Part 13-1 Double enrollment 二重在籍
NDC HQ Bld. Chelsea Manhattan, NYC 18:25
午後6:25 ニューヨーク市 マンハッタン チェルシー地区 NDC本社ビル
ファイルを閉じるとデスクトップPCをシャットダウンしてシリウス・ランディは一度延びをした。そうして彼女は席を立つとコートを手にした。
NDCの希少資源調達部に配属され早三年が経った。六ヵ国語に堪能で、経済情勢に達観していたお陰で中途入社にもかかわらず異例の人事で五年で課長職につけた。この会社の内情もかなり分かる様になり、最終的にはしっかりと発言力を持つ役員にまでなれれば本部長も本望だろうと彼女は思った。
シリウスは六年前に本部長に呼び出され、NDCへ就職する様に命じられた。NDC社員であるシリウスは二股をかけて在籍していた。給料はNDCの方が遥かに多かった。だがもう一つの仕事を辞めるつもりなどまったくなかった。どちらもやりがいのある仕事だった。
彼女は常々、姉パメラを意識し組織に貢献できる結果を残し、いつか姉を越えてみせるという気負いに溢れていた。
シリウスはNDCの同輩の課長のみならず、部長達にも知られるほど頭角をあらわしていた。希少資源調達部は世界中のレアメタルなどを出来るだけ安く買い付け、傘下の企業に配分するという重要な屋台骨の一つでもあった。
シリウスが同部所に配属されて以来、同部は絶えず前年比の三割増しの業績を揚げていた。NDC複合企業は技術力だけで成り立っているわけでは決してないと彼女は思うと同時に、恐ろしい会社だと一度とならずしも感じていた。圧倒的な技術力を武器に今まで競合したあらゆる職種の企業を最終的には倒すか傘下に治めている。
わずか十数年余りで世界一の複合企業になり、アメリカだけでも過去例をみないほどの規模に拡大化して独禁法に抵触していないのが不思議なほどなのだ。その秘密を暴くのは一種の達成感があるだろうとシリウスは感じていた。
だが懇意になった部長クラスの者達ですら、会社の概容しか知らない。その部長達以上の役職に就いている謎多き上級職員らの存在にも気づいているが、親交を深めた事は一度もなかった。
どれだけ調べても会社のどの部門にも関わってないその者達にはこれまで話し掛ける機会すら殆どないといっていい。いいや、話し掛ける以前に彼女は一別して上級職員と見切った事すら数えるぐらいしかなかった。
だが一度顔を見たら二度と忘れる事のないシリウスは、ニューヨーク本社ですら職員名簿に見当たらない百数十名以上の集団がいる事まではつかんでいた。いったいこの巨大企業は裏で何をやっているのか。
それらの事が雑念の様に頭をよぎり、彼女は殆どの部下達が先に仕事を上がり、静かになった部内を歩き、残業をしているわずかな“普通”の部下達を眺めながら声を掛けた。
「それじゃ、お先に」
「お疲れ様でしたランディ課長」
数人の返事に押し出され彼女は希少資源調達部のドアを閉めた。と同時にこの重要であるはずの自分の部門がとるに足らないという事実。そして苛つきをいつも感じてしまう。圧倒的な特許群がもたらす独占状態の市場にNDCが君臨している現状でレアメタルなど問題にもならないという危機感が心の隅に常にあることをシリウスは承知していた。
廊下を歩きながら、彼女はブラウスの上から三つ目までボタンを外し胸の一部とパープルのブラが自然に見える様にし、緩やかなウエーブの掛かったブロンドの髪を整えるとエレベーターの前に立った。
さあ今日は誰の“痛い”かもしれない腹を探ろうか?
