Part 20-2 Close Combat 白兵戦
Suburbs of NYC 14:25
午後2:25 ニューヨーク市近郊
コーティングの磨りきれたSRKナイフを逆手に持ち、曲げた人差し指を地面に向け刃を手首に隠したバスケス・ハンセル少尉は男に対し右腕を後方に引き、相手がナイフを持たない左腕の方へと回り込みながら、男の横に8の字を描くナイフのポイントを眼で追わない様に相手の目に意識を集中した。
どんな歴戦の猛者でも攻撃に出る瞬間それが目に顕れる。相手は上下左右に切っ先を移動させる事でどこから斬り込むか読ませない魂胆だとバスケスは思った。
だがどの位置から狙ってこようと、必ず到達点はこの自分の身体に集約される。手首、腕、身体の動線は連続しており、その先に斬り込む先が存在する限りそれらはすべてを読み切り予測可能な想定内だと、海兵隊一のナイフ使いと言われる彼は信じて疑わなかった。
そしてこちらのリーチを読ませず、斬り込んで来た相手の刃を横に流し、同時に踏み込んで来た相手が退けない瞬間にこちらから踏み込み至近距離から刃物を打ち込む。バスケスがそういつもの様にイメージした刹那、テロリストの双眼に狂暴な光が溢れ、男が素早く踏み込んで来た。
遠く離れた屋上に目立った動きがある事に気がついたモンゴメリー・ザーイン一等兵は双眼鏡の向きを変えそこを見て驚いた。
「二等准尉! ナイフ使いが誰かと戦ってます!」
教えられローランド・ボール二等准尉は狙撃銃のバレルをわずかに上げ仲間達が狙撃待機場所にしている四百ヤード先の建物の屋上をスコープで見た。
雪のカーテン越しにハンセル少尉かコルテス一等兵のどちらかは判別出来ないが、コートを靡かせた男と前屈みに近い姿勢で向かい合っているのが見えた。その瞬間コートの男が前に進み出て、右手に握る何かが光を反射した。
「あいつらナイフで格闘してやがる!」
相手は誰なのだと思った瞬間、自分らが追っているテロリストなのだろうと思いリグに着けた無線機のスイッチを入れると地上でテロリストの行方を追っている部隊に知らせた。
「こちらボール。少佐、西の建物の屋上でハンセルが標的と格闘してます──はい、西の四階建ての建物です──わかりました。援護射撃をします」
ベッソン少佐から駆けつけるまでテロリストを狙撃して構わないと命じられ、スコープのレティクルに標的を捉えようとした矢先横殴りの風が強まり降る雪の量が格段に増えた。
イズゥ・アル・サロームは目の前の敵国の兵士が最初の一撃を狙撃銃の銃床でかわし、踏み込んだこちらの足にその銃床の底を叩きつけようとして間合いを取るなり飛び起きた反射神経と読みが優秀だと判断した。
しかもその兵士は狙撃銃を屋上に下ろすと拳銃にも触れずに胸の装備ベルトに着けているシースから黒いナイフを引き抜いた。迷いのないその行動に、彼は兵士が白兵戦慣れしており、動じない勇気を心から感嘆した。
だがお前はどこまでイラン兵の様に闘えるかとその兵士の双眼を睨み返しながら、イズゥは自分のペースで事を行う為に相手がこちらの左に回り込もうとする足を交差させた瞬間に大きく二歩踏み込み、手首をスナップさせ角度を大きく変えると半月刀を振り出した。
バスケス・ハンセル少尉は自分の送り出した足が交差した瞬間に相手が大きく踏み出して来て、青白い光の弧が急速に左斜め上から流れて来るのを視界の隅で捉えていた。
次の一瞬に右へ送り出そうとしていた足の向きを変え前に踏み込むと同時に相手の弧を描いて迫る手首目掛け内側から左の手刀をくり出した。
男の右手首を左側方へと叩き流し相手の右腕の内に進み出てバスケスは右手に握るナイフを後方から振り上げながらナイフを回転させ振りだす先に刃先を向け握り直していた。
だが直後、彼は身の危険を感じ後方に跳びす去った。下がりながら自分の顔があった場所に相手の左手の二本指が突き出されているのを眼にした。こいつ、あの状況で刃をかわさず両眼を狙ってきやがったとバスケスが驚き、ナイフ・ファイティングは間を取ろうとした瞬間につけ込まれると瞬時に彼は下げた足で屋上を蹴り、再び間合いを急激につめ、こんどは下からナイフを男の胸骨の下を目掛け振り上げた。
刹那、再び相手の青白い光が真横から走るのを視野の隅で捉え彼は左手の手刀でその付け根を叩こうと横へ振り上げた。
