Part 11-5 Gaze down 見下ろす視線
Suburbs of Boston, Mass. 18:05
午後6:05 マサチューセッツ州 ボストン近郊
手首の痛みでアネット・フラナガンは瞼を開いた。だがしっかりと見開いている筈なのに何も見えず混乱した。よだれが垂れている様なのにすすれない。
ここはどこなの?
彼女は確か勤め先広告代理店の駐車場で車に乗り込んだ筈なのにと思い出した。
いいえ、違う。車の前輪とボディの間に角材の様なものを巻き込んでそれを取り除こうとしていたのだと思い直した。
後頭部に鈍い痛みがあったが、それよりも両手首の方が痛かった。腕を前に出そうとしたが、自分の背に当たっている柱の様なものが邪魔をして腕を前に出せない事にアネットは気がついた。
手首を後ろ手にされ柱越しに縛りあげられていると彼女は暗闇の中で理解した。足を動かすと膝は自由に曲がるのだが、足を広げる事も叶わなかった。踝の圧迫から両足首も何か細いもので縛られていると思った。その細い何かが筋肉や骨を締め付けてそれが痛みとなっていた。
なぜ自分が縛られているのかはまったく覚えがなかったが尋常な状態でないことは分かった。
まわりの音に耳を澄ませたが微かに風の音が聞こえるだけで寒さばかりが堪えた。そうして彼女は助けを呼ぼうと口を動かそうとした。だが口が開いたままで閉じる事が出来ない事にも気がついた。
頬と口角、それに口の中の感触から何か布の様なものを口に押し込まれそれを口に革紐の様なもので猿ぐつわにされていた。紐の隙間から飛び出た布をよだれが伝わり落ちていた。
アネットは自分のおかれた状況がとても危険なものであり、なんとかしてここから抜け出さなければ身の危険に繋がると思った。
そうしてこの手足を縛っている細い何かを切れるか外せるものがないか探さなくてはと考え、柱から背中を床に出来るだけずらし下ろし、膝を伸ばし爪先が何か捉えないかと暗闇をまさぐった。
しばらくそれを続け諦めかけた時右斜め前でパンプスの先に何かが触れた。彼女は腕の痛みを我慢して背を下ろすと靴底に硬い何かが当たり、彼女はそれを引き寄せようと思いっきり足裏の前半分をそれに乗せた。
その刹那、バネが弾ける様な音と共に金属音がして右足に履いたパンプスの両側から恐ろしい力で何かが締め付けた。
そのあまりにもの痛みに彼女は閉じる事の出来ない口で布と革紐を噛みしめ呻いた。アネットは激痛から逃れようと狂った様に足を引き戻そうとしたが、右足が何かに挟まれたままで背中を仰け反らせさらに呻いた。
その時、いきなり灯りが点いた。彼女はその頭上にぶら下がるたった1つの裸電球が眩しく眼を細めた。そのわずかに開いた隙間から回りを見回しながら、自分が居るのが納屋の様な小屋であり、ずいぶんと古びた建物だと分かった。
アネットは自分の右足を締め付けるものが何か視線を下げ眼にして驚いた。パンプスを挟み込んでいるのは頑丈な獣用の罠だった。熊の足でも入りそうな金属の顎の様な物がパンプスの形が変わるほど締め付け、その罠が別な柱に鎖で繋がれていた。
彼女がふと視線を上げるとその先の壁際にボードの様な物が眼に止まった。ボードには何本も釘が打たれていてその1本いっぽんに道具がぶら下げてある。そのどれもが様々な大きさや形をした刃物だった。いずれの物も刃には乾いた赤黒い何かがこびりついていた。
それらを見て思いついた事を受け入れられなくて、彼女は浅い呼吸が段々と速くなり、逃げ出さなくてはと狂った様に回りを見回した。その時、床の大きな赤黒い染みに気がつき震え上がり声にならない悲鳴を上げた。
それでも何か逃げる道具をと頭上の柱を見上げたアネット・フラナガンはその後ろに男が立っており、自分を物の様に冷たく見下ろしている視線と眼が合い息が止まった。




