一日目夕方
「店主のおじさんは重い重いって言ってたけど、やっぱりそこまで重く感じないな」
「ユーナのステータスが圧倒的に高いのでしょう。何度も転生を経験されていますから」
「それだよね。やっぱり。でも科学者ギルドの強い人が出てきたらどうだろう。勝てるかな?」
「さて、最高峰の拳闘士などが出てくれば厄介ですが、そうはならないでしょう」
ユーナに余裕がある理由の一つに、ドラ子の態度があった。
彼はユーナが科学者ギルドと敵対するのを全く問題だと思っていないようだった。
「じゃあ、勝てるってことだよね?」
「ええ。私もいますので、ご安心ください」
「……でもクスタヴィさんの言う通り、できたら荒事にならないように問題を収めたいよね」
「手を出してきたのはあちらなのですから、荒事になるのは仕方ありません。ユーナのものに手を出した以上、死をもって償わせましょう」
「私のものっていうか弟子っていうかね」
ユーナは軽く棍棒をふるった。
ブン、という鈍い音が空気を切り裂く。手に感じる感覚とはかけ離れて重い音のように聞こえた。
周囲には誰もいなかったものの、道の反対側を歩いていた老人が目を丸くしてユーナを見ていた。目が合うと、そそくさと立ち去っていく。
ガラの悪い冒険者だと思われてしまったのかもしれない。
「死をもって、か……そんな身勝手なふるまいができるほど、私は強くなったのかな」
「頑丈になり、腕力がついたのは間違いありません。ただし昔からユーナは、戦闘技術というか、そういったものがあまりない方ではありましたので……」
「それは多分私が農家で商人で科学者で錬金術師で学者で賢者だったからでしょ!」
「恐らくそうなのだと思います」
「でも、つまり今の私とそう変わらないってことか」
変わったことがあるとしたら、HPがあと1しか残っていないような状況で冷静に次の手を考えるような真似はできないだろう、あたりまえのことくらいだろうか。
「とりあえず、たとえ攻め込むとしても、穏便にやるから」
「一旦開戦したならば、徹底的に叩き潰した方がよいかと思いますが」
「それは私向きじゃない……最低限の犠牲で」
「単純に一番犠牲が少なく済むのは弟子を見捨てることだと思いますが――そういう問題ではないのでしょうね」
「ドラ子ちゃん!!! そんなこと言う子に育てた覚えはありません!」
「ちゃんづけは嫌だと言っているではないですか!」
育てられた覚えはない、と言われるのを期待してのユーナのボケはかわされた。
そういえばユーナはドラ子を育てているのである。時の圧倒的な流れによっていつの間にか彼は勝手に完全体になってしまっているけれども。
――ユーナは、ドラ子の言葉を、その心を、気持ちを疑っているわけではない。
けれど彼のあり方はあまりにゲームに似すぎている。
全面的にユーナに譲ってくれる姿勢を見せてくれているから共にいられるが、そうでなければ彼といるのは不安の連続なのだろうと思わずにはいられなかった。
でも、今ではいてくれないと困る存在でもあるので、問題が起こらないよう祈るばかりである。
「ただいまー」
「おかえりなさいませ――ヒッ」
宿に戻ると、出迎えてくれたのはなぜか下町の宿屋には相応しくない、ドレス姿の女性だった。
――科学者ギルド副ギルド長の娘、ロヴィッサだ。
彼女は優雅にお茶を飲んでいたらしいが、その姿勢で固まってユーナたちを注視していた。
ユーナはあまりの場違いさに叫んだ。
「下町の宿屋にお姫様がいる!」
「下町で悪かったわね!」
即座にレイミが奥から出てきて叫んだ。
ロヴィッサは頬を赤らめて俯いている。外が寒かったせいもあるのかもしれない。
耳まで赤い美少女は、ユーナから見ても惚れ惚れするほど美しかった。
クスタヴィが手紙を持った状態でここにいなくてよかったと思うほどに。
