スキルの有用性
クスタヴィは、ウッズの町で門番をしている。
生前、父親が兵士をしていたので、そのコネでありつけた得がたい職だった。
母親は弟のアウリが生まれた時に亡くなり、父親は門番をしていた時にモンスターに襲われて戦死した。
幼い弟を育てるために、貧しい暮らしながら、クスタヴィは必死に働いてきた。
クスタヴィがユーナを見た時の感想は、冷ややかなものだった。
世の中のことを知らない甘やかされて育った馬鹿女。それが彼のユーナに対する印象だ。
イヴァールは庇おうと必死になっていたが、自分の身元も言えないような後ろ暗い女を、何故庇ってやろうとするのか疑問しか感じなかった。
ユーナがヤッコブに逆らって、町から追い出されると聞いた時にはいい気味だと思った。
彼女は見た目からして、辛い労働などをしてきたようには見えない。
元は貴族だったのか、あるいは富豪の娘だったのか。
しかし今は、傅かれるような身分ではなくなったのだろう。伴もつけずにうろついていたのだから。
誘拐でもされて、この町に放り出されたのかもしれない。
貴族の愛人だったのが、飽きられて捨てられたのだろうか?
何にせよ、ユーナは憐れみを請わなくてはいけない立場だったのだ。
力のない者は、必死にならなければ生きてはいけない。
誰だって、クスタヴィだってそういう風に生きている。
だから、馬鹿な女の背後に忍び寄るウルフを見ながら――門を閉めてやった時には痛快さすら感じていた。
「ユーナさん、あの、これでどうでしょうか……」
「どうも」
そんなユーナ相手に、今クスタヴィはおずおずとブーツを渡していた。母の形見だ。
ユーナはそれを受け取り、履いていた。足の形には合うようだった。
今は夜明け前、彼女はクスタヴィの家にいる。
町の外に出たいが、相応しい装備を何一つ持っていないというので、クスタヴィが貸し出すこととなった。
弟の捜索依頼を出したのはクスタヴィである。できる協力ならばしたいと思っている。
だが、側で彼女を見守るドラコの存在のせいで、生きた心地がしなかった。
「他に家族はいないの?」
「はい。……母はアウリが生まれる時に死に、父はモンスターに襲われて死にましたので」
クスタヴィは淡々と答えた。できるだけ、何の感情もこもらないように気をつけた。
両親について聞かれるのは嫌いだ。
けれど、今はそんな感情を少しでも滲ませれば、ドラコはクスタヴィを許さないだろう。
「あ、そうなの……ご愁傷様です」
「いえ」
ユーナは気まずげだった。亡くなっているとは考えていなかったらしかった。
クスタヴィの年頃なら、両親が揃っていて当然だと考えるような育ちの人間なのだろう。それは、クスタヴィの当初の予想の通りである。
しかし、解せない点があった。
「あなたも行くのは、無茶じゃありませんか? ……モンスターを倒せるような職業でもないですよね?」
クスタヴィが聞いた限り、彼女は学者だ。
総じて強くなりにくいのが特徴で、戦えるような人種ではないはずだ。
クスタヴィの指摘に、ユーナは笑った。
「まー、あなたは門の前でウルフに叫んでた私を見てることだし、そう思うよねえ」
その笑みには若干皮肉が滲んでいた。
見捨てた日のことを揶揄されていると気づいて、クスタヴィはこの話題を出した己の愚かさを恨んだ。
「さ、差し出がましい口を利いてしまい、申し訳ありません……!」
「多分、大丈夫だと思うから……っていうか、私が行かないとドラ子も行かないだろうし」
即座に謝罪したクスタヴィに、ユーナは笑いながら応えた。今度は、気分を害した様子はない。
クスタヴィはへたりこみそうになるくらい安堵した。
ユーナの機嫌を損ねてはいけない。
何故ならユーナ本人もそう言った通り、ドラコはユーナがなければ決して動いてくれないとわかりきっているからだ。
