椿の友人①
朝食を終えた俺たちは部屋に戻っていた。玄輝は我が物顔でベッドにどかりと腰を下ろしている。俺は玄輝を後目に携帯を触っていた。友達にメールするためだ。メールを打ち終えて携帯を机に置いたそのとき。
「ひゃあっ!!」
いきなり腕をつと撫でられて思わず変な声が出た。俺はバッと振り返って玄輝を睨む。
「急になんなのさ!」
「ずっと思ってたんだけど、可愛い声してるね、パパ。」
「余計なお世話だ!!」
「声変わりの兆しもない女の子みたいな声。可愛い。」
「聞けよ!!」
どうやらこいつには目くじら立てても効果ない…というか、怒った俺は威嚇する子猫みたいなもので、こうして可愛い可愛いと甘やかされておしまいだ。
「いやあ…。タンクトップから覗くパパの白い腕がなんとも…。」
こんなの興奮しない方がおかしいでしょ~…なんて身の毛がよだつ言葉を背中に浴びながら、俺は洋服ダンスから白のサマージャケットを取り出して、いそいそと羽織った。
「あれ?パパ、サマージャケットなんて持ってたんだ。」
意外そうに玄輝が呟く。
「ちょっと外に出るときとか、気休めにね。」
外出するときは猛暑日だろうとなんだろうと長袖長ズボンの徹底防御を余儀なくされる身だ。家にいるときくらい半袖を着たい。かと言って少しコンビニまで行くときとかに腕が剥き出しっていうのもイヤだから、気軽に羽織れるサマージャケットは重宝している。もっとも、これ一枚着たところでそこまで変わるものでもないと思うけど。
「そう言えば洗濯物干すときとか、ポスト見に行くときとか、学校から帰った僕を出迎えてくれるときとか、羽織ってたね。長袖のジャケット。」
「あれ?未来の俺って仕事は?」
「ママが仕事に行ってパパが家で掃除やら洗濯やらやってくれてる感じだね。パパは時々内職もしてるけど。」
「へえ…。」
意外だな、と俺は目を丸くした。玄輝の時代はどうなってるか知らないけど、今だと両親共働きか、父親が仕事に行って母親が専業主婦ってのが一般的なはず。家庭に専念する父親っていうのは珍しい。まあ、自分が将来そうなるらしいけど。
「まあ、珍しいよね。家に帰ったらいつもパパがいる家って。僕も気になって聞いたことがあるんだけどさ…。」
「教えて。」
思わず口をついて出た。自分の将来の姿が気にならないわけがない。
「あれこれ会社探したけど、どうもパパを受け入れてくれる会社はなかったみたいだよ。」
「…まあ、そうだろうね。」
当たり障りない返事をしたけど、内心は鉛を胸に詰められるかのような気分だった。まず接客業はアウトだろう。「いらっしゃいませ~」って微笑まれるのが、レジで会計してくれるのが、こんな陶器のような肌と真っ赤な目をした人間だったら客が寄り付かなくなりそうだし。それに視力の低さを考えたら細かい仕事も厳しい。そもそもどんな仕事であれ、この見た目を理由に早々に弾かれてもおかしくない。
「それでママと話し合った末に、ママが働いてパパが家の仕事することにしたんだって。」
ああ、やっぱり未来の奥さんに皺寄せが行くのか…。チクリと胸が痛む。色素が薄いだけ。それなのに普通に生きることを許されない。誰かに助けてもらわないと生きていけない。自分は助けてもらってばかりなのに、俺は迷惑しかかけられない。
「それでもやっぱり日光浴びてられないとか、視力弱いとかでいろいろ大変そうでさ。ちょくちょく僕もパパのお手伝いしてるんだ。」
そして、目の前のこの男の子にも。君は誇らしげに笑うけど、結局俺が迷惑かけてるだけじゃないか。こんな、普通じゃない人間が君の父親だから。
「ごめんね。」
「?」
「俺のせいでいっぱい迷惑かけちゃってさ…。」
途端に玄輝の表情が曇った。
「あのさあ…そういうのやめてくれない?俺は全然迷惑じゃないから。」
玄輝はそっと、俺の隣に座る。
「むしろ楽しい。お手伝いしながらパパといっぱいお喋りできるから楽しいんだ。」
