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衝動の天使達 1 ─容赦なく─  作者: 水色奈月
Chapter #5
26/155

Part 5-4 Presidential Authority 大統領権限

White House ,D.C. 10:20 Nov.22th

11月22日午前10:20 ワシントン ホワイトハウス



「どうなのだ。弾頭は押収できたのか?」



 ベーカー大統領が問い掛けた丁度その時、カフマン本部長の着るスーツの胸ポケットからバイブレータの振動音が響き始めた。



 彼はクレンシー長官代理や他の皆に失礼しますと告げて出入り口へ振り向きスマートフォンを取り出した。そして20秒ほど小声でやり取りをしてカフマンは通話を継続したまま長官代理へ向き直り彼へ耳打ちした。



「確保出来ませんでした。それを受け取りに来た小型漁船に渡したと船員から証言があったと。貨物船の船員全員の身柄を拘束。主任捜査官が指示を乞うてます」



 クレンシーは何の驚きも落胆も見せずに大統領へ視線を据えたまま小声で指示した。



「分かった。捜査範囲を拡大する。船舶は湾岸警備隊基地まで曳航えいこう。船員達を引続き尋問。小型漁船の特徴から捜索。地上班は指示があるまで待機させろ」



 クレンシーはわずかに間をおいて大統領へ報告した。



「──大統領、貨物船を臨検しましたが、個別目標用再突入体(MIRV)の確保は出来ませんでした」



 彼は大統領の過度な緊張を抑えるためあえて核爆弾という語彙ごい(単語)を避けた。



「MIRV?」



 大統領はすぐに言葉の示すものが思い浮かばずに長官代理に問い返した。



「個別目標用分離弾頭の事です。SS-N-32には最大六基の分離弾頭が搭載できます」



 ポツリと教えたのはファーガシー国防長官だった。



「本当に貨物船に積まれていたのか?」



 大統領は誰へとなく問い掛けていた。



「トルコへデルタを派兵した時点では間違いなく存在してました」



 ファーガシー大将が間髪入れずに答えた。





「トルコとニューヨーク冲で2度も後手に廻っておるんだ。何処へ消えたとも分からん核爆弾をどうやって見つけるつもりだ!」





 ベーカー大統領は誰を責めれば良いのかあぐねいて問い掛けていた。だがデルタの失態挽回の為にファーガシー国防長官が能弁に語りだした。



「ですが大統領、テロの実行犯数名は軍情報局にて身元の確認が取れています。後は当方の出方次第で再び核弾頭を追いつめる事は可能です」



 当方という言葉にグフマン大統領の脳裏に様々な選択肢がせめぎあった。だが陸軍の国内派兵は暴動法と民警団法との規定で難しいと彼は気がついた。それでも大統領権限で州兵を正規部隊扱いに出来る。州兵を使いニューヨーク市(NYC)に戒厳令を敷き──いいや無理だ。予備役ともいえる州兵に何が出来る?



 他の組織は、と考え国内で捜査可能な組織が浮かんだ。



 FBIか? 彼らにはテロリスト捜査のベテランが多数いる。いいや、彼奴らに核爆弾など手に負えるはずがない。



 ならCIAか? いかん、所詮情報屋だ。小回りの利く処理班を派遣する事は出来ても大規模な捜索には向かない。ましてや警察達ではテロリストに臨機応変な対応が出来ない。



 大統領の視線は部屋にいる7人一同を流れながらその思考は目まぐるしく変化し続けた。



 その様子をじっと見つめながらクレンシー長官代理は彼の苦悩と思いついているであろう選択肢を手に取るように理解していた。クレンシーは情報分野に特化したNSAの新たな方向性を見極め、いずれこの様な事態が起こりえると1年半に渡り各支局の局員達にFBI並みの新たな技能修得をさせてきた。



 情報を最大限有効に駆使しテロリストらを追いつめるために。そして我がNSA・NY支局主任捜査官に26歳という若さでありながら起用したマーサ・サブリングス──彼女を長官に強く推薦して着任させたことが先見の明だったと彼は眼を細めた。あいつこそが事態打開のキーポイントだ。



 だが功名心を露骨に見せる大将が大人しく軍情報局がつかむテロリスト達の資料を渡すとは思えなかった。それを強く要求し軍の協力を得られなくなるなど、先々の布石を考えるなら避ける方が賢明だとクレンシーは考え、別な方法でテロリストらの情報を得る事を即断した。