ドラコの視線は、未だ冷たい。
クスタヴィが見捨てようとしたユーナ当人よりも、クスタヴィを憎悪しているように見えた。
ドラコにとって、ユーナは特別な女性なのだという。
どのような関係なのかはよくわかっていない。
一度ドラコが宿に連れ込もうとして、逃げられたという話だけは知れ渡っている。
ドラコのような長命種が、人を愛するなどという話は聞いたことがなかった。
あったとしても、奇跡の類いだ。
彼らは古くから生きている超越者であり、大抵は人に関わることすらしないのに。
人間を愛玩動物として扱うという話は聞いた覚えがあるが、ユーナとドラコの関係はどう見ても逆だ。
――誰もが気にはしているが、確かめることはできていない。
今のクスタヴィが尋ねることなどできようはずもない。
ただ、祈ることしかできない。
「……どうか、弟をよろしくお願いします」
「私も別に、目的があって行くだけだから。頭を下げなくていいよ……親切で行くわけじゃないし」
ユーナは煩わしそうに言った後、気まずげな顔をしてみせた。
どうやら思わず口にしてしまった皮肉らしい。
クスタヴィは思わず微笑んでしまった。
この女性は、変わってはいるが、善良な人ではあるのだろう。
「も、もう行くよ……帰ったらあなたの弟を弟子にもらうから!」
学者であるユーナが科学者である弟を弟子にして、一体どうするつもりなのかはわからないが、きっと悪いようにはならないだろう。
クスタヴィはもう一度頭を下げた。
ウルフに怯えていた彼女に捜索を任せることは不安だったが、もはや頼れるのは彼女しかいない。
しかし、彼女に頼むことになってよかったのかもしれないとクスタヴィは思う。
弟が帰ってきた後の話をする彼女は、まだ弟が生きている可能性を、心から信じてくれているようだった。
*****
「このあたりまでくれば、スキル使えると思う?」
門を出てしばらく歩き、森を開いて作られた街道に入るとユーナは立ち止まって言った。
「マテリアルサーチですか? ですが、これでは人は感知できなかったはずですが」
「そうだね、知ってるよ」
ユーナたちはアウリ少年の目的地を知っている。
魔法薬作りに欠かせない、薬草を採取しに行ったと予想されるのだ。
幼馴染みだというレイミの病を治すために。
――みんなに迷惑をかけているアウリだけれど、ユーナは褒めてあげたいなとこっそり思っている。
(勇気あるなあ……私はできないと思うよ)
ユーナがフィールドに出る気になったのは、己の防御力なら問題ないと判断したからだ。
自分が死ぬかも知れないのに、不利益を被るかもなのに、誰かのために身を賭せるかと言われたらノー。
「薬草の群生地を探せば、アウリを見つけやすくなりそうだと思わない?」
マテリアルサーチは、名前の通りマテリアル――原材料をサーチする能力である。
材料をランクで指定してマテリアルを捜査する。
初めはEランクのものしか探せないが、熟練度があがるにつれてツリーが解放され、更にランクの高いものが探せるようになる。
更に熟練度が上がっていくと、細かく種類が指定できたりもする。
「なるほど、そういうやり方がありますか」
「やってみるね! ――〈マテリアルサーチ〉、っうわ!?」
唱えた瞬間、ユーナの視界は全てフィールドマップで埋まってしまった。
最大画面で表示、されたような状態になってしまっている。
その上に、フィールドマップの見た目がユーナがゲームで見知っているものと違っていた。
「どうなさいましたか? ユーナ」
「やばい、視界が悪い! 見えない! 何も見えない!!」
「? マテリアルサーチに、何も映らなかったということでしょうか? ユーナに限ってそのようなことが」
