演劇部の先輩
久々の部活。今日は秋の文化祭の舞台の役決めをする。俺は予定時刻よりも早く来て部室の片づけをしていた。机の上を簡単に片づけて、可動式ホワイトボードを引っ張り出して。ひとまずはこれで大丈夫だろう。
「お疲れ~!」
肩からスクールバッグを提げて揚々と入ってきたのはユキさん――雪江正三先輩――だった。
「お、お疲れ様です。」
「ふう~。」
ユキさんはスクールバッグを机にどさりと置いた。ユキさんは俺の二個上の16歳だけど身長は俺より僅かに高いくらい。スポーツマン風の精悍な顔立ちと小柄ながらそこそこがっちりした体つき、そしてフランクな雰囲気は体育会系そのものだ。でも騙されてはいけない。実はユキさんは頭脳派人間なのだ。この演劇部では脚本担当をしている。決して体力自慢の役者ではない。脚本担当してることもあってか、ユキさんの観察眼は並外れている。相手の微妙な表情や仕草、無意識の言葉の選択を逃さず相手の本心をあっさりと見抜いてしまう。ユキさんのことを運動部によくいる親しみやすい爽やかな先輩だと思って砕け調子に雑談していた新入生は、みんなユキさんの核心を突く唐突な一言に度肝を抜かれる。
「そうそう。ツバちゃんの従兄弟に会ったよ。」
「え?」
「ハルくん――玄輝くんに。」
「あ、ああ…。」
だからこそ、玄輝に一番会わせたくない人だった。パッと見は切れ者に見えないのが質悪い。好青年の印象を受けるから初対面だとつい警戒心を解いてしまう。そうして何気なく出る仕草や表情、そして言葉遣いをよく観察して、回転の速い頭で真実に迫る。ユキさんはそういう人だ。さすがに未来からタイムスリップしてやってきた俺の息子だなんて突拍子もない結論に達するとは思わないけど、それでも一時しのぎの嘘や建前はあっさり見抜かれるに違いない。
「一目見てすぐ分かった。ああ、この子はツバちゃんの従兄弟だなあって。」
「へえ~…そうですか…。」
本当に、とんでもない観察眼だ。理論上は玄輝の遺伝子の半分は俺由来なわけだから、ユキさん相手なら無理もないが。俺はユキさんに内心を悟られないように警戒の糸をぴんと張る。焦りを表に出さないように必死に表情を硬くする。
「自分でもなんか分かんないけど気付いちゃったんだよね。アルビノのツバちゃんが他の誰かと雰囲気被るなんてことまずないのに…。」
ユキさんが独り言ちてると、部室のドアが開く音がした。振り向くとそこには背の高い女子生徒が無表情で立っていた。部長の相沢千夏だ。
「おはよう。」
「おはようございます。」
部長の視線は俺の後ろ、さっき準備したホワイトボードに向いていた。
「もう準備してくれたのね。白亜、いつもありがとう。」
「別にこれくらい、大したことないですから…。」
「ならいいんだけど…。白亜、いつも言ってるけど無理はしなくていいのよ。」
部長は一方的に話を切り上げて、ユキさんを一瞥した。
「ショウくん、行くわよ。」
そのまま二人は一言も交わさないまま部室を後にした。二人は今から顧問の先生のところまで行く。チェックに回していた台本が今日返ってくるからだ。それから人数分印刷するから二人はしばらく戻ってこない。一人部室に残された俺はぐるりと部室を見回した。部屋の左側には囲むように並べられた机。右側は練習用にスペースを広く開けて、壁際には諸々の小道具が立て掛けられている。俺が初めて足を踏み入れた一年前とまるで変わらないこの部屋。
「思えば、部長やユキさんがいたから今の俺がいるんだよなあ…。」
俺はしみじみと呟いた。
―――――
見た目を揶揄する言葉から逃げるようにして入学したこの学校。とはいえ、最初はそこまで学校生活が輝いては見えなかった。たとえバカにはされないまでも、こんな俺に近づいてくる人間なんていないだろう。そう思っていた。だから部活なんて入るつもりもなかった。いつものように授業も終わって家に帰ろうと一人で廊下を歩いていたとき。
「うわっ!!」
誰かに思いきりぶつかってしまった。額をさすりながら見上げると、すらっと細身で長身の女子生徒が俺を見下ろしていた。
「大丈夫?」
全くといっていいほど抑揚のない声だった。
「は、はい…。」
「もしかして見学希望?」
「え?」
「演劇部の。ちょうど今この部屋で活動中よ。」
「え、演劇部…?」
俺は突然飛んできたその言葉にどきりとした。
「間に合ってます。人とは違うこの白い髪と白い肌も、赤い目も…。人前になんか晒せないですから。」
第一、こんなのと人前で劇をやろうなんてどうかしてる。この人はなんでわざわざ俺なんかを誘うんだ?