シリウスは自分の魅力をよく承知していたし、それを武器に使う事をいとわなかった。男は籠絡すれば容易いものだと彼女は考える。どんな男も下心を持っている。それを手玉に取りさえすれば面白い様に舌を回す。
だが上級職員をどうやって見つけ近づけば良いのか? シリウスが口元で妖しい笑みを浮かべ睨み据えるようにドアを見つめていると軽い電子音が鳴りエレベーターの扉が開き始めると中には先客がいた。
親族を装ってミュウのいる病室に入る事は容易いだろうが、その子が核爆弾の事を私物に書き留めているだろうかとニコル・アルタウスは考え五分五分だなと思った。
もしその様なメモを持たなかった場合、いつもの様にパトリシアに依頼して探ってもらわなければならない。そう彼が思った矢先にわずかな加速度の変化を身体に感じ扉が開き始めた。ニコルが何気なしに階表示を見ると、八十一階のグローバル・フロアの一つだった。
乗り込んで来たのは一人。多くの社員の顔を見たら名を空で言える彼は女が希少資源調達部課長だと直ぐに思い出した。名が珍しく両親が星から取ったと思われるシリウス──シリウス・ランディ。
女が笑顔で会釈してきたので彼も軽く返した。それと同時にニコルは一瞬シリウスの胸元に視線が向いてしまった。ランジェリーが見えるほど胸元を開け放ち色気を振り撒いている。彼は色んな社員がいるもんだと思いながら相手に気づかれる前に視線を逸らすとシリウスは左横並びになった。
「こんにちわ、アルタウス課長。仕事を終わられたの?」
話したこともない女が名前や役職を知っていた事にニコルはわずかに驚き、どうして帰宅とシリウスが判断したのだと不信に感じ、直ぐに自分がトレンチコートを着ている事を思い出した。
「こんにちわ、ランディ課長。まだ勤務中で。ちょっと用事が出来たので社外に」
「まあ、大変ですね。噂通りお仕事熱心な御方なのですね」
何が“大変”なのだとニコルは引っ掛かり口に出した。
「大変? 何がです?」
「ああ、外は雪で、結構降ってますよ」
彼は外が雪になっているとは知らなかった。昨夜から作戦対応センターへ隠りっきりだった。食事もデスクで取り室外に出たのはトイレぐらいだった。
「そうなんですか。知らなかった。ランディ課長は今ご帰宅なんですか?」
一瞬の間があり、彼女が答えた。その“間”にニコルは女が会話以外の別な事を考えているのではないかと思った。
「──ええ、明日は感謝祭ですし、久し振りに早く帰ろうかと。アルタウスさん。ファーストネーム確か──ニコルでしたね」
「よくご存知で」
ニコルはどうしてこの数回しか顔を見たことがない──しかも遠目にだ──この課長はなぜ自分に話し掛け続けるのだと思いながら、自分が相手の名を知っておりその事を知らせるつもりもなく、それ以上踏み入ろうとはしなかった。
「ええ、かねがねお噂は伺っていましたから」
そう言われてニコルは“噂?”、“誰が?”と瞬時に思った。だが今は病院にいるミュウの事が気がかりでそれ以上話すつもりはなかった。
「そうですか」
彼がそう言った直後、電子音が鳴りドアが開き始め、彼はランディに先に降りるよう促すとランディは軽く会釈してエレベーターを降りた。
シリウスは当たり障りのない会話をし、横に立つ男になんとか渡りをつける切っ掛けをつかもうとした。アルタウスというこの男は間違いなく自分の知る限りどこの部所にも所属していない。
彼女はエレベーターに乗り込む時、男が胸元に視線を向けたのを眼にし、気づかぬ振りをした。それから他愛ない話を続けたが、思う様に男が乗って来ない事に驚いた。ならもっと積極的に“くさび”を打ち込むまでだとの思いに至ると一階に着きドアが開いた。シリウスはお先にどうぞと男に言われエレベーターを降りると出入口の横に立ち男が降りるのを待ち、また声を掛けた。
「ニコルさん、よろしかったら今度ランチでもご一緒にどうかしら?」
「ええ、機会があれば」
その消極的な反応にシリウスは男が愛妻家なのかと一瞬考え、大股で歩き去る男の左手の薬指を見たがリングをしていない事に気づいた。それにこんな時間に帰宅でもデートでもないというこの男は何をそんなに急いでいるのだと彼女は思い、コートを羽織ると距離をおいてアルタウスの後を付け始めた。手持ちの時間はたっぷりある。
彼女はもう一つの職で幾つもの特殊技能を身に付けさせられていた。尾行はスリリングで得意なものの一つ。だがそんな刷り込まれた技能より彼女にはもっと卓越した潜在能力があった。物事に潜む真実を嗅ぎ分ける嗅覚とでもいうべき六勘。
弱った獣を見分け肉を貪る為に忍び寄る狐の様な魔性のシリウス・ランディは、何かに囚われの身となって背中を無防備に見せながら歩く目の前の男をどうやって落とすかと考えながら彼の二十ヤード後を追っていた。