「いやっ! マテリアルサーチが見えすぎてるせいで!! 周りの様子が何も見えない!!!」
ドラ子には、どうやらユーナの見えている世界が見えていないらしい。
ユーナの視界は、フィールドマップで埋まった上に――無数の情報によって埋め尽くされてしまっていた。
ゲームのマテリアルサーチは、この周辺にある全てのアイテムが全て見えるようになる能力ではない。
初めに条件を指定してスキルを使うと、〈この辺りに何かがあるかもしれない〉というポイントがいくつか見つかる。
そこを探すと、条件にゆるく合ったものが見つかるというスキルだ。
それなのに、恐らく今ユーナの目の前には、ユーナのスキルレベルで発見しうるものが全て表示されてしまっている状態のようである。
「やばい! 恐い! モンスターの出るフィールドで!! 視界が塞がってるとか超恐い!!」
「そうですね……レッドボアが近づいてきていますが、どうしましょうか?」
どうしましょうか? ユーナは己の耳を疑った。
「倒す以外の選択肢があるの!?」
「ユーナは昔、ザコモンスターならば無視していらしたではありませんか? ザコでなくとも、お忙しい時には」
ゲーム時代の話をしているらしい。
確かにゲームでは、だんだんとレベルに釣り合わないモンスターを倒すのが面倒になってきて避けていた。
ユーナは生産職で、必要なアイテムが揃えば他のモンスターには用なしだ。
さっさと帰って生産したいと帰路を急いだこともある。
「だ、だけど今は――あたっ、うん? ドラ子今私にぶつかった? 気をつけてよね! びっくりするから!」
マテリアルサーチのせいで視界が塞がれていると言っているでしょう!
ユーナが見えない恐怖で半ギレしながら叫ぶと、ドラ子はのんびりした声で応えた。
「いえ、今のは私ではなくフォレストボアです。ぶつかったのは私ではないので、お叱りになるのであればボアの方にしてください」
「……フォレストボア? あたっ、うわ、何かが腰に当たってくるんだけど、フォレストボア!?」
「フォレストボアです。……ユーナに懐くな、下賎なモンスターが!」
ドラ子はフォレストボアを斬ったらしい。
ユーナはパントマイムのように動き回った結果、どうにか視界を塞ぐ立体映像を縮めることに成功した。
縮めたことで情報が濃縮されすぎ、様々な色の点が混ざり合い、もはや何が書かれているのかもわからない〈マテリアルサーチ〉を視界の隅に置くと、ユーナは自分に襲いかかってきていたと思しいフォレストボアを見に行った。
ドラ子が切り倒したフォレストボアは、ひらきにされていた。
大まかに考えるとこれは豚なので、なんとかグロ耐性のないユーナでも見れないこともなかった。
恐らく生きていればその体長は二メートル近かったのではないだろうか?
「これが私に……ぶつかってきたの?」
「はい、そうですね」
「本当に? 私のこと騙そうとしてない?」
「何故そのようにお疑いになるのかわかりません」
ドラ子は戸惑った様子である。
ユーナはこの現実を飲み込むのに少しだけ時間をかけさせてもらった。
初めから、ユーナの防御力ならこの辺りに出てくるようなモンスターなんてたいしたことはないとわかっていたから、フィールドくんだりまで出てきたのである。
そうでなければ、ただ一度すれ違ったくらいの子どもを助けるために、捜索になんて出るわけがない。
むしろ子どものところへたどり着く前にユーナが死ぬ。
「フォレストボアって……めちゃくちゃ弱いモンスターだったりする?」
「そうですね……冒険者なら倒せますよ」
「一般的な婦女子などは……?」
「それは難しいのでは? 私はよく知りませんが」
私に聞くなとユーナは言いたい。
難しい、ということは、できなくもない、ということなのだろうか?
