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スキル失敗


 ユーナが朝起きた時には、静かにだが量の多い雨が降っていた。

 一昨日軽く積もった雪が雨と混ざって、止んだ時が大変そうである。

 恐らく路面はつるつるに凍りつくだろう。


 革のコートを頭から被り直し、ぐちゃぐちゃになった大通りを泥が跳ねないように慎重に渡った。

 それは町の南北を区切る通りなのだが、その通りを隔てて南北は済んでいる住民の層が変わる。


 南西には貧しい人が多いようで、その中ではアウリたちが済んでいるのは比較的明るい雰囲気の区域である。

 ここから少し奥に行くと足を踏み入れるのも躊躇うような薄暗く入り組んだ細い道が迷路の入り口のように存在している。


「お邪魔しまーす! アウリくんは――!」

「あ、ユーナさん……すみませんが少しお静かに」

「え? クスタヴィさんまだいたんですか? 今日のお仕事は?」

「これから行きます。今日は遅刻ですね」


 ユーナはアウリの家につくと、元気に彼を呼ばおうとした。

 すると、門番の仕事はしばらく朝番だと言っていたはずのクスタヴィが家にいて、内側から扉を開いて済まなそうに言った。


「申し訳ないのですが……アウリは熱が出てしまいまして、寝込んでるんです」

「熱!? ま、まさか――スピ病、とか?」

「そうではないと思うんですが。あれは伝染るものだけど、あいつは今出歩けないので」

「怪我のせい、ですかね? ……ごめんなさい、昨日無理をさせすぎたのかも」


 相当な集中力でもって、科学者ギルドから買ったというレシピ通りに調合をしていた。

 あれをやらせたのはユーナなので、それが原因でアウリが熱を出したならユーナの責任である。


「無理は結構なんですけど、どちらかというとあれは知恵熱みたいなもんだと思います」

「知恵熱?」

「あいつは一度くよくよ悩み出すと止まらないんで。夜も寝てなかったっぽいし。今日は寝かせておいてもらえませんか?」

「も、勿論構いません!」

「よかった。ユーナさんならそう言ってくれると思ってました」


 ユーナでなければ熱が出ていようと弟子なら起きろと言うところなのだろうか?

 そんなブラックな環境を自ら作り出すなんてユーナとしては考えられない。


「安静にさせておいてあげてください。何なら私が看病しますか?」

「そんなことさせられませんよ! 今日は帰っていただいて――」


 クスタヴィがそう言おうとした時、部屋の中からか細い声があがった。


「待っ、て!」

「アウリ、大人しく寝てろって言っただろ!」


 クスタヴィが苛立ちながら部屋に戻っていく。どうやらアウリは這ってでも外へ出ようとしているようで、クスタヴィと悶着しているのが雰囲気でわかった。

 ユーナはハラハラしながら外で待っていた。


「おれは、でき、る! できます、から……待って、ください!」

「落ち着け、アウリ。熱が下がったらまた教えてもらえばいいだろう?」

「それじゃ、遅い! おれはできる、できます、できなくても、やります……だから!!」


 ユーナが相談したくてドラ子を見あげると、既に帰ろうと長屋に背を向けていた。

 それを見たら、ユーナは逆に気持ちが定まった。


「お邪魔しまーす」

「あ、師匠! おれは……!」

「はいはい、できるんだよね。ほら、ここにいるから寝ていなよ、アウリ」


 ユーナは、ベッドから出ようとするアウリを押し戻しながら側に座った。後からドラ子も入ってくる。

 四人も揃うと、もう身動きも難しいほどの本当に狭い家だった。


「ユーナ、帰らないのですか? 今日はここにいても無駄な時間を過ごすことになりそうですが」

「大きな声でそんなこと言う~?」


 今日もドラ子の基本的な人への無関心ぶりは絶好調である。

 彼の失礼ぶりにユーナはたまに肝が冷える。

 ドラ子が長命種だと言われていることもあって周りの人があまり気にしていない様子なのが救いだ。


「クスタヴィさん、私はここにいても大丈夫?」

「ドラ子様のおっしゃる通り、時間の無駄にしかならないと思います。そんなご迷惑はかけられませんよ」

「いや、それはいいよ。帰っても何かやることがあるわけでもないし」


 暖炉の前でぼうっとお茶を飲んでいるくらいだろうと思う。

 ユーナは基本的に暇人なのだ。ドラ子はそんなユーナの近くでじっとしている。

 良く飽きないものである。ユーナは既にこの町の冬に飽き始めていた。


 スローライフに必要なのは適度な刺激だと、ユーナはこの一冬で思い知りそうだった。

 