筋はいい。間合いのつめ方も、反転してくる反応も申し分ない。イズゥは自分より若い兵士をそう評価しながら、だがそれだけでは足らないのだと冷やかに思った。
一度退いた兵士が下げた足で蹴りだして来る予感はあった。イズゥは再び相手を間合いに入らせると、真横から兵士の首目掛け半月刀を振り込んだ。
同時に兵士の振り上げてくる黒い光の流れを目の隅で正確に見切り、その手首を左手でつかむと、瞬時に兵士へ振り込もうとしていた半月刀を振り戻し、つかんだ兵士の腕の外へと流れる様に身体を回転させその外側を振り回した青白い残像が急激に光の帯を曳き今度は相手の左へと流れた。
右手首をつかまれたバスケスは男がナイフを持った右手でナイフを叩き落としに来ると一瞬考えた。だが男は手首をつかんだままその腕の外を回る様に背を向け大きく振り回した右手に握った半月刀を逆手にスナッチさせバスケスの側頭部目掛け打ち込んできた。
一瞬の判断で彼はつかまれた腕の肘を曲げ男の打ち込んでくる右腕の肘にぶつけ弾き上げ頭を左後ろに傾け青白い光の残像をかわした。直後、彼の右眼の先二インチに刃が停止した。
そのナイフを見てバスケスは眼を大きく丸めた。半月刀だと思っていたものが、磨かれた大型のククリ・ナイフで少尉はこの中東の男がどうしてグルカ兵の持つ武器をと驚いた。
それにおかしな動きをするとバスケスはその男を警戒し、顔前に横から突き出されたククリ・ナイフが横へ引き戻された瞬間に彼はつかまれた腕を振りほどくと相手の左へ回り込もうと足をくり出した。
その一瞬、バスケス・ハンセルは右胸に衝撃を感じ、視線を振り下ろした。見えたのは自分のチェストリグのベルト横に突き出たハンドルだった。彼は眼にしているものが理解出来ずに動きを止めてしまっていた。
男のナイフを持った右手は外に振りだされた直後でもう一度振り込む時間はなかったはずだった。自分はその逆に踏み込みさらにククリ・ナイフからは遠ざかっていた。それなのになぜ自分の右胸にナイフが突き刺さっている!?
男がそのハンドルを右手につかむと一気に引き抜き血が迸った。
不可能だとバスケスが思っているその時、彼の左胸にもナイフが打ち込まれ、それがとどめとなり理由が分からぬままバスケス・ハンセル少尉は屋上に両膝を落とすと、眼を丸く見開いたまま前に倒れかかり薄れる意識で銃声を耳にした。
銃声が聞こえ三人はすぐ近くの建物に駆け一方を守った。
「今のはライフルの銃声だ。リーコンズの連中が撃ったのだから、“ウルフ”は反対の距離をおいた向こう側のどこかにいる」
そうクレンシー長官代理が言い左手で西の方角を指さし建物沿いを軽い足取りで移動し始めた。マーサとララも周囲を警戒しながら後を追い駆けた。
降る雪は激しくなり三十ヤード先すらおぼろ気にしか見えなかった。マーサは“ウルフ”から狙われはしないかと思ったが、相手からもこちらは見えないのだと自分に言い聞かせ納得しようとした。だが余計に不安は増した。クレンシーを先に行かせてはいけない。
まず自分が確かめ安全を確保し二人を引き連れないと、と思いながらマーサはMP5SD6短機関銃を構えたまま彼よりも速足で追い抜くと前方に全神経を集中した。見えた瞬間に迷うことなく撃たなければならない。
もはやサロームは完全に敵意を抱いている事は明白だった。短機関銃はフルオート時でもトリガーを操る事で数発の連射に止める事が出来る事を教わってはいた。うまくやれた事はなかったが、9ミリとはいえ二、三発に止めておかないと、サロームを殺してしまうわけにはいかなかった。他の三人のテロリストらもまだ行方知れずでいる上に、二発の核爆弾にたどり着く唯一の手掛かりを失うわけにはいかない。
狙うのは腹から下だと自分に言い聞かせ、とっさだろうとなんだろうとそうしなければならないと胆に命じた。
マーサは二百ヤードを駆け、二つの三階建ての建物を確認しながら通り過ぎ、三つ目の四階建ての建物にたどり着いた。角を越し裏手を覗こうとした刹那、微かなもの音を耳にし、左手を横へ振り上げクレンシーとララを制した。
何の音だったのだろうとマーサは角の壁に背をつけ短機関銃を肩付けしたままそのリア・サイトを見つめた。何かが──そう、何かが地面に飛び降りた様なわずかに重い音だった。
