生き残るために
「いいんですか、副ギルド長? 俺のこと、自由にさせて……逃げてもいいんですか?」
アウリは今も部屋に閉じ込められてはいたが、かなりの自由を与えられていた。
無理やりヤッコブに囚われた時とは状況が変わったのだ。
アウリの拘束を解いたペテルはやつれた顔で微笑んだ。
「逃がすつもりはありませんよ、アウリ様。ただ、どうしても逃げるというのであれば私を殺していってください」
「そんなことできるわけない!」
「ならばアウリ様は逃げられないでしょうね。あなたが逃げたなら、私は自害致します。できるだけアウリ様に抵抗した末に殺されたように見せかけて――そうすれば、ギルド長の怒りの矛先は私の娘には向かわないでしょう」
アウリを逃がしたら、罰として娘の市民権を奪うと脅された父親ペテルは疲れたように言う。
権利ある者には生まれた時から与えられている――それが市民権だった。
それを一人の人間が身勝手に奪えるだなんて、アウリにはとても信じられなかった。
「本当にあの男はおじさんの娘の市民権を奪えるんですか?」
「正確には、市民権に関する書類を書き換えるのです。たとえば髪の色、目の色などを書き換え、市民権の情報を、居留民の身体情報に寄せた後、私の娘の名前を名乗らせればよいのです」
「そんなことがまかり通るなんて……」
「ええ、ありえてはならない話ですよ。だがあの男はやってのけるでしょう。そうと決めたなら」
苦々しげに言いながら、ペテルはアウリの腕の手当を始めた。
太い麻縄で縛り上げられ、逃げようともがいたせいで擦り傷をたくさん作っていた。
ペテルの丁重な手つきは、どこか恭しくさえあった。アウリは居心地が悪かった。
以前アウリが科学者ギルドにいた時、副ギルド長は雲の上の存在だった。
「あの、副ギルド長、適当に扱ってもらって大丈夫なんで、俺」
「いいえ。ポーションを生み出す貴重なスキルを行使しうる大事な御手です。どれだけ大事にしても足りません」
「いや、でも」
「ポーションを作れるようになったばかりにギルド長に目をつけられたのでしょう?」
「ええと、まだポーションは作れないんです。まだ、HP回復薬はスモールヒールポーションまでで」
「十分ではありませんか。何も作れるようにならないまま生涯を終える者もいるのですから。その若さで立派なものです」
科学者ギルドで、これ以上なく丁重に扱われているというのに、その手当にポーション類が使われていない。
それほど生産量が少ないということだろう。
一時期アウリはスモールヒールポーションを大量に作り、器が空いていないからと無理やり飲み干していたぐらいに有り余っていた。
普通にスモールヒールポーションの作り方と、作るための身体の作り方さえ知っていれば、足りないなんてことはないはずだった。
(……師匠、あなたが持つ知識がどれだけ貴重なものか、まだわかりませんか?)
とぼけた顔をしているアウリの師匠、ユーナ。
惜しげもなくアウリに知識を与えて、アウリを一人前の科学者に仕立て上げた。
その理由は代わりに金を稼がせるためだと言いつつ、その費用をほぼ全てアウリの義足づくりに費やし出した。
今後もこき使うためだと言ってはいるが、ユーナにアウリを酷使できるとは思えなかった。
だから恩を返すためには、自ら考えて動かなくてはならなかった。
自分がポーションを作れるようになった理由について――ユーナの名前だけは決して出すまいと改めて胸に刻み、アウリは部屋を見渡した。
出口はギルド長の部屋に繋がる扉が一つ。窓には鉄格子が嵌っている。
一体この部屋が何の用途に使うために作られたのか、アウリには全く理解できなかった。
「こちら、朝食でございます」
「いいんですか? あの男はたぶん――」
「アウリ様を兵糧攻めするつもりなのかもしれませんね。ですが私は食事を与えるな、などという命令は受けていないので、構いません」
ペテルがギルド長に命じられたことはただ一つ。
契約の書類にサインさせること。
「俺はサインなんかしませんよ」
「ええ。しなくて結構です。どうかおやめください」
「え?」
