居留民の夢
朝起きたばかりだったので、ユーナは七草粥ポーションを食べ終わると宿の井戸に水を汲みにいった。
家に一つ井戸があるのは宿を経営している強みであって、普通の家にはないらしい。
広場近くにある井戸を、みんなで共有して使っているのだそうである。ユーナは宿の客としての恩恵に浴して顔を洗い、拭ってから、コップに溜めて大切に保管している化粧水らしきもので顔を優しくパックした。
「肌が癒やされていく……」
そんな気がする。実際、アウリのスモールヒールポーションの失敗作である化粧水らしき液体を塗り始めてから、肌の状態が段違いによくなっている。
刻一刻と減っていく化粧水に怯え、ユーナは心のどこかでアウリのメイクが失敗すればいいのにと思っている。酷い師匠である。
乳液も、美容クリームも作ろうと思えば作れるのかもしれない。
だが、ゲームにおいてはそんなものを作るレシピは存在しなかった。
ユーナはメイク図鑑をコンプリートしている。メイク(料理)のレシピが五十種、メイク(薬)のレシピが五十種。全百種。
レシピが存在しない以上、メイクで作ることはできない。
「……ん?」
何か、妙な感覚がユーナの身体を駆け抜けた気がした。
けれどユーナはその感覚の出所を掴めなかった。
首を傾げつつも身繕いを済ませ、宿の食堂に行くとアウリの姿はおろか、ドラ子もいなくなってきた。
カウンターですっかり体調を取り戻したレイミが作業をしていたので、ユーナは彼女に尋ねた。
「ドラ子はどこにいるか知ってる?」
「どこかにお出かけになったようですよ」
レイミは軽く答えたが、ユーナは衝撃を受けた。
てっきり、目に付くところにいないだけで宿のどこかにいるものだと思っていたのである。
「えっ……ドラ子が、一人で……?」
「ええ、そうですけど。用でもあったんですか?」
ただ謝りたかっただけなので、用というほどのものではない。
しかしこれまでドラ子はたとえ用がなくともユーナの側にずっとくっつきつづけていた。
そんな彼がユーナに何も言わずに消えたのだから、ただ事ではない。
(これはもしかしたら……見捨てられたのでは……)
幸い近頃は町の人々との交友関係もできてきて、すぐさまひとりぼっちになるわけではない。
けれどドラ子はやはりユーナにとって別枠だった。いろいろな意味でだ。
青ざめたユーナは、忙しそうに作業を続けているレイミに恐る恐る尋ねた。
「ドラ子、荷物を全部持って出ていってたかな……?」
「いえ? 手ぶらでしたけど。喧嘩でもしたんですか?」
せわしなく働いていたレイミが、手を止めてユーナを見た。
気遣わしげな顔をしようとして失敗して、好奇心が目と緩んだ唇の端から漏れている。
そりゃあ他人事なら喧嘩は面白いだろうけどさあ、とユーナは嘆きながらも頷いた。
「帰ってきたら教えてくれる?」
「いいですよ。ユーナさんは今日はお部屋にいるご予定なんですか?」
何故かグサリとくるものを感じた。ユーナにはどうせ何の予定もないのである。
共に作業を進めていくはずだったアウリは家に帰してしまったし、ユーナ自身にできることはたかが知れている。
「う、うん……今後の計画を立てたりしないといけないからね……あ、書くものとかあったらもらえるかな?」
「え? 紙とかですか?」
若干楽しげな雰囲気を纏っていたレイミが乗り出していた身を引いた。
「宿に必要な分しか用意していないですけれど――買ってこさせましょうか? 代金さえいただければ」
「だ、代金?」
メモ帳くらいは宿で用意してくれるものだと思っていたユーナは目を白黒させた。
そんなユーナに構わず、レイミは話を進めた。
「……ヘイディ!」
「は、はい……何かご用ですか?」
厨房の方からやってきたのは、小麦色の髪の毛を三つ編みにした少女だった。
どう見ても、日本でなら就労していい年齢になっていない。
