学者の業
ユーナは紙工房の前に並べられた紙を睨みつけながら思う。
ゆくゆくは、この世界に残存しているミニフレンドたち――現在長命種と呼ばれる人たちに会いにいくべきだろう。
基本的にユーナは女神の旅人であることを隠した方がいい。
じゃないと、邪教が浸透しているこの世界でどんな身の危険が迫るかわからない。
しかし、ずっとは隠し通せない。
――ユーナがこの世界に来た方法を見つけ出したいのならば。
「うーん、高い……」
「高くはねえよ。値段相応の品質だ」
「あ、いえ、すみません」
工房の職人がユーナを睨んだ。ユーナは咄嗟に謝った。
別に、紙の質が悪いと言いたかったわけではない。
和紙のような植物的な繊維質の紙だった。
ただ掃いて捨てるほどの紙に囲まれて育ったユーナの感覚的には割高に感じられて仕方なかったのだ。
他に並んだものの値段と比較して、1ルピス金貨を強引に円に換算してみると、恐ろしい事実が発覚した。
なんと1ルピス金貨には、に5万円から10万円ぐらいの価値がありそうだった。
ゲームの中の最低通貨単位が10万円ってどういうこと?
そんな中、紙は半紙ぐらいの大きさの束が20枚で5万円ほどするようなのだけれど、これを買う勇気が出ない。
大体、今後の計画を立てたかっただけだし。別に、必ずメモをする必要なんてないのだし。
けれど現状を書き出してみれば、何か目の覚めるようなアイデアが思いつくこともあったりするんじゃないかなあと期待していたのである。
なんでもかんでも書いてみることに慣れている。
それが贅沢だなんて、これまでのユーナは思ってもいなかった。
異世界にきて初めてわかる紙のありがたみを実感している。
「買わないんですか、ユーナ様?」
「ええと、そうだねヘイディ……やっぱりちょっと、予算をオーバーしているかもね」
「ふうん? そうなんですね」
「冷やかしなら帰ってくれ」
いかにも職人といった様子の親父に不機嫌そうに言われたら、現代人のユーナはもう商品を見る勇気も湧いてこない。
すごすごと退散したユーナに、ついてきたヘイディは無邪気に言った。
「科学者なら紙とかも作れるんじゃないですか?」
「いやー、科学者はなんでも作れるってわけじゃないからね。レシピがないと」
「レシピを研究するのが、学者なんじゃないんですか? ユーナ様ならレシピを見つけられるんじゃないですか?」
「いやいや、学者にできるのは――」
予め図鑑に目録が用意されているレシピを発見することだ、と答えかけたユーナは口を噤んだ。
そんな馬鹿げた話があるだろうかと内心否定せざるをえなかったのだ。
これがゲームなら。
最初から設定されているレシピ以外の発見をしようがない。
けれどここは現実で、次から次へ新しいものが発見されなきゃおかしいだろう。
勿論、何もかも見つけ終わってしまうということもあるかもしれない。
新しいレシピなんて早々見つからないという場合もあるかもしれない。
けれどユーナの目から見て色々と不足の多い、文明度の低いこの世界で、全てを見つけ終えているなんてことがあるだろうか?
ユーナの学者としてのスキル、マテリアルサーチ。
これを使ったら、欲しい素材をピンポイントで探すことができた。ゲームの時にはなかった仕様だ。
ならもう一つの学者のスキル、フィールドワークを使ったら――欲しいレシピが見つかるのではないだろうか?
胸の奥がざわめいた。
ユーナの内に眠るスキルが、使えとユーナにささやきかけているかのようだ。
町の中でも使えるのかもしれない――スキルポイントは余っている。
「……〈フィールドワーク(紙)〉」
唱えたユーナの身体は、次の瞬間勝手に動き出した。
「レイミさん! 助けてください! レイミさん! お願いします!!」
「ヘイディ? 一体どうしたのよ」
泣き叫びながら宿に飛び込んできた、レイミの家の奉公人ヘイディ。
あまり気の利かないとろい子だけれど、悪い子ではない。
とんでもないヘマをやらかすような子ではないと思っていたのに、ヘイディのただならない様子は話を聞く前からレイミに不吉な予感を感じさせた。
「落ち着いて話しなさい。何があったのか」
「ゆ、ユーナ様が大変なんです!」
「……そういえば、一緒にいないわね」
「何度名前を呼んでもこっちを向いていただけなくて! 閉じてる門の、向こうにぴょんって行っちゃって! ――木を食べてるんですう!!」
ヘイディが何を言っているのかレイミにはさっぱりわからなかった。
ただ、できたら関わり合いになりたくないことが起きているのは理解した。
「あの人確か……学者だったわね」
「はい、学者さん、です」
「…………学者の奇行は有名だわ。多分、それでしょうね」
この世には絶対になりたくない職業がいくつかある。
そのうちの一つが学者だった。
学者になると、未知なるものに興味が引かれ、その道に足を踏み入れ過ぎると、やがて気が狂うと言われている。
普通に過ごしている分には頭の方も大丈夫であるらしい。
けれど、ユーナはアウリに師匠と思われる程度には色々と知識があるようだから、多少は研究をしてきたのだろう。
(ユーナさんもおかしくなっちゃったのね……お気の毒。でも、これでアウリは師匠だなんて呼ぶのをやめるかしら?)
