劇の配役
部室に戻ると、既に部員全員が揃っていた。いつものように「んじゃあまずは今回の話見てもらおうか」とユキさんは台本をみんなに配る。
「ほい。ツバちゃんの。」
席に戻ろうとした俺を呼び止めてユキさんは台本を手渡す。視力が人よりも弱い俺のために用意してくれた台本だ。他の部員のよりも二回りほど文字が大きい。わざわざ文字の大きさを変えるのは手間なはずなのに、ユキさんはずっと俺用の台本を別に用意してくれている。
「ああ…ありがとうございます!」
俺は目の奥が熱くなるのを感じた。こうして俺用の台本を用意してくれるのは今に始まったことじゃない。なんなら俺の初公演のときからずっとしてくれてることだった。それでもやっぱり慣れない。わざわざ俺のために気遣ってくれる、ユキさんの優しさに。
「そんな大げさな顔しないでよ。」
ユキさんは目を細めてぽんぽんと俺の頭を軽くたたく。
「オレ、そんなに感謝されることした覚えないから。…約束したじゃん?ツバちゃんのこと全力でサポートするって。」
そう言ってユキさんは、いつも俺のために心を配ってくれる。ユキさんだけじゃない。こんな俺を迷惑に思うどころか、むしろ率先して気遣ってくれる。やっぱり俺はこの演劇部に入ってよかった。この俺を受け入れてくれる場所、受け入れてくれる仲間。些細なことかもしれないけど、それがこの上なく嬉しい。
「これでみんなに台本行き渡ったかな?じゃあ各自、読んでみてほしい。どの役がやりたいかも、ぼんやりとでも考えといてね。」
ユキさんの一言を合図に、みんな黙々と台本を読み進めていく。
「どう?大丈夫?見づらい文字とかない?」
ひそひそ声で横から心配してくれるのはゆきめぐ先輩だ。
「特には…。大丈夫です。」
俺はにこやかに返した。
「ところでさ、ツバちゃん、のんちゃんと何かあったの?」
のんちゃんというのは言わずもがな花音さんのことだ。
「いえ、大丈夫です…。」
「ならいいんだけど…。のんちゃんいつもツバちゃんの隣に座ってるのにねえ。」
何も知らないゆきめぐ先輩は不思議そうに呟く。俺はただ苦笑いしてやり過ごすより他なかった。…まさか二日前突然告られて、それを俺が断ったなんて、とてもじゃないけど言えない。
今回の劇は、とある吸血鬼の少年のお話だった。ある日、人間に忌み嫌われ森の奥の洋館で暮らす彼は、たまたま森を通りかかった少女に一目惚れする。彼は正体を隠して彼女の前に現れ、洋館に誘い込む。そこで彼は契約の証として少女の首筋に噛みつき、血を吸う。契約が完了した少女は是非なく吸血鬼の少年の伴侶として一緒に暮らすことになる…とまあ、出だしからなかなかにヘビーなお話だ。
「こんなのよく検閲通りましたよねえ…。」
ゆきめぐ先輩が台本を斜め読みしながらぼんやりと呟く。
「そりゃあ去年のアレがセーフなら何でもアリっすよ。」
横から口を挟んできたのは俺の同期の牧颯だ。颯の言う通り、アレが通ったんならもう何やってもいい気がする。
「だよねえ…。去年何人が女装したっけ?」
宮下真希が渋面で呟いた。そう。去年の文化祭でやった劇というのは女装してメイドとして働く少年たちという、もはやこの時点でアウトだろと突っ込みたくなるようなとんでもない話だった。
「まあ、ジェンダーとかそのあたりの理由で猛反対した先生はいたことはいた。」
部長が例によって涼やかな顔で呟く。
「ま、そこはオレの弁舌で上手いこと言いくるめた。」
ユキさんは舌をペロリと出しながら悪戯っぽく笑った。いやもう、この人は言葉の使い方が匠過ぎる。検閲した先生に渋い顔されてもユキさんが上手く言いくるめてそのまま押し通してしまう。だからこそ、検閲が終わって台本が返されるその日に印刷・配役決定なんてムチャなスケジュールが成り立つのだけど。
「でもなんだかんだ女装すんの楽しかったけどな!」
颯は豪快に笑いながら、臆面もなく呟く。
「まあ、ハヤちゃんの女装受けてたもんねえ。」