 宿にいると情報が全く入ってこない。

 寒いから火を絶やさないようにすることがもっぱらの仕事だ。

 時間は穏やかに流れていき、一日の楽しみは食事くらい。

 夜寝る時がちょっと辛い。毛布が薄くて寒いのだ。

 更にユーナは既に二度ほどそれをマルックとラウラ伝えて、空室の毛布を今は客がいないからということで借りていた。でも、三枚の毛布でもまだ足りない。


(羽布団が欲しいんだよなあ……でもそのためには大量の羽が必要で……そんなに鶏も鵞鳥もいないし……採取アイテムとしてマテリアルサーチで見つけられればいいんだけれど。そもそもフィールドに出るのは寒いから、その前に外套が欲しくて――)


 無限に欲しいものがあり、色々やりたいことがある。

 だが、学者(スクーラー)である彼女が手を伸ばせる範囲は狭い。

 その第一歩として、己の知識をアウリに叩き込もうとしている。


「まずはアウリに元気になってもらわないと話しにならないんだよね」

「ユーナさんがそうしたいっていうのなら、全然ここにいていただいて構わないですよ。でも、飽きたらさっさと置いて行っていいですから……全く」


 クスタヴィは溜め息を吐きながらバッグを肩にかけた。

 弟に呆れているらしく、「これ以上の迷惑はかけるなよ」とアウリにかけた声は若干冷たい。

 アウリは大変な目にあったばかりなのに、手厳しいなとユーナは思う。

 しかしクスタヴィも大変なのだろうと見てとれた。彼の目の下にはクマがあった。

 彼はアウリが夜寝ていなかったことを知っていた。

 つまり、彼も弟と一緒に起きているはめになったんだろう。


「本当にすみません、ユーナさん、ドラコ様」


 クスタヴィは頭を下げると、雨の中を外套を被って走っていった。

 

 遅刻すると仕事をやめさせられたりするのだろうか? 

