七草粥ポーション
「師匠、おれはしばらく魔法薬を作らない方がいいと思うんです」
「えっ、なんで?」
年始である剣の月の初め一ヶ月ほどは休暇期間なのだと、ユーナはドラ子に聞いていた。
冬を斬り殺して春を連れてきた剣に休息を与える――剣の月と呼ばれる所以であるエピソードによせてみんなが休暇を取るという説明に、ユーナは非常な感銘を受けた。
みんなが休んでいるので、町の機能はほぼ全て停止するというのだ。この素晴らしい風習は是非ともユーナの故郷でも流行らせるべきである。
だから、このひと月の休暇を終えるまでは、アウリのことはそっとしておくつもりだった。
来月になったらアウリにたくさん魔法薬を作らせて、売りまくって稼ぎまくろう、そう考えていた矢先のことだった。
宿で相変わらず暖炉前の席を独占するユーナを訪れて、彼はそう宣った。
「なんで!? どうしちゃったのアウリ? もしかして、レイミを助けたからもう科学者でいたくなくなった!?」
その可能性は大いにある、とユーナが思ったのは、科学者ギルドでのことが頭をよぎったからだ。
「確かに、科学者には嫌な思いでしかないのかもしれない。明らかにアウリは詐欺られていたしカモられていたもんね!? でもね、科学者にだっていい人がきっといると思うよ!?」
「何をそんなに必死になっているんですか」
「わ、私はアウリが魔法薬を売って稼いだお金から情報料をいただきたい……」
ユーナは薄汚い欲望を素直に吐露した。
アウリがとても良い子で優しい子だとわかっているからできたことだ。
アウリは若干引いた顔をしていたが、特にユーナを蔑むことなく頷いた。
「……そんなに切実なんですか? わかりました。なら、師匠が売る分だけは作るようにしますし、やっぱりおれにはその販売したお金を分けていただかなくて結構です」
「なんで!? 意味がわからない!!!!」
「師匠がそんなんだからですよ」
全くもって意味がわからない……どういうこと? とユーナはドラ子を見上げたが、彼は彼で考える気すらなさそうな顔で小首を傾げている。顔がいいから許せる所作だ。
AIで動くミニフレに聞いても仕方ないか、と思うくらいの無益さを感じながら、ユーナはアウリに向き直った。
「師匠、おれは多分、普通の科学者なら経ないような道を歩いて、魔法薬を作れるようになりました」
「そうかな……?」
「なんで疑問系なんですか? 普通、ぱわーれべりんぐ、なんてしないですよね」
そうかなあ、とユーナが首を傾げてしまうのは、間違いなくゲームの影響である。
けれど現実的に考えたら、普通の人はモンスターとの戦闘なんてものは、できうる限り避けるものだろう。
それでレベルが上がるとはっきりわかっているのであればともかく。
数字がはっきりとはわからない世界だ。
いや? 数字で出てもできない人はたくさんいるのかもしれない。
筋トレすれば筋肉量があがるとわかっていてもできないようなものだろうか。
「おれはきっと、本当なら歩むべき階段を無視して、乗り越えるべき壁をドラコ様や師匠に壊してもらって、おんぶに抱っこで、一足飛びにここまで来てしまいました」
「そうかなあ……」
「レイミのことがあったから、おれは急がなくちゃいけなかった。だから一気に連れてきてもらって、とても助かりました。だけど、本当に成長するためにはこれではいけないはずです」
アウリは、自分がチートじみた方法で成長したことをよしとしていないらしい。
本当の意味できちんと、回り道をしてでも、己の力で着実にレベルアップしたいのだと言っているのだ。
ユーナは目眩を覚えた。こんなに目の眩む生き物を見たのは久しぶりだった。
「なんなの? 聖人なの? 眩しすぎて直視できない」
「ふざけないでくださいよ、師匠」
「ふざけてなんていないからね? 私は真剣にこの世の悪人どもにアウリの爪の垢を煎じて飲ませる計画を立てているからね」
「変な冗談はやめてください」
アウリは大人びた苦笑を浮かべて言った。
「おれはきっと、モンスターを倒して力をつけていくうちに思い浮かんだ、フルーツキャンディーとか、アップルパイとか、他にも食材を見るたびに色々思い浮かぶ、そういうものをまず作るべきだと思うんです。それから次の段階である、魔法薬に手を付けるべきなのだと思っています」
「真面目かな……」
「でも師匠なら、〈メイク(料理)〉のレシピも知っているんですよね?」
「それはまあ」
図鑑はコンプリートするものである。
アウリの真面目な理由とは全然違うのだけれども、ユーナの知識が欠けていないのを知って、アウリはまるで我がことのように得意げだった。
「流石は師匠。今後はあっさりレシピを教えたりしないで、もっと厳しくご指導のほど、よろしくお願いします」
弟子にもっと厳しく指導しろと窘められる師匠はこの世にユーナくらいかもしれない。
(試験問題でも出せばいいのかな??)
