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スピ病治癒

 信じてもどうにもならないことがある。

 神様だって困るだろう。たとえば質量100しか入らない入れ物に150入ると信じられても……。


 緑色の液体ことスモールヒールポーション。

 飲んでみると薄いマスカットジュースのようで美味しいような気もする。

 だが、どうもヒットポイントが満タンな状態で飲むようなものではないらしい。


 ゲームだと体力が満タンなら飲めないのに、現実では飲めてしまう。

 ユーナたちはしばらくその事実に気づけなかった。

 そのせいでユーナのお腹はもうチャポチャポである。

 とりあえず今はでき次第、空の水瓶の中に移している。


「あっ、師匠。失敗してしまいました……」


 アウリは十回に一回くらい、スキルを失敗していた。

 ゲームでは、ユーナはそもそもあまり初級回復薬を作ったことがないのだけれど、それでも初級回復薬の作成に失敗する理由がよくわからない。

 設備が悪いか、熟練度が低いか、素材が悪いか。何かしら理由があるのだろう。

 

 成功しても失敗しても、見た目はどちらも薄緑色で、それと見分けが付きにくい。

 初めはユーナが感覚で、アウリに失敗したことを教えてあげていたのだが、回数を重ねるうちにアウリは自分で失敗に気づくようになっていた。

 スキルの感覚が研ぎ澄まされているのだろう。


「それじゃ捨てるね」

「お願いします!」


 周辺住民には申し訳ないのだが、失敗してしまったものについてはその辺りに流している。

 でも、生活排水は大体こんな感じで処理するのがこの辺りの常識らしいので、誰も気にしないらしい。


 ちなみにユーナが泊まる宿、ルルの花亭には下水を処理するための側溝のようなものがあった。

 生活水準の差が同じ町の中にさえ存在する。

 悲しいけれどこれが現実である。


 ユーナは、アウリによれば重い鉄の塊だという釜を軽々持って外へ行った。

 こうして失敗してできたものも、何かに使えればいいのにと思う。


(そういえば、失敗だって感覚でわかるから舐めてもないけど、どんな感じなんだろ……)


 指を突っ込んでみると、少しだけとろみがある。

 ちゃんとスモールヒールポーションになっていれば、存在していないはずのとろみである。

 

