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職業のささやき


(だ、だけど……ちょっと待って)


 ユーナはこの世界での、スキルの仕様について全く知らないわけではない。

 一度だけ発動させたことがある。


賢者(セージ)のスキル〈オムニッセント〉でランダムスキルの〈フレンドモンスター〉を手に入れた時――頭の中にスキル名が思い浮かんだし、そのスキルの意味は自然に理解できてた、よね……?)


 恐らくユーナは、自分の前にフレンドにできるモンスターが現れたら、それとわかる。

 倒せば仲間にできる可能性があるのだとも、ゲームの知識がなくともわかったような気がする。


 メイクも、科学者のスキルである。

 材料が揃ってさえいれば、自ずと自分のやるべきことはわかるのではないだろうか?

 ゲームでは、レベルさえ足りていれば、スキルツリーは解放された。

 一番初めの魔法薬、スモールヒールポーションならば、50レベルで作れるはずだ。

 その先は更なるレベルと熟練度が必要になるけれど。

 

 この世界では、薬草と水さえ用意すれば、〈メイク(スモールヒールポーション)〉と――頭の中に思い浮かぶはずではないだろうか?


 ――しかし所詮、それは憶測。絶対にそうだとは言いきれなかった。

 ユーナはこの現実で、科学者になったことはないのだ。


(ど、どうしよう……)


 気まずい沈黙が落ちる中、救世主は不機嫌そうにやってきた。


「ユーナ! 私を置いて行くとは、酷いではありませんか!」

「ドラ子ちゃんよく来たね! ありがとう! 君を待っていた!」

「え? そ、そうですか……ならばよいのですが」


 ユーナの大歓迎を受け、ドラ子の怒りは鎮火したようだった。

 今は縮こまってしまっている家主の弟、アウリの了解も受けず、ユーナはドラ子を家の中に招いた。


「ちょうど聞きたいことがあってね」

「なんでもお聞きください」

「ドラ子って――えーと、科学者がメイクスキルを使うところ、見たことあるよね?」


 二次職になるどころか、転生して別の職種に就くという概念もあるわけがないこの現実にて、ユーナがかつて科学者であったことがあるというのは、言うわけにはいかない。


(考えてみたら転生って恐くない……? 死んで生まれ変わってない……?)


 ゲーム中で二回転生しているユーナだが、現実的に考えてみると穏やかではない。

 ぼやかして伝えたユーナの言葉を受け止めて、ドラ子は不思議そうな顔をしつつも頷いた。


「ありますが、それがどうかいたしましたか?」

「その、薬草をちぎったり、水を蒸留させていたりした……?」

「ユーナ? 貴女が一体何を私に確かめたいのか、よくわからないのですが」

「うーんと、初めから説明するね!」


 ユーナは、アウリとの間にある認識の齟齬について、やんわりと言葉を濁しながらドラ子に説明した。

 科学者のスキルというのは、正真正銘、その職業における技術のようなもので、自動的に料理や魔法薬ができるものではないのだろうか?


「――私の知る科学者(サイエンティスト)は、何かよどみなく手順をこなしていたような気もしますが、そうではなかったような気もします」

「曖昧だねえ!?」

「何しろ千年も前のことですので……そして私はあの頃、今よりもずっと愚鈍だった」


 もっとポヤポやした可愛らしい雰囲気であったのは確かである。

 ドラ子の証言が得られなかったため、状況は暗礁に乗り上げてしまったかもしれない。

 青い顔をして硬直しているアウリにどう言ってあげればいいのだろうか?

 頭を悩ませていたユーナに、ドラ子は提案した。


「まず、この幼い科学者に、やらせてみればいいのでは? 科学者ギルドで教えられたという手順で」

「そ、そうする……? 絶対に飲みたくない素材が入ってるけど……」

「情報がないのですから、わかるところから始めるしかないのでは?」


 ドラ子の言うことは最もだった。

それで何か状況が打開できるとは限らないけれど、やらない理由もない。


「えーっと……アウリ、できる?」

「――魔法薬ができたことは、ないですけど……それでもよければ、材料があれば」

「わかった。用意するよ――ドラ子が」

「私がですか?」

「私、ゴキブリ、無理。オネガイシマス!」

「片言になっていますよ、ユーナ。ユーナの頼みとはいえ、何故私が……と言いたいところですが。仕方ありませんね、その足では」


 ドラ子はアウリに冷ややかな視線を浴びせると、溜め息を吐きながら、レシピを持ってお使いに出た。

 一体どこでレシピにあった材料を調達するのかは謎である。

 イモリの爪の爪と海の魚の生き血はともかく、ゴキブリは――自ら捕まえるのだろうか? 

