劇練にて
「ねえ、どうして君をここに連れてきたか分かるかい?」
僕は目の前の可憐な少女に微笑む。真っ赤な瞳に情欲の炎を揺らめかせながら。
「夜の森を歩く君を見て、僕は一目惚れしたんだ。白百合のように美しく、可愛い君に。」
ニイッと目を細めて右手を差し出せば、少女は警戒の糸をぴんと張って僕の顔をじっと凝視する。僕は身を固くする彼女の手を取り、そっと跪く。
「僕の伴侶になってくれないか?」
二人の視線がぶつかる。僕の綻びた視線と彼女の張り詰めた視線。彼女は何も答えない。でも、拒絶しているのは明らかだった。全身からそばだてる嫌悪感。それに気付かないほど僕は馬鹿じゃない。
「ごめんなさい。」
長い沈黙の時間の末、彼女はか細い声で呟いた。
「私、まだ子どもだし…。それに、家ではお母様やお父様、それにお姉さまたちも待ってるから…。」
「関係ないよ。」
僕は笑顔を張り付けたまま、きっぱりと言う。
「だってこれはもう決まったことなんだ。君は僕の妻となる。今日この時この瞬間から…ね。」
少女は僕の手を思いきり払いのけ、くるりと背を向けて全速力で駆け出す。何を無駄なことを。意味の無い抵抗をする彼女の愚かさに呆れつつも、そんな彼女がいっそう可愛らしく見える。僕は静かに右手を高く掲げ、パチンと指を鳴らす。
「!! なにこれ!?」
少女は途端に、まるで石になったかのように動かなくなる。
「体が…動かない…!」
青白い顔で冷や汗を流す彼女にコツコツと靴音を響かせながら一歩、また一歩と歩み寄る。
「だから言ったでしょ。これは決まったことなんだって。」
彼女の後姿を眺めながらゆっくりと歩みを進める。動かなくなった彼女の細い背中が震えるようだった。
「あなた…一体何者なの…!?」
「僕かい?僕は…吸血鬼なんだよ。」
彼女の服に後ろから手を回し、第一ボタンを外す。花音さんの…いや、僕の伴侶となる少女の首が。吸血鬼は首筋に噛みつき、契約を交わす。あとは首筋を露出させて噛みつくだけだ。第一ボタンは外した。後は襟口を引っ張れば首筋は露わになる。少女の…いや、花音さんの首筋が。
『椿くん…。わたしと…付き合ってほしいの!!』
『悪いけど…。付き合うことは、できない。』
不意に数日前の記憶がまざまざと蘇る。…いやいや落ち着け。今の俺は椿じゃない。孤独なヴァンパイアの少年だ。そして彼女は花音さんじゃない。ヴァンパイアに娶られる少女だ。彼女の首をさらけ出すことに何の抵抗も感じるはずないじゃないか。硬直する体に鞭を打って少女の襟口を掴む。少女を金縛りの術にかけたヴァンパイアがこれじゃあ笑い種だ。
「さあ…僕の奥さんになってよ。」
ヴァンパイアは大口を開けて、その美しい首筋に牙を突き立てる。でもそれは、現実の世界では俺が花音さんの首筋に噛みつくってことで…。結果はどうあれ彼女の想いを踏みにじったこの俺が…。ダメだダメだ。演技に、演技に集中しないと――
「はいそこまで~!」
催眠術から覚めるように、俺たちは現実の世界へと舞い戻る。脚本係・ユキさんの一声で。オレは待ちわびたかのように花音さんから離れる。花音さんもまた金縛りが解け、すっと楽な姿勢を取る。
「さっすがツバちゃんとのんちゃん!役に入りきって見事な演技だったよ!…と言いたいけど、やっぱり最後がねえ…。どうもぎこちないっていうかよそよそしいっていうか…。」
ユキさんは渋い顔で腕組みする。
「ヴァンパイアくんはさ、なんとしてでも少女を手に入れようとする子なんだから噛みつくのに変な抵抗とか遠慮とかあるわけないんだよね~。」
「はい。ごめんなさい…。」