 謎のとろみに気味が悪くなったユーナは、舐めることなくさっさと液体を捨てた。






 謎のとろみに触ってから、指がしっとりしている気がする。

 かさついていた肌が潤っているような気がしてならない。

 この世界に来てから基礎化粧品なんて贅沢なものは手に入らなかった。

 それどころか毎日ユーナはすっぴんだ。


 なので、顔を洗う水は井戸水がそれを温めただけのお湯だった。

 ユーナのステータスは上がっているとはいえ、肌は着実に元気を失っていた。


 それなのに、ガサガサだった指が一本だけしっとりもっちりぷるっとしている。


「師匠? あの……すみません、失敗してしまったんですけど。あの、捨ててもらっても――」

「よしきた!」

「うぇ? わ、何してるんですか師匠!?」


 ユーナはアウリが作った久々の失敗作の中に顔を突っ込んだ。

 慌てたドラ子がユーナを錬金釜から引き剥がす。


「何をなさっているんですか!?」

「ドラ子、私のことは放っておいてほしい」


 ユーナは無心で肌に失敗作を叩き込んだ。

 この世界で生きていくことを躊躇わせる大きな要因の一つが解消されるかもしれないのだ。


「まさか……これはまさか……」

「し、師匠? 大丈夫ですか……頭とか……」

「私は大変なことに気づいてしまったんだよ、アウリ。これは発見だよ」

「発見、ですか? 気が変になったんじゃなくて?」


 アウリはユーナを馬鹿にしているわけではなく、本気で心配しているらしかった。

 人のよい少年の目が心配そうに潤んでいる。

 真剣に頭の具合を懸念されていると気づいたユーナは、咳払いをしてから彼らに向き直った。


「スモールヒールポーションの、失敗作。これは……化粧水になるかもしれない!」

「……はあ、そうですか」


 アウリは全く興味なさそうに答えた。

 これがどれだけ画期的な発見なのかわからないらしい。世の女性は狂喜乱舞だ。

 ユーナはもう、米も見つからない世界で米のとぎ汁を探す必要はなくなったのだ。


「これはとっておくから!! 捨てたりなんて絶対にしないで!!!」

「師匠がそうしたいのなら、そうします」


 アウリはお行儀よく答えた。

 半ばバーサク状態だったユーナも、年少の落ち着きぶりに正気を取り戻さざるを得なくなった。


「それじゃコップによけておくね。後で宿でコップを借りて、移しにくるね」

「はい、わかりまし――ああっ、師匠!」

「な、何!? 返せって言っても化粧水は返さないよ!?」

「違います! おれ、エーテル草を使いたくなってきたかもしれません!」


 アウリが自分の前に並べられた素材のうちの一つ、エーテル草を指さした。


「それは、はやる気持ちが感じさせる幻覚とかではなく?」

「本当です! 今度こそ! 作りたい! エーテル草の水薬、できます! わかります!」


 アウリの目を見ていると、とても嬉しそうに輝いている。


 スモールヒールポーションの失敗作としてできた化粧水は、コップ一杯分くらいはある。

 化粧水としては何日かは保つだろう。

 ユーナはもっと化粧水が欲しい、という気持ちを飲み込んで、アウリに許可を出した。


「……わかった。それじゃ次からエーテル草の水薬の作成を開始します!」

「やったあ!」


 ユーナが錬金釜を洗ってやると、アウリはいそいそと錬金釜にエーテル草を置き、水を注いだ。


「――〈メイク(エーテル草の水薬)〉! できましたか!?」


 錬金釜の中身を見ていれば、ユーナの目には明らかだったが、アウリにはまだわからないらしい。

 エーテル草と水は十分に溶け合うことができずに光は消えていった。


「……失敗だね」

「うがああっ!」


 アウリが頭を抱えて呻いている。目的達成は目前だからこそ、自分の歩みの遅さがもどかしくてならないらしい。

 いやでも、結構な速さだと思うけどね?