 ユーナには無理だ。


「うちのドラ子ちゃんが一言多くてごめんね」

「いえ……ドラコ様の言う通りで、本当なら、おれが行くべきなので」


 固い表情ではあったが、アウリはきっぱりと言った。

 しかし投げ出した太腿の上に置かれたその拳は、震えていた。


「おれ……本当に、科学者として――いや……なんでも、ないです」


 アウリは不安に震えていた。本当に科学者として独り立ちできるのだろうか、と。

 ユーナが期待をさせただけに、落差とショックは大きかっただろう。

 責任を感じてユーナは胸が詰まったが、何も言えなかった。

 ユーナには、実際に薬を手で調合する際、何をどうしたらいいのか見当もつかなかった。

 元の世界ではただの会社員だったのだ。


「色々、試させてね。ちょっと……私の知っている知識とのすりあわせが必要みたいだから」

「は、い……」


 アウリは、蚊の泣くような声で答えた。

 ユーナは大言壮語を吐いたことを既にとてつもなく後悔していた。

 せめて、できる兆しがあるとわかってから、色々吹き込めばよかったのだ。

 しかしスキルに失敗するどころか、スキルというものが何なのかという哲学的な問いを抱くことになるとは、ユーナは夢にも思っていなかった。


 相変わらず、重苦しい沈黙が部屋を支配する。

 ユーナが場を和ませるジョークの一つも言えればよかったのだが、何も思いつかない。

 冷や汗を流すユーナの代わりに、幼い弟子が振り絞るように声を出した。


「あ、あの……師匠はどんなところで、勉強をしたんですか? その、科学者についての知識とか」

「…………不安にもなるよね」

「そっそんなことはないです! ただ、師匠の話を聞きたいと思っただけで!」

「そ、そうか! ごめんね! 変なこと言ったね!」


 アウリは場の雰囲気を変えようと話題を出してくれたのに、ユーナは思わず卑屈に呟いてしまった。

 慌てて訂正するが、アウリの顔は無理やり浮かべた愛想笑いで引きつっている。

 ユーナは猛スピードで思考を働かせた。なんとかこの場の空気を和ませないといけない。


「ええっと――ドラ子がいわゆる、長命種? って呼ばれているのは知っているよね。様つけて呼んでたし」


 この町の人はみんな、ドラ子がかなり長生きのおじいちゃんだと知っているからか、彼を様づけで呼ぶのである。

 アウリは、ぎこちなく頷いた。


「私と彼の関係って、結構気になるところじゃない?」

「それは……すごく気になります。でも、聞いちゃいけないのかなって」


 アウリは興味を引かれた様子で顔をあげた。

 ユーナはどうにかアウリの気を引けたことに安堵の息を吐いた。


「あのドラコ様にお使いさせる人なんて、初めて見ました」

「そうなの? でも、そうなるか……ドラ子って年齢的に言うと、おじいちゃんみたいだもんね」

「そういうわけではないですよ!? だって、長命種ですから! 偉い人たちだって、誰でも知ってます」

「長命種だから偉いの? それだけで?」

「だって、世界の始まりからずっといる方々ですよ?」

「……世界の始まり?」

「世界は初め、闇に覆われていたじゃないですか? その闇を打ち払って、オードを祀り、混沌とした世界に秩序をもたらしたのは、長命種の方々でしょ。ドラコ様と親しい師匠にはわからないかもしれませんが、偉いに決まってます」


 アウリは生真面目そうな顔で答えた。

 ユーナは顔が引きつらないようになんとか堪えた。

 どうやら、女神の旅人がいた時代のことは、この世界ではなかったことになっているようである。

 アウリの知る歴史は、女神の旅人がこの世を去り、オード教ができた後のことのようだ。


「それはともかく――私が科学者について人より詳しい理由は、ドラ子も知ってる。彼との関係にまつわることだから、科学者について学んだ経緯は詳しくは言えないんだけど……でも、私の知識は、彼が保証する」

「……ドラコ様が」

「突然現れた私のことはきっとよくわからないし、信じられないと思うけど、毎年この町に来ていたっていうドラ子のことなら信じられるんじゃない?」

「師匠を信じられないなんてことは、ありません」


 アウリは静かに答えた。

 そうは言いつつも、ドラ子を引き合いに出したことで、その目には、輝きが戻ってきているような気がしてユーナは内心ガッツポーズをとった。


(ドラ子グッジョブ!)


