の子孫であるソフィアはいた。エルをじろりと見て、なにも言わない。片膝を抱いたままどこか虚ろですらあった。
「負けたらしいですね」
「……黙れ」
「まあ、言われれば黙りますが。しかもマオ本人ではないと聞きました」
「黙れ!!」
ソフィアは叫んだ。エルは表情を動かさずにじっと彼女を見ている。
「エル。あなたの姿は何ですか?」
やっとエルのぼろぼろの姿に気が付いたソフィアは言った。破れたシャツから魔石が見えている。
「お前……まさか胸の魔石を誰かに見られたのではないですか!?」
「貴方が執着しているマオに見られました。あとは魔族の一人ですね」
「……役立たず!」
「すみません」
悪びれるそぶりもなく淡々と謝罪を口にするエル。ソフィアは頭を抱え込んだ。ぶつぶつと何かを言っている。エルはそれを冷ややかに見た、というよりは無感情に見た。彼女は踵を返し離れていく。
エルが離れた暗い森の中で誰かの叫ぶ声がした。
☆
目を覚ました時は少し視界がぼやけていた。
木々の揺れる音がする。モニカはまだはっきりとしない意識の中で目の前の光景を見ていた。
赤い髪の女性はラナだろう。背を向けて空を見ている。
何を見ているのかはよくわからない。その傍でニナレイアも同じように空を見ていた。
「……あれがわけのわからないやつだとは知っていましたが、これはどういうことなんですか?」
その声は知っている。フェリシアだった。彼女はなぜか上着を脱いでシャツのままやっぱり空を見ている。モニカはなんで空を見ているのか聞こうと思ったが、体が重く声をうまく出せない。
「……ついさっき別のことで驚いたばかりなのに、まさかこんなことになるなんて予想できるわけないじゃない……。はぁー。ほんとーに飽きないやつ」
ラナとフェリシアが話をしている。魔族の中でもひねくれものが人間と一緒に普通に会話をするだけでも珍しい気がモニカはした。それだけ驚くことがあったのだろうか?
「いろいろと悩んでいたことがばからしくなるな……。ラナ……次は何があるんだろうな」
「いちいちニーナもフェリシアも私に聞くんじゃないわよ。私だってわからないんだから」
モニカは少しずつ体の中に魔力をためるように息を吸う。まだ動ける状態ではなさそうだった。
「そういえばフェリシアは学園に正式に入ったんだっけ? 制服着てるけど」
「はあ? これはウルバンの爺が持ってきただけです。私がなんで人間の学園などに入らないといけないんですか。変わり者のモニカさんじゃあるまいし。臨時ですよ臨時」
あなたに言われたくないとモニカは言おうとして声にならない。
「全く今回だけでもこれだけひどい目に遭ったのですから、あの人間と一緒にいるあなたたちはこれからも楽しいでしょうね。お疲れ様です」
皮肉を言っているつもりなのだろうフェリシアが両の手のひらを上げて肩をすくめている。
「ずっとそうだけど、あんた生意気ねぇ……マオと同じ年なら一応私は年長者なんだけど」
「……いつ私があれと同じ年齢と言いましたか? 決めつけで年長者ぶるなら恥をかきますよ」
「え!? あんた、年上なの!?」
「……まー。想像にお任せしますよ。年齢なんてどうでもいい話ですからね」
フェリシアが言っていることを聞きながらモニカはやっと意識がはっきりしてきた。
「ラナ様……フェリシアは14ですよ」
はっとフェリシアが振り返る。苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「モニカさん……最悪のタイミングでなんで起きるんですか?」
「いえ、さっきから起きてはいたんだけど、フェリシアが嘘をついてたからつい。みんなより下ですよラナ様、ニーナ様」
「…………っ!」
フェリシアは「くそ」と悪態をついた。
「なんだ、マオの後輩じゃない」
ラナの言葉に魔族の少女は心底いやそうな顔をした。
「やめろぉ! いーですか? さっき言った通り年齢なんてどうでもいい話なんです!」
「じゃあマオに言ってやろ」
「…………さ、先に言っておきますが数え年で少し年をまたいで生まれただけで」
「マオの妹みたいなもんね」
「本当にやめろ! 意味の分からないことを言うな!」
