Part 10-3 Carrier 運び人
Midtown Manhattan, NYC 17:05
午後5:05 ニューヨーク市 マンハッタン・ミッドタウン
5番街44丁目から東に入ったビル街裏通りに大きなリュックを背負ったニューヨーク大学の女子学生がいた。
雪の降る中、人気のない歩道を歩いているミュウ・エンメ・サロームは辺りを見回し目的のビルを探していた。
半時間前から降りだした雪は大粒となり、彼女の歩く車道に積もり始めていた。だが雪が積もらなくても裏通りのアスファルトは1日中日陰だったのでしっかりと凍てついていた。
ミュウは滑って転ばない様に用心深く足をくり出していた。ブロンクス港の倉庫からリュックで運んできた彼女の背負った荷物は重く、肩のベルトはダウンジャケットに食い込んでいた。
イズゥ叔父さんから頼まれた仕事とはいえ彼女は放り出したい気分だった。受け取った封筒入りの指示が印刷されたコピー用紙には、荷物の保管場所や運び込む先のビルの名、その階数と置いてくる部屋、更にはその指定時間や細々とした事が書かれていた。
いったい何なのこれは? と彼女は背負った荷物に意識を振り向けた。叔父さんからは工具と聞かされていたのにリュックに入りきらずに半分ほどもクリスマスのとんがり帽子の様なものが飛び出している。
工具じゃなくてエレベーターの部品だとミュウは思った。しかし彼女は奇妙に感じた。運び込む先のビルが営業を終わるころの、午後5時に搬入せよと指示されている。おまけに指示書には、エレベーター機械室のある最上階まで人に会って不信がられない様にビル内の非常階段を使い運ぶ様にと書かれていた。
ミュウは裏通りでビルの裏口ばかりが並ぶのを曲がり角から数え番地の数から目的の建物にたどり着いた。立ち止まった前のビルかは自信がなかったが、見上げるとかなり細長く高いビルだった。
指定された時間を過ぎていたので、彼女はここにいても仕方がないと、封筒に入っている鍵を取りだし裏口の扉に差し込んでみた。鍵がすんなり鍵穴に収まると彼女はホッとして鍵を回してみた。願い通りに鍵は半回転し固い金属音がした。
ミュウは冷たいノブに手を掛けそれを回し扉を引き開けた。
そこは冷蔵庫8台分ぐらいのスペースがあり切れ掛かった蛍光灯が点滅して陰鬱な感じがした。
彼女が横を覗くと6人掛けのテーブルの横幅ぐらいの登り階段があった。
さあ、問題はこれからだとミュウは階段の先へ眼を細めた。舞台の大道具運びのアルバイトをして足腰には自信があった。彼女は踊り場に入り扉を静かに閉めると階段の一段目に右足を乗せた。そうして羚羊の様な跳躍力を生かし一気に登り始めた。
15分ぐらいたって彼女は先に登れない場所までたどり着いた。数えていた階数は47階もあった。階段の踊り場で彼女はしばらく両膝に手を突いて荒い呼吸を続けた。
腕時計を見ると5時20分を過ぎていた。急がないとLAX(:ロサンゼルス国際空港)行きの便に間に合わない。ミュウは立ち上がると踊り場にある扉を開けてみた。そこには短い通路があり正面奥に扉が見えた。途中に別な通路が繋がっていた。
人の気配がないので彼女は鼻唄で通路を歩きそのもう1つの通路との曲がり角まで来た。そうして曲がり角の先に別な扉を見つけた。ミュウは左手奥の扉をながめ時間を惜しんで自らに禁じているあの力を使う事にし閉じた扉をわずかな間見つめた。その先は屋上に通じていた。
「ここじゃないわ」
ミュウはそう呟くと再び通路を歩き始めた。彼女は歩きながら壁を見回した。
エレベーターの機械室だから舞台の緞帳のワイヤーを巻き上げる様な大きなドラムがあるはずと思いそれを探した。
