Part 16-1 Combat-boots コンバットブーツ
St.Mary Hospital Midtown NYC, NY 18:45 Nov 22th 2017
2017年11月22日午後6:45 合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク市 ミッドタウン 聖マリア病院
イエローキャブが路肩に寄り止まりきる前にニコル・アルタウスはドアを開き歩道に足を伸ばした。彼は正面玄関上に表示qqされた“聖マリア病院”というプレートを眼にとめながら、階段を使わず横のスロープを駆け上がった。
ガラスドアを押し開くと消毒液の臭いが彼を出迎えた。
この時間の外来はまったくと言っていいほど殆どなく、ロビーは閑散としていた。玄関口にある受付を見るとすでにカーテンが閉じられ、彼はそのまま通路を歩き最初に見えてきたナース・ステーションの受付に歩み寄った。何かの書類を書き込んでいる女性の看護師が人の気配に顔を上げた。まだ若い綺麗な緑色の瞳をした看護師だった。
「急患で入っている家族の面会に来ました」
「入院なさってるどなたでしょう?」
「ミュウ・エンメ・サロームです。私は父親のイズゥ・アル・サロームです」
ニコルはテロリストの名を語るのに抵抗を感じたが、叔父だと名のるよりも余計な詮索をされずにすむだろうと思った。身分証をと言われる事を予想したが思いもしなかった事を告げられ、彼は内心驚いた。
「ああ、良かった。御家族の方に来ていただいて。お嬢さん、交通事故で運び込まれて身分証から大学に問い合わせたら、親族の方が中東だと言われてわたくしどもも弱りはてていたんです」
ニコルはミュウが爆殺されかかり生き延びているのではないことにわずかながらも安堵し彼女の叔父であるイズゥ・アル・サロームをこのまま名のることとした。
「いや、住まいはイラクのバクダットなんですが仕事がてら娘に会いに来たら連絡が取れなくて大学に問い合わせたらこちらだとうかがって。で、娘の──ミュウの容態はどうなんですか?」
「それが──いま集中治療室に。一時、危険な状態でしたが、なんとか一命はとりとめてます。でも意識を失ってて、ご案内します」
そう言って看護師が立ち上がってカウンターから出て来た。集中治療室はナースステーションのすぐ傍にあり、ニコルは案内され入る前に制限時間の説明を受けた。面会時間はわずかに十分。その短時間でどうしろと彼は一瞬思ったが、代わりに差し障りのない事を尋ねた。
「ミュウはどうして事故なんかに?」
「お嬢さん、おやさしい方なんですね。救急隊員からの話では、彼女、子犬を守ろうとして庇って事故に遇われたみたいなんですよ。救急車が駆けつけた時も、意識がないのにしっかりとその子犬を抱きしめていたらしくて」
その話にニコルは動揺した。核爆弾に関係して大都市を灰塵と化そうとしたテロリストの一味がどうして子犬などをと疑問に思った。
「ミュウは動物好きで、それで事故に捲き込まれたのかもしれません」
彼の説明に看護師は軽く頷きニコルを励ました。
「脳幹に軽い内出血による圧迫を受け今のところ意識はありませんが、話し掛けてあげて下さい。それで意識が戻る事もあるんですよ」
そう言って看護師がスライドドアを開いてくれた。どのベッドなのかと尋ねる必要はなかった。治療室には複数のリンゲル液とバイタル・モニターを繋がれたミュウ一人がいるだけだった。
ニコルが入って行く建物を三十ヤード(:約27m)手前の路肩に寄せさせたキャブの中から見ていたシリウス・ランディは運転手にチップ込みで多目の紙幣を支払うと歩道に降りた。
何の建物だろうかと彼女は足早にニコルが消えた正面の出入口を目指した。ニコルの乗ってきたキャブは彼が降りるなり直ぐに走り去ったので、彼が即座に出入口から引き返して出てくるとは思わなかった。
シリウスは正面玄関前に立つとその上に掲げられているプレートを眼にして眉根を寄せた。病院に見舞いに来るだけなら、あんなに急がなくてもいいではないかと一旦は思い、もしかしたら彼自身の診療予約時間に急いでいたのではと考えた。抜き差しならぬ病を抱えている事だってありうる。
彼女は階段を登りガラスドア越しに廊下にニコルの姿がないかと見つめ、彼どころか他の人影すら眼にしない事に中に入るのをためらった。
もしも、偶然顔を合わせたら完全に怪しまれる。そう思い彼女は風があまりあたらない正面玄関の隅に身体を寄せ廊下を見つめた。
十五分待って動きがなければ、中に入ろう。そう決め、もしも鉢合わせになった時の言い分けを思案した。それも数分で終わりすべての考えを締めだし、さあ、私の前に姿を現しなさいとでも言わんがばかりに廊下を見つめていた。その時、シリウスは後ろに人の気配を感じとり、振り向かずにガラスに映った姿を見た。
男が二人正面玄関前の階段を登って来るところだった。だがその異様な雰囲気に彼女は神経を逆なでされ緊張した。横を通りガラスドアを押し開いた一人目の男の顔をシリウスは横目で追った。
鼻の下から顎にかけて手入れの悪そうな髭を生やした褐色の肌をした中年の男だった。頭には赤いベースボールキャップを被り着ている服は灰色のダウン・ジャケットに真新しそうな真っ青のジーンズ、履いている靴は黒のハーフ・ブーツ──いや、違う!