角から先を覗こうとした直前左肩を押さえつけられマーサは一瞬驚き顔を振り向けた。クレンシーが銃を握った手を縦に数回振り下ろした。
彼は低い姿勢で覗けと言っている。
その意図を理解しマーサは頷くと中腰になり、角に身を寄せた。銃口を突き出すと同時に裏手を見ようとマーサは一度大きく息を吸い込んで、半歩踏み出した。
イズゥは狙撃されかかり、屋上にもたもた出来ないと二つの死体から踵を返した。
ライフルの弾は運良く屋上の縁に命中しコンクリート片を弾いただけだった。彼はナイフをスラックスの腰の内側に下げているシースに戻すと兵士のバックパックを一つつかみ上げ肩に掛け梯子を下り始めた。
悠長に下りている時間がないと判断するなり、梯子の左右の縦の棒の外側をつかみ、両足の靴の内側をその棒に押し付け滑り下りた。梯子は地面から五フィート(:約1.5m)までしかなかったので彼は最後は飛び下りた。下りた瞬間自らが立てた音に神経を尖らせ、彼は辺りを見回した。
一瞬、建物の角に何かが動いたのを彼は見逃さなかった。ほんのわずか、ほんのつかの間、赤茶けた髪が揺れそれが角に隠れた。
イズゥは服の上からナイフのハンドルに触れどうするか迷った。もしも相手が火器を持っていたなら、正面切った刹那撃たれる可能性があり、彼はナイフを潜ませた逆の腰に着けたホルスターからCZ75を引き抜くと安全装置を解除しながら銃口を建物の角に向け振り上げた。
見えた瞬間、相手の急所目掛け二発撃ち込むとイズゥは意識した。一組の照準器の高さを揃え、髪の見えた高さに照準するとその瞬間を待った。ゆっくりと二呼吸した直後、狙いよりもかなり低い位置に消音器の銃口とあの赤茶けた前髪が姿を現し彼は合わせる様に引き金に掛けた指をゆっくりと絞り込んだ。
ヘレナ・フォーチュンは銃声に振り向いた。音は一瞬で方角などかいもく分からなかった。
「“ウルフ”は銃を持っているんだ」
そう彼女は呟き生唾を呑み込んだ。誰を撃ったのだろうと思い、撃ち合いになったらどうしようとヘレナは考え込みながら歩いていた。
降っている雪は激しさを増し、ほんの数十ヤード先に誰かいても見分けがつきそうになかった。もしも“ウルフ”を近くで見つけたなら──それなら先に撃たないと、二発目を撃つチャンスはないかも知れない。
いいや、一発目を当てる自信すらなかった。
それでも私が倒さないと、今度逃がしたら、永遠に見つけ出せない様な気がした。離れていると無理でも、近づいたらどうだろう?
それなら外さない様な気がした。見つけても声を掛けたりせずにぎりぎりまで奴に近寄る。数ヤード、いいや一ヤードまで忍び寄り、顔に狙いを定めておいていきなり“銃を捨てろ”と命じる。少しでも銃口を振り向けそうな素振りを見せたら、迷わず撃つ。
正当防衛と私の申し開きを検事は聞いてくれるだろうか? 頭は駄目だ。殺してしまっては核爆弾の事を吐かせられない。それなら肩を撃つ。
そうだ! 肩なら近くから撃っても死にはしない。
「肩を狙うんだ」
そう呟きながらヘレナは両手で拳銃を構え四階建てのコンクリートの建物を回り込み始めた。
ベッソン少佐は、部下三人を引き連れ速足で構内を移動していた。ボール二等准尉からの報せで“標的”と対峙しているハンセル少尉の元へといつになく気が急いている事に嫌な予感がそうさせているのだと彼は認めていた。
だが激しく降る雪の先に見えてくる建物はどれも三階建てで方向感覚すら危うくなり掛けていた。
彼が三つ目の建物をパスし次へと白いカーテンに分け入った刹那、ライフルの銃声を耳にし、この雪の降りの中で撃てたのかと驚いた。
二撃目がない事は標的を殺ったのかと期待したが、直ぐ様それをかなぐり捨てた。海兵隊武装偵察部隊に配属され十数年、期待はどこかに置き去りにしてきたといつも自らに言い聞かせてきた。見たものがすべてで、いつも最悪に備えそこには希望や妥協のつけ入る隙間はなかった。
ハンセル少尉ほどの手練れなら万が一はないだろうと少佐は思いたかった。
アメリカ国内で優秀な部下を失うわけにはいかない。焦る気持ちの先に見えてきた建物はまた三階建てだった。苛つきの末、彼ら四人はカービンを構えたまま駆け出していた。