「お、お姫様などでは……畏れ多いです」
「ロヴィッサさん? どうしてこんなところに?」
「あ、あなた様こそ……どうしてそのようなものをお持ちに?」
怯えた目で見られたユーナは、自分の背中に棍棒を隠した。
棍棒がそこそこ巨大なので、完全には隠せていなかったが。
「えーとこれは、モンスターを撲殺するために、ね――」
「そんなことよりユーナさんが帰ってきてよかった! その女、ユーナさんと話がしたいからってずっと居座ってるのよ!」
ユーナの言葉を遮ってレイミがまくしたてる。
ロヴィッサは邪気のない笑みを浮かべた。
「お金をお支払いしてお茶をいただいているので、わたくしはお客さまなのです」
「この調子なの! どうにかして!」
レイミは少々怯えているようだった。
一度彼女に丸め込まれてアウリの命綱となるかもしれない手紙を差し出しかけてしまっている。
レイミはロヴィッサを警戒して、近づかないようにしているようだった。
ユーナはロヴィッサと同じ机に腰かけた。
せかせかと近づいてきたレイミが、ユーナとドラ子の分もお茶を入れて出してくれた。
ドラ子はたいてい飲まないのだが、レイミは気遣いを忘れない。
お茶を入れると、そそくさとレイミは下がっていって、物陰からユーナたちの姿を伺っちた。
「それで、何か用ですか?」
聞きながら、ユーナが棍棒を椅子に立てかけようとしたら、棍棒の重さで椅子が倒れた。
仕方なくユーナは棍棒を膝に抱えながらロヴィッサに向き直る。
ロヴィッサは棍棒の行方が気になるようだったが、なんとか視線をユーナの目線の高さに引き上げると、懇願するように言った。
「あの、わたくしもアウリ様を探すために、協力させてもらえないかと思ってきたのです。実はあの時はお伝えしていなかったのですけれど――あの手紙はギルド長である、ヤッコブ様の書いたものなのです」
「そんなことだろうと思ったわ!」
レイミが遠くからがやを飛ばしてきた。
薄々ユーナたちが予想していた事実について打ち明けたロヴィッサは、恥じ入るように俯き、大きな瞳に涙をためた。
「あの筆跡を見た時には、気が動転してしまいましたわ。なんとしてでも手紙をお借りして、ヤッコブ様の目の前につきつけなければならないと、義憤に駆られてしまったのです」
「……ふうん、そうだったの?」
「そう、なのです……信じていただけないかもしれませんが」
「うっ」
ロヴィッサにうるうるとした目で見つめられて、レイミはたじろぎながら奥へと引っ込んでいった。
レイミは涙に弱いらしい。
ユーナの目にはあまり純粋な涙には見えないのだが、そう感じるユーナの方がここではおかしいのだろう。
ちなみにドラ子は何の興味もない顔つきをしている。眠そうだった。
「……けれどあの方のことですから、もし手紙を見せたら握りつぶされてしまっていたかもしれません。あの時、ユーナさんと、ドラ子様に止めていただいたこと、心より感謝しております」
「そう」
ユーナは静かに頷いた。何も言葉を摘むごうとしないユーナに、特に動揺する素振りもなく、ロヴィッサは取り出したレースのハンカチで目元を押さえながら言葉をつづけた。
「はい。まだ何が起きているのかわたくしにもわからないのですが、わたくしもギルド員。科学者ギルドを相手どるのであれば、きっと皆さまのお役に立てると思うのです」
「そうかあ」
「ユーナさん! ……助けになってくれるんじゃないかしら?」
レイミが柱の影に隠れながら言ってくる。レイミはまたロヴィッサの言葉を信じたらしい。
レイミにも間違いなくラウラとマルックの血が流れているようだった。人が良すぎて、いつかきっと騙されるだろう。
ロヴィッサは、ユーナたちの助けになるかもしれない。ならないかもしれない。
むしろ邪魔をしてくるかもしれない。
「どんな形で手伝ってもらえるのか、聞いてもいい?」