そう考えると厄介事に関わる気にもなってきた。
レイミの宿の客でもあるし、不本意にもレイミの恩人でもある。
エプロンを外すと、レイミは奥にいる両親を呼んで受付の仕事をお願いした。
「他にお客さんもいないし、とにかく、わたしも様子を見たいわ」
「はい! こっちです! 早く来てください!」
むしろ手遅れなほど気が違っていてほしい。
そう願いながら、レイミは涙ながらにせかすヘイディについていく。
ユーナが気の毒な有り様になっていたら、施療院にまでは連れていってあげよう。
その後のことは、レイミが被った恩の範疇を超えているはずだ。
ヘイディによってレイミが案内されたのは、南門だった。
そして南門には既に騒ぎを聞きつけた兵士たちが私服姿で駆けつけていた。
その中には南門の長であるイヴァールと、ドラコの姿もあった。
「ユーナが門の外に出てしまったと聞いた。開けてくれ」
「よ、よかった……あなたに命令してもらえるなら門を開けます」
年始、門は開かないわけではないが、かなり短い時間だけのことである。
その時間は厳密に決まっていて、基本的には軽々しく開閉することは許されない。
女性が一人勝手に兵を飛び越え、門の外に出ていってしまったとしても、兵士の判断で開ける事は許されないのだ。
ランクの高い冒険者であり長命種であるドラコに命じられた当直らしい兵士は、安堵の表情で門を開いていく。
ドラコにこんな手間をかけさせるだなんて、ユーナという女性が一体どれほど魅力的だというのだろう? レイミにはその魅力が全く理解できなかった。
「そういえば、木を食べてるっていうのは何だったのよ? そもそも、どうやって門から出たっていうの?」
「と、飛び越えちゃったんです。ユーナ様、ぴょんぴょんって、宿舎の上に飛び上がって――」
「ずいぶんと身軽ね」
「それで、あたしすごく驚いて、そこにいた兵士さんも驚いて、一緒に塀の上に上がって外に出ちゃったユーナ様を見ていたんです。……そうしたら」
ヘイディは青い顔で言葉を詰まらせた。
門はゆっくりと開いていく。ヘイディに聞かなくとも直接見られそうだとみて、レイミはそちらに顔を向けた。
ユーナは森の入り口にいた。しゃがみ込んで、何かを手にして食べているように見えた。
――ヘイディはなんと言っていた?
「ちょっと待って……嘘でしょ」
ユーナは自分の足元に様々な種類の木の枝を並べているようだった。
それは全て皮を剥かれていた。その木の枝を、何故か交互に、あるいは連続してかじり続けているようだった。
ガリガリガリガリ。不気味な音が響き続ける。
ユーナはレイミたちの視線には気づきもしていないようだ。
異様な空気がその場に流れた。
あれが自分の店の客だと口にしたくなくて、レイミは固く口を閉ざして押し黙っていた。
ただ、ドラコの様子は気になってちらりと見やった。
あんな恐ろしい姿を見たら、普通は百年の恋も冷める。
ドラコはどうもユーナに対して好感を抱いていたようだけれど、これで彼もユーナに愛想が尽きるのではないだろうか?
けれど、レイミの予想は打ち砕かれた。
「ああ、フィールドワークの最中でしたか」
ドラコはなんてことのない様子で言ってのけた。
その口調から察するに、ユーナのこういった様子を見慣れているらしかった。
その上で、彼は微笑ましげに、むしろうっとりとした顔つきでユーナの姿を見守っていた。
レイミは頭をかきむしりたくなるほど混乱した。
(待って!? あれって魅力的なの!? わたしが女だからわからないだけなの!?)
一生懸命な姿がいい、というヤツなのだろうか?
レイミはどちらかというと余裕を持って仕事を終わらせるタイプである。
焦ったりドジをしたりするのは、頑張っているのではなく要領が悪いだけだと思っている。
要領が悪いのは、改善の努力をしないからだ。
そういった努力が足りない姿が評価されているのを見るのは腹立たしい。
だからレイミはヘイディを見ていると苛つくのだ――それはともかく、ユーナについてだ。
視線を走らせると、すぐにレイミと同じ思いを共有している男性を見つけた。
ドラコの横にいるイヴァールだ。彼は愕然とした顔でドラコとユーナを見比べている。
(おかしいわよね、イヴァールさん!? 今のユーナさん、うっとりした顔で眺めるような状態じゃないわよね!)
やがて、ユーナは一本の木の枝を選びとると立ち上がった。
ゆっくりとこちらを振り向く姿に、誰もがおののき身構えた。ドラコ以外は。
彼女は口いっぱいに木くずをつけながら、改心の笑顔で宣った。
「〈紙〉のレシピを見つけた!」
「おめでとうございます、ユーナ」
何かを見つけたらしいユーナを、ドラコだけは温かく祝福していた。




