Part 6-1 Cognitive Power 認識力
N.Y.P.D. HQ Lower Manhattan NYC, NY.11:00
午前11:00 ニューヨーク州 ニューヨーク市ロウアー・マンハッタン警察本部
マーサ・サブリングスは眼の前の頑固者に溜め息が出そうだった。
「それで、お嬢さん。爆弾テロの犯人の一人が市内に入り込んでいるとの情報はどこから入手したんだね」
そう言ってニューヨーク市警本部の署長カーリー・マクナバンは20代中にしか見えない若いブルネットの女をまだ値踏みしていた。
彼の眼の前の女は10分前に歳上のスレンダーな女部下を1人引き連れ市警本部を訪れた。彼は受け付けて案内してきた刑事から国の機関だと言われて最初フェズ(:FBIの俗称)かと思った。
服装が2人共黒のスーツでレイバン風のサングラスをしていたからだった。だが話しをし始めて連邦捜査局ではないと分かると彼の値踏みが始まった。
署長は、自身で捜査官だと名乗った若い女の身分証を1分近くも穴の空くほど確認した。それには、NSA─国家安全保障局─NY支部捜査官マーサ・サブリングスと表記されていた。
「情報はイスラエルの外交ルートからです。ホワイトハウスを通しNSA長官代理のクレンシーが大統領権限で捜査を指揮しています」
マーサは苛々しながら事実に聞こえる様に多少脚色して説明していた。時間が惜しかった。1分1秒でも早く捜査作業に掛からないと“ウルフ”とコードネームを付けたテロ実行犯の主格を取り逃がす事になってしまう。
「ほう、大統領権限ね。だが州本部からまだ何の連絡も受けてはおらんのだよ。それに只の爆弾テロでどうして警察に捜査を任せない?」
「只の爆弾テロ? テロに“ただ”も“とくべつ”もありません。大規模な爆弾テロですのであらゆる機関に協力頂くとの連絡は、今、私が口頭で申し上げております。それに沢山の警察官に動かれては犯人を悪戯に刺激して潜伏れされる恐れがあるからです」
マーサは長官代理から一般市民の混乱を避けるため核爆弾である事を伏せる様にと指示されていた。
「しかし、これは警察の──」
署長の煮えくりきらない態度にマーサはつい我慢ならなくなった。
"The N.S.A. gets the first call!"
(:国家・安全・保障・局の管轄です!)
圧し殺した言い方にもかかわらず恫喝にも等しいととった署長は食い下がるNSAなんたらという国の出先機関から来た若い女に難題を吹っ掛ける事にした。
「いきなり来て捜査協力しろ──爆弾テロリストの写真は公開できぬ──サブリングス捜査官、市内の監視カメラがいったい何台あると思ってるんだ。モニターだけで16台もあるんだぞ。それをたった2人来ただけでどうするというんだ。全カメラ1時間分の記録に眼を通すだけで2日は掛かる。仮に見つけて君らが現場に急いだ所でその頃に犯人は西海岸の浜辺に居るぞ」
見つかるもんかと彼は短く笑い椅子の背もたれにふんぞり返り腕組みをした。この娘は捜査のABCも知らん。それに、いかに国の機関であっても所詮は出先、人員の数で市警を上回る事はできん。然るべき所に非常線を張り捜査網を狭めてこそ犯人逮捕に繋がるんだよと署長は言い聞かせる様に考えた。
突然マーサが連れて来た長身のララ・ヘンドリックスが業を煮やし上司の耳許に顔を寄せて呟いた。
「主任、私が交渉をしましょうか?」
ララが後ろ手に絡ませた指数本の関節を鳴らしたのを耳にしたマーサは一瞬苦笑いしてわずかに横へ振り向き彼女へ小声で断った。彼女に告げた。
「いいのよララ。私に任せて」
だがマクナバン署長にも2人の会話は聞こえていた。主任だと。こんな小娘がか。いいだろう。やらせてみて、どうする事も出来ないと思い知らせ、泣き言を垂れながら警察を頼りにしてきたところで嘲笑って恩着せがましく正式に受けてやろうじゃないか、と彼は眼を細めた。
「よかろう、捜査官。市内監視網の監視機材とスタッフを使わせてやろう」