「ユーナさん、あなた方がアウリ様のために努力されているのは存じております。ですから、今後どのようなご予定を立てているのかをお教えいただければ、きっとお役に立てるはずなのです」
「うーん、そんなことは聞いてないんだよなあ」
「ちょっと、ユーナさん」
意地悪ではないか? とレイミが囁くとは言えない声音で聞いてくる。
レイミから見れば、ユーナはいたいけな少女を脅す悪いやつなのかもしれない。
ユーナはレイミの言葉を無視した。
いい加減、ロヴィッサに少し苛立っていた。レイミのように真正面から突っかかってこられるならばともかく、味方のふりをしているのが非常にたちが悪く感じられた。
嫌悪感を叩きつけるようにユーナは椅子を引いて後ろに立つドラ子の顔を仰いだ。
「ロヴィッサさんて、科学者ギルドから私たちの情報を引き出してこいとでも言われたスパイか何かなのかな。どう思う? ドラ子」
「ユーナのおっしゃる通りかと」
ドラ子はユーナが何を言ってもおっしゃる通りだと繰り返すだろう。
しかしそれを知らないロヴィッサは顔色を変えた。
下には置いておけない長命種の耳にも、ロヴィッサの言葉には欺瞞があるように聞こえたと言っているように聞こえただろう。
「わたくし、お手伝いできますわ。本当にそのために来たのです! たとえば……たとえば!科学者ギルド内の案内などができます」
「おっ、本当に?」
「はい……ですが、その、そういったものの持ち込みなどは差し控えていただきたいのです……」
ロヴィッサは食いついたユーナの姿に怯えたように身を竦めながら言った。彼女の視線はユーナが手に持つ棍棒に向けられている。
確かにこれを持っての出入りは難しいだろう。
科学者ギルドにはおそらくドレスコードのようなものがあるので、無骨な武器が問題外なのは理解できた。
ドラ子の帯剣が許されたのは特別待遇なのだろうか。
彼は帯剣している状態でも貴族か何かのようにエレガントなので、見た目的にも問題がない。
「わかった、棍棒は置いていくよ。でもよかった! 一度内部構造を確認したいと思っていたところだから」
「な、内部構造を……確認、ですか?」
科学者ギルドに潜入し、必要ならば襲撃してアウリを探すために――とギルド員である彼女に言うわけにはいかないので、ユーナは笑顔で口を噤んだ。
でも、ユーナが言わなくとも、薄々伝わりはしたかもしれない。
こうなったら、ユーナは襲撃日も婉曲的に伝えておくことにした。
「案内っていつならできる? 五日以内がいいんだけれど」
「それでしたら……明日の夕方などはいかがですか?」
「夕方ね! それじゃ、お願いします」
「はい。その……かしこまりました」
ユーナたちがどうしてギルド内を見たいと思っているのかを、ロヴィッサは問いたださなかった。
別に、ユーナとしては聞かれても構わなかった。当然真正直に告白するつもりもない。
けれどできればユーナたちが穏便に済ませたいと望んでいることを、科学者ギルドの人間には知っておいてほしかった。
もしも相互理解が進み、お互いに利益のある取引の末に問題を解決できるのであれば、襲撃などしたくはないのだ。
「わたくしも――アウリ様のためにできる限りのことをさせていただきたいと思っておりますので、なんでもお申し付けください」
申しつけたことをそのまま科学者ギルドに報告されてしまいそうで、ユーナとしては危なっかしさしか感じられない。
年下の少女相手に本気で苛立ってきている自分にユーナは自己嫌悪しつつも、嫌味な質問を投げかけずにはいられなかった。
「一つ聞きたいんだけれど、アウリは科学者ギルドの長に攫われたと、あなたは思うかな?」
「……わかりません。ただ、強引な手を使われてもおかしくはなと思うのです。だからこそわたくしは自らここへ来て、皆さまのお手伝いをしなくてはと思いました」