 まるでゲームをプレイしているような速度でアウリは成長している。


「今度の失敗作はなんだか、においがきついね」

「甘いにおいですね……うえっ」


 躊躇うことなく味見をしたアウリがすぐに吐き出した。

 においは甘いが、美味しくはないらしい。


「なんだろうねこれは……肌につけるにはにおいがきついね。薬効があっても」


 とりあえず、何らかの薬効があると信じてユーナは指をつけてみた。

 すると、ユーナの右手の人差し指から強烈な甘いにおいが漂った。

 ドラ子は若干部屋の端に逃げている。


「ドラ子って嗅覚強い系?」

「……人間よりは、ですね。あの、すみませんがその……大変申し訳ないのですがその状態で近づかないでいただけないでしょうか」

「うわ、ドラ子その言い方きっつ」

「きついのはその香りです。香水でも調合したのですか、貴女の弟子は」


 香水といわれると確かに、そんな感じのにおいである。薄めて使えばいいにおいになるかもしれない。


「それにしても、ドラ子に近づくなって言われるとは思わなかった」

「大変申し訳なく思っていますし誠に遺憾です。ですがその香の強さは耐えがたく」

「ドラ子はドラキュラだもんね~においが苦手なんだね~」

「近づかないでいただけるとありがたいと申し上げたはずですがね!?」


 香水に突っ込んだ指を掲げて近づいてくるユーナに、ドラ子は顔色を変えて部屋から逃げた。

 すごい嫌がりぶりである。

 初めからユーナに対して謎の執着ぶりを見せていたドラ子の初めての逃走だ。

 ユーナはとてつもない満足感と共に呟いた。


「……はあ、可愛い」

「師匠性格悪いですよ」

「こう、逃げられると構いたくなるでしょ?」

「ドラコ様が可哀想ですよ。次があるんですから早くこれを捨ててください」

「あっ、はい……」


 弟子に普通に窘められて若干肩を落としつつ、ユーナは外に香水を捨てた。

 そうしたら、部屋の外にいたドラ子は更に道の端まで逃げていった。

 嫌われたかなと思ってユーナが手を振ってみると、手をふり返してはもらえた。まだ嫌われてはいないらしい。


 ユーナは嫌われたいわけではない。

 なので、もうからかうのはやめておこうと思う。

 けれど、ドラ子はそのまま道の端から戻ってこなかった。

 恐らく部屋の外に捨てた香水に近づけないのだろう。

 今後新たに生まれる失敗作の香りが重なって、きっとここはドラ子にとっての地獄と化す。

 それにドラ子も気づいているのだろう。戻ってきてくれる気配がない。


「次に行きますよ、師匠」

「はい! お弟子さん!」


 いい返事をして外から戻ってきたユーナに、アウリは苦笑いを浮かべていた。

 少年の呆れた顔に、大人は大ダメージである。






 アウリが顔色を変えたのは、ユーナがそろそろ昼食をとろうと誘いをかけようとした時だった。


「――師匠、空腹でお腹を鳴らしているところ申し訳ないんですけど、おれは、栄養水を作ります」

「できるの?」

「はい……頭の中に、浮かびました。マジカルキノコで本当に作れるなんて、思いもしなかったけど。今は違う」

「思いもしなかった?」

「だって……ほとんど毎日食ってたんです。それが、こんな貴重な魔法薬の材料になるだなんて」


 師匠であるユーナの言葉だとはいえ、半信半疑というところだったらしい。

 ユーナは錬金釜を軽く洗うと、アウリに作るよう無言で促した。

 アウリは丁寧な手つきで錬金釜を綺麗に拭うと、マジカルキノコと水を入れ、手をかざした。


「――〈メイク(栄養水)〉」


 アウリのSPが消費され、錬金釜の内側が輝いた。

 マジカルキノコは光の粒になったようにほどけ、水は意志ある生き物のようにうごめいて光の粒を受け入れた。

 ぶつかり合いながら、次の次元へ行こうとしている。変化しようとしていた。

 それぞれの素材が、そうなりたいと、自ずから願っているようだった。


 その輝きが収まる前に、ユーナにはそれが成功したのか、失敗したのかがわかった。


「……師匠、これは」

「成功、だね」

「――栄養水、スピ病の……治療薬が?」


 アウリの震える声にユーナは頷いて応えた。そして荷物をまとめた。


「――栄養水一回分で量が足りるかわからないから、たくさん作る。けど、後の作業は全部ルルの花亭でやらせてもらおう!」

「は、はい! 師匠!」

「アウリ、私はマジカルキノコの入った鞄と錬金釜を持っていくから、自分で歩けるよね?」 

「勿論です! おれにはこの杖があります!」

「よし、行こう!」


 ユーナたちが長屋から出て、道の端までくると、ずっとそこで待っていたらしいドラ子が合流した。