「いいよいいよ謝らないで。演技とはいえまあまあえげつないことさせちゃうわけだし。そう思ってツバちゃんと仲いいのんちゃんに…って思ったんだけど、それでもやっぱ難しいかあ…。」
件の告白のゴタゴタがあった今となっては、その言葉が当てつけに聞こえる。目下、俺たちは仲いいどころかモヤモヤしたものを抱え合ってる状態なんだから…。
「どうするショウくん?私としては次の場面に移っても問題ないと思うけど。」
離れたところから見ていた部長がユキさんに歩み寄る。
「ですね。慣れさえあればこの場面は完璧になりますから。」
「じゃあ次の場面ね。帰ってこない少女を探して村人が森に探しに入る場面ね。初村、牧、宮下。準備はいい?」
「は~い!大丈夫で~すっ!」
いつものように明るい返事をするゆきめぐ先輩。
「あ、はい!」
ぼうっとしていたのか半ば驚いたように返事する颯。
「私もいけます。」
真希さんも返事しながら席を立つ。
「よし。それじゃあ始めようか。えっと、先に登場のタイミングとか言っとくとね…。」
三人の方に背を向けるユキさんの背中をぼうっと眺めていると、ちょいちょいと長袖シャツの袖口を引っ張られた。振り向くと花音さんが気まずそうに俺から目を逸らして顔を僅かに紅く染めていた。
「あのさ、気にしなくていいから。」
「…へ?」
「わたしの首に噛みつく演技。ただの演技なんだし遠慮しないで。」
「え、でも…。」
「本当に嫌ならこの役引き受けてないよ。」
ちらりと向けた視線。それは笑っているようにも、怒っているようにも見えた。
「あ~はいはい!!」
ゆきめぐ先輩のオーバーな声が俺たちの会話を遮った。
「明日からお盆で学校入れなくなるなるけど…今年も誰かの家で練習するんですか?」
「ああ。そういえばまだ決めてなかったね。」
「どうせ今年も椿の家でしょ?去年椿の親御さん二つ返事で許してくれたし。」
「そうね。椿の家なら誰もいないし。」
「あ、それなんだけどね…。」
今は玄輝がいるから…。俺がそう言う前にユキさんがニッコリと口を開いた。
「大丈夫だと思うよ。ただ、今年は見学者もいるけどね。」
「見学者!?」
颯が素っ頓狂な声で聞き返した。…ってかちょっと待て。見学者って――
「玄輝ですか?」
「そうだよ。」
「え…玄輝って?」
「ツバちゃんの従兄弟。血が繋がってるだけあってツバちゃんみたいにすっごく綺麗な男の子。」
「ちょっ…血が繋がってるって…。従兄弟ですよ従兄弟。」
普通に一瞬息できなかった。まさか本当は親子だってバレたんじゃないかって。いっそこの人は全て知ってるんじゃないかと疑ってしまう。花音さんに告られたこと、それを断ったことも。だから当てつけのように俺たちにヴァンパイアと彼に娶られる少女の役をやらせたんじゃないか?そして玄輝が俺にやたら執着してる息子だって気付いてるから台本やら去年の写真やら見せたんじゃないか?そう思ってしまうほどにこの人は抜け目がないのだ。
「まあそれなりに血は近いでしょ。そういうこと。」
ユキさんは悪戯っぽく笑ってウインクする。対する俺の表情はおそらく硬いままだろう。
「え~ツバちゃんって従兄弟いたんだ~。初めて聞いた。」
「まあ今回、いろいろ事情があって家に泊まってて…。」
「部外者に見せていいんすか?」
「ちゃんと約束はしてもらったよ。誰にも劇の内容は言わないで、とか色々。」
「あの…もしかして一昨日家に来たのって…。」
「約束してたからっていうのもあるけど…。劇練関係でも話したいことあったし。もしかしたら練習の時間にもツバちゃん家にいるかもしれなかったし。」
まさかあの段階でそこまで考えてたなんて…。ねえ、本当にまだバレてないんですよね玄輝の正体。