そう言って意味深な笑みを浮かべるユキさん。実際、確かに颯の女装は受けていた。背も低く、声も声変わりの兆しがなく、顔立ちも相変わらず幼いこともあって、颯の女装はクオリティが高くて公演後もしばらくネタになっていた。
「でもオレ的には椿の女装の方がすごかったけど。」
俺の真向かいで颯がニッと白い歯を見せて笑った。後から聞いた話だと、俺の女装も一部マニアックな人たちの間では反響を呼んだらしい。…そう言えば、そのときの写真をアルバムにしまってたっけ。帰ったら急いで回収して隠さないと。なにせ今、うちには誰よりも俺を不健全な目で見る美少年くんがいるから。
「ま、過去の公演の話はほどほどにして…。今やるべきは今回の配役どうするかよね。」
相変らず抑揚のない部長の一声に一同は話題を元に戻す。
「まず確認したいのはショウくん。この役は絶対この子にやってもらいたいとかあったら先に言って。」
「そうだね…まず、今回の主役の吸血鬼の少年。オレの中ではイメージはツバちゃんだった。」
「――え?」
驚く俺をよそに、みんなの視線が俺に集中する。
「お、俺ですか…?」
「うん。ツバちゃん自身は嫌いなのかもしれないけど、俺はツバちゃんの髪も肌も目も全部好きだからさ。あれこれ考えてたらこういうお話に行きついたってわけ。」
「俺の…。」
一言一言、ゆっくりと俺の中で噛み砕いていく。人よりも白い肌、透き通るように色のない髪、花のように真っ赤な目。全部全部、嫌いだった。それをすべて個性に変えて、孤独な吸血鬼の少年として昇華させる。噛みしめれば噛みしめるほど、じわりじわりと胸が興奮に熱を持ち始めた。
「ぜひ!みんなが納得してくれるなら…やりたいです!!」
考えるよりも先に言葉が出ていた。みんなも誰一人として反対することなく、頑張れと激励の言葉を掛けてくれる。
「ただ…大丈夫?」
部長が心配そうに口を開く。
「今回の役は今まで以上にあなたの外見に向き合うことになる。無理はしなくて大丈夫よ?」
「いえ、無理なんてしてませんから…。」
俺がそう言うと部長はただ無言で笑顔を返してくれた。みんなもこれ以上何も言わなかった。みんなに認められた瞬間だった。
「ありがとう。初めての主役、大変かもしれないけど…頑張って。オレたちも応援するから。」
ユキさんがにっこりと微笑む。スポーツマンらしい爽やかさあふれる笑顔だった。
「そして、吸血鬼が見初めた女の子だけど…。」
そう言ってユキさんがチラリと視線をやった先にいたのは――
「のんちゃん、どうかな?」
「え?」
「え?」
思わず聞き返してしまう。俺と花音さんの声が見事に重なる。…いやいや冗談きついですって…。二日前振った振られたの関係になった俺たちに恋人――人って言い方が適切なのかどうかは知らないけど――の役やれだなんて…。それは花音さんも同じなようで、ちらちらとそれとない視線を感じる。
「あれ?ダメ?ツバちゃんとのんちゃんって普段からいい感じだしピッタリだと思ったんだけどなあ…。」
残念そうに呟くユキさん。もういっそ俺たちへの当てつけのようにすら感じる。もしかしてユキさん、二日前の放課後、俺たちのこと見てたんじゃ…。
「あっあの…。やります…。」
動揺丸出しの声で花音さんは承諾した。彼女とは距離があるせいでその表情は見えないけど…おおかた気まずい面持ちをしてるに違いない。
「大丈夫?さっきからツバちゃんとのんちゃん、すっごいぎこちないけど。」
「いえ、大丈夫。大丈夫ですから…。」
「…あのさ、無理しないでいいんだよ。」
「本当に、本当に大丈夫です…。」
歯切れの悪い会話にヒヤヒヤする。いつもは近くに座ってる者同士が今日は離れて座って、おまけに今のぎこちないやり取り…。ユキさんじゃなくても俺たちに何かあったことは容易に察せられる。一瞬にして俺を取り巻く空気がじっとりと居心地悪くなった気がする。
「まあ、本人が大丈夫って言うならそれを信じるとして…次行きましょ次。」
部長が手をぱんぱんと叩けば残りの役決めにさっと移る。部長がナイスタイミングで話題を変えてくれてよかったけど…。相変らず、俺の周りの空気はねっとりとして気まずかった。