 減俸だけでもこの家の家計には大打撃だと予想される。


「すみません……おれ、何も、できないのに……熱なんて出して」


 アウリはユーナが側にいることで落ち着いたのかベッドを這い出そうとはしなくなったが、まだ弱気な言葉を口にしている。


「大丈夫だから、大人しく寝てなって。熱が下がったら試してみたいことがあるから。全力で休みなよ」

「試してみたいこと……?」

「そう。ほら、アップルウリを持ってきたから食べようか? ……どうやって食べるんだろうこれ」


 図らずも見舞いの品となってしまったアップルウリの籠を、持たせていたドラ子から受け取ってユーナ首を傾げる。

 名前からしてリンゴなのだが、その実の付け方はウリという植物だ。

 色は赤いが、形はゴーヤかズッキーニである。

 味は恐らく、甘いはずだ。ゲームの中では果物として扱われていた。


 マルックさんが、宿の庭で育てている唯一の植物だそうだ。マルックさんの好物だという。


「皮を剥けばいいかな?」


 上手くいくなら、今日はアウリを連れてフィールドに出るはずだった。

 なので野営の道具として簡易調理用の小刀を持っていた。

 リンゴのウサギでも作ってみようかと思ったけれど、ウリ型のリンゴはとても細長いウサギになってしまう。


 試行錯誤しているユーナを、涙の浮かんだ目で見ていたアウリだったが――非常に不格好なウサギができた時初めて笑った。


「なんですか……それ」

「ウサギ?」

「ウサギなんですか……師匠の故郷のウサギはそんな形をしているんですね」


 大きな誤解が発生してしまった。

 ユーナの故郷に興味を引かれたらしいドラ子も手元を覗き込んでくる。


「なんだか、外へ出ようとしている格好ですね。まさか、採取してきたんですか? この時期にアップルウリなんて、ありますか?」

「違うよ。これはマルックさんが育てていたのをもらったの」

「マルックおじさんか……農民(ファーマー)だっけ」

「寝ていた方がいいんじゃないの? アウリ」

「……しゃべっていないと不安なんです。じっと黙って目を閉じていると、悪い事ばかり考える。よくないし、意味ないってわかっているのに、考えてしまうんです」


 赤い顔をして、アウリの目は不安そうに揺れている。

 けれどその声音は落ち着いていた。

 興奮してはいないようだったので、ユーナはとりあえず彼の話に耳を傾けることにした。


「もしよければ、師匠の考えている、試してみたいことについて聞いちゃいけませんか?」

「確証のないことだから、あまり言いたくないんだけれど」


 絶対にできると思い込んで、ユーナはアウリにスモールヒールポーションを作らせようとして、失敗した。

 スキルすら発動させられなくて、彼を不安にさせたのだ。 

 できるかどうかもわからないことを、できると決めてかかるのはよくないとユーナは思った。

 しかしアウリは引き下がらなかった。


「まだできることがあるんだってわかれば、少しは不安じゃなくなると思うんです……おれが考える限りのできることは、もうやり終わっちゃったから」


 アウリの言葉は大袈裟ではないのだと思う。

 ユーナの見る限り、あの怪しげな調合の手順について、アウリは間違いなく何度も繰り返し反復している。


 そんなアウリにユーナの考えを話してみれば、確かに新しい可能性を知ることになるし、希望も見えるだろう。

 しかしそれはあくまで可能性であって、希望はまやかしかもしれないのだ。

 また落胆させることになるかもしれない……けれど、ユーナはアウリの熱視線に負けた。


「わかったわかった……仕方ないなあ。あくまで可能性なんだからね?」


 ユーナとしては、アウリのスキルが発動しなかった理由は、ほぼこれで間違いないと思っている。

 けれどそんなことを言えばまた無駄に期待を高めてしまうだけなので、あまり断言しないように気をつけながら説明することにした。


「結論から言うと、アウリはレベルが低いんだと思う」

「……レベルが低い? その、技術が足りないということですか? 不器用だという――」

「あー違う違う。そういうレベルじゃなくて、モンスターを倒したら上がるレベル」


 科学者(サイエンティスト)は最終的に二種類のスキルツリーを解放する。

 一つは〈メイク(料理)〉

 一つは〈メイク(薬)〉

 ――魔法薬を作る〈メイク(薬)〉の方は、科学者のレベルが50を越えないと使えるようにはならない。


 アウリは恐らく、科学者レベルが50に届かないのだろうとユーナは予想している。


「……モンスターを倒すと、何か上がるんですか?」

「えっ!? レベルが上がるのよね!? 上がらないのドラ子!?」


 アウリの問いにユーナは、またもややってしまったのと驚愕した。

 ゲームの世界ではあたりまえのことだったけれど、現実では違うのかもしれない。

 ユーナが慌てて確認を求めてドラ子を見上げると、彼は小首を傾げた。