アウリは片足のまま器用に頭を下げると、手に提げていた風呂敷包みを困惑するユーナに渡した。
レベルが上がったことによってステータスが強化されているアウリは、杖をつきつつも荷物を運べるくらいに回復していた。
「あまり良い物が用意できなくて、申し訳ないんですけど――よければ食べてください」
「食べ物なんだね」
なんだろうと首を傾げつつユーナが包みを開いて見ると、小さな鍋が入っていた。
ふたをあけると、ふわりと湯気があがった。作りたてを持ってきてくれたらしい。
白い粥に浮かぶ濃い緑の草――今の時節とも相まって、それはユーナの知る風物の料理のように見えた。
「七草粥、でしたよね」
「……そういえば、話したっけ」
「はい。師匠のいたところでは食べていたんですよね? ラウラおばさんに聞いたら、特に師匠に何も言われてないって聞いて、作ってみたんです。七種類の薬草を使ってるんですよ。これを集めるのにけっこう苦労し――って、師匠!?」
ユーナは、アウリの作ってくれた七草粥を前にして、気づいたら泣いていた。
元の世界が懐かしいわけでも、戻りたいわけでもない。
そんなことは絶対にありえないのに、何故か出てきてしまったのだ。
「元いた場所を懐かしんでおいでですか?」
「違う!」
「そうであればよろしいのですがね……」
そう口にするドラ子の視線は冷たかった。
本当は帰りたいのだろう、それが正しいと思っているのだろうとドラ子は決めつけていた。
それはずっとユーナをさいなんでいる不安そのものだった。
レイミが助かったことで、少しは不安がなくなったと思っていたのに、それをドラ子が掘り返した。
ユーナが思わずドラ子を睨むと、ドラ子は失言を悟った様子で青くなった。
「申し訳ありません。――ユーナ、私はただ貴女にどこへも行ってほしくないだけです」
「……そうなんだろうね」
「ユーナ? わかっていただけましたか? 貴女を責めるつもりなどなかった」
「知らないよ、うるさいな」
ユーナはアウリが作ってくれた七草粥の鍋を持って立ち上がった。
「どこへ行かれるのですか!?」
「七草粥を食べるだけだよ! ついて来ないで!」
ドラ子はまるで凍り付いたようにその場で固まった。
まるでゲームで〈ステイ〉と指示を出されたミニフレのようだった。
――ユーナの周りにあるものの中で、一番ゲームの名残が濃いのは、このドラ子という存在そのものだ。
「……ありがとうね、アウリ。いただくよ」
「あ、はい……」
「今後のことは、またそのうち話そう」
それだけ言って、ユーナは部屋に逃げていった。
部屋の扉を閉めた後に青ざめた顔をしていたドラ子に悪いと思っても、後の祭りだった。
(ドラ子のことは大事に思ってるのに……だって、この世界で唯一私のことを知ってくれている人なんだから)
けれど同時に、ユーナは気づいてしまった。
ドラ子こそ、この世界が現実なのかわからなくさせる、ゲーム的要素そのものなのだと。
「あんな人、ゲームでもなければ私の側にいるはずがないんだよなあ……」
ユーナの行くところ、どこへでもドラ子が付いてくる。
ユーナが待てと言えば待つ。ステイと命令されたかのように。
ユーナがこれを持ってきてと言えば持ってくる。
――AIは、ゲームの時より発達しているらしかった。
そう思えてしまう。
それぐらいドラ子という存在も、その行動も、ユーナにかけている思いすらも、まるで非現実のものとしか思えなかった。
(ドラ子といるとこの世界が現実じゃないんじゃないかって不安になるなんて……言えないよ)
ドラ子が間違いなくユーナを大切に思ってくれているからこそ。
その根拠が、世界がゲームであった時のものであるというのが不気味に感じられてしまうのだ。
けれどドラ子にとっては全く青天の霹靂だろう。
ユーナは、自分が酷いことを考えている自覚はちゃんとある。
それでいて、ドラ子にどこかに行ってほしいわけでもないのだ。
これからも一緒にいてほしい。流石に一人異世界は不安だった。自分勝手な話だった。
「あ……お粥またスモールヒールポーションになってる……美味しいなこれ」
ボロボロ涙が溢れたせいで腫れた目が一瞬にして癒えて、鼻水も止まった。
特に薄緑色になっているわけでも、マスカット的な味になっているわけでもない。
薬草の風味に少し塩がきいただけの、優しい味が五臓六腑に染み渡って、ユーナはまた泣きたくなった。
「後でドラ子に謝ろう……許してくれるかな」
酷い言葉を投げつけておいて、ユーナは見捨てられてしまったらどうしようという身勝手な不安を抱かずにはいられなかった。