彼女はルルの花亭に奉公に出されている。
これまでユーナが彼女の存在を知らなかったのは、レイミの病気で奉公人に暇を出されていたからだ。
けれどなんとかレイミが持ち直したので、戻ってきてもらったのだという。もう一人、下働きをするおじさんが戻ってきている。
あらわれた少女ヘイディは、少しレイミが恐いようでおどおどとしている。
そんな彼女をレイミはつり上がりぎみの目で睨んだ。もしかしたら睨んでいないのかもしれないが、目がそういう形になっている。
ヘイディは気の弱そうな少女なので、レイミにそういう目つきを向けられるだけで恐いだろう。
「ちょっと買い物に行ってきてほしいんだけど、手は空いてるかしら?」
「だ、大丈夫、だと思います……! あの、お客さんがいつもより少ないので――」
「わたしのせいだって言いたいの?」
「そ、そんなつもりはないです! えっと、買い物行ってきます!」
「まだ何も言ってないのに何を買いに行くつもりよ! バカ!」
「ひゃっ、ごめんなさい!」
レイミはアウリとのやり取りを見ている限り、少し短気なところのある女の子だが根は優しいようである。
けれど、どうもおどおどとしているヘイディを前にするときつい物言いになってしまうらしい。
そんなレイミを前にすると、ヘイディは更におどおどするようだった。
悪循環を見て、ユーナはやんわり止めに入った。
「えっと、物を見てみたいから一緒に行ってもいいかな?」
「……ユーナさんがそれでいいのであれば。ヘイディ、きちんと案内しなさい」
「は、はい」
レイミは鼻で息をするとカウンターの中に戻った。ヘイディはすぐにでも出発したそうな目でユーナを見上げる。
ユーナとしてはお金がかかるのであれば今すぐ紙が欲しいわけでもなかったけれど、ヘイディは出かけたいらしいので、付き合ってあげることにした。
「じゃあ、私も外套を着てくるから、着込んでおいで」
「はい……ご案内しますので少しお待ちください!」
宿――というか、レイミと離れられて少し嬉しそうなヘイディに気づいたレイミが睨んできている。
それにヘイディが気づかないうちに、ユーナはさっさと着替えて宿を後にした。
彼らの複雑な人間関係には、この町の成り立ちが関係している。
「先に言っておくと、私1ルピスしか持ってないから」
だから、お店に連れていってもらっても買い物はできないよ、とユーナはヘイディに事前に伝えておくことにした。
この1ルピスは先日ドラ子から巻き上げた彼の全財産だった。
巻き上げたというより、ドラ子が自らユーナに渡してくれたのだけれど。
(これが手切れ金になるとはあの時の私は思いもしていないのであった……みたいな)
金色に輝く小さな硬貨には、小さな花が刻印されている。
それをスカートのプリーツの間にあるポケットから取り出して眺めながらユーナは溜め息を吐いた。
「ルピスがあれば、紙は買えると思いますよ?」
先導するヘイディは小首を傾げながら言う。
「1ルピス金貨で、えっと、10シル銀貨の価値があるので」
「うん? あれ? ルピスって……もしかして高額紙幣なの!?」
「しへい、ですか?」
「あ、紙じゃないわ……だけど、えーと、エインっていう通貨もあったよね?」
「1000エイン銅貨で、1ルピスです」
「……5エインくらいで串焼き肉を食べた記憶があるんだけど」
「はい。買えそうですね?」
ユーナの質問の意図を特に読まずに、ただヘイディはにこにこしながら教えてくれた。
自分が握りしめた金貨の価値を知ったユーナは自己嫌悪で吐きそうだった。
(これ……はした金とかじゃなくて結構な金額なんだ……そんな全財産をぽいっとくれたドラ子に私は一体何をしてるの……)
そもそもドラ子がユーナに全財産をためらいなく渡す理由にこそ、ユーナは引っかかっている。