「荷物をお持ちします」

「ありがとうドラ子。それじゃ、マジカルキノコの方をお願い」

「錬金釜の方が重そうですが……成功したのですか?」


 ユーナの抱える錬金釜の中に、薄い水色の液体が入っているのを見てドラ子は言う。

 ユーナが満面の笑みで頷くと、ドラ子は眩しそうに目を細めた。


「それは、ようございましたね」

「本当によかった! アウリ! 早く早く!」

「無茶言わないでくださいよ、もう!」


 そう言いながらも、アウリも笑っていた。

 三人で大通りを抜けて、ルルの花亭に急ぎ入った。


 ユーナたちがバタバタと駆け込んでくると、暖炉の前で身を寄せ合って座っていたマルックとラウラは慌てて立ち上がり出迎えた。


「どうしたんだい、ユーナさん。ああそれに……アウリまで!」


 涙もろいラウラは、久しぶりにアウリの姿を見ただけで泣いてしまった。

 アウリがラウラに抱きつかれ、困り果てながら宥めようとしているのを横目に、ユーナは錬金釜を手にマルックに近づいた。


「これをコップか水差しに移させてください」

「それは……」

「栄養水です! 初級SP回復薬! おれが作った――スピ病の治療薬!」


 ラウラの腕の中から手を出して、アウリが叫んだ。

 マルックが信じられないという目をしてアウリとユーナ、そしてユーナの腕の中にある錬金釜を覗き込んだ。


「これが、本当に治療薬になるのかい?」

「SP回復薬がスピ病の治療薬となるということについては、アウリが科学者ギルドで学んでいます」


 マルックは優しい顔立ちを歪ませた。

 泣きそうな顔をして、アウリとユーナを交互に見ていた。

 信じたくてたまらない、けれどとても信じられないと、その顔に書いてあった。


「あの、これを飲ませれば治ると思うんですけど……マルックさん?」

「そう、か。そうだといいんだがね……」


 優しいマルックの表情から疑念が晴れないのを見てユーナは戸惑ったが、アウリは冷静だった。


「おれみたいなのが魔法薬を作ったなんて、信じられないかもしれないけど……材料はマジカルキノコと水だけです。できたら、レイミに飲ませてみてもらえませんか」


 アウリは、信じてもらえないという事実を受け入れながら、促した。

 可食キノコと水だけが材料だ。この町の誰かが今夜作るかもしれない、だし汁の材料でしかない。


 アウリのような少年が魔法薬を作れるのがどれだけすごいことなのか、ユーナにはわからない。

 ただ、科学者だからできると知っていた。


 それを知らないこの世界の住人はやがて、やっとの思いといった様子で言った。


「……マジカルキノコが入っているだけなら、飲ませてみよう」

「はい。おれが調合に失敗していても、痛み止めにはなるかも……そう思ってもらって、構いません」

「えっ、マジカルキノコってアレなキノコなの?」

「煎じ方によっては。加熱すれば人間も普通に食べられるそうです」


 麻酔になるようなヤバイキノコがこの町の周辺、いたるところに生えているという事実にユーナは驚愕せざるを得ない。

 闇の組織がこの町にあるのならば、間違いなく麻薬が作られているのではないか。


「ま、まあ……深入りするのはよしておこうか」

「はい?」


 ドラ子はわかっていない様子で首を傾げた。他の人たちは気にも留めていないようだ。

 誰もが必死の顔つきをしていた。

 マルックがコップを出したので、ユーナはその中に錬金釜の中身をあけた。

 すると、彼はおぼつかない足取りでレイミのいる二階へと上がっていった。


 アウリの次の行動は素早く、先が見えていた。


「師匠、次の栄養水を作ります。構いませんよね?」

「あ、うん……どうぞ」

「ありがとうございます、師匠。ラウラおばさん、水をもらってもいい?」

「え、ああ……いいけれど、ねえ」


 ラウラは呆然として、事態に追いつけていないようだった。

 許可をもらって、アウリは自分の足で水瓶から水をもらいにいった。

 それをユーナが机の上に置いた錬金釜の中にそそいだ。

 更にマジカルキノコをちぎり入れる。

 マジカルキノコに手を加えたのは、大事な女の子を助けるために研ぎ澄まされたアウリの、科学者としてのひらめきだったのかもしれない。


「〈メイク(栄養水)〉」


 錬金釜の中で起こった反応は、先程作った時より活発に見えた。

 ユーナは目を細めた。その輝きも、先程よりも増しているように思えた。

 アウリの熟練度があがったか、あるいはほんの少し素材に手を加えたことが効を奏しているらしい。


(色々工夫の余地がある、ってことか……余裕ができたら研究したいな)