「あなた様を逃がすことはできません。ですが、解放されるように運動致します。――やはり、内容に少し目を通すだけでわかります。奴隷契約のようなものですよ、これは」
ペテルは契約書を見て溜息を吐いた。
疲れ果てたように肩を落としている。アウリは同情をしないように息を詰めなくてはならなかった。
同情して、心を寄せて――契約をさせる。そういう彼らの作戦かもしれないのだ。
「あの方は、貴族です。剣士として生まれられなかったばかりに、爵位を継承できずに腐ってしまった哀れな貴族です……胸の中にあらゆるものへの憎悪が渦巻いていて、憎悪にふりまわされるように権力をふるう、恐ろしい方ですが、その分権力には弱い。知り合いに貴族の方はいらっしゃいますか?」
「いるわけないでしょう!」
「そうですか……いえ、高名な科学者ですと貴族の方から接触を受けるものなので、もしかしたら、と」
ペテルは何か考え込むように口を閉ざしながら、部屋の整理整頓を始めた。
アウリはとりあえず、用意された食事をかきこんだ。
あのギルド長が戻ってきたら、強制的に断食の刑に処されてしまう。今のうちに力をつけておかなくてはならない。
薄い黄色のスープはやたらと甘くて、美味しかった。
濃厚なスープが美味しすぎるせいで、余計に空腹が増した気がした。パンをよく噛んで食べた。
「あなた様の兄君と、ユーナさん、そしてドラコ様があなた様を探していらっしゃいました。兄君はあなた様をとても心配されていらっしゃった。そしてユーナさんは、もしかしたら、自分から離れたいのかもしれない、とさえ思い悩んだ様子でしたが……それでもいいから義足だけは作らせてほしいとおっしゃっていた」
「……っ」
伝えられた兄の様子に、ユーナの言葉に、アウリは涙ぐんだ。
両親を失い、親戚がしてくれた援助は必要最低限だったという。
クスタヴィは苦渋の決断で懐かしい家を売り払い、当面の生活のために資金にしたそうだ。
自分の収入に相応しいつましい生活をするための長屋へと移り住んだ直後は、周囲との人間関係に苦労したそうだ。
苦労してきた兄に、また迷惑をかけてしまっている。
そんなアウリたちを、ユーナはまた助けようとしてくれる。
彼女の人の良さは常識を外れていた。
「私は彼らの元にあなた様を帰してさしあげたい……そのために娘を犠牲にせずに済む方法を考える時間を、どうかお与えくださいますよう」
お願い致します。そうつぶやくように言うとペテルは静かに部屋から下がっていった。
そして、扉には外から鍵をかけられた。
ペテルがいなくなるのを見計らい、アウリは片足で立つと飛び跳ねながら移動して、ドアノブを回した。
あて身を食らわせた。ドン、と音を立ててしなった扉は、アウリが本気で体当たりをしたら壊せるかもしれない。
「……義足があればな」
折られた義足を苦々しく見つめて、今度は窓を確認した。
近づいてみるとやたらと高い場所にあり、椅子を寄せて台として、なんとか覗けるようになった。
鉄格子は壁の中に埋め込まれていた。この窓を通ろうと思ったら、壁ごと壊す必要がありそうだった。
「こっちは厳しい、と」
そしてアウリは契約書の中身を確認することにした。
厳めしい言葉遣いに頭がこんがらがりそうになりながら、アウリに何を強制しようとしているのかを読み取っていく。
そこには、ありていに言えば、アウリを生涯科学者ギルドにしばりつけ、科学者ギルドの長のために魔法薬を作り続けるようにするための契約が書かれていた。
「あいつ、なんか焦ってた――」
ヤッコブはどこかでアウリが科学者で、ポーションの生産者だということを知ったらしい。
初めは普通に話しかけてきた。見慣れないが、気さくな男のようにすら見えた。
冒険者ギルドで聞いたのかもしれない、となんとなく感じていた。
男が体躯がよくて日焼けしていたから、冒険者に見えたのだ。
アウリが科学者ギルドに入っていないのを知ると、心底驚いたようなそぶりを見せた。
ギルドに入るべきだと強く勧められた。男は冒険者として、ギルドに入っていたことで助けられたのだろうな、とそんな風に感じていた。
だが、師匠がいるから必要ないんだと断って――あの時自分がユーナの名前を口にしていなかったか、不安になる。
恐らく言ってはいないと思うが、どうだろう?
