剣の勇者の子孫
――お父さんを尊敬しています。
彼女の家は数百年続く名家だった。
遠い過去に人間を襲った魔族の王を打ち破り平和を築いた英雄の家。
その当主や後継者は「聖剣」と言われる一振りの剣を継承し、王都を守護している。
誉れ高い至高の血統。その一族は永い時を人々のために戦い続けてきた。それは栄光とともにあり、当代においても変りはない。
その一族に生まれた少女は輝かんばかりの才能を持っていた。
麗しい容姿と生まれ持った膨大な魔力。彼女は幼いころから聡明だった。学んだことはすぐに理解し、得られた知識からすぐに次の何かを見出すことができた。
彼女の一族は「剣の勇者の一族」だった。だからこそ子供のころから剣術を学んだ。
王都でも名のある剣の使い手を師匠に学んだ。その成長は早く、基本的な型をすぐに覚えると師匠の剣術をすべて学び取った。
「もう教えることはない」
と言われるのに時間はかからなかった。その時には彼女の父親はとても褒めてくれた。自分の子供であることを誇りに思うと言ってくれた。
幼い彼女はそれが心の底からうれしかった。大好きなお父さんが自分を認めてくれてそしてほめてくれることが何もよりも彼女の心を満たしてくれた。
学問に励んだ。
一度読んだこと、見たことは彼女は忘れない。真綿が水を吸うようにという言葉の通り、彼女は父親のつけた学問の先生の教えることを理解した。それはあらゆる分野に及んだ。魔法もその中の一つだった。
過去の偉人の編み出した魔法の原理も彼女は理解して使役することができた。生まれ持った良質な魔力も手伝って子供とは思えないほどに上達した。
そのたびに父親から褒められることがたまらなく嬉しかった。
彼女は優れている。しかしその行動原理は純真と言っていいほどに清らかなものだった。単に親に褒められたいだけと言っていい。
ある日、泣いている子供を見た。
彼女が魔法を学んでいる師匠の家の裏でその子は泣いていた。手にはぼろぼろの本を持っていた。
そして心優しい彼女は声をかけた。
――どうしたの? 大丈夫?
泣いている子供は手に持った本を地面に叩きつけた。
――あんたなんかにわかるわけがない! いつも人を馬鹿にしているくせに!
彼女は驚いた。誰かを馬鹿にするなんて考えたこともなかった。ただ泣いているこの話を聞けば、必死に努力してできた魔法もなにもかも、すぐに「彼女」ができてしまう。
――何日も何日も練習してできるようになったのに!
泣きながら少女はそう言うとどこかに走り去っていく。一人残された「彼女」はどうすればいいのかわからなかった。彼女は何一つ心に悪意を持たない。どうすればいいのか真剣に考えた。
――そうだ、お父さんに相談しよう。
大好きなお父さんならきっとどうするべきか教えてくれるはずだと思った。さっそく家に帰って彼女は父親にあったことを話した。
――そうか、任せておきなさい。
任せておきなさいといわれて彼女は心底ほっとした、きっとお父さんならあの子のために何かしてくれるはずだと無邪気に信じた。
それから魔法の師匠の家にあの「泣いていた子」は来なくなった。彼女が不思議に思っていると周りからなんとなく褒められることが多くなった。それも不思議だった。師匠から褒められるのではなく、同世代の子供たちから持ち上げられることが多くなった。
よくわからないままに日々は過ぎていった。ある時に街中であの少女と出会った。彼女の前に現れた「その少女」はボロボロだった。彼女は泣きながらいきなり謝った。
――お願い。許して。王都に戻してください……
彼女には訳が分からなかった。いつの間にかいなくなった少女がなぜ自分に許してと言っているのか全く分からない。奇妙な話だが混乱したままでいればあるいはよかったかもしれない。心優しい彼女は少女に話を聞いた。
それは単純な話だった。剣の勇者の子孫である「彼女」を妬んで暴言を吐いたこと。そのため彼女の父親がその少女の家族に圧力をかけた。ただそれだけだった。王都から離れた場所で貧しい暮らしをせざるを得なくなったという。
景色がゆがんだ。
彼女は逃げるように、いや事実から走って逃げた。自分が話をしたことで起こった現実が信じられなかった。屋敷に着くと彼女は大好きなお父さんに問いただした。
――ああ、そんなこともあったが、仕方ないことなんだよ。あの子は君の成長にとって役に立たない。いいかいミラスティア。君はとても優れている。付き合う友達はよく選ばないといけないよ。わかったね? 君は剣の勇者の子孫なんだ。忘れてはいけないよ。
剣の勇者の子孫。そういいながらいつもの優しい顔で頭をなでてくれた。
彼女は呆然とその言葉を聞いていた。あの少女を許してほしいと言うだけが精いっぱいだった。父親は「ああ、優しい子だね」と言ったきりだった。結果がどうなったのかはわからない。
