新年
いよいよ、本格的にこの世界に来た理由を探さなくてはならない。
さもなくば、理由もわからず元の世界に戻されてしまう可能性もあるからだ。
朝ベッドの上に身体を起こし、今日もルルーフィアの世界にいることに心底安堵しながらユーナは思う。
冷たい空気を暖炉の火がなんとか温めてくれる食堂で、今日は宿の主人とその客人が一堂に会していた。
今日はこの世界の、新年。
元の世界では何月何日になるかなんて、ユーナには早わからなくなっていた。
「みんな揃ったようだね」
マルックが満足げに微笑みを浮かべて食卓を見渡す。
幸福そうな笑顔だった。
この世界にはユーナが知るゲームの名残がある。
ゲームの名は、ファンタジー・オブ・ルルーフィア。ルルーフィアの幻想と呼ばれている。
今ここに、ゲームではなく現実としてこの世界は存在している。
ユーナをこの世界につれてきた存在がいるとしたら、主な要因は恐らく二者択一だ。
女神ルルーフィア。あるいは、邪神オード。
間違いなくどちらかが関係してはいるはずだ。
何しろ、人は普通、世界を越えることなんてできないからだ。
女神か邪神か、どちらかの意志によるものか、あるいは人によってそのエネルギーを利用されたのかはわからないが、ユーナをここに引き寄せたのはどちらかの力によるのはほぼ間違いないだろう。
二柱の神の意志ではないとしたら、誰の意志か?
ここでユーナが選ばれていることから、考えられるとしたらユーナのミニフレが原因という可能性は高い。
けれど、ドラ子はユーナがこの世界に来たことを喜びながらも原因を把握してはいないようだ。
(他の人は来てないのかな……?)
ユーナのミニフレが原因ではないとしたら、その可能性は大いにある。
そしてユーナだけが特別なのだと言われるより納得感もある。
この世界に来た方法を探しながら、同時にユーナと同じく身元不詳の人物についても探してみようとユーナは心にメモした。
ユーナはたまたま元の世界に未練がなかったからいいものの、元の世界に家族や恋人を残している人は大変そうだ。
もしも元の世界に帰る方法がわかったら、そういう人には方法を教えてあげたかった。ユーナは帰らないけれど。
元の世界に大切な人を残していたら――きっとユーナも、こういう新年の祝いの席で寂しい気持ちを抱いたりしているのだと思う。
ユーナが残してきたものは何もないので、実際のところ全然寂しくないけれど。
「家族が誰ひとり欠けることなく新しい剣の月を迎えることができたのは、ひとえにオード様が見守ってくださっていたおかげです。オード様に心からの感謝を捧げます」
「オード様に心からの感謝を捧げます」
マルックの言葉に続いてみんなが唱和する。ユーナは申し訳なくも口パクしていた。
ゲームでの設定でしかないけれど、ユーナは女神の旅人だ。
一応、女神ルルーフィア側の人間だと自分では思っている。
ゲーム内でもオードとは敵対していたし、なんとなく祈るのは恐かった。
うっかりオードに祈って、女神の加護を失ったりして、それで元の世界に戻されたりしては困るのだ。
できたら弟子のアウリぐらいには邪神への祈りをやめさせたかったが、席が遠いので今は諦めざるを得ない。
ドラ子は無表情に無言を貫いてくれている。
ドラ子が祈らない分には、誰も気にはならないらしい。
この世界では、新しい年が始まってからの三ヶ月ほどを、剣の月と言うらしい。
由来は今度ドラ子に聞くことにする。
平民は家族水入らずで過ごすのが普通だという。
町は完全に閉ざされ、新年の初めの日である今日には門番すらも休むという。
だから今日町を訪れる人がいたとしても、誰も訪問に気づかないこともあるらしい。全国民の完全な休みだ。
これを聞いた時、元社畜のユーナは失神するかと思った。この世界はやはり理想郷だった。
そういうわけで、門番であるクスタヴィも休みである。
マルックとラウラ、そしてレイミは客人を招待していた。
本当に親しい友人や親戚などでなければそういうことはしない。
だが彼らはルルの花亭の家族にとって特別だった。
ユーナとドラ子、そしてアウリとクスタヴィの四人である。
「わたしのために、ここにいる皆さんが、たくさん骨を折ってくださったと聞きました。本当に、ありがとうございます」
すっかり元気になったレイミが頭を下げる。
温かい雰囲気の中、スピ病から回復したレイミが食事の前にみんなに伝えたいことがあるとのことで、誰もが耳を傾けていた。ドラ子はどうだかわからないけれど。
