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衝動の天使達 1 ─容赦なく─  作者: 水色奈月
Chapter #7
30/155

Part 7-2 Psychotic Killer 猟奇殺人鬼

Leomioster Suburbs of Boston, Mass. 16:45/Cambridge, Mass. 16:45

午後4:45 マサチューセッツ州 ボストン近郊レミンスター/同刻 同州ケンブリッジ



 葉の落ちた木々が寒々とした印象を与えていた。空は陰鬱な雲に覆われており、今にも雪が降りだしそうだった。



 ローラ・ステージは肩まで掛かったカールしたブロンドを揺らしジミーチュウのパールがかった淡いピンクのパンプスが土に埋まらない様に用心しながら登り坂を上がっていた。



 だが彼女は足元への視線よりも歩きながら現場を眼に焼きつけようとでもいうように周りを見回していた。



 ここボストンから30マイルあまり北西にあるレミンスター郊外の丘陵きゅうりょう16ヘクタールには、今や50人近い男女がいた。多くの者は地元のシェリフ(保安官)。次に沢山いるのは遠くの町から応援でやって来た警察官達。それに少数の刑事と鑑識。そして彼女らFBIボストン支局の連邦検察捜査官が3人が臨場しようとしていた。



「警部、連絡では被害者が皮をぎ取られているとの事ですが、同一犯の仕業でしょうか?」



 エルネスト・ステザム巡査部長が上司に尋ねた。ローラは聞こえていたものの歩きながらしばらく答えなかった。そうして15秒ほど経つとやっと返事をした。



「この眼で見るまでは何とも言えないわ」



 エルネストは女警部の横顔を見つめ彼女がワインレッドに塗られた唇を固く引き結んでいる事に気がついた。この人は大富豪でありながらどうして非業な人の死に関わり続けるのだろうかと巡査部長はふと思った。











 アリシア・キア保安官補はヘーバーリル地区から数人の保安官補と共に応援で遺留品捜索に駆り出されていた。他にも色んな地区から保安官や街からは刑事まで来ていた。この連続殺人はすでに広域に渡っており、マスコミも連日の様に取り上げているせいで当局の力の入れようが分からなくもなかった。



「アリシア、もしお前が犯人に行き当たったなら逮捕するのか? 射殺するのか?」



 日頃からいやみの多い歳(かさ)の同僚に聞かれ、彼女はブーツの先で落葉の下積みを崩している足を止めた。揺れている彼女のポニーテールが止まるとぼそりと答えた。



「逮捕するわ」



 その途端に同僚が微かに笑いを押し殺したのがアリシアの感に触った。



「お前には無理さ。逆に犯人から押さえ込まれて生皮()がされるぞ」



 アリシアは女であるだけでなく、体格が小さい事も含めて同僚からからかわれているのは承知していた。だが、何の為に手錠(カフス)を渡されているのだと苛立った。そう──私なら全力で容疑者を逮捕してみせる。彼女が再び落葉の間に何かないかをまさぐり出したら、同僚が小声で知らせた。



「お偉いさんらのご到着だ」



 アリシア・キアが横目で探ると1人の保安官に案内されたコート姿の3人に目をやった。その先頭を歩く女に驚いた。どう見てもブランドものの高価そうなコートに身を包んでいた。それだけでなく薄いピンクのパンプスを履いている。なんて現場に不似合いな奴なのだと彼女は鼻を鳴らした。











 3人のFBI捜査官達はシェリフの道案内で木立を抜けると人が6人ほど集まっている場所へ出た。



 小型発電機が持ち込まれておりそれが唸っていた。その近くには幾つかの照明があり男達が照らし出され幾つもの影をうごめかしていた。立っている2人の内1人が指示を出しており、もう1人はストロボを付けた写真機を構え遺体を撮っていた。残りの四人は被害者と思われるものを取り囲みしゃがみ込んでいた。1人はスーツ姿でローラはこの男が刑事だと理解した。残りの3人は紺の繋ぎ服を着ており脇にスリングを垂らしたアルミの箱を置いて遺体に向かって何かをしていた。