その日から
彼女は
自分が「優れている」ことが怖くなった。
何をしても近い年齢の人間に負けることはない。
彼らが必死に築き上げた努力を少ない力で成して、そしてその上を行く。
そのたびに誰かが泣いていることが分かった。
彼女は優しかった。誰かの苦しみや悲しみを感じて辛いと感じた。
それでも父親のことが好きだった。嫌いならばまだよかったかもしれない。
だからこそ研鑽を辞めず、努力を積み重ねた。光り輝くばかりの才能は成長を止めなかった。
そして、彼女は若くして聖剣の持ち主として認められた。多くの人が褒めてくれた。父親も心の底から喜んだ顔をしてくれた。
それらに、すべて、彼女は、笑顔を作った。
自分がどういう態度をすればいいのか、
相手を傷つけないためにはどうすればいいのか。
それでも人の期待に答えなきゃいけない。
常に考えた。
少し本気を出せば相手は傷つくという経験。そして彼女はそんな冷静な自分の考えに潜む「傲慢さ」が心の底から嫌いだった。
端的に言えば自分が嫌いだった。
――
一人の少女と出会った。
とある村にいた小さな女の子だった。
フェリックスから出てギルドの依頼。大したことはない魔物退治の仕事だった。
その女の子は自分のことを「ミラ」と呼んだ。人からあだ名をつけられるなんて初めてだった。
とある夜
その女の子が自分の手を引いてくれた。
――「剣の勇者の子孫だか何だか知らないけど、ミラスティアはミラスティアなんだって! なんだよっいい大人が、いい歳こいた男が、張り合ったり、期待したりしてさっ!」
村の宴会の中でその子は言った。
自分が自分なんだと言ってくれたことを彼女は覚えている。
その「女の子」は魔王の生まれ変わりなのだといった。
最初は冗談だと思った。
なのにそれは本当だった。
それでも彼女はその女の子……「マオ」と一緒に居たいと願った。
剣の勇者と魔王だとかはどうでもよかった。そんなことよりも「ミラスティア」と「マオ」でありたかった。
そしていろんなことがあった。
王都をFランクの依頼をするために走り回ったことも、マオの周りに集まってくる人々と一緒にいることが心の底から好きだった。時折とんでもない敵と出会うこともあったが、マオといる限り自分は負けないと彼女は思った。
そしてフェリックスの入学式でマオとこれからも一緒に居れると思った。
――ミラスティア? 友達は選ばないといけないよ?
父親が言った。いつもの優しい表情だった。
あの時のことを彼女は思い出した。
反論しようとした。声にならなかった。父親の前では彼女は何もできない。怖い。尊敬や好意を含んだ心の泥が彼女の胸の内に蓋をしてしまう。だから父親がぽんと肩に手を置いた。
――お父さんに任せておきなさい。
「……はい」
その言葉を言った時に過去のすべてから色が消えていく気がした。必死にそれを押しとどめようと彼女は胸を抑えた。自分の口から出た短い言葉が信じられないほどに気持ち悪かった。
大切な友達のために一言も言えない自分を激しく憎んだ。それでも言葉を紡げない自分に失望した。マオに対して圧力を父親がかけていると知った時も一歩踏み出すこともできなかった。
一人、彼女は悩む。誰にも言えないままに苦悩した。
短い間に作った友人達の顔を思い浮かべた。醜い自分の心の形を見せることも、父親のことを言うことも彼女にはできなかった。
そんな中でマオが屋敷にやってきた。父親が不在だったのは幸いだった。もともと北の守りのため王都にはあまりいない。
しばらく会ってなかったマオを見て。うれしい反面、悲しかった。
マオは自分に相談があるということだった。ただ今は協力できるような状態ではなかった。
マオとともに魔族のモニカもいた。モニカもマオと何かトラブルがあったというが、直接マオと戦ってぶつかり合ったという。
彼女は思う、自分は本当に本気を出せばマオでも勝てるわけはない。そもそも喧嘩をしたいわけでない。それをそのまま口に出した。
マオは怒った。
下に見ているんじゃないのか。そういわれた。
自分の中の嫌いな「自分」に触れられた気がした。だからこそ言ってはいけないことを言ってしまった。
魔王だった昔を忘れて生きていると言ってしまった。
だから、
「ミラなんて嫌いだ」
そう言われた時。戻れない気がした。
そして、同じように屋敷に侵入していたSランク冒険者の「チカサナ」によってパーティ戦を持ち掛けられた。
そして彼女は思う。
後悔も
悲しむのも後にしよう。
大好きな親友に
大嫌いな自分を見せて
そして、それで終わりにしよう。
自分の考えうる本気を出して、彼女を倒す。
きっとそれでお父さんもマオのことを全部許してくれるはずだ。
……ああ、
助けて。