しかしどんな理由にせよ、ユーナのためにそこまでしてくれる人に対して取るべき相応の態度というものがあるだろう。
「ユーナ様? どうしました?」
「あ、様はいいよ」
「いえ! ユーナ様は、お客様です。それにすごい学者様だって聞いてます!」
「お、おお……ラウラさんかマルックさんの仕業だね?」
「はい! お二人に聞きました!」
大仰な評価に頭を抱えるユーナを気にせず、ヘイディは無邪気に元気に頷いた。
「大袈裟だなあ」
「東南地区に住んでるようなあたしたちにも親切にしてくれるレイミさんを助けてくれたんですよね? あたしにとっても、ユーナ様は恩人です!」
「東南地区って……あー、あっちか」
「はい。あちらです」
ヘイディは苦笑しながら頷いた。東南地区は治安の悪い貧民街だ。
東南地区は、アウリとクスタヴィも暮らしている。けれど、二人の暮らす長屋は比較的表層に位置していて、安全な方だ。
奥に繋がる細い路地は昼間に覗き込んだだけでも薄ら寒い感じがして、ユーナは足を踏み入れたことがない。
「あたしは、居留民ですから。他の場所には住めないので」
居留民というのは、この町において市民権はないものの、町で暮らす許可を与えられている人々のことである。
この町は十字に走る大きな道によって四つの地区に分けられており、町においての権力構造も大体四段階に分けられる。
頂点に位置するのは聖職者と商業ギルドを初めとするギルド組合。
残念なことに、どちらもユーナにとって敵勢力と言ってよかった。
前者は祀っているのが邪神だ。後者は関わり合い方次第では味方になってくれるかもしれなかったが、ユーナはこの世界に来て初日に敵に回している。
町を新しく作る際に支援されなかった代わりに自治を許されているらしく、この町には貴族がいない。
次に位置するのは市民権を持つ市民たち。
大抵はギルドに所属する組合員である。ルルの花亭も宿屋ギルドなる組合に入っているそうだ。
次が意外にも町の外から来る旅人だ。
町の流通を担う行商人や、町周辺の治安を担う冒険者などの一時滞在者は歓迎されている。
彼ら――特に腕のいい冒険者に滞在してもらうために、宿屋ギルドは他の町に負けないよう知恵を絞るのだという。
モンスターが跋扈するこの世界ならではの観点だ。
最後が居留民。
町に暮らし、仕事をする許可は得ているものの、市民権を持たないため町の運営に携われないし、自分で店を持つなどすることはできない。
番外で、不法滞在者という存在がいる。
これは完全な底辺なのだが、つまりはユーナのことである。
何やら三番目の地位に属しながらも、その中でもかなり優良な立場にいるらしドラ子のパーティだからということで、特別に滞在が許されている。
一応ユーナも三番目の地位だということにしてもいいのかもしれない。
けれど、ユーナが真実三番目の一時滞在者として認められるためには、この世界で十歳になる年に教会からもらえるという身分証がいる。
それを元に入町証明書を書いてもらうらしいのだが、そんなもの、ユーナは持っていない。
「実際に助けたのはアウリだけどね」
「アウリさんも恩人です。けれど、アウリさんだけじゃどうにもならなかったって、ラウラさんもマルックさんも言ってました!」
アウリが科学者ギルドではどうにもならなかったことをよく知っている彼の知人は、ユーナの功績を殊の外評価しているらしかった。
「ルルの花亭の皆さんは、あたしたちみたいな居留民にも優しい、とても素晴らしいひとたちです」
「レイミさん、優しいかな……?」
「優しいですよ! ちょっと、恐いこともあるけど……でも、ちゃんとお給金はくださるし、殴らないし……」
てっきりヘイディはレイミが恐くて宿を出たそうにしているのだと思っていたユーナは、予想外の反応に驚いた。
彼女はレイミを肯定的に感じているらしい。
ならばどうして出かけたそうな目をしてユーナを見上げていたのだろう?