 彼らは木立の間から近づいた4人に気がつき数人の鑑識官と刑事が顔を向けたのでローラは身分証を掲げた。だが冬場の夕暮れに辺りは薄暗くなり始めており右手につかんだ身分証のFBIの文字が見えるとは思えなかった。



「フェズのボストン支局捜査官」



 彼女は自らスラングで名乗り鑑識官の間に入った。FBIや連邦検察捜査官とは言わず、警官達が州を跨がる高慢な捜査組織を嫌って呼称する俗称を使ったことで鑑識官達に逆に受け入れられた。



 彼女は今は何も言わなくなったむくろを見下ろすと自分の胸の前で小さく十字を切った。後から鑑識官の間に入って来たサブリナ・ディーン警部補とエルネスト・ステザム巡査部長も上司にならい同じ動作をした。



 ローラはじっと遺体を観察し始めた。両手を上げてやや脚を開き裸で俯せになったその女性は横顔から若かった。身体は適度に豊満で、生きている間は自分に自信を持っていただろう。肩までのブルネット(:赤毛、茶褐色の毛)の髪をした被害者は抵抗したのか、両手の爪の幾つかが無くなってにじんだ血が指先に固まっている。両手足首に擦過痕さっかこんと細い鬱血うっけつの筋が有り何か細い物で拘束されていたと思われた。



 だが──皮を剥がした痕が無い。そうローラは思った。



「表を見せて」



 そう彼女はしゃがみ込んでいる刑事に頼んだ。



「見ますか?」



 刑事から聞き返され彼女は嫌な予感がした。男らが2人がかりで遺体を裏返すといきなりサブリナが顔を背け吐き戻した。



 遺体の乳房から腹にかけて薄黄色い皮下脂肪がむき出しになっていた。



 くそっ、これで5人目だ。全員ブルネットの若い女性で、何れも身体の皮膚の一部が切り取られている。そうローラは思い鑑識官に優しく頼んだ。



「この人にシートを掛けてあげて」



「もうすぐ鑑識作業が終わります。そしたらホトケを死体袋に収めますんで」



 立って指示を出していた鑑識官がそう答えた。



「第1発見者は?」



 ローラが遺体から眼をそらさずに刑事へ尋ねると背後から案内してきたシェリフが答えた。



「猟に来た男が見つけ通報してきました。猟犬が嗅ぎつけ貪ろうとしたらしいです」



 そう言ってシェリフはわずかにククッと笑った。ローラはそれが気に食わなかった。矢面に立たされたのは警部補だった。



「サブリナ、嫌でも眼に焼きつけておきなさい。皮膚の剥がされている部位がこの娘も違うでしょ」



 ローラが部下にそう指示したい直後彼女のコートの内側から携帯の呼び出し音が鳴り始めた。ローラは遺体から離れ背を向けてスーツから取り出したスマートフォンを耳に当てた。



「あら、マイク。久し振り。また何処かの出先から電話してきてるの?」



 彼女はそう言うと微笑んで通話を聞いた。



「本当に? 冗談じゃなくて?」



 つぶやいた直後、明るい表情が消えローラは眉間にしわを寄せ耳に携帯を強く押しつけた。



「なんて事なの──。それでどうして私に連絡をしてきたの?」



 彼女はラピスラズリの瞳を細め立ち木の影をじっと見つめながら話した。



「ええ、D.C.に──。その大将や作戦立案した担当、捕虜を尋問した将校ね。──あまり私のツテに期待しないで。いいえ、事が事だから私が行って調べます」



 ローラは固い口調でそう言った直後わずかに息を吸い込んで続けた。



「マイク、ビッグアップルにはマリアが居るから絶対に阻止して。あの娘を護ってあげて」



 その後彼女は優しい表情を浮かべると地面を見つめゆっくりと話した。



「気をつけて」



 そう言ってローラは通話を切りスーツへ携帯を戻すと遺体の方へ振り向いた。そこには上司の会話を耳にしたサブリナとアンドレアがじっと彼女を見つめていた。





「NYにNの刃を突きつけた愚か者がいる」





 あごを引き上目遣いにそう言ってステージ警部は唇を引き結んだ。彼女の二人の部下は直ぐに“N”が何なのかを理解した。N・B・C、核・生物・化学、特に非道で危険な兵器3種類の頭文字。Nはニュークリア・ウエポン、核兵器。