ご馳走をいっぱいに並べた机を囲んで、新年のささやかな宴は滞りなくすすんでいく。
そのご馳走というのは、ユーナがその言葉を聞いて想像するようなものではない。
普段食べているものよりずっと豪華ではある。いつもなら、冬だというのもあってくせのある麦粥やカチカチのパン、僅かにしなびた葉野菜や、豆のみのスープなどがほとんどだ。
それと比べるとご馳走だ。この冬の間一度も見たことがなかった肉料理も並んでいる。
ユーナ的には、久しぶりのまともな食事といった感覚だった。
これまでの料理については、無一文のニートである己に相応しい食事だったと思っている。
お金を稼げるようになった暁にはもっと美味しいものを食べたいと思っているのはユーナの秘密だ。
貧しい暮らしをしているらしいアウリとクスタヴィにとっては間違いなくご馳走らしく、先程から食い入るような目で食卓を見つめていた。
アウリに至っては今後は大金持ちになれるだろうに、今はあまりその自覚がないようだ。
特に豚か猪らしきブロック肉を煮込んだらしい、肉汁と脂の溢れる煮込み料理に目が釘付けだった。
けれどアウリは、レイミが話しを始めてからは顔をあげている。
レイミは少しつり目がちの可愛らしい少女である。
ユーナが出会った当初はもう少しふっくらしていた頬は、病気のせいで肉がそげ落ちていた。
でも、それが明るい目をした彼女を大人びてみせ、魅力のひとつになっている。
彼女はその目を潤ませて、自分の向かい側に座る少年を見つめ、声を涙で濁らせた。
「……アウリは、足までなくして」
「別に、お前のためじゃねーし」
アウリは言うが、バレバレの嘘である。
思春期の少年の照れ隠しに、レイミは目を潤ませながら優しく微笑んだ。
「そうなの、わたしのためじゃないのね」
「……お前の病気が治って、よかったとは思ってる」
「ありがとう、アウリ」
「~~~~っ、なんだよ! 調子狂うな! いつもみたいにギャーギャー言ってろよ!」
レイミは常ならツンデレ気味の少女らしい。
しかし死の淵から回復した彼女は、それが一体だれのお陰なのかを知っている。
アウリに何を言われても幸福そうに笑っているレイミに、アウリは調子を崩しっぱなしだ。
隣に座る兄クスタヴィに、にやにやした顔をしながら肘で小突かれて、アウリは顔を真っ赤にしていた。
「そして……ユーナさん、ドラコ様。この度はお助けいただき本当にありがとうございます。ユーナさんに助けられるのは、ギルドの馬車と、病気とで、二回目ですね」
「あっ、私のこと覚えててくれたんだ」
「あの後、あなたがどうなったのか、ずっと気になっていましたから……まさか、うちの宿にいらっしゃるとは思わなかったけれど」
お邪魔してます、とユーナが軽く片手を振ってみせると、レイミは戸惑い気味に微笑んだ。
少女が対応に困っている。ユーナは謹んで沈黙した。
「わたしの命が助かったのは、ひとえに、ここにいる皆さんのおかげです。そして、父さんにも母さんにも、皆さんにも、たくさんの迷惑をかけました。あまりにもたくさんすぎて、ここで一度謝るだけでも、感謝するだけでも足りないと思っています。これから少しずつお返しさせていただければと思います」
「いい子だねえレイミちゃん! うちの弟が科学者として独り立ちしたらよろしくな!」
「うるさいなあ兄ちゃんは!!!」
クスタヴィとアウリのやりとりにくすりと笑って、レイミは果実酒の杯を取った。
「ここにある料理は、大したものではないけれどほとんどわたしが作らせてもらいました。少しでもわたしの感謝の気持ちが伝われば嬉しいです。皆さんの舌にあうよう願っています。どうぞ、杯を取ってください」
ユーナも杯を手に取った。祝いの席で出される特別なお酒なのだそうだ。
あたりまえのように子どものアウリの席にも置かれていたけれど、ユーナは気にしなかった。
こうした小さな驚きが、異世界に来た醍醐味だろう。
「それではまた、皆さんと新しい年を迎えられたことを祝って、乾杯!」
「乾杯!」
今度はユーナも、みんなと一緒に唱和することができた。
「嫌なことの全てから逃げ延びて、どうにか幸せにスローライフが遅れますように……」
レイミはユーナの言葉にぎょっとした。
新年の教会前の広場は人でごった返している。
誰もが教会の中に入れてもらえるわけではないので、大抵の人は遠目に教会に黙礼して祈りを捧げることになる。喜捨をするのであれば、もう少し近づくことが許される。余裕のない者たちは帰っていく。