 学者のようなことを考えながらユーナはアウリを見守った。

 アウリの錬金釜の中で、マジカルキノコと水は無事に上位の存在へと変化した。


「ラウラさん! また食器借ります!」

「あ、ああ……水色のそれは、なんだい?」

「栄養水です」


 もう既に伝えたことなのに、再度聞かずにはいられないラウラにアウリは端的に答えた。

 ユーナは錬金釜の中身を新たなコップに入れ替えた。

 アウリは新たな栄養水を作るため、水を取りに行く。

 一杯一杯くんでくるのは手間に見え、ユーナは水瓶ごとアウリの側に持ってきた。

 水の入った土瓶を持ち上げるユーナを見てアウリは少し引きつった顔をしたが、何も言わなかった。


「え、栄養水……栄養水ってなんだい?」


 ラウラがあえぐように呟いている。

 信じられないらしい。わからないらしい。

 もしも違ったら、心が壊れそうなほど追い詰められているのだろう。

 アウリは手を止めずに作業を進めながら、務めて平静な声音で答えた。


「スピ病の治療に効果がある魔法薬です。――〈メイク(栄養水)〉! 師匠できました!」

「ラウラさん! 食器いっぱい借ります!」

「な、なんで――」


 二階からバタバタと足音を立ててマルックが降りてきた。彼には珍しいことだった。

 ラウラが状況を把握しきる前に、マルックは効果を見たのだろう。

 一階に降りてきた時には血相を変えていた。


「もっとたくさん薬はあるかい!?」

「あります! 今二回分あります!」

「師匠! もう一つできました! コップください!」

「三回分できました! 多分、足りないと思っていました。レイミさんに全部飲ませてあげてください!」

「おお! ありがとう!」


 ユーナが勝手に台所から持ってきたお盆の上にコップを並べると、マルックはそれを掴んで二階に駆け上がっていった。

 その姿をラウラは呆然と見送った。

 ユーナが食器棚から手当たり次第コップや深皿を引っ張り出していく姿を見やった。


「もしかしてアウリが作っているのは……薬かい? レイミに効く?」

「はい。効いているみたいですね」


 マルックが転がるようにして階段を降りてきた。

 途中、手を滑らせてコップを割ってしまっていたが、それを足で払いのけて追加をせがむ。


「次はできているかい!?」

「――できました! 師匠、移してください!」

「オッケー! マルックさん、一度レイミさんの様子を見させてもらえますか?」

「ありがとうユーナさん! こちらからお願いするよ!」


 ユーナは一回分の栄養水の入ったコップを片手にマルックと共に階段を上がっていった。

 開け放たれたままの扉の部屋に入ると、そこには弱々しい青い光を放つ、痩せ細った少女が眠っていた。


「光が少なくなってきているんだ! 本当にあれはSP回復薬なんだねえ!」


 マルックは喜んでいる。けれど、レイミの呼吸は弱々しい。

 ユーナは医者でもなんでもないけれど、脈を測ることで何かが得られないかとその細い手首を掴んだ――そうした瞬間、ユーナの脳裏に何かが閃いた。


 それはよく見知った映像だった。


 ――ヒットポイントの緑色のバー。

 ――マジックポイントの黄色いバー。

 ――スキルポイントの青いバー。


 一瞬で映像は消えた。

 触れることで見えるのか? あるいは別の何かがトリガーなのか?


 わからないけれど、原因を究明するのは今でなくてもいいだろう。

 青いバー以外の残りが少ない――むしろ、ないように思えた。

 よくよく見ると、ほんの少しだけ、残っているようにも見える。しかしないようにも見える。


(ゲームじゃないから、ヒットポイントのバーがなくなるだけじゃ死なないとか?)


 しかしレイミの姿を見るに、この状態が健康的なわけもない。

 一度は魔法薬によって回復したはずの青いバーは、時間経過と共に減っている。

 この状態でスキルポイントが尽きたら、果たしてどうなるのか?

 ユーナは震えながら階段の上から叫んだ。


「アウリ! 一個スモールヒールポーション作って! エーテル草の水薬も!」

「はい! わかりました!」

「マルックさん! その栄養水を飲ませてあげてください」

「ああ!」


 マルックの手が震え、なかなか栄養水を飲ませられなかった。

 レイミのスキルポイントはみるみるうちに減っていき、やがて尽きた。


 その瞬間、ほんの僅かにだけ残っていたヒットポイントとマジックポイントが、じりりと減ったように見えた。


 そんな気がしただけかもしれない。マルックはなんとか手の震えをこらえ、ゆっくりとレイミの口にうす水色の液体が流し込んでいった。

 レイミは咳と共に少し液体を吐き戻しながらも、大半をなんとか飲み干した。

 その間、ユーナはレイミの細い腕を掴んでいた。

 レイミのスキルポイントが半分ほど回復したように感じられた。


 その瞬間、僅かに残ったヒットポイントとマジックポイントの、その二つの減少が止まったように思われてならない。

 

 これはゲームなのか? 現実なのか?