 そこへ、ドラ子が帰ってきた。

 不審な紙の包みを手にしていたのでユーナは慎重に距離をとった。ドラ子は傷付いた顔をしていた。

 ドラ子は放り投げるように包装された材料をアウリに渡した。

 

「ありがとうございます、ドラコ様」


 礼を言って包みを受け取ったアウリの手は、もう震えていなかった。

 アウリは紙の中をごそごそやって、まずイモリの爪らしきものを取り出した。

 釜に入れ、床に転がっていた石を拾い上げて、それで潰していく。

 

 そう、レシピを確認するに、まずはイモリの爪を粉々になるまで磨りつぶすらしい。

 当たり前に読んでいるけれど、異世界の字が読めるって本当に不思議だ。

 でも自然と日本語に変換されて頭に入ってきてしまうから、何らかの暗号とか、縦読みが仕込まれていてもこれじゃわからない。

 科学者として勉強した者のうち賢い人間だけが読み取れる斜め読みが仕込まれてはいないよね? これ。


 長いこと、カンカンカンカンという音が響いた。

 私がレシピを隅から隅まで熟読しているうちにも、アウリは作業を黙々と進めていった。

 内容は暗記できているようだ。

 これでポーションができるなら、今後はすり鉢があった方が良いかもしれない。


 薄茶色い粒が大体釜の中で粉と変わらない大きさになると、次にアウリは生臭い臭いを放つ魚を取り出した。

 魚があるということは、この近くに海があるのだろうか。

 見た目は青背魚だけれど、どことなくユーナの知るどんな魚とも違う気がして、名前はわからない。

 アウリはその魚の尾びれを持って掴むと、腹にナイフを差し入れて割いた。

 魚は生きているらしく、まだびちびちと動いている。

 その腹に指を突っ込んで掻き出すと、釜の中に魚のはらわたごと生き血をそそぐ。

 はらわたを入れろとはレシピに書いてはいなかったのだが……ユーナは口出しを控えた。


 アウリは血で汚れた手を伸ばした。

 ベッドの上に転がっていた木の棒、恐らくすりこぎ棒のようなものを取ろうとしていたので、ユーナが取ってやった。

 他人のベッドとはいえ、魚の血が付くのを見るのは忍びない。

 ユーナに「ありがとうございます」と囁くように礼を言うと、アウリは再び釜へと視線を落とした。

 その目には集中力がみなぎっている。


 その棒で、アウリは釜の中にあるイモリの爪の粉末と魚の血とはらわたを潰し、練り合わせ始めた。

 よどみない動作だった。どれだけこの作業を繰り返しやってきたのだろうか?

 酷い悪臭が部屋に漂い始めたので、ユーナは途中、扉を開けに行った。

 だがアウリはどうも、それにも気づかないほど集中しているようだった。


「まずは水を、器に半分」


 アウリは口の中で呟くように囁いて、水瓶に側にあった杯で水を掬った。

 水を正確に計ろうと、アウリは何度か水を掬い直した。

 納得できる量の水になったところで、アウリはそれを釜に投入し、再び練り合わせ始めた。


 べちゃべちゃという音が連続し、ユーナは気分が悪くなってきた。これに、最後アレが入るのだ。

 もしもこの世のポーション全てがこんな材料から作られているのなら、ユーナは絶対にポーションのお世話にはなりたくない。


 アウリが包みから最後の材料を取り出したのを見て、ユーナは部屋の隅に逃れた。

 遠いところから見ていても気分の悪くなる作業が行われ、もはや釜の中身は口に入れるに値しない夢の島の住民と化した。


(これがポーションになるの……? 本当になるの……? マジで? ホントに? 飲んだ人死なない???)


