Part 11-1 Reward 報酬
Midtown Manhattan, NYC 17:40
午後5:40 ニューヨーク市 マンハッタン・ミッドタウン
カスム・サイードは扉の裏に封筒ごとその扉の鍵を持って来たビニールテープで几帳面に四方を張りつけ外に出ると扉を閉じた。オートロックが小さな金属音をたて彼が念のためにノブを回してみても扉は開かなかった。
こんな簡単な仕事で千ドルもの金を手にしたのは初めてだった。これはアッラーの思し召しだと彼は思った。
朝遅くブロンクスの港湾施設の荷役作業にあぶれ、それでも何かしらの仕事にありつけないかとぶらぶらしてたとき、止めた車からその男が声を掛けてきた。
アラビア語で掛けられた声が自分にだと彼は思わなかった。最初は危ない仕事かと勘ぐったが、話を聞くとただの機械部品の運び手を探していただけだった。
そんな簡単な仕事の割りに破格の報酬だった。
だがサイードは後になり金額が妥当だったと思った。機械部品はリュックに入れられていたものの重さの中心が上の方にあり背負っていても不安定でかつぎ難いものだった。しかも一番大きな麻袋に入った小麦粉一袋よりもかなり重さがあった。
その上、運び込む先が問題だった。サイードは指示書にあったビルを見つけた時に最上階近くのエレベーター機械室迄いったい何階あるのだと途方にくれた。その細長くどこまでも延びたビルを見上げそのまま天国に繋がっているのではないかとさえ思えた。
途中何度も機械部品をリュックごと階段に放置して帰ろうかと迷った。体力には自信があったが、それとは別な話だった。
同じ様に続く階段と踊り場の繰り返しに気が滅入りそうだった。途中何度となく見えて来たドアに階数を数え上げていたが40を越してからそれも怪しくなった。
彼は代わりに金の使い途を考え始めた。千ドルの半分は国に送るとしよう。残りの金で少しばかりいい物を喰って余りで妻へ送る服を選ぼう。それでも手元にメルセデスが残る。売り飛ばすなんて考えていなかった。安宿を引き払って車で寝泊まりしたほうが生活費が安くあがる。
だが、あまり走りまわり警察に止められたら、ドライビング・ライセンス・カードを持っていない事がバレてしまう。それでも、どこか目立たぬ所へ駐車していれば、そうそうパトロールの連中に眼をつけられる事などないと甘く考えた。
サイードはそのビルの裏口近くに駐車した自分の物となる黒いセダンが無事あることに胸を撫で下ろした。
さあ残りの金をもらいにブルックリンまで行かなくてはならない。彼は逸る気持ちを抑えそうして運転席側のドアに回り込むとノブに手を掛けドアを引き開けた。
このすべてが自分の物になる。
サイードは笑顔で自分を迎え入れる本革のシートの匂いに包まれた。これが俺の物に──だが彼は自分が望まない物まで手にしたとは思わなかった。
ダッシュボードの下、容易に手の届かない暗がりの場所に小さな箱がありセグメントが明滅している事を知らなかった。その数字が10分前に緑から赤に切り替わったと知っていたら、サイードは用心深くエンジンに火を入れなかっただろう。
キーがひねられエンジンが快調な音をたてた。
そこで彼が決して望まない1つ目のリレーが閉じた。サイードは満足してサイドブレーキを下ろすとメーターパネルからブレーキ警告灯が消え、2つ目のリレーが閉じて回路の9割が完成し奈落の底が開き始めた。
オートマチックをドライブに入れ走り出し、最初の交差する大通りのシグナルが都合よく進行可だったのでそのまま渡りわずかに走るとマディソン街と交差する交差点に近づいた。
先に信号待ちをする車が迫りブレーキを踏み込み後部のブレーキランプが点灯した。その刹那、3つ目のリレーが閉じ回路が活性化すると、男を呑み込む地獄の門が開いた。
一瞬だった。カスム・サイードが目にした唯一のもの。足元から凄まじき勢いで広がる業火と旋風だった。彼が乗るセダンは止まりきらず、面した建物千枚以上の窓ガラスが瞬時に弾けた。