 改めて疑問だけれど、今は回復した端から減っていくレイミのスキルポイントをどうにかするのが先決だった。


「師匠できました! スモールヒールポーション! おばさんが持って行ってくれるって!」


 アウリの言葉を追いかけるようにラウラが階段を駆け上がってきた。

 その手にしていたコップの中のスモールヒールポーションを、すぐにレイミに飲ませていく。

 レイミの減少していたヒットポイントは、みるみるうちに回復していった。

 レイミのレベルが低いせいだろうが、回復の割合が大きい。

 すると、明らかにレイミの顔色がよくなった。頬に赤みがさす。

 それを見てラウラが叫んだ。


「ああ! レイミ!」

「師匠! 次はエーテル草の水薬できた!」


 マルックはスモールヒールポーションをレイミに少しずつ飲ませていて、ラウラはレイミに取りすがり動けなくなっている。

 ユーナはエーテル草の水薬を取りに一階に降りると、アウリの腕を掴んだ。


「し、師匠? どうしましたか?」


 戸惑うアウリに答えずユーナは集中する――すると、ほんの一瞬、アウリのスキルポイントバーが見えた気がした。

 そのスキルポイントは枯渇寸前に見えた。

 アウリの顔を見れば、その顔には既に疲労が現れている。

 アウリの脈をとってステータスを幻視せずとも、直接顔色を見ればわかることだった。


「ありがとう……アウリは五分仮眠! 私の部屋を使っていいからベッドで寝てきて!」

「で、でも、レイミは良くなってるんですよね? 手を止めない方がいいんじゃ?」

「アウリはもうスキルポイントが残り少ない。寝て回復した方が後が早い。長期戦になりそうだから、今は休んで」

「わ、わかりました……レイミをお願いします!」


 振り切るように錬金釜の前から離れ、アウリはユーナが鍵を渡した部屋へ急いだ。

 ユーナはエーテル草の水薬を釜からコップに移し替えてレイミの元へ運んだ。


「ユーナさん! それが次の薬だね!?」

「はい。飲ませてください」


 ユーナはマルックがレイミに水薬を飲ませている横で、レイミの腕を掴んでいた。

 触れているとヒットポイントやマジックポイント、スキルポイントがおぼろげながら掴めるらしい。

 原理はわからない。もしかしたら、何らかの工夫をすることで、ゲームでできていたことはこの世界では何でもできる可能性があるのかもしれない。


 水薬で唇を湿らせると、レイミのマジックポイントは急激に回復した。

 しかし、スキルポイントは着実に減り続けている。

 ただしスキルポイントが残っているからこそ、おそらく他の二つは減らずに回復したままとなっている。


「ラウラさん、前に、聖水でSPが回復するって言っていましたっけ?」

「あ、ああ……そうだね、いや、聖水の力でスピ病が治ったことがあるって聞いたから、SPが回復するんじゃないかって思ったんだよ」


 聖水は主に呪いの解呪に用いられる。

 聖水で治った人がいるのならば、レイミの状態は呪いの可能性がある。


(呪いなら、時間経過で治る。時間は、レベルやステータスや、運によって変わる……)


 レイミは恐らく二ヶ月ほどもスピ病に苦しんでいる。

 同じ宿で暮らしていたユーナの目から見て、快方に向かいかけた時もあったように思えたが、結局症状は悪化している。

 呪いなのだとしたら、これほど長期間にわたって解けない理由がわからない。


「――すみません、ラウラさんか、マルックさん、どちらか教会で聖水を買ってくることはできませんか?」

「わ、わかったよ。あたしが行く!」

「ラウラさん、ありがとうございます。アウリは今休んでいるので、姿が見えなくても不安にならないで」


 邪神の教会の聖水に大した効果はないのだろう。

 一度はラウラが買った聖水をレイミは含まされているはずなのに、治癒には至っていない。

 

(私の場合は、すぐに治った。特に熱も出なかった……って言っていいような程度だったし、身体も辛くなかった)


 熱が出たりだるくなる症状について考察する。

 これはヒットポイントとマジックポイント減少によって引き起こされているのではないだろうか。


 現在、レイミはヒットポイントとマジックポイントの減少を起こしていない。

 スキルポイントは減少し続けているが、顔色は随分といい。

 スキルポイントが減るだけなら、身体は辛くないのだろう。

 だが、スキルポイントが枯渇した瞬間から、身体に影響が出る。


 しかしユーナのスキルポイントは枯渇しなかった。


(だから私は、辛くならなかった……多分、私はスキルポイントの減少速度より、回復速度の方が速い)


 以前、スピ病は子どもの方が軽く済むと聞いた。

 病気というのは得てしてそういうものだけれど、この世界ではまた違った意味を持つのかもしれない。

 もしかしたら子どもはスキルポイントの回復速度が速いのかもしれない。

 ユーナは部屋にマルックを残し、アウリの眠る部屋に行った。


「起きて、アウリ」

「はい……休ませてもらいました」


 ベッドから身体を起こすアウリを手伝いながら、脈に触れて集中する。

 アウリのスキルポイントの回復度合いが見て取れた。


(……速いな、やっぱり)