微笑みを浮かべながらふわりと俺に抱きついてくる。整った美しい顔立ちもあって、儚げで守りたくなる、そんな微笑だった。
「学校のこととか、部活の合宿とか、他にもいろいろ。何も考えずにただお喋りしてる時間が最高に大好き。」
別に今の俺がしてあげたことじゃないとはいえ、それでもこうやって懐かれると面映ゆい。
「あとは試合のこととか。サッカーって外でずうっとボール追っかけ回すわけじゃん?試合見るのだって何時間も日差しの下だよ。大体想像つくと思うけど、パパ、試合見に来られないんだよね。その分いっぱい喋ってる。」
いくら長袖長ズボンで完全防御して日焼け止めを塗りたくるとしても、紫外線の影響は完全には防ぎきれない。よほどコンディションのいいときでないと試合なんて見に行けないだろう。本人は雑談気分で喋っていることが、どうしても恨み節を言われてるみたいに思うのは、後ろめたさがあるからだろうか。どの子の親も見に来てる中で、親が来ていないのは玄輝だけ。そんな光景を思い描いて、俺は胸がチクリと痛んだ。
「そんな顔しないで。」
玄輝は俺の心を見透かしたみたいにそっと頬を撫でた。
「いつも試合のこと熱心に聞いてくれるもん。僕はそれだけで十分だよ。」
思わずドキリとするほどに綺麗な微笑だった。首筋にまとわりつく玄輝の匂いが、果実のように甘くなった気がした。男の子らしい濃い匂いはすっかり鳴りを潜めていた。
「あのさ、玄輝はサッカー好き?」
俺が呟くと、玄輝はガラスのように繊細な笑顔のまま、静かに頷いた。
「うん。サッカーは好きだよ。楽しい。」
「でも、俺は付き合ってやることはできない。」
「知ってる。」
「だからさ、玄輝に付き合ってやれそうな友達、紹介してあげる。」
「え!?」
玄輝はオーバーなまでに驚く。
「もしかしてさっき何か触ってたのって…。」
「そ。そいつにメールしてた。誰にでも優しいヤツだから、すぐ仲良くなれると思う。」
「パパの…友達…。」
玄輝は目をぱちぱちと瞬かせながら俺の言葉をゆっくり反芻する。こうして見てみると、ぱっちりとした黒い瞳が本当に綺麗だ。
「…間違ってもそいつの前でパパとか言うなよ。」
「うん…分かったよ椿。」
玄輝はニヤリと微笑んだ。と、ちょうどそのとき、インターホンのチャイムが家に響き渡る。
「ちょうど来たみたいだね。」
俺は玄輝の手を引いて部屋を出る。
「ねえ…。」
「なんだよ玄輝。」
「やっぱりパパのこと椿って呼ぶの、なんか気持ち悪いなあって。」
玄輝は悪戯っぽく笑って俺の胸の中に飛び込んでくる。
「間違ってパパって呼んじゃうかも。」
「…やめてくれ。」
にまにまと笑う玄輝に顔をしかめる。
「俺のことは適当に花か何かと思っとけ。」
「あながち間違いじゃないね。パパ、椿の花みたいにいい匂いだしっ!」
「どうわっ!!あと人前でこうやってじゃれつくのもなしだ!!」
ぎゅうぎゅう抱きついてくる玄輝を引き剥がし、やっとのことで玄関までたどり着く。
「お待たせ~。」
俺は少しへとへとになりながら玄関を開ける。
「お前さあ…遅くね?」
「ごめんごめん。ちょっとね…。」
「まあいいや。久しぶり!」
俺ににこやかに手を振って、彼は俺の隣にいた玄輝を一瞥する。
「こいつがさっきメールで言ってた玄輝。」
俺は玄輝の肩をぽんと叩いて紹介する。
「よろしくな。オレは榎本匠。椿とは小学校のときからの仲だ。こいつは匠って呼んでるけどみんなはタクちゃんって呼んでる。好きな方で呼んでくれ。」
やっぱりこいつは日焼けが似合う男だ。すらっと長身で、程よく筋肉質で、健康的に焼けた肌。こいつは俺の親友だけど、それなのに時折ふとした瞬間にその男らし見た目に嫉妬してしまう。自分がどんなに求めたってこんな身体にはなれないから。
「よ、よろしく。」
玄輝の表情が幾分硬い。匠も気付いたようで、「固くなるなって!」と親しげに笑う。いきなり俺に抱きついてきた玄輝のことだから、すんなり仲良くなってくれると思ってたんだけど…。まあ、匠相手ならすぐに打ち解けられるだろうと気にしないことにした。人の心にスルスルと入ってきて、相手を心ごとがっちり受け止める。匠がそんなヤツなのは、この俺自身がよく知ってるから。