「上がると思いますよ。ステータスなどを参照できないので確認はしていませんが、モンスターを倒し続けた人間は確実に強くなります」

「な、なるほどー! ステータスが見れないから、わからないのか!」

「あの、師匠……おれも、モンスターを倒せば強くなれるっていうのは知っています」

「それはわかるのね。よかった、どこから説明しようかと思ったよ」

「……つまりおれは、その強さが足りていない、ということですか」

「私の予想ではね」


 ユーナはあたりまえのように、アウリのレベルが50を越えるものだと思い込んでいた。

 何故かというと、レベル50まではあっという間に上がるものだったからだ――ゲームでは。

 レベルを50まではチュートリアルのようなもので、そこまであげてから、初めてゲームが始まると言っても過言ではない。


 ゲーム初心者にとってはサクサクレベルが上がって楽しいし、スキルも覚える。

 PvP、プレイヤー同士の対戦も解放されるようになり、ここからは大変なことも増えるけれど、50までレベルを上げたんだからやめるのはもったいないと思える。


 ――まさか魔法薬を作ろうとしている人が、レベル50ないということはユーナにとっては考えられない事態だった。

 けれどこの世界では、あり得るだろう。

 モンスターは脅威であり、兵士や冒険者などの仕事でもない限り、よほどの物好きでないとわざわざ倒しに行きはしないだろう。

 ユーナがこの世界で生まれ育ったとしたら、間違いなく町から外には出ない。

 生涯モンスターに出くわさずに済むのなら、それが幸いだと思って生きるはずだ。


 昨晩マルックの話しを聞いていて、ユーナは初めて自分の思い込みに気がついた。


「……だけどおれに、才能がない可能性もありますよね?」

「それは、どうかな」


 ないとユーナは思っている。けれど、推測である。

 変に期待はさせたくないと、曖昧に濁したユーナに、アウリは自嘲した。


「気を遣わなくてもいいです。もしかしたらおれは、本当に落ちこぼれなのかもしれないですよね? 教会では科学者だって言われたけど、もしかしたらそれすら間違いかも」

「そうは思わないけれどね~」

「でも、確かめる方法はないじゃないですか?」

「あるよ、方法なら」

「――どんな方法ですか?」


 アウリが陰鬱な目に、僅かに期待の光を宿らせる。

 このまま放っておいたら、思考がどんどんおかしな方向に行ってしまうかもしれない。

 初弟子が闇落ちなんて事態になるのは嫌だったユーナは、とりあえず、試そうとしていた方法については説明してしまうことにした。


「熱がなかったら、今日は科学者レベルが初期値でもできるスキルを使ってもらう予定だったよ」

「そんなスキルがあるんですか?」

「〈メイク(フルーツジュース)〉っていうスキルだね」


 これは科学者にとってのチュートリアルスキルであり、ゲームではオートで作らされる。

 〈メイク(料理)〉のツリースキルで、基本的にバフ効果のある料理ができる。

 物理職だと剣士(ソルジャー)が、魔法職だと支援魔法士(エンチャンター)がバッファーにあたる。

 生産職では科学者が、一応バッファーを兼ねるということになる。

 食べるモーションに時間がかかるし、クーリング時間がやたらと長いので、戦闘中には使えないけれど。


「果物三つでメイクをすれば作れるんだよね」

「だから今日はアップルウリを持ってきたんですね」

「そうなんだよ、熱さえなければ試してもらいたかったんだよ――って、ちょっと!?」


 ユーナは叫んだ。アウリがいきなり、皿にもったユーナ力作の長細いウサギたちをわしづかみにしたからだ。

 アウリは目を丸く見開き、叫んだ。


「〈メイク(フルーツジュース)〉!!!!」


 次の瞬間――アウリの手の中で、アップルウリのウサギはどろりと溶けた。

 アウリの指の間から零れたアップルウリがベッドを汚して、ユーナは頭を抱えた。

 慌てて、そこらへんに落ちている汚れた布巾を引っ張ってきて汚れたアウリの手とベッドを拭きながら、ユーナは胸の奥が疼くのを感じた。

 己の中にある科学者の職業のささやきを聞いた。


「スキル発動……でも失敗、って感じだね」


 アップルウリのジュースなんて、普通に絞ればできそうなものだ。

 アウリの手の中で、アップルウリが溶けたそれはもうジュースなのではないかと思うのだが、ユーナのスキルはこれは失敗だと告げている。

 

「せめて器の上でやってほしかったなあ」

「これが……」

「何?」

「……スキルが失敗した、ってことなんですね」


 スキルには失敗してしまった。SPも消費したはずだし、アウリは先程より心なしか顔色が悪い。

 それでも、アウリは嬉しげだった。


 ユーナに手を拭かれながら顔をくしゃくしゃにして、スキルを発動させたという手応えに喜び、涙を流しながら笑っていた。

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