 恐らくレイミより二、三歳は年下であるのだろうアウリのスキルポイントの回復速度は、レイミの身体をむしばむスキルポイント減少速度より明らかに速かった。

 レイミの回復速度を差し引いた速度だとしても、アウリのスキルポイント回復速度はレイミの数倍だ。ほとんど全快に近い。

 アウリの職業が科学者だということもあるだろう。


 農民、科学者、学者の職業はスキルポイントが元々多く、回復速度も速いのだ。


 レイミも、後もう少し年齢が下であれば、回復速度の方が速かったのかもしれない。

 スキルポイントの回復速度が速ければ、重態にならずに治るのだ。

 つまり、スキルポイントをひたすら回復し続けていれば、レイミの病気は治る可能性が高い。


 根拠はユーナ自身だ。この推測が当たることを願うしかない。


「すぐに栄養水を作って」

「はい、師匠」

「ユーナさん! 聖水をもらってきたよ!」

「ありがとうございます、ラウラさん。レイミさんのところにいきましょう」


 ユーナは自分でも不思議になるほど冷静だった。

 心のどこかで、まだこれをゲームのイベントのように捉えているのかもしれない。

 けれどこれを現実だと認識することでパニックになるくらいなら、冷静に可能性を考えられる今の方がいいだろうとも思った。

 冷静を通り越して、面白くなってきていることは勿論秘密にしなくちゃならないだろうけれど。


 聖水を飲ませると、レイミの具合はまた更によくなっているように見えた。

 ユーナが注意して見てみると、スキルポイントの減少速度が遅くなっているような気がした。

 邪神印の聖水でも、神を信じる善良な司祭が作れば聖水には聖なる力が宿るらしい。完全には治っていないけれど。


「師匠! 栄養水ができました!」

「あたしがとってくる!」


 アウリの言葉を聞いて、ラウラが部屋を飛び出していく。

 レイミのスキルポイントの減少が止んだのは、それから数時間ほどが経過し、すっかり夜になってしまった頃だった。






「ありがとうよ、アウリ……ありがとう、ユーナさん……!」

「二人は俺たち家族の恩人だよ……!」


 レイミの肌は異常に発光することもなくなり、頬には赤みが戻り、寝息は安らかだ。

 ラウラとマルックは涙を流しながらレイミを抱きしめ、アウリは尻餅をついたまま放心していた。


 そんな彼らを見て、ユーナは生きていけるだろうと安堵した。

 手遅れになる前にこの世界がゲームではないのだと気づけたのだから、きっとこれからもやっていけるに違いない。


(幸せになれるなら……別に、どこだっていいはずだ)


 元の世界に元いた場所に戻るのが考えるだけで辛く苦しいのだから、戻らなくたっていいはずだ。

 戻るのが正しいと言う人はいかにもいそうだけれど。

 何しろこういう展開だと、物語だと普通は元の世界に戻れるように頑張るものだ。 


 でもユーナは、生まれた世界で生きなければならない理由はないし、生きたいとも思わない。


 それでも実は、ユーナは元の世界に戻るべきではないかという考えに多少はさいなまれていた。

 何故なら、やっぱりそれが普通だろうという常識的な考えは、ユーナの考え方にこびりついているからだ。

 おまけに、この世界にはゲームの名残が色濃いせで、それを目の当たりにするたびに、ここは現実ではないのだと言われているようだった。


 けれどユーナがこの世界にいることで、救えた命が二つある。


(ならもう、いいよね)


 ゲームだろうがなんだろうが、自分が誰かの役に立てて、それで幸せになれる場所へ人は誰でも行くべきなのだ。

 ユーナはこの世界に来た瞬間から、この夢が二度と覚めなければいいのにと思っていた。

 ヒモニートを希望してはいたけれど、実際に同等の状況に置かれた瞬間病みかけたので、自分にはそこまでの怠惰は向いていないらしい。


 ならばスローライフだ。

 自分の食い扶持さえまかなえるのであれば、もっと自由であっていいに決まっている。

 

 レイミが助かったことで、ユーナはずっと重くのしかかっていた肩の荷が下りた気がした。

とりあえずユーナはこの世界で生きてもいいのだと自分自身思えるようになったらしいです。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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