アウリに科学者ギルドに入る意思がないと知るや、男はアウリを路地に引きずり込んだ。
恐ろしい力だった。
ユーナに鍛えられ、少しばかり強くなっていたと思ったが、比べ物にならないほどだった。
アウリを捻じ伏せたあの男の目には、何かの執念のような感情が滲んでいた。
「お父様! 探したのです! こんなところにいたのですね」
「ロヴィッサ、ここでは副ギルド長と呼びなさい」
「失礼いたしました。――厄介なことになっているようですね、副ギルド長」
「もしかして、アウリ様の兄君たちが来たのかい?」
「はい。手紙の確保に失敗してしまいました」
「どうして私を呼ばない!?」
「呼べないところにいらっしゃったのは副ギルド長です。わたくしはわたくしの権限で応対をしたのです」
ロヴィッサは淡々と答えたが、その目には不安の色がうかがえた。
理不尽に声を荒げてしまったと気づき、ペテルはすぐに娘に謝罪した。
「すまない……少し気が立っていてね」
「あの、アウリという方、生きていらっしゃるんですか?」
「生きているとも」
「ならよかった! 手紙は確保されていますから、もしも生きていらっしゃらない場合、科学者ギルドが大変なことになってしまいます」
「科学者ギルドのことなどどうでもいいのだ……問題は、私と私の家族さえ犠牲にすればいつでもアウリ様を解放できるということだ」
「――まあ」
ロヴィッサは口元に手を当てて目を丸くした。
美しい娘だった。教育には金と力を全力で注いだ。
ゆくゆくは貴族向けの仕事をさせ、できればその縁を辿って貴族に輿入れさせるつもりだった。
「ヤッコブ様に脅されましたの?」
「ああ、そうだ」
ペテルは愛する娘、ロヴィッサを見つめた。
手塩にかけて育ててきた娘には、ある種の才能がある。自分にはない才能で、それを使えばいずれは大成するだろう。
だがその身分が居留民では、力を十分には発揮できないに違いない。
ロヴィッサは父親の視線を受け止めて、何もわかっていないような無邪気な顔で微笑んだ。
「対価がそれだけならば、アウリという方を解放するべきではありませんか?」
「しかし」
「お父様はいつもおっしゃっているじゃありませんか? 科学者ギルドに務めているからには、わたくしたちは科学者様のためにいるのだ、と」
「その通りだ」
「そのお言葉を反故になさるつもりですか?」
「彼を解放すればお前は居留民の身分に堕とされるかもしれないのだぞ]
ロヴィッサは、きょとん、と目を丸くしてみせた。
まるで言われた言葉がわからないとでも言いたげだった。そういうことに優れた才能を持っている。
無邪気で無垢な少女のように、いつでも偽ることができる。だが実際は、ロヴィッサは賢い少女だった。
ペテルの言葉の意味を理解できていないはずがなかった。
「まあ、命をとられるわけではないのですね。驚いてしまったのに、損をしました」
「ロヴィッサ、どれだけ大変なことかわかるだろう?」
「ろくな裁判もせず、議会にもかけず、一人の人間から市民権を奪おうとするなんて、大変な罪なのです」
「それはそうだが、そういう意味で言っているのではない――はぐらかさないでくれ、ロヴィッサ」
「いつものお父様ならわたくしとの会話を楽しんでくださるわ……お疲れのようなのです」
「ああ。アウリ様の兄君方には、科学者ギルドが誘拐など、決してありえないと啖呵を切った。だが、実際はこれだ」
「お父様は少しお休みになった方がよいようですわ」
「いいや、私にはやるべきことがある。もっと早くにそうするべきだったが――ギルド長の更迭を求めるために運動しなくてはならない」
「時間がかかりそうなのです」
「だが、穏便にことを運ぶにはこれしか方法がない」
そうかしら? と口では言わずに小首を傾げてみせるロヴィッサに顔を歪めたペテルは、娘を抱きしめた。
「どうか妙なことは考えないでくれ、ロヴィッサ。お前の未来は、科学者様方と同じくらい私にとって大切なものなんだ」
「まあ……科学者様と同じくらい大切にされていたなんて、知らなかったわ」
父の抱擁にロヴィッサは目を細めた。
ペテルはすぐにロヴィッサを離すと、慌ただしく廊下を歩いていった。執務室へ向かうようだった。
父の背中を見送ると、ロヴィッサはしばらく唇に人差し指で触れつつ可愛らしく思案をした後、父親とは別の方向へと歩き出した。