コンバットブーツだわ!?
二人目の男は髭を生やしてないが同じ様な褐色の肌をした少し若そうな男だった。着ているのは軍用車輌の様な色合いのオリーブドライブのスタジアム・ジャンパーに黒のコットンパンツ。
こいつもか!?
その男も履いているのは黒いコンバットブーツだった。二人とも共に大きめの黒いスポーツバックを提げているので見舞い客とは思えない雰囲気を漂わせていた。
ドアが閉じる寸前に歳嵩の髭を生やした男が若い方へペルシャ語で“用意しろ”と告げたのをシリウスは聞き洩らさなかった。彼女は上級職員の尾行に来てとんでもない事に捲き込まれかかっている事を悟り、警察へ通報すべきか迷った。
シリウスの眼先で二人の男らはナースステーション前に立つと髭の男がカウンター越しに誰かと話し始めその背後で若い方がスポーツバックを引き上げ中から取り出したのものを眼にしてシリウスの瞳孔が収縮した。
何かの火器!
シルエットからストックの付いた火器だった。シリウスは舌打ちするとガラスドアをわずかに押し開いて隙間に身体を滑り込ませた。
ベッドに寝かされたミュウを見下ろしニコルは少女の痛々しげな様にしばし動けなかった。頭に包帯を巻かれ、閉じた左瞼は青紫に腫れ上がっている。唇にも怪我を負ったのだろうか、四角いガーゼが左口角の近くにメディカル・テープで張り付けてある。
ニコルは彼女の私物がどこにあるのだろうと周りを見回した。ベッドサイドにはバイタル・モニターがあるだけで何かを収納できるものはなかった。ふと足元に視線を下ろすとベージュの籠が見えた。
引っ張り出すと、肩幅の楕円形の籠で中に彼女のものと思われる畳まれた衣類の上にモバイルフォンと財布と万年筆、それに焦げ茶の手帳が一冊入れてあった。
ニコルは財布を手に取り開いてみた。ビル(:100$札)が二枚とワン・フィフス(:100$の1/5。20$札)が数枚。こんな所持金で高飛びしようとしてたのかとニコルは驚いた。
カード入れにはドライバーズ・ライセンス・カードと大学の学生証が一枚、クレジットカードが一枚入っているだけだった。
彼は財布を籠に戻し、手帳を手にとって最初のページからめくってみた。ブロードウェイの劇場と思われる名前が書いてありその下に日付と時間帯の羅列が並んでいる。大学に通いながらアルバイトでもしていたのだろうか、時間帯は夕刻から夜にかけてばかりだった。
ニコルはもしかして芝居小屋に核爆弾を仕込んだのかと考えそれを否定した。テロリストらが運び屋本人に直結するような場所を選ぶとは思えなかった。
他に何か書かれてないかとさらにページをめくって様々なスケジュールを飛ばし読みしていると最後まで読みきって何も書かれてないページが続きだした。
だがニコルは何かが気になってめくり戻した。スケジュールが書かれている最後に日時もなく、'i-temp'と小さく書かれピリオドが打たれていた。それを見つめ“臨時”の“i”とは何だ? とニコルは眉根を寄せた。“臨時の私”? 意味が分からずに様々な言葉を思い浮かべていたその矢先、ドア越しの廊下で女の言い争う様な声を耳にした直後叫び声を聞いて彼は瞬時に頭を切り替えた。
まずい、まずいわ!
ロビーの角に身を潜めシリウスは廊下の様子に神経を尖らせた。男が病院の女性職員をペルシャ語で口汚く罵り、悲鳴の後殴った音と共に何かを倒した様な音が聞こえ、一人が“部屋を順に捜せ”とペルシャ語で命じたのが聞こえた。
人か?
物か?
そう彼女は疑問に思ったが、何であれ武装した男らが別行動をとってくれてチャンスだと思った。ナースステーションの前に残っているのは歳嵩の方だ。闇雲に人を殺しに来ているのではなさそうだった。そうでなかったら意に反した病院職員を撃ってたはずだった。
シリウスはハンドバッグからモバイルフォンとモンブランのボールペンを取り出し、ボールペンのキャップを取りコートのポケットに仕舞うと、ペンの後部から右腕のブラウスの袖口の隙間に差し込み完全に押し込んだ。そうして右手にモバイルフォンを持つと頬の傍へ持ってゆき、ロビーの角で一度背を伸ばした。
本職の仕事の関係で知り合ったパラミリ(:CIAの準軍事工作班の俗称)の連中からあんたは素質があると言われた事を思い出し、自らを奮い立たせた。そう、姉パメラが特殊工作に遣う準軍事工作部隊の連中。全軍特殊部隊上がりの彼らのお墨付きを頂いた私がどこまでやれるか。
荒事が得意なのはパメラだけではないのよと閉じた片唇を持ち上げ調子に乗ってると自嘲した瞬間、度胸が彼女を押し出した。
「それでさ~、笑っちゃうわよ。彼ったらね~」
どこにも繋がっていないモバイルフォン相手に大きな声で話しながらシリウス・ランディはロビーの角から廊下へと歩み出た。