フェリシアは明らかにからかっているラナに食って掛かっている。モニカはそれを見ながら立ち上がる。それを見てニナレイアが肩を貸してくれた。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます。ニーナ様」
モニカは彼女の肩を借りたまま聞いた。
「あの……マオ様はちゃんとミラ様と仲直りできたんでしょうか?」
「……多分、大丈夫と思うが」
「……マオ様たちはどこに?」
「どこに、と言われたら」
ニナレイアは空を見上げた。つられてモニカも顔を上げる。
青い空が広がっている。雲一つないいい天気だった。そこを飛んでいく黒い影。羽を広げたそれをモニカは凝視した。
「ドラゴン……?」
「あいつはミラと一緒にあそこにいる」
「はあ? なんばいっとるとね?」
素で聞いてしまった。
「……こほん。私はマオ様なら絶対大丈夫と思っていましたが、あの、なんであんな所にいるんですか?」
「いやよくわからない。地面からいきなりドラゴンが飛び出てきて、襲い掛かってくるかと思ったらマオが手懐けて飛んで行った」
「……は? いきなり現れたのに手懐けた? ……それでミラ様と一緒に?? ……はは」
頭の中いっぱいに浮かんだ疑問符
説明を聞いてもわけのわからない状況。
それにおかしくなって笑えてきた。
「っふふふ、あははは」
モニカは楽しそうにころころと笑う。
「本当に全然意味が分からないですね。あははは。流石マオ様です……あははは! あの人には、敵いません」
彼女は心の底から楽しそうに笑った。つられてラナもニナレイアも笑ってしまう。ひとりフェリシアだけは頭を抱えている。
☆☆☆
ミセリアマウンテンでの模擬戦もキャンプも終わってあたしが王都に帰った時にはすごく疲れていた。いっつも事件が終わると疲れていることが多いけど今回はいつもより余計に疲れている気がする。
一番きつかったのは行きはリリス先生が送ってくれたけどいつの間にかいなくなってて、あたしたちは歩いて帰ったことかな! ほんとしんどかった。竜に乗って帰ったら流石に大騒ぎになるだろうし……ぴーちゃんはミセリアマウンテンに置いてきた……。
あーでも流石にドラゴンがいたら討伐とか言われかねない。なにか考えないとなぁ。うー考えることが多い。
ほんとあたしが動くたびになんか考え事が増えていっている気がする! おかしいなぁ、頑張っているのに??
でもさ、今回ちゃんとミラと話ができたことは……よかったと心から思う。これからまだまだいろんなことがあると思うけど、それでもなんだかスタートに立てたような気もする。……まだミラはみんなに会えないみたいで姿が見えなくなった。
「……重い」
買い物袋を両手で抱えてあたしは言った。王都に無事に帰ってきたからみんなで食事をしようってラナが言い出した。買い物係はあたし。お金を出してくれたのはラナだから全然不満はないんだけど、そろそろラナに家賃を返さないと……うー。お金のことも考えるべきだよね。
そんなことを考えながら夕焼けの道を歩いていく。
たまに知り合いが声をかけてくれたりするのに簡単に返したり。逆に全然知らない子供が走ってどこかに行く。別になんてことない風景だけどあたしは好きだった。
そうして歩いていくと彼女はいた。きれいな髪をしたあたしの親友。ミラは街角で一人立っている。どことなくうつむいている気がした。
「ミラ」
「……マオ」
手を上げて挨拶をするとどこかぎこちなくでも笑ってくれる。
そのまま一緒に歩き出す。別に何を話すわけじゃないけどさ、今日は食事をしようって誘っておいたんだ。ミラは荷物を持とうかって言ってくれたけどこれあたしの仕事な気がするからちゃんとやるよ。
そうやっているとラナとあたしの家が見えてきた。明かりがついてて、あたりは暗くなっている。でも星も月も出ているから足元はちゃんと明るい。
「もう皆来ているかな」
あたしがそう言った時にミラは立ち止まった。だから振り向いたら、視線を逸らすようにしている。曽於の顔はどこか申し訳なさそう表情に見えた。
「ミラ」
あたしは手を伸ばした。ミラははっとしてあたしの顔を見た。
「一緒に帰ろ?」
ミラは、それだけで泣きそうな顔を一瞬したけど、でもちゃんと手を握ってくれる。
「……うん」
そうやって二人で帰る。
ドアを開けるときにただいまって言って。
第三部完