 ユーナの胸中には様々な疑問が湧き上がったものの、アウリには何も言わない。

 淑女的な無言を貫いた。

 そして、レシピの手順から、アウリがその釜を竈の火にかけたいのはわかっていたので、ユーナは無言で呼吸を止めたまま釜を竈に移してやった。

 アウリが作業しやすいように、後ろからその身体を支えていた。

 薪を差し入れ、火加減を調節していたアウリは、また水を掬った。


「最後に水をゆっくり、一杯」


 アウリは器一杯、零れそうなほどぎりぎりに汲んだ水を、ふつふつと煮立つ釜の中に慎重に流し入れていく。

 その後、アウリは薪を抜いていった。どうやらここからは中身を沸騰させてはいけないようだ。

 レシピには書かれていない、細かい手順があるらしい。

 

 アウリはゆっくりと、暖まる釜の中身を湯に溶かして、攪拌していった。

 彼は額に汗していた。一心不乱にかき混ぜて、決して手を止めようとはしなかった。

 少しでも手を休めることで、台無しになる作業なのかもしれない。

 ユーナの目には、もはや何もかも台無しにしか見えないのだが、アウリは本当に真剣にその作業に取り組んでいた。


 アウリは釜の中身が完全に溶けるまで、やり遂げた。

 最後には、彼の手は震えていた。

 火が自然と燃え尽きるまで待って、中身から湯気が上がらなくなるまでアウリは待った。

 そして最後に、薄い赤茶色に濁った水を見極めるように、アウリは指を入れ――その指を舐めると、顔を上げた。


「作業は終わりました。……また、失敗してしまいましたが」


 アウリは髪の毛からも汗を垂らしながら残念そうに言い、項垂れた。






 夕暮れ頃にクスタヴィが帰ってきたので、ユーナとドラ子も宿に帰ることにした。

 ユーナは去り際、思わずクスタヴィに謝ってしまったのだが、クスタヴィは「一日でできるわけがないですよ」と言って笑っていた。


 特に何も問題なければ、ユーナはSP回復薬である栄養水の作り方も教えられると思っていた。

 だから落ち込んでいたのだけれど、クスタヴィの言葉で少しだけ元気づけられた。

 けれど帰り際に見た、将来への不安を抱くアウリの顔はやはり暗かった。

 ユーナはできるだけ早くアウリの未来に道筋を付けてあげたかった。


 そもそも、ユーナは金が欲しい。

 ドラ子が稼いでいてはくれるけれど、自分で稼いだといえるお金を手にしたかった。

 アウリに魔法薬を作らせて、授業料として魔法薬の代金から半分もらう作戦が、果たして自分で稼いだといえるのかは疑問だったが……。


(もう、ちょっと、それどころではないねこれは)


 宿に戻るとユーナは食堂でお茶を出してもらって、定位置となっている暖炉の前で頭を抱えた。


「何が悪いんだろ……うーん」

「ユーナさん、何かお悩みかい?」

「マルックさん! その……」


 宿のご主人、マルック。

 人の良い柔和な顔をした彼に問われると、さらりと悩みを話してしまいそうになる。

 でも、事は彼の娘の命にも関わる。

 マルックもラウラも、ユーナには何も言わない。

 言わないのだが、科学者であるアウリを弟子にして育てていることは知っているので、少なからず期待してしまってはいるようだった。 


 勿論ユーナも、回復薬さえ作れればレイミのために使ってもらうつもりでいる。

 なので、期待してもらうのはいいのだ。

 けれど、その期待を裏切るようなことは言いたくなかった。


「アウリに教えるのに手こずっているのかな? 折り合いが悪いのかい?」

「いやそんな! アウリはびっくりするぐらい良い子ですよ!」

「そうなのか! それはよかった。ならユーナさんが困っているのは科学者のスキルのことかな? レシピのことかな? アウリは物覚えの悪い生徒かい?」

「アウリはとても真面目に、真剣に、魔法薬作りに取り組んでいますよ……びっくりするぐらい」


 けれど、彼は魔法薬を作ることができなかった。

 それどころか、ユーナは彼の真剣な作業を最初から最後まで見ていたというのに、本当に失礼なことを感じてしまった。


(……すごく無意味な作業、って、思っちゃった)


 アウリには口が避けても言えない。

 しかし、アウリの魔法薬作りを見ていたユーナが感じたのは、空虚な失望だった。

 

(なんだろう、これ……そもそもスキルが発動していた気が、しないんだけど)