ドラ子の言葉だけでは何が正しいのかがわからない。
恐らく、ドラ子の常識も一般から相当ずれているはずだとユーナは予想している。
「ま……とりあえず目を瞑って歩いていても死ぬことはないとわかっただけで、よしとしようかな」
「ユーナがこのような場所で死ぬわけがありません。私もいるのですから」
「そうだねー。ドラ子ちゃんが守ってくれるもんねー」
「当然です」
ちゃん付けされたことにも気づかないくらい、ドラ子は誇らしげに胸を張って見せた。
上手く扱えばこんなにもチョロい。
「私、これから作業するから、邪魔するようなモンスターは近づけないでね」
「仰せのままに、ユーナ」
やる気を出したドラ子に任せておけば、周囲の索敵は問題なさそうである。
ユーナは改めて、自分の能力と向き合うことにした。
「これ……そもそも何が見えてるんだろ……一部オフとかにできないのかな」
消えろと願いながら、立体映像の端に触れてみる。
一際白く輝く、目に痛い光を発する箇所があったのだ。
眩しいわけではないけれど、目に悪そうだ。
(なんだろうこれ……目がチカチカする……紫外線とか出てるのかな?)
ユーナが手を離した時には、白い光の点は消えていた。
それを見て、ユーナはなんとなく胸を撫で下ろした。
「……鉱石とかまで、もしかして見えてる? 鉱物だけ消える? ――消えたね!」
町の周辺の無数の色は消えないが、その更に外側、恐らく山方向にあった大体の色は消えた。
様々な色が消えたので、どうやら鉱物を表す色というものはないらしい。
「あー、そもそも……薬草だけ見えればいいだけで……って、それもできるのか!」
ユーナの呟きに反応するように、マテリアルサーチの画面は全て薄い緑の点で覆われた。
拡大して見てみると、薬草の絵がそのまま点として描画されているらしい。
ゲームでは、欲しいアイテムをピンポイントに探すなんてことはできなかった。
しかし、現実となったマテリアルサーチではできてしまうらしい。
「何これ……これがあれば食べていけるんじゃない……!?」
欲しいものがピンポイントでどこにあるのかわかるのだ。
それを取りにいき、売るだけで金が稼げるだろう。
(よ、よかった……!)
ニート生活は楽だった。
とてもとても楽だったが、まるで自分が社会の落伍者のように感じられてならなかった。
(この世界にいらないクズ、燃えることすらできないゴミ、水分多めの産業廃棄物からの卒業――!)
何もしない生活というのは、ユーナの心には毒だった。
ユーナは宿ぐらしだったので、家事炊事すらする必要がなかったので余計にだった。
快適な暮らしには適度な労働が必要らしかった。
(こうして私のスローライフは始まるのであった……!)
町に戻ったら、買い取り価格をどこかで調べなくては……ユーナは決心しつつ、改めて画面を見やった。
画面に出ているフィールドは、町の南側が主である。
そこに表示されている薬草の主な群生地は三つあった。
「一番近いところに行ってみようか」
群生地は全部、森の中にある。
森の中には当然、モンスターが出るだろう。ゲームでもそうだった。
しかし巨大なフォレストボアに突進を受けても、なんか当たった、程度の衝撃しか受けなかったのは事実である。
――それでも恐い、と思うのは、ユーナ自身あまりに臆病が過ぎているような気がした。
でも恐いものは恐い。
とはいえ、今後のスローライフのためにもユーナ一人ぶんくらいの食い扶持を稼ぐためにも、近隣くらいは出歩けるようになっておかないと困る。
(よっし……がんばろっ! ファンタジーオブルルーフィアでの、初めてのまともなイベントなんだし!)
そしてこのイベントに難易度があるとすれば、おそらくE。
どう考えてもおつかいチュートリアルレベルの、簡単なクエストであるはずである。
だが、ドラ子の言葉で甘い考えだと思い知らされた。
「せっかくユーナが捜索しているのですから、生きていればいいのですがね」
あたりまえのように無事でいるものだと思っていた。考えてみて寒気がした。
ゲームなら、依頼を達成するまでずっとアウリは生きているだろう。
ゲームはクリアできるように作られている。
でも、この世界はゲームではない、かもしれない。
現実であるのは間違いない。だから、間に合わなければ死ぬだろう。
(そんなことって、ありえるの……?)
ここは現実。だけどゲームの世界だ。
そんなことがあるわけがない、と未だに信じている自分自身に不安を覚えつつ、ユーナは森へと足を踏み出した。