その答えにマーサは安堵した。
「ただし、1時間だけだ。我々にも市内の防犯監視業務があるからな」
言い切って署長は笑いたくなった。1時間ではカメラ50台分の記録すら眼を通す事は出来まい。そう思いながら彼は受話器を取ると内線ボタンを押して監視課を呼び出した。
「ハンセン、署長室へ来てくれ」
マーサは1時間と時間を切られた事にわずかな不安を抱いたが、本部とは言え所詮は街警察、頼ろうという考えは全くなかった。
しばらく待つとしっかりアイロンの掛かったディープブルー(:NY市警制服の俗称)姿の男が来た。
「ハンセン、この御2人方はNSAの捜査官だ。爆弾テロ犯を追っていて監視カメラ網の記録を確認したいそうだ。犯人の顔はこのお2人様が御存知だ。協力してやってくれ。丁寧にな。但し1時間でいい」
ハンセンという男が返事をして廊下に出たのでマーサは署長にご協力感謝しますと告げララを連れ廊下に出た。彼女達が廊下に出て直ぐにハンセンという男が挨拶をした。
「市内監視課責任者のカール・ハンセンといいます。失礼ですがNSAとは聞き慣れませんが」
「国家安全保障局です。私が支部主任捜査官のマーサ・サブリングス」
3人は話しながら歩き出した。
「私は同じくララ・ヘンドリックス」
ララは自分から名乗りでた。マーサは逸る気持ちを押さえつけハンセンの小綺麗な服装からこの者は内勤が長いのだろうと考えた。同時に神経質な印象を受けた。
「御2人だけで視られるという事は特定のカメラの記録を御希望でしょうから操作方法はお教えします。なあに簡単ですよ」
マーサはしばらくこの男から協力を得なければならないと考え、彼が如何に優秀であるかを思い起こさせる為に当たり障りの無いことを尋ねた。
「市内に全カメラは何台あるんですか」
「5千機ほど設置されてます。観光都市ですから犯罪も多いんですよ」
「それだけあれば確認するのもかなり大変でしょう。でも多くの場所を監視できますね。そこから市民の安心感が生まれるというものです」
マーサがそう言って微笑んだ。
「ええ、ほぼ市内の主要道路は網羅してますからね」
お互いに大変ですねと3人は取り留めもない話しをしながら市内監視課のドアにたどり着いた。ハンセンがドアを開くとマーサの眼に室内の様子が飛び込んできた。
監視ルームはテニスコート半分程の広さだった。中央には7フィートほどの長さをした操作卓があり、それが前後2列あった。卓にはそれぞれ4人の制服を着たオペレーターが付いている。奥の壁には40インチサイズの液晶モニターが2段に8機ずつ並んでいた。その各モニターの下に1からの通し番号プレートがあった。マーサは部屋に入りすべてのモニターを眼にした瞬間、視野に収まるだろうかと心配になった。だが部屋ぎりぎりまで下がれば問題ないと判断した。
「早速、使用方法をお教えします」
そう言いながらハンセンが操作卓の端の空席へ歩こうとしたその時マーサが彼へ話し掛けた。
「ここにいる全員に協力して頂きます。我々は2人。手は4つしか有りません。全ての操作マウスとキーボードを操るには貴殿方の知識と協力が必要です」
マーサと責任者のやり取りにオペレーター達が振り向いた。
「でも画面は16も有るんですよ。爆弾テロ犯がどんな人物か貴女達2人しか分からないじゃないですか」
振り向き抗議するハンセンの眉間に皺が寄せられていた。彼の爆弾テロ犯という言葉にオペレーター達が顔を見合わせた。
「捜すのは私がやります。操作は指示しますので御願いします」
そう言ってマーサはサングラスを外しながら部屋の手前の壁へ斜めに後退りした。ララはドアの近くに立ち主任の噂を目の当たりに出来るんだと密かに興奮し始めていた。
マーサ・サブリングス。自分より10も若いこの人がNSAと連邦捜査局との合同捜査において手柄をたて、それがクレンシー上官の眼に止まったとはいえ、支部捜査主任としてなぜ抜擢されたか?