 不思議な失望感だった。あれでは駄目だとはっきりわかった。

 ユーナの中にある、科学者としての経験がそう言っているような気がした。

 しかしユーナは今、賢者(セージ)である。

 科学者ではない。ただユーナが感情的にそう思っているだけで、見当違いなのかもしれない。


 でも、ユーナがカンストした科学者であるのはまた事実だ。


「あれは本当に科学者なのか? そういう気がしなかったが」


 ドラ子がマルックに尋ねる。

 だいぶ失礼な質問だけれど、マルックは鷹揚に答えた。


「十歳になる年の春に教会で調べてもらったはずだから、間違いないと思うけどねえ」


 この世界では十歳になると教会で職業(ジョブ)を調べてもらえるらしい。

 ドラ子の疑問に答えながら、マルックは顔をくしゃりと歪めた。


「そう、か……ドラ子様にそんな風に言われてしまうような、そんな風なんだねえ」

「ち、違いますよ!? 不真面目でもないし、物覚えも悪くないし、きっと、多分、たくさん練習したんだろうなって、そういう努力の跡は見て取れました!」

「ユーナさんはべた褒めか。確かに、あの子は努力家だ。たまたま運の巡り合わせが悪いだけでね」

「これからきっと良くなる子ですよ……ただ、私の教え方がまずいだけで」


 ユーナはがっくりと項垂れた。

 ドラ子は咄嗟にユーナの言葉に反論しようとしていた。

 でも、そうして欲しくなくて手で押し止めてしまうくらい、自分に失望していた。


「私が先生なんだから、もう少し私がなんとかしてあげなきゃいけないのに、思いつかなくて……」

「そうか……そうだね、ユーナさんには確か、知識はあるんだったね?」

「知識だけならあるんですよ」

「それなら、もしかしたらその知識の中に答えが隠れているかもしれないね……何かを見落としているのかも」

「かも、しれません」


 ユーナとしては、マルックの言う通りであって欲しかった。

 初めから答えなどなかったという展開だけは御免被りたい。

 頭を抱えるユーナの斜め向かい側の椅子に腰掛けると、マルックはのんびり口を開いた。


「俺の話が参考になるかはわからないんだがね……俺は実は、農民(ファーマー)なんだが」

「そうなんですか!?」

「おお、興味を持ってもらえて嬉しいよ」


 興味津々である。

 何しろ農民(ファーマー)はファンタジー・オブ・ルルーフィア――かつてはゲームだったこの世界に来て、ユーナが初めて就いた思い入れのある職業(ジョブ)だった。


「それで、宿屋の息子だったんだが、せっかくそういう職業なんだから、神様にもらったその天賦に見合った仕事をしてみたいと思ったんだ」


 ユーナは彼の話に首を傾げた。

 そうは言っても、今のマルックは宿屋の主人として生計を立て、暮らしているのである。


「ただ俺は、臆病者だったからね。いきなり独立はしないで、まずは宿の庭で試しに畑を作ってみることにしたんだ。借りた鍬で土を見よう見まねで耕して、適当に種をまいてみた」

「種を? 何の種をですか?」

「おっと、そこに気づくとはユーナさん、農民にも詳しそうだな」


 マルックは笑って白状した。


「煮込んだダイコンが好きだったからダイコンと、これも好きだから、アップルウリ、あとはレタスくらいかな」

「……えっと、カブはないんですね」

「あはは。そう、農民の〈プラント〉の力を借りたいなら、まずは白カブを植えるべきだった。白カブを植えて、育てるのに慣れたなら、ニンジンをね」


 ゲームでは農民になると、まずは小さな畑が与えられる。

 レベルに応じて商業ギルドで買える種が増えるのだけれど、まずは白カブしか買えない。

 スキルも、〈プラント(白カブ)〉しか使えない。

 初めは農民という職業の使い方を覚えるチュートリアルのようなもので、オートで白カブを植えさせられる。


 ゲームと違って、この世界ではスキルに該当しない植物は植えられないというわけではないらしい。

 けれど、どうやらゲームの特性を、この現実は少なからず受け継いでいるらしかった。


「そういう順番にすべきだったが、当時の俺は知らなくてね! 馬鹿だけど、知らないから、自分が農民だからそれだけで人より上手く育てられるに違いないと思ってたんだ。農民に聞いてみればすぐにわかることだったんだが、あいにく聞く機会もなかったし、思いつきもしなかった」


 マルックは恥ずかしげに頭をかいた。


「俺が間違いに気づいたのは、隣の家の畑を見た時だ。――その家は娘が花畑を作っていたんだが、俺の畑よりずっと元気に見えた。何より驚いたのは、その娘の職業が農民でもなんでもない、拳闘士(モンク)だったことだ」

