親子の夜②
夏場の風呂上がりは暑い。とにかく暑い。いつもだったら熱が引くまでパンツ一丁でゆっくりしてるんだけど、今日はそういうわけにもいかない。玄輝の待つ部屋にパンツ一丁で帰れば何されるか分からない。やむなく俺は粗熱の引いたところでパジャマを着て部屋に戻る。
「お帰り~!」
部屋を開けた瞬間、玄輝の嬉々とした声が飛んできた。声のした方を向き直るけど、目をぎゅっと細めるけど、何も見えない。
「そうか…。パパ、お風呂上がりはコンタクト外してたね。」
物音。玄輝が立ち上がる音だろうか。
「どうする?必要なら手、引いてあげるよ。」
「大丈夫。大体どこに何があるっていうのは分かってるから。」
仮にも十年以上過ごしてきた家だ。コンタクトを外してろくに物が見えなくても少しの距離なら歩ける。とりあえずさっさとベッドに腰を下ろそう。そう思って歩き始めたそのとき。
「うわっ!!」
何かに正面から勢いよくぶつかってバランスを崩した。転ぶすんでのところで体をぎゅっと抱き寄せられ、事なきを得た。
「だ、大丈夫!?」
切羽詰まったふうに耳元で囁いたのは言わずもがな、玄輝だ。
「お前のおかげでどうにか…。ありがとう。」
ぎゅっと密着してるこの状態でも、裸眼だと玄輝の表情はおろか、輪郭さえもぼやけて見えないレベルだ。俺は霞む視界の奥の美少年に向かって微笑んだ。
「ふふ…。ほっぺたピンク色だね。」
「そりゃあ風呂上がりだからね。」
アルビノは色素が薄い分、血の色が透けて往々にしてうっすら桃色がかって見える。特に今は風呂上がりで血行が良くなってる分なおさら。
「あのさ、パパにお願いがあるんだけど。」
「なあに?」
至極真面目なふうに切り出される。俺はピントの合わない玄輝の顔をまじまじと見つめた。こんなに近くにいるのに表情が何一つ見えないのは不思議な感覚だった。俺は見えない表情を補うかのように耳を研ぎ澄ませる。
「パパの服…貸してくれる?」
「…はあ?」
思わず間抜けな声が出た。真剣な声色で神妙そうに切り出してくるから何かと思えば…。」
「はあって何さ。僕さ、着替えなんて持ってないんだよ。」
そういえばそうだった。学校からの帰りにこっちの世界に飛ばされたという玄輝が身に付けていたのはサッカーのユニフォームとサッカースパイク、そして持っていた荷物もサッカー部関連のものばかり。着替えなんて持っていなかった。
「いいよそれくらい。適当なの出して使って。」
「ありがと。じゃあさ…。」
耳元で甘い声で囁かれる。俺は嫌な予感を覚えた。先刻の恍惚とした黒髪の少年の顔が脳裏をよぎった。
「パパのパンツも借りていい?」
「――!!」
うっとり微笑むように耳元で囁かれた言葉に、俺は全身に燃え上がりそうなほどの熱が駆け巡る。
「いいい良いわけないだろバカ~!!」
「わっ!パパ暴れないで危ない!」
恥ずかしさのあまり、俺は玄輝の腕の中でしゃにむに暴れた。でも、やっぱり運動してるだけあって力は玄輝の方が強い。よろけそうになりながらもどうにか俺をがっしりホールドして、両腕をぶんぶん振り回して暴れまわる俺をあっさりと鎮めてしまった。
「お前さ…お前さあ…。それはダメ。絶対ダメ。」
汗ばみそうなほどに熱くなった顔で玄輝の影を睨めつける。俺の顔は真っ赤に染まってるだろうけど、それは透けて見える血色だけが理由じゃないはずだ。
「なんで?別に僕はパパのパンツ履くの平気だよ。」
「俺が嫌なんだよ!誰が使用済みのパンツ人に履かせるか!」
「じゃあなあに?それじゃあこの一週間ずうっとこのパンツ履くか、ノーパンで過ごすかしろって言うの?だったらパパのズボン、ノーパンで履かせてもらうよ。」
「お前それやったらブン殴るからな!!」
はあはあと息を継いで昂った感情を鎮める。
「あのさあ…。人の使用済みパンツとか気持ち悪くない?なんでお前平気なんだよ。」
「パパのだから。」
「ゴメン聞いた俺がバカだった。」
俺は頭を抱えた。これと一緒に一週間かあ…。俺、襲われないよな?
「あ、安心してね。別にパパに手を出す気はないから。」
こいつ、読心術でも使えんのか?俺は憮然と目の前の少年の輪郭を見やる。なんかもう、いっそ玄輝の表情が見えないのがありがたい。
「僕は可愛いパパをいじめたいってそれだけだから。」
残念ながら、それだけでも十分アウトなんだよなあ…。俺は溜息をひとつ吐いた。
「そこ、タンスあるだろ?」
俺は左手で部屋の隅を指さした。
「あ、うん。」
「下から一段目のとこに服入れてあるから。確かそこに未開封のパンツあったはずだからそれ使って。二枚セットだったから洗い替えでちょうどいいだろ?着替えもそこから適当に出して。なんならパジャマがもう一着あったはずだからそれ使えばいいし。」
「オッケー。ありがと~。」
ようやく俺は玄輝の抱擁から解放された。せっせと洋服ダンスを漁ってる間に俺はどさりとベッドに身を投げた。
「ええっ!?なにこれ!!」
「なにが?」
俺は不機嫌を露わにして言葉を投げ捨てる。
「パパさ…。私服、ダサくない?」
ほっといてくれ。どうせ俺は滅多に外に出ないんだし、適当に家で過ごせる服があればそれでいいじゃないか。文句言うなら着るなって話だ。
「いや、上手いこと合わせればそれなりにいい感じはになると思うけど…。でもさあ、勿体なくない?せっかくパパ綺麗なのにさあ…。」
「ごあいにくさま。俺はオシャレとかそういうの、ぜんっぜん興味ないから。」
そうだ。どれだけオシャレしたって最初に言われるのは「どうしたのその白い肌?」とか「なんで目が赤いの?」とか相場は決まっている。そして俺の体質のことを説明してやったところで相変わらず物珍しげな目を向けながら当たり障りのない表面的な言葉を掛けるだけ。オシャレしたって意味がない。みんなが見るのは人と違う肌や髪、そして瞳なんだから。いつしか俺は外見に無頓着になっていた。
「…。」
玄輝から無言の圧が飛んでくる。おおかた、ガツンと何か言ってやりたいけど言い返したところで無駄だから言わないって感じだろう。やがて玄輝は観念して、ごそごそとタンスを物色し始めた。
(ああもう今日はいろんなことがありすぎて疲れた。)
俺は薄い掛布団を乱暴に頭まですっぽり被る。玄輝が服を物色する音を聞きながら、俺の意識は深くまで落ちていった。