それは奥の扉の左の壁の一室にあった。部屋の広さはテニスコート半面ほどで中に2つの大きなドラムが床に固定されていて、その各横に巻き取りモーターの様な物が設置されていた。部屋の壁に近い場所には大型冷蔵庫を4台並べたぐらいの鉄板の箱があった。中を見ると床から何本もの大小の配線が立ち上がり、2枚の基盤に並ぶように配線が接続されていた。
「ここだわ」
ミュウはそう呟くと通路奥の扉を引き開けた。鍵は掛かっていなかった。扉の先にはその部屋に繋がっていた。
指示書に指定された荷物を置いてくる場所は機械室のキュービクル・ボックスと壁との間と書かれていた。ミュウは部屋に入ると立ち止まり機械室を見回した。キュービクル・ボックスが何かを彼女は理解しかねたが、部屋にはその鉄板で被われた箱しか床に独立して立っている物はなかった。
「あそこでいいのかな?」
ミュウは部屋の奥にあるその鉄板製の箱へ歩み寄り裏に回り込んだ。壁との隙間は大人の肩幅2人分よりやや広いぐらいだった。ここなら置けそうだと判断し彼女は床に片膝をつくとリュックを背中からそっと下ろした。下ろせて清々したと彼女は思った。肩に食い込んでいたリュックのベルトから解放されたが両の肩がまだ痛んだ。でもロス迄の往復チケットに2ヶ月あまりのホテル代だと思うとその痛みも和らいだ。
いったいこれは何なのかと彼女は立ち上がりリュックにつまったそれを見下ろした。
道路工事現場で見掛ける三角コーンの様な金属製のそれの中には幾つかの基盤と先端や底部におかれた部品へと配線が行き交っていた。そして基盤の上には底部が半球体になった金属製の筒が縦にワイヤースプリングで頑丈に固定されている。その上部側面からはまとまった配線が引き出され基盤へ広がっていた。さらにそれらの下の層には頑丈に固定されたバスケットボールほどの金属フレームの球体があり、その球の2ヶ所に小型のモーターの様な物がつきだし配線が基盤へと伸びていた。
ミュウはそれらが何なのかまったく理解できずに、イズゥ叔父さんったらこんな物をと眉根を寄せて踵を返した。
彼女は登りに15分以上掛かったが、下りは10分を切った。そうしてミュウは、指示書通りに建物の裏扉の内側に封筒に入っていた鍵を持ってきていたガムテープの切れ端で張り付けると最初に入ってきたその裏扉から外に出た。
雪は本降りになっていた。すっかり薄暗くなった裏通りに1人彼女は立ちイズゥ叔父さんから受け取っていた指示書の封筒をポケットから取り出すと、封筒ごと中のコピー用紙を破り捨てた。指示書には最後に破棄する様にと書いてあった。
さあこれでアルバイトは終わった。ミュウはロスに向けてにこやかに通りを歩き始めた。その時、彼女が入ったビルの隣の建物裏に積んであった段ボール箱の山から何か小さなものが飛び出して、驚いたミュウは凍った路面に脚を滑らせそうになった。
飛び出したのは子犬だった。
4つ足を滑らせて裏通りの中央で腹這いになっていた。彼女はその震える子犬を抱き起こそうとゆっくりと氷の地面に足をくり出した。
その瞬間に彼女は横からの明かりに顔を振り向けた。
表通りから1台のレジャービークルがかなりのスピードで裏通りに入って来た。止まりそうにないその車のハイビームを見つめミュウは子犬を助けなければと、とっさに道の真ん中へ駆け出した。
3歩目にくり出した右足が地面を捉えきれずに彼女は子犬の傍らに尻餅をつき滑り込んだ。急ブレーキを掛けスピンしたその車の回転するライトが目前に迫った刹那、ミュウ・エンメ・サロームは子犬を抱き締め眼を閉じるしかなかった。