そんな人々を見て何を考えたのか、隣で願い事をし出したユーナを見て、レイミは羞恥心で顔から火が出るかと思った
周囲からは失笑が漏れていた。レイミはできることならユーナと他人のふりをしたかった。
けれど、レイミにはユーナに親切にしなければならない理由が多すぎた。
「ユーナさん! ここはそんなことを祈る場ではないですよ!」
「えっ、そうなの?」
そうに決まっているでしょう! とレイミは叫びたかったが我慢した。
彼女はこう見えて、レイミの恩人なのだ。
初めに彼女の姿を見た時には、救世主かと思った。
スピ病を発症して道に倒れ動けなくなっていたレイミを、誰もが避けて通り、助けようとしてくれなかった。
そんな時、ふらりと近づいてきてくれたのはユーナだけだったのだ。
(ギルドの馬車が近づいてきていたのに、ぼうっとしていたこの人の顔を見た時には苛々したけど……)
どういうわけかギルドの馬車が横転してくれたおかげで、レイミたちは轢かれずに済んだ。
あの時のことを思い出すとレイミは冷や汗が出てくる。
きっとユーナはあれがギルドの馬車だとわからなかったのだ。
ギルドもないような田舎の出身なのだろう。
そういう田舎の辺鄙な村から来たような人たちは、ウッズの町のオード教会の壮麗な佇まいを見ると勘違いすることがある。
ユーナも同じ間違いを犯していた。おのぼりさんに違いない。
だからこそ、レイミを助けてくれたのだろうと思うと邪険にもしづらい。
記憶はおぼろげだけれど、馬車が近づいてきた時、彼女が身を呈して庇おうとしてくれたような気もする。
両親の話によると、ユーナはレイミのせいで、スピ病に一度伝染してしまってもいるらしい。
幸い、ユーナはこの年齢にもかかわらず軽くかかっただけですぐに治ったという話だけれど――とにかく、レイミはユーナに対して親切にする理由がたくさんある。
子どもでも知っているような知識が欠けている変な人だとしても、優しく教えてやる義務があるのだ。
「ユーナさん、今日は新しい年の始まりなんですよ? 今日という日を迎えられたことを、オード様に感謝する日なんですから、お願い事をするなんて失礼ですよ!」
「あっ……そうなんだ」
「ユーナさんのいたところは違ったんですか?」
「うん、お願い事をしていたね」
これだから田舎は、と顔に出ないようにレイミはなんとか堪えた。どこの野蛮な風習なのだろうか?
ユーナは身ぎれいではあるから、その田舎では大切にされていたお嬢さんなのだろう。
それにしては年齢がいっているけれど。嫁ぎ遅れたのかもしれない。
「わたしたちが教会に来たのは、オード様への感謝の進物をするためなんですよ」
「お賽銭的なこと?」
「ええ、そうですね。そういうことです」
「……私、無一文なんだけれど」
それで、どうやってレイミの家の宿に泊まっているのだろう?
レイミは嫌な予感を覚えた。
人のいい両親に任せておけず、レイミは早くから宿の切り盛りを一手に引き受けてきた。
そんなレイミがいない間に、両親は何をしているのだろう?
まさかユーナをただで泊めているのだろうか?
一緒に並ぶ両親を見やったが、いつも通り人の良さそうな笑顔を浮かべていた。
たとえそうだとしても、やはりレイミにはそれを責める権利はない。
「……寄付金を持ってきていないのなら、この列に並んでいても仕方ないかもしれませんね」
「そうかな。それじゃ帰ろうか、ドラ子?」
「ユーナのご随意に」
レイミはさりげなくユーナを追い払おうとした。
このままここに並んでいて、寄付金の無心をされたら嫌だと思ったのだ。されるとしても、少額で済ましてしまいたい。
だが、ユーナはあっさり帰ることを選んだ。レイミはまた驚いてしまった。
ユーナには、教会で祈るという新年の儀式をあまり重要視していないらしい。
そのまま、人混みをかき分けてユーナはさっさと行ってしまった。
オードへの謝罪も、黙礼もしないで行ってしまったのだ。あんなに不真面目な人だとは思わなかった。
レイミは自分を助けた人物の本性を知って更に落胆した。
しかしそれ以上にレイミが驚いたのは、ドラコがユーナに付いて帰ってしまったことだ。
何より教会を大事にするのが長命種だ。長命種なら教会の中まで入り、新年に行う儀式の秘技に触れられるだろう。それなのに、彼は教会に挨拶すらしに行かなかった。
しかも彼は、ユーナに対して終始敬語だ。どういう関係なのかさっぱりわからない。
ドラコは脅されているのではないだろうか?