「警部、私が捜査を引き継ぎます」



 即座にサブリナ・ディーン警部補が言い放った。



進捗しんちょくは逐次報告して」



 サブリナの短い返事にローラ・ステージ警部は軽くうなずくと振り向いて颯爽とアトリエ・ヴェルサーチのコートをひるがえし猛然と坂を下り始めた。











 名前を呼ばれて段ボール箱を両手で持ったアネット・フラナガンは肩までの赤毛のストレートヘアを揺らして振り向いた。



 ここはボストンの西7マイルにあるレミンスターという小さな町──町に一つあるターバリー広告代理店だった。町の人口は9千人と少ないが、大都市ボストンへ車で15分ほどと近い為、広告代理店はやっていけた。



 アネットが振り向くと代理店の入る小さなビルの裏口に同僚のサマンサがドアを左手で開き立っていた。



「アン、あんたそれどうするつもり?」



「家に持って帰って続きをやるの。会社で残業して、雪降ったら帰れなくなるから」



「家でやると残業付かないわよ」



 サマンサがしかめっ面でそう言った。



「いいのよ。親しいクライアントだから。じゃあね、サマンサ」



 アネットはそう言うと同僚が大きな声で気遣った。



「最近、ボストンの近くでブルネットの女が続けて殺されているらしいから、気をつけなさいよ」



「大丈夫よ。車で帰るから」



 アネットは笑顔で答えると振り向いて再び駐車場を歩き出した。彼女が奥に駐車した自分のゴルフへ歩いていると大粒の雪が降りだした。この時間に帰る事を決めて正解だった。車に積んだチェーンを1度も使った事がなかった。付け方なんて買った時に1度聞いたきりでもう自信がなかった。



 そう思いながら彼女が段ボール箱を抱えたまま黒のゴルフの運転席に回り込むと左前輪のタイアから何かが突き出ている事に気がついた。よく見るまでもなかった。



 タイアの後ろ側に接して外へ向けて木が突き出ていた。木は角材ぽかった。腕ぐらいの長さがありそうだと彼女は思った。乗り上げて走り出せない事もないだろう。そう考えて荷物を車の屋根に乗せるとパンツのポケットから鍵を取り出そうとした。



 雪の降りは勢いを増していた。家に着く前に積もらなければ良いけどと思いながら、寒さでかじかんだ手で鍵を解錠しドアを開いた時、駐車場に見慣れないステーションワゴンが停まっている事にアネットは気がついた。駐車場は広告代理店の他のテナントも使っていた。見掛けない車がいても不思議ではない。



 彼女は運転席側から助手席へ荷物を積み込むと乗り込んで直ぐにエンジンを掛けた。そうしてギアをバックに入れて車を下げようとした。いきなりバリッと音がしてガクンと車が揺れた。こんな雪の中でタイア交換なんてと思いながら彼女はエンジンを掛けたまま急いで車から降りた。



 タイアの後ろにあった角材がタイアとフェンダーの間のタイアハウスに巻き込まれていた。仕方ない。力ずくで引き抜くしかないと彼女は顔を強張らせた。タイアの横へ行くと、ただ角材を巻き込んだだけではないこと気がついた。



 角材にはガムテープが貼られていたらしくタイアの表面にもしっかりとテープが貼りついている。先にテープを剥がさないと木を引き抜けない。でもいったいこんな物を捲き込んで朝どうやって走って来たんだろう、と彼女は溜め息一つで諦めてしゃがみ込みかじかんだ手をタイアハウスの隙間に差し入れ一心不乱にテープを剥がし始めた。その内、角材の刺が人差し指の腹に刺さり剥がすテープに血がにじみだした。それでもお構いなく彼女は手を動かし続けた。急がないと雪が積もり始める。



 だがアネットは気がつかなかった。



 彼女の背後に人が1人近づいて来るのを。その男が相手を出来るだけ傷つけずに殴り倒す為、革を張ったバットの半分ほどの鉄の棒を手にしており、今やその腕を振り上げている事などアネット・フラナガンは全く知らなかった。











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