「そう、思うんだね」
「そのようには言っていませんわ」
「顔に書いてあるよ。ありがとう。それじゃまた明日よろしくね」
ユーナは言い捨てて棍棒を手にすると、部屋に向かった。レイミが後ろで気遣うようにロヴィッサに声をかけているようだった。
悲しげな表情でも作ったのだろうか。
ユーナに決めつけられた瞬間、その目には剣呑が光がさし表情は強ばったように見えたのだけれど――瞬時に取り繕ったのだろう。強かな少女だった。
「お待ちください、ユーナさん! あなたなら、ギルド長の暴走を止められるのではありませんか!?」
「――私が?」
強い言葉に呼び止められて、振り返ったユーナに、ロヴィッサは立ち上がって言葉を続けた。
「はい。ユーナさんは貴族の出身でいらっしゃるでしょう? ご実家に頼っていただければ、ギルド長の動きに掣肘を加えることもできると思うのです」
「いや、私に苗字があるのは貴族出身だからではなくてね」
「まあ、他に何か理由が? ギルド長の権限に干渉する力は何もないとおっしゃるの?」
「それは――」
「ユーナ」
ドラ子が窘めるようにユーナの名前を呼ぶ。またペロリと秘密を話しかけていた。
咳払いをして気を取り直すと、ユーナはロヴィッサを見つめた。
彼女の表情は緊張に張り詰めていて、これまでにない真剣さを感じさせた。
今日初めて、彼女の本当の言葉を聞いた気がした。
「……ギルド長の動きを止められるのは、貴族だけってこと?」
「はい。後は市長、あるいは他ギルドのギルド長……でも商業ギルドの長もまたヤッコブ様ですし、職人ギルドの地位は商業ギルドより低いと言わざるを得ません」
「残る大きなギルドというと――」
「冒険者ギルド、くらいなのです」
ロヴィッサは、ヤッコブに命じられて派遣されてきたのではないのかもしれない。
どちらかというと、ヤッコブを排除したいと望んでいるように見えた。これもまた彼女のまやかしなのかもしれない。
もしも協力できる目があるのなら、敵対するよりはよほどいい。
「冒険者ギルド、ね」
ドラ子から働きかけてもらえば冒険者ギルドを動かすこともできるのかもしれない。
そういう選択肢も考えてみるべきだろう。
クスタヴィが失職しないように。ユーナを泊めたことで、レイミ、ラウラ、マルックたちの宿に迷惑をかけないで済むように。
穏便に問題を解決するのを諦めているわけじゃない。
ただ、この世には万が一ということもある。
「色々教えてくれてありがとう、ロヴィッサさん」
「……今後はどのようにご活動される予定なのですか?」
ロヴィッサは探るような目をして言った。
どうあっても、ユーナたちの情報が欲しいらしい。敵ではないなら協力したい。けれど味方かどうかは、まだわからない。
「まずは明日、科学者ギルドを訪ねさせていただくね。お父さんは戻ってきてる?」
「いいえ……姿が見えないのです。明日、戻るかもわかりません」
「そうか。まあ、レイミさんとクスタヴィさん、アウリの婚約者とお兄さんが朝から伺うかもしれないけれど、その時は相手をしてあげてほしいな」
ユーナとドラ子という護衛のいないレイミとクスタヴィが、アウリと同様に科学者ギルドに囚われてしまうという可能性はあるのだろうか?
万が一にもそうなった時には、一刻の猶予もないと判断するしかないだろう。
「ユーナさんはその間、どうされるのですか?」
「私は冒険者としての活動をするよ」
「まあ? ユーナさんは冒険者なのですね」
冒険者ギルドには所属していない。だが、冒険者としての際たる仕事であるモンスターの討伐ができないというわけではない。
ユーナが曖昧に笑うと、ロヴィッサもまたただ美しいだけの笑みを浮かべて目を細めた。
本心がひとかけらもあらわになっていない、胸がむかつくような笑顔だった。