そういう性格だからこそ玄輝を任せられるっていうのもあるけど、一番の理由は人をむやみに詮索しないから。こいつには玄輝のことは訳あってうちでしばらく泊まってる知り合いとしか言っていない。あとはサッカーが好きってことだけ。それでも匠は二つ返事で引き受けてくれた。匠はもともとそういうヤツだ。どこの誰で何者かになんてこだわらない。そして、外見だけで人を判断しない。まあ、だからこそ今でも仲良くやってるわけで…。
小学校の連中は大概が俺の見た目をバカにしたり、からかったり…。そんなヤツらばかりだった。だから匠は小学校のときの数少ない友達の一人だったし、みんなが近くの公立中学に上がる中、俺だけが私立に通うことになった今、絶えずやり取りしてるのは匠くらいなものだ。
「それより椿、お前どうしたんだ?」
「何が?」
「何がって…。なんかいつもよりオシャレじゃん。」
俺の「何が?」に心外といわんばかりに大袈裟に呟く。
「や~っとオシャレに目覚めてくれたか椿くん。」
「まさか。」
「ほらほら、正直になれよ。オシャレしたい年頃だろ?安心しろ。似合ってる。すごく似合ってるから。」
むすっとする俺にはお構いなしに匠はニコニコと幼さを感じる笑顔を浮かべる。
「実は…僕が椿の服見繕ったんだ。」
横から玄輝がおずおずと会話に入ってくる。…よかった。パパ呼びはなかった。
「へえ…。お前、なかなかセンスあるじゃん。」
匠は感心して玄輝を瞠目した。
「お前からも言ってくれよ。こいつ、いっつも普段着クソダサなんだよ。」
「分かる。洋服ダンス見てみたんだけどさ、もうありえない。あんまりにもひどかったから僕が服見立ててさ。実際今僕が着てるのも椿の服。」
「おお!マジか!?パシッと爽やかに決まってたから言われるまで気づかなかった。」
「服は合わせ方次第でなんとでもなるからさ。…でも、もう少し服に気遣った方がいいと思うよ。」
「ちょっとちょっと。二人してなんなのさ。別にいいじゃんオシャレなんて。」
俺はむすっと頬を膨らませた。俺の普段着トークで玄輝もだんだん打ち解けていってくれてるのは嬉しいけど…それでも、話題が話題だけにいい気はしない。
「これ。小学校のときからずうっと言ってる。」
匠は俺を指さして玄輝に苦笑いを見せる。
「こいつさあ…元はいいのになあ。」
「だよねえ。せっかくの美少年なのに…。」
「あ、お前もそう思う?」
「思うよ~。」
「あのさあ…。バカにするならとっとと行って。」
「おお~怖。さっさと行こ。」
「だな。椿はキレたらものっすごい怖い。」
煽るように喋りながら出ていく二人の背中をじとりと睨む。オシャレだの美少年だの好き放題言いやがって。大体そんなこと言うのお前らくらいだ。どうせ俺なんてオシャレしたって…。
「…。」
俺はいそいそと洗面所に向かう。ちょっと、ちょっとコンタクトがズレた気がするからそれを直しに。別に、別に二人に褒めちぎられたこの格好が気になるからとかじゃないからな。おそるおそる鏡に自分の姿を映す。弱い視力のせいでよく見えない。俺は無意識に洗面台に手を掛けて身を乗り出すようにして自分の姿を鏡に映す。
「おお…。」
思わず感嘆の声を漏らした。玄輝が言ってたっけ。俺は白系も黒系も似合いそうだって。オシャレに疎い俺でも分かる。黒い服のおかげで白い肌が一層引き立って、自分で言うのも可笑しいけど、すごく綺麗だ。そして俺が何気なく引っ掴んだ白のサマージャケット。色素の薄い肌と溶け合う白さもまた、我ながらうっとりする。…そうか。自分を綺麗に見せようとしなかったから嫌いなままだったんだ。自分では欠点だと呪うこの外見を活かせるコーディネートをすれば、もしかしたらこの外見を好きになれるのかもしれない。そんなことを思いながら俺は洗面所の電気を消した。