そんな考えがレイミの頭から離れないのだが、ユーナに疑いをかけられる立場ではない。
アウリに、恩知らずと思われたくはなかった。その時、アウリがユーナについてぼそりと零した。
「師匠は変わってるよな」
「アウリ、あの人って大丈夫なの? 常識がちょっと……欠けているみたいだわ」
レイミは努力して言葉を濁して濁して、ちょっとと付けた。
意外にもアウリは同意して頷いた。
「常識はないよ、本当におかしな人だから」
「どこから来た人なの? 仕事は何をしているのか知ってる?」
「さあ……」
「聞いてないの? あんた弟子を名乗っているじゃない!」
どういうわけか、アウリはユーナに弟子入りしていた。
アウリがそうしたのはレイミのためだと聞いている。
そのこと事態は嬉しくないわけではないが、ユーナからアウリが何を学ぶのか、レイミには想像がつかなかった。
「科学者じゃないんでしょ? ユーナさんって」
「学者だよ。すごい人だよ。あの人のおかげで魔法薬が作れるようになった」
「そう……流石はアウリね」
アウリは昔から頭がよく真面目だった。他の男の子たちとは一線を画していた。
今は上手くいかなくとも、いずれは成功するとレイミは信じていた。
だから、アウリが魔法薬を作れるようになったのは、誰かのお陰ではなくアウリ自身の力によるものなのではないかと思っている。
アウリは真面目だから、ユーナからちょっとした助言を受けて、それを恩に着て師匠だなんて呼んでいるのではないだろうか?
レイミはそう疑っている。
「なんでもいいけど、あたしが復帰したからには、宿帳はちゃんと付けさせてもらわないと困るわ。身分証を見せてもらわないと」
もしもユーナが今後何か問題を起こしてしまったとしたら、ユーナを泊めていた宿も責任を問われることになるのだ。
年始の休暇を終えたら、兵士長のイヴァールに相談に行こうとレイミは心に決めた。
あの人は親切な人だし、有能でそれなりの地位についている。
相談してみて、万が一妙な噂があるようなら、アウリとの師弟関係についてもどうにか解消させなければならない。
「なあレイミ――あの人は常識外れなんだから、見た目に騙されるなよ」
「騙されないわよ。わたしは父さんや母さんとは違うんだから」
「そうじゃない。本当に気をつけろ。……あの人は自分がどれだけすごい人かわかってないから、すごいのに、あたりまえみたいな顔をしているから、レイミみたいなやつは騙されるんだ」
「わたしが騙されるはずないじゃない! 何よいつもいつも! すごいすごい師匠はすごいって、馬鹿の一つ覚えみたいに! わたしが寝込んでる間にあんたはあの年増女が好きになったわけ!?」
「とし――っ!? それ、絶対に帰ってから言うなよ!?」
「あっちを庇うのね! わたしじゃなく! どうせわたしのこと、恩知らずだと思ってるんでしょう!」
「そうじゃなくて――おい、待てよ!」
レイミはアウリも両親も置いて更に前にすすんでいき、人混みにまぎれてやった。
やってしまった後で、片足のアウリを置いてきたのは酷いことをしてしまったかもしれないと罪悪感にさいなまれた。
きっと優しい両親がアウリを見てくれている。
けれど、本当なら自分が支えてあげるはずだったのだ。
「でも……何よ、何よ!」
目を覚ましてみたら、がらりと環境が変わっていた。
レイミが伝染病を患っているから、常連たちを遠ざけたというのは、いい。
今後の評判のためにも、両親にしては悪くない判断だったと思っている。
けれど、アウリは片足をなくしている上に、師匠師匠とうるさかった。
長命種のドラコが宿に泊まってくれているのはとても光栄だと思えたけれど、よくわからない女もくっついてきている。
その女こそがレイミの一番の命の恩人なのだと、みんなが口を揃えて言う。
「あんなぼーっとした女が、何よ!」
口に出してしまった後で、レイミはまた後悔した。
ユーナが動けないレイミを庇い、抱えて、家まで連れて帰ってきてくれたことはなんとなく覚えているのだ。
自分だってスピ病にかかる危険性があり、実際にかかりもしてしまったのに。
(……鈍くてわたしがスピ病だったなんて、気づかなかったのかもしれないわ)
心の中で意地悪な考えが頭をもたげ、レイミは頭を振ってその考えを追い出そうとした。
他の全てについて、アウリたちが大袈裟に言っているだけだとしても、レイミ自身が覚えていることだけでも、十分に恩に着るべきだった。
それなのに、レイミはアウリがきらきらと輝く目をしてユーナを見るのが嫌で嫌でたまらなかった。