「それはそれは、驚くでしょうね」

「ああ、驚いて驚いて、俺はすぐに隣の家にいって、その娘に畑作りのコツを聞いた。そうしたらなんてことはない。その娘は俺よりずっと努力をしていただけだったんだ」


 マルックは自分の職業をたのんで、土作りも何もしなかった。

 しかしその娘は自分に畑作りの特別な才能はないと知っていたので、よく調べて準備をした。

 初めから農民に助言を求めた。庭の土を掘り返して大きな石を避けて、土を柔らかくし、農民から買った肥料を交ぜた。

 花には、種類によってやるべき手入れがあるのを農民に聞いていたから、それを正しく守っていた。


「助言を求める相手がいるのなら、聞きに行くのが一番いいんだが……ユーナさんは科学者ギルドに行くわけにはいかないよなあ」

「……鬼門ですね」


 今のところヤッコブには見つかっていないユーナだが、時間の問題であるような気もした。

 ドラ子はこの町においてはとかく有名人のようなのである。

 彼が四六時中くっついて歩いているユーナのことは、ゆっくりとだか着実に知れ初めているようだった。


 そのドラ子と言えば、退屈そうに明後日の方角を見やっている。

 マルックの話に全く興味がないらしい。

 酷く冷めた目をしている。人間の言葉になど興味はないと言わんばかりだ。

 こういうところがミニフレ的で、ユーナとしては苦笑せざるを得ない。

 

 この、ドラ子の人間への興味関心のなさを見ると、頼もしくもあり、恐くもあった。

 いくらユーナに対する情愛を語られても、ミニフレとしてユーナが主人だからなのだろうと思わざるを得ない。

 ユーナは、コロッと見た目や甘い言葉に騙されないように心を強く持とうと改めて決意した。


 そして、ユーナとしては非常に興味深い農民の話に耳を傾ける。


「俺は頭から、農民なら、農業に関することであればなんでもできると思い込んでいた。だけど、それは違った。俺は恥ずかしくなって農民を目指すのはやめて、実家の家業を継いだってわけだ」

「あんた、何の話をしているんだい?」

「お前とのなれそめの話だよ」

「あっ、そうだったんですね!」


 奥から戻ってきたラウラを見てユーナはわっと黄色い声をあげた。

 隣の家の娘とは、今の奥さんのラウラのことであったらしい。

 見れば、ラウラは手に植木鉢を持っていた。

 冬なのに、可愛らしい五花弁の、雪のように白い花を咲かせている。


「その花はどうしたんだい?」

「レイミが少し目を覚ましてね、ルルの花を見たいというから、一番綺麗なのを持ってきたんだよ。どうだい?」

「これはこれは、綺麗だねえ。こんな季節なのに、とびきり綺麗に咲かせたもんだよ」


 病人に、植木鉢を差し入れるものではないという。

 根のある植物を見舞いに渡すのは、病院に根付いてしまうとかけることができるから、不吉だと言われている。日本では。


 けれどユーナは、この町とは何の関係もない故国の風習のことなんて言わなかった。

 今見なければ、二度と花を見られなくなるかもしれない人に――二度と自分が育てた花を見せられなくなるかもしれない人たちに、水を差すべきではないだろう。


「今の俺にできることは、妻が咲かせた花に元気を与えて長続きさせることくらいだな」

「そうだね、いつものをお願いよ」

「ああ、喜んで。――〈プラント(エナジー)〉」


 育ちきった後、採取可能時間を過ぎると植物は枯れて収穫できなくなってしまう。

 その枯れるまでの時間を延長するのが〈プラント(エナジー)〉。


 そのスキルの使用を見た瞬間、ユーナには、そのスキルが間違いなく使用されているのが感覚でわかった。


(あ……私の中にある農民の職業だった名残が、疼いてるのかも……)


 ゲームの中で農民をしていた時の記憶が、ユーナにささやきかけているようだった。

 この感覚は、アウリが調合をしている時は、一切感じられなかった。


 つまりアウリのスキルは失敗していたどころか、発動すらしていなかったということだろう。


「あの……すみません、マルックさん。お願いがあるんですが」

「なんだい? ユーナさん」


 マルックは笑顔でユーナに向き直る。きっと彼はユーナの頼みを断らないだろう。

 自分の過去の恥を笑顔で語って、ユーナの役に立つようにと願ってくれている人だから。


(――私も、きっとドラ子も、頭から思い込んでいた。けど……もしかしたら)


 何もかも、あまりにも簡単なことだったのかもしれない。

 ユーナは明日アウリの元を訪れ、全てをはっきりさせるだろう。

 その準備のために、まずはマルックに頼み事をした。

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