「見れば分かるわよ。あなた、アルビノでしょ?でも、それがなんだって言うの?」
「な…!」
この外見のせいで今まで散々苦しんできたのに…それを全部バカにされたような気がした。俺は怒りを込めて目の前の女子生徒を睨みつけた。でも、すぐに毒気を抜かれた。女子生徒と目が合った瞬間、沸々と湧き上がっていた憤りも一瞬で引っ込んでしまった。女子生徒は切れ長の涼やかな目で俺を見下ろしていた。その目には好奇も偏見もなかった。一人の人間を見る目だった。決して、見世物を見る目なんかじゃなかった。
「人と違う見た目。それがなんだって言うの?」
「で、でも…こんなのと一緒に劇したいなんて人…。」
「あいにく、うちには人の外見をとやかく言う人はいないから。」
「でも、でも…。」
俺は必死に探した。誰かと群れる不安を、誰かと接する不安を。でも、もう探せど探せど出てこなかった。この人の目を見た瞬間、拒絶するという選択肢は自分の中で抜け落ちていた。いや、むしろ――
「じゃあ…ちょっとだけ見学させてください。」
一度、縋ってみたいと思ったんだ。俺を一人の人間と見てくれるこの人に。
「ありがとう。」
終始無表情だったこの人が、僅かに微笑を浮かべた気がした。
部室に入ると何人かが台本を見ながらわちゃわちゃと固まっていた。俺たちが入ったのに気付いて、みんな一斉に振り返った。
「こ、こんにちは…。」
俺は恐る恐るお辞儀した。言われた通り、物珍しいものを見るような視線を向ける人は誰一人としていなかった。
「相沢先輩、その子見学希望ですか?」
「ええ。半ば無理やり連れ込んだ感じだけど。」
「まあまあ。話聞くだけ聞いてもらいましょうよ。」
「そうね。」
俺の隣にいる相沢先輩と呼ばれた人は、集団を少し離れたところに座っていた男子生徒をちらりと見た。
「ショウくんお願い。男同士の方が話しやすいだろうし。」
「あいよ~ナツさん。」
俺は促されるまま手近な椅子に座った。ショウくんと呼ばれた男子生徒も俺の向かいに移った。
「こんにちは。オレは中等部三年の雪江正三。みんなにはユキさんとかショウくんとか呼ばれてる。」
スポーツマン。俺が雪江さんに抱いた第一印象はそれだった。この人もまた、俺のことを変な目で見たりはしなかった。
「雪江さん、初めまして。俺は白亜椿って言います。」
「…ゴメン。名前で呼ぶのはやめてほしい。オレさ、自分の名前好きじゃないから。」
「え!?あなたも!?」
俺は思わず叫んだ。だって今まで自分の名前が嫌いって人に会ったことがなかったから。
「だってさ、名字は女の子の名前みたいだし名前もなんか古臭いし。だから気軽にユキさんって呼んでくれる方が嬉しい。」
「ごめんなさい。よろしくお願いします、ユキさん。」
「で、逆にオレは君のこと何て呼べばいい?君も名字も名前も嫌いなクチでしょ?」
「!!」
俺は目を瞠った。まだ何も言ってないのに…。
「どうして…!?」
「だって『あなたも』って言うから。君、アルビノの自分が嫌いなんじゃない?」
「それは…まあ…。」
確かに。確かに嫌いだ。このせいで今まで散々な目に遭ってきたんだから。
「アルビノとして生まれ持った白い髪と肌、そして赤い目。それを連想させる自分の名前が嫌いってとこかな?」
「う…。」
ぐうの音も出ないとはこのことだった。「あなたも」の一言でここまで見抜かれるなんて…。どこをどう見ても体育会系の雰囲気なのに、その奥に秘めているものの底知れなさを感じた。
「俺は綺麗だと思うけどなあ。君のこと。」
ユキさんは不思議そうに呟いた。思ってもみない一言に、俺は探るような視線を向けた。
「そうですか?面倒なだけですよ。」
「紫外線対策と弱視…かな?でもどっちも大丈夫。うちが演劇するのは屋内だし視力もそこまで気にしなくていい。なんならみんなで君をサポートするから。」
「本当に、いいんですか?」
「何が?」
「こんな見た目の人間と劇しても。」
「もちろん…というか、むしろこっちが来てくれって頭下げたいレベルだよ。劇の台本はオレが担当してるんだけどさ、君がいてくれるとできる劇の幅も広がるから。」
ユキさんは微笑を浮かべた。体育会系の見た目に反して、笑顔はすごく柔らかい人だった。
「欠点は嫌ったり目を背けたりするものじゃないよ。それに向き合って生かしたとき、誰にも真似できない美点になる。君が嫌う白い肌も髪も、長所に変えるんだよ。」
この肌を、髪を長所に――。一言一言を噛みしめるように自分の中に染み込ませると、俺の胸がどくんと期待に震えた。
「もっとも、オレは欠点だなんて思わないけどね。アルビノの人って初めて見たけど、すごく綺麗だよ。」
この見た目を褒められたのは初めてのことかもしれない。胸がくすぐったいことこの上なかった。
「じゃあせっかくだから劇も見てってもらおうかな。…みんな~頼むよ~!」
ユキさんの声を合図に他の部員が集まって、寸劇を始める。内容は新歓用の部活プロモーション。この学校の新入生と演劇部員のやり取りだ。俺はみんなの演技に圧倒され、食い入るように見ていた。寸劇の終盤、部員役の女子生徒が笑顔で発した一言。俺はそのセリフが今でも忘れられない。
「人は劇を通して何にでもなれる。少しの間でも望む自分になることができる。」
自分が望む姿、望む生き方。それら全てを演劇を通して昇華できる。この部活に入りたい。俺は心の底からそう思った。
―――――
この見た目のせいで居場所がなかった俺。だけど二人との出会いのおかげで居場所を、大切な仲間を手に入れることができた。そしたら不思議なもので毎日の生活が鮮やかに輝いて見えた。みんなと協力しながら一つの物語を作り出す。それは何物にも代えられない喜びだ。
ガラガラと部室のドアが開かれる音に俺は現実に引き戻された。何の気なしに振り返る。その瞬間、俺は固まった。開かれた扉の向こうに立っている人影。距離が多少あるせいでその子の顔は網膜にきっちりと像を結ばない。辛うじて分かるのは髪型と背丈だけ。この身長、そして黒髪のボブヘア。そんな人間はうちには一人しかいない。
「あ…。」
彼女が思わず漏らした声。間違いない。二日前、この部室で二人きりになったときに聞いた声に間違いなかった。
そう。そこに立っていたのは石黒花音だった。