噂ではマーサは2万人の客でごったがえすダラス国際空港のロビーからわずか数分で1人の重要氏名手配犯を見つけ出しFBIの逮捕に貢献したと言われている。それには尾ひれがあり、彼女はそのロビーから同時に他の手配犯3人を見つけ出したという。
ララが離れた所に立つマーサの横顔を見つめた時、最初の指示を主任が命じた。
「全ての地区、全カム(:ビデオカメラ)の過去2時間の画像を3秒間隔で切り替えて。画像は五倍速で早送りして構いません」
そう言ってマーサは両手を頭の後ろにまわすと肩までわずかに届かないブルネットの髪を1度かき上げた。うなじを冷気に晒した途端彼女はエメラルドの様な緑色の瞳を大きく見開き16台の画面に見いった。
全ての液晶には街角や道路が映し出された。その建物の傍を行き交う多くの人々。性別や年齢、人種や服装、背丈、体格が様々に違っている。さらには道を斜めから映し出す画像には早送りなので凄まじいスピードで迫る車などが映し出されていた。運転席のフロント窓が見えるのはコンマ2秒にも満たないほんの一瞬。16台の画面に同時に映っている人は全てで5百人を越えているだろう。ララはその数人の顔しか判別出来ずにいた。捜すのはたった1人。
元イラク共和国親衛隊兵士だった男。
ララは苛ついて液晶モニター群から視線を逸らし横を振り返るとマーサの顔が眼に止まった。彼女は瞬きもせずに眼を大きく見開き奥の壁をじっと見つめている。
この人は本当に全ての顔を見切っているのだろうかとララがそう思った時、彼女は主任の顔に違和感を感じ直ぐにそれが何なのかを気がついた。
マーサの眼球が細かく振動している様に見えた。視点が恐ろしい速さで画面の間を移動しているというの? とララは考え馬鹿馬鹿しいと思いその理由に気がついた。見えているという事よりも認識することが不可能だと思った。同時に5百以上の顔を正確に見切れるわけがないとララは主任の頭を想像してみた。直ぐにそんな事、無理だと彼女が諦めた時、マーサが鋭く指示を出した。
「全画像停止! 7番の3秒前に出ていた映像へ戻して」
耳にしたララは驚きながら再びモニター群を振り向くと7のプレートが表示された液晶画面に視線を向けた。停止したその画像は交差点だった。画面に映る人はざっと70人余り。どれだとララが眼を細めた時マーサが呟いた。
「似てるけど──やっぱり違うわ」
ララは唐突に主任がどの人物に注視したのかやっと分かった。交差点で信号待ちする10数人の1人だった。確かにブリーフィングで見た写真に似ていた。だが髭を生やした顎まわりの形が微妙に異なっている。本当に分かっているんだ!
マーサが続けてとオペレーターに命じるのをララは耳にしながら主任の能力に畏怖を感じだした。だが呆れ返っているのはララ1人だけではなかった。市内監視課の責任者が口をあんぐりと開けてマーサを見つめていた。きっとこの人も主任の名を忘れないだろうとララは思いニヤついてしまった。刹那、またマーサが指示を飛ばした。
「13番、止めて! 一秒前に戻して」
ララは視線を振ると止まった液晶画面に何処かの歩道が映し出されていた。互い違いに歩くのは30人余り。その中の1人に彼女の眼が釘付けになったその時、マーサが小さく口笛を吹いて呟いた。
「見つけた!」
ララが見つめた先にコートを着て歩く1人の男がいた。
イズゥ・アル・サローム。緊急ブリーフィングで主任から知らされた名が浮かび上がり、見せられていた唯一1枚の顔写真と歩行者が適合した。
「ここは何処の通り? 場所は? 録画された時間は?」
マーサは矢継ぎ早に操作卓の方へ尋ねた。直ぐにオペレーターの1人の男がそれに答えた。男は事の成り行きに声を震わせていた。
「8th Ave.(:8番アベニュー。NYCを縦に走る通りの1つ)とW.52th St.(:西52番ストリート。NYを主に横に走る通りの1つ)の交差点そばです。録画は15分前のものです」
「52丁目? 画面、スターバックスの前を歩く膝丈のコートを着て両手をコートのポケットに入れた男。画面手前に歩いてるけど彼は何処に向かっているの?」
また直ぐに先ほどのオペレーターの男がマーサに答えた。
「南へ歩いていますから同じ通りで51丁目の方です」
マーサはスーツからスマートフォンを取り出しながら現在時を確認しウルフが歩行者の流れに任せて歩くであろう距離を考えた。すでに15分が経っている。男の早足ならおよそ1分で1ブロックを歩ける。すでに15ブロックは南下したはず。PAバス・ターミナルを通り過ぎて38丁目か37丁目近くにいるはず。まだスクエア・ガーデン辺り迄は行ってないと考え液晶画面を操作し耳に近づけた。
「サブリングスだ。1100時(:11:00の軍隊表現)に8番街、51丁目の交差点でウルフを確認。ウルフは同通りを徒歩にて南下。8番街の左右、38丁目から34丁目を挟む全8ブロックへ1から12班全員を展開。ウルフは膝丈の明るい色合いのコートに暗い色のスラックス。コートの襟を立てている。両腕に所持品はない。目標発見後、近接追尾を継続。同時に3班で尾行せよ。私とヘンドリックスは15分後に合流する」
そう早口で指示しマーサは携帯を仕舞いながらドアへ歩き眼を丸くしているハンセンへと顔を向けた。
「御協力有難うございました」
若き主任は彼へそう告げるとララに行くわよと顎を振ってドアを開いた。上司に続いてララは出入り口を出るときに監視室室長へ後ろ手を上げ人差し指と中指でブイサインをしてみせた。