「オード様が見ていてくださって、ユーナ様を遣わしてくれたから、レイミさんも助かったんですよね。レイミさんたちが市民だからって偉ぶらない、いい人たちだからですよね!」
ルルの花亭の人々は市民権を持っている。
アウリとクスタヴィも、東南地区に暮らしてはいるけれど、市民権は持っているという。
両親を亡くして収入が激減したため、税金を安くするために東南地区に移り住んでいるだけなのだそうだ。
それは彼らがウッズの町ができる時に移り住んできた人々の子孫だからなのだ。
モンスターのいる森を切り開いて町を作るという、最も危険を冒した人々に権利が与えられているのはある意味納得のいく采配ではある。
ヘイディの家は、比較的最近に移り住んで来たために、諸々の権利を与えられていなかった。
「ユーナ様とオード様に、あたしも心からの感謝をささげなきゃ」
それでも信仰を糧に、彼女たちは生きている。
まだ幼いヘイディの胸は希望に満ちているようで、明るい未来が次から次へと小さい唇から紡がれていく。
「ユーナ様に教えてもらえばアウリさんは素晴らしい科学者になって、いつか完全回復薬を作れるようになって、あの足も治せるようになりますよね?」
「……完全回復薬があれば欠損が治るの?」
「あれ? 違うんですか?」
「――わからない。私は完全回復薬を飲む人を、実際に見たことがないから」
ヘイディはちょっと残念そうな顔をしたけれど、すぐに表情を変えて言う。
「来年の春になったら、あたしも教会で職業を見てもらうんです。もしあたしの職業も科学者だったら、アウリさんみたいに弟子にしてくれませんか?」
「え? ああ……いいよ」
「やったあ!」
ヘイディは飛び跳ねて喜びをあらわにした。
どうやら、彼女はユーナにこれを頼むために二人きりになりたかったようだった。
「もしちゃんとした科学者になれたら! 市民権を買うお金がすぐにたまります! 市民権を買わなくても、きっともらえます! すごい! やったあ!」
ユーナは気軽に弟子の受け入れをしたけれど、ヘイディにとっては一世一代のことだったらしい。
ユーナに師事することによって得られるだろうと彼女が予想しているものは、生涯にわたる権利だった。
とんでもなく高度な期待をされている気がして、ユーナは即座に彼女の喜びに水を差した。
「そんな大したことはできないからね?」
「いいんです! アウリさんが教えてもらったようなことを教えてもらえるなら! ポーションを作れるだけですごいことだもん!」
「アウリが作ってるのはポーションじゃなくてスモールヒールポーションだけど」
「どっちでも同じじゃないですか? だって体力が回復するんですから!」
ユーナの冷静な突っ込みにもヘイディの興奮は収まらなかった。
彼女をぬか喜びさせてしまったかもしれず気が咎めたが、それ以上にユーナが気になったのは、彼女の指摘だ。
ポーションとスモールヒールポーションは、確かに同じようなものなのかもしれない。
回復量、後はクーリングタイムも若干違う。
数秒だが、ボス戦などにおいては命取りになる誤差ではある。
しかし町の中において使うのであれば、大した誤差ではないだろう。
――等級によってもし決定的な違いがあるとすれば、それは欠損回復の有無なのかもしれない。
(完全HP回復薬……エクスポーションがあれば、アウリの足は治るの? まさか生えるの??)
だとしたら、なんとかして取り寄せたかった。
けれど、そんなものが現実にあるのなら、王侯貴族や大金持ちは独占しようとするだろう。
ゲームでだって、店では売られていなかった。非売品なのだ。
(インベントリには何十個か入っていたはずなのに……倉庫にも)
しかし、今はどちらもユーナから遠いところにある。
もはや風化し、存在すらしていない可能性が高い。
「ドラゴンを倒すとか、無理だしな……」
「材料に、ドラゴンの素材がいるんですか……?」
「うん? いや、完全回復系の薬はレシピが存在しないから、材料はわからないよ」
「ふうん、そうなんですね」
ただ、かつてゲームの中にあった【竜の巣】にて、出現するレアモンスター、ブルードラゴンを倒すと稀にエクスポーションがドロップした。
故にユーナたちは彼をエクスさんと慕って、たまにエクスポーションをもらいにいったものだ。
けれど現実となったこの世界で竜退治をしようとは思えない。
「かっがくしゃ~になりたいな~♪」
ユーナがかつてのゲームを懐かしんでいると、ヘイディが音のはずれた歌を歌い出した。
ヘイディは来年十歳になるらしい。教会で職業を見てもらうという年だ。
今はまだ自分の職業も知らず、夢と希望に満ちあふれている――けれどどうも、この世界では判明した職業によって悲喜こもごもがありそうだ。
ゲームと違い、この世界に生きる人々は好きな職業が選べない。
彼女が科学者になりたいと願うということは、他に何か、なりたくない外れ職業でもあるのだろう。
彼女の笑顔が曇ることのないよう、ユーナは祈ることしかできなかった。




