憲法を善の定義で考える
私は憲法や法律などには疎いのですが、西洋思想で作られたものは基本的に信用しないことにしています。世界人権宣言の第1条に「人間は生まれながらにして自由であり、権利と尊厳について平等である。理性と良心を与えられており、互いに同胞の精神で行動しなければならない」と書いてあります。
キリスト教では人は神の子であるから生まれたときから理性や良心、尊厳を持っていなければ都合が悪いかもしれないが、私たち日本人にとっては一神教を基にした人権宣言など全く非科学的な戯言なのです。
また日本の憲法学者たちは「憲法とは国家権力の暴走から国民の自由を守もるためのものであり、国民の基本的人権は無条件に保証される。憲法とは、人民の「権利」と、国家の「義務」とを定めた契約書であり、決して「国民の義務」などというものを定めるものではない、というのがお決まりの見解である。これらもまた非科学的な西洋思想によるものであるから私は信じる気になれないのです。
まず憲法のありかたとして「憲法は国の権力を縛るもの」という西洋的考えは私たち日本人にはなじみません。何故、国と国民とを敵対させなければならないのだろうか。一体、憲法とは何のためにあるのか、それは国民の為にあるべきであり、国と国民が協力してより良い国を作るということが本来、正しい憲法の在り方でしょう。また権利や自由は無条件に与えられるものではなく、基本的には「権利には義務が、自由には責任が伴うもの」でなければならないと思うのです。私は新しい日本の憲法は善の定義、つまり絶対的に正しいことを基準に作るべきだと考えています。
ここからは素人の戯言と思って読んでください。
絶対的に正しいことは種族(民族)保存である。その種族(民族)保存に絶対的に必要なものは社会の秩序です。その社会の秩序に無くてはならないのが「責任」です。この社会において他人に対して何か不利益を与えたならば必ず責任を取らねばならないのです。もし責任を取らないならば、あちこちで争いが起こり秩序は保てなくなります。私たちが何か行動すれば、そこには必ず責任が伴うのです。
この「責任を取る」ということこそ社会の掟であり大原則なのです。責任あってこその権利であり自由なのです。哲学風に言えば「責任は自由に先立つ」のです。基本的に責任や義務を果たせない者に権利や自由はありません。ゆえに責任を取れない子供には権利や自由はないのです。このように言えば「脳障害で生まれた子供には生きる権利はないのか!」という人がいます。いや脳障害の子だけでなく、すべての子供には権利などないのです。
そうは言っても現実には子供には権利や自由が与えられています。しかしそれは子供が相手に不利益を与えたならば親が責任を取るという暗黙の了解の下で子供にも権利や自由が与えられているのです。子供たちが自由に外で遊べるのは、何かあれば親が責任を取るからなのです。このように自由には常に責任が伴うのです。私は人権さえ「生まれながらに持っている不可侵の権利」などではなく、やはり基本的には人権と義務は一対のものだと考えます。
例えば、人権のひとつに「教育を受ける権利」があります。勿論子供には何の権利はありませんから、教育を受ける権利は親が要求します。権利を要求するならば親は義務を果たさねばなりません。それはどんな義務なのか、他の子供の教育を受ける権利を侵害しないように努めなければならないのです。これが憲法にある「公共の福祉に反しない限り」ということなのです。つまり授業中に暴れたりして他の生徒の勉強の邪魔にならないように親は子をしっかりと躾なければならないのです。その義務が果たせないなら教育を受ける権利は剥奪されても仕方ないことです。このように他の人権も同じく権利を受けるならば基本的に何らかの義務を果たさねばならないでしょう。常に他人の権利も尊重する義務があるのです。何事においても責任という社会の大原則を忘れていてはお話になりません。「責任は自由に先立つ」のです。
国は国民から税金を受け取る権利があり、その見返りとして国は社会の秩序や国民の幸福の為に努めなければなりません。そして国民もまた国に任せるだけではなく国に協力し、より良い国になるように努めなければならないでしょう。このように国と国民がお互いに協力し合って、より良い国づくりができることを謳うのが正しい憲法のあり方だと思うのです。
正しいことは常に「私より公を優先する行為、つまり公の為」なのです。そうであれば憲法もまた「公の為、国民の為」でなければなりません。現日本国憲法は日本人の生命、財産を守れない絶対悪の憲法です。私は小手先の憲法改正などせず、西洋思想によらない新しい日本国憲法を作るべきだと思っています。
憲法なんて明治時代は権力者たちのみで勝手に作り、戦後は権力者であるアメリカが勝手に作ったのです。そして都合が悪くなると勝手に自衛隊などを付け足すのです。憲法とはその程度のものです。時の権力者が勝手に作り、勝手に変えてきたのです。ですから今度は権力者である日本国民やその代表者が新しく憲法を作り勝手に変えてしまえばいいのです。その新しい憲法の方がよほど民主的であり正当性があると思いませんか。新しい憲法を作り国民の承諾を得られればポーンと変えればいいのです、何もいろいろ難しく考えること等ないのです。