「本部長、本事案のサダトの担当者につなげ」



 長官代理の突然の命令に斜め後ろに立つカフマン本部長は驚いてスマートフォンを落としそうになった。彼はそれをつかみ直すと番号一覧を表示させサダト側から知らされていた真新しい番号を選び出し通話のボタンを押した。短い呼び出し音が数回切り替わり見知らぬ相手が出た。



「合衆国NSAのウッディ・カフマンだ。スルムス・ワウリンカを頼む」



 相手がしばらくお待ち下さいと言って静かになった間カフマン本部長は、この会話はエシュロンに引っ掛かかるだろうかと思い、後で必ず来る通信防諜部からのあらぬ問い合わせに苦慮した。



 エシュロンはアメリカの全会話通信をコンピューターにより自動でピックアップしテロや犯罪に関連した会話を洗い出す。そうして担当官が危険度をリスト化しているNSAの大きなシギント(SIGINT:電子手段的情報収集。情報収集大別の一つ)部門だった。



 彼が思い起こしたところで電話先にワウリンカが出た。相手はぶっきらぼうに切り出した。



『何だ?』



「灼熱の壺の件で話しがしたい。上司と替わる」



 そう言って本部長は長官代理にスマートフォンを手渡した。



「私はクレンシーという」



『ほう、NSA長官代理のお出ましか』



 その失礼な言い方にクレンシーは乗らなかった。むしろ名乗っただけで役職を言い当てたワウリンカの記憶力と情報収集力の高さに眼を付けた。クレンシーは意識の隅で手段を吟味し、そして信頼を勝ち得る為に切り返した。



「たしか君はイスラエル情報局本局の上級諜報員だな」



 ワウリンカの返答にコンマ数秒の間があった。



『ふん、通話前に何かのリストでも見たな長官代理』



生憎あいにく、私はホワイトハウスの大統領執務室から話している。核テロの事案対応進捗で部下へサダト側の担当につなぐ様に指示し、彼が君の名を初めて口にしたんだ」



『何とでも言える』



「何とでも言うさ」



 またワウリンカの返答にコンマ数秒の間があった。



『クレンシー、あんたは若い。多分俺の歳を空で言えるんだろうが、生憎(・・)と歳上でな。あんたが切れ者だと聞き知っているが、俺は生意気な若者の扱いは知ってるつもりだ。要件は何だ?』



 教え諭すような言い方だったが声に落ち着いた凄みがあった。



「灼熱の壺に関してテロの実行犯達の顔を知りたい。ソースを明らかにするつもりはない」



『どうしたものか──』



 クレンシーは長距離を経てもワウリンカの言葉に本物の躊躇ちゅうちょを感じた。きっと立場上、直接情報提供者がテロリストに親密に関わっていると彼は思った。



『条件がある』



 ワウリンカの明瞭な言葉──そこには先ほどの迷いは全く感じられなかった。



「私に可能な事は最大限行う」



『テロリストの中の1人を外交ルートで引き渡して貰いたい。死体袋入りでは受け付けない』



 イスラエル人は軍人に限らず民間人だろうと誰だろうと同国の民の命を最大限に慮る。中東で多くの敵国に対峙し、しのぎきるには他国に比して圧倒的に少ない国民の命を粗末にあつかったりしない。それは潜入工作員であっても同じなのだと考えクレンシーはゆっくりと明瞭に踏み込んだ。



「スルムス、君は仲間思いだな」



 今度はワウリンカの返答に1秒ほども間があった。



『テロ実行者は4人。リーダーの元大佐だった男は既にニューヨーク入りしてる。全員の顔写真と経歴をメールする。その内、フィラス・アブゥド元IRG(/Irqi Republican Guard:イラク共和国親衛隊)少尉をイスラエルに引き渡して貰いたい』



「分かった。約束しようスルムス。こちらのメールアドレスを──」



 クレンシーは確約し自分のアドレスを告げた。



『承った。直ぐに送信する。それから──』



「何だ。他にも条件があるのか」



 クレンシーの口調は優しかった。



『嫌でなかったらお前の事をサンドラと呼んでいいか』



 クレンシーは一度もファーストネームを名乗らなかった事を理解していてわずかに口角を持ち上げた。



「構わんよ」



『まったく、女みたいな名だな』



「よく言われる」



 クレンシーの言い分に彼の耳へ飛び込んだのは短く小さなククッという笑い声だった。



『また話そう、サンドラ』



「ああ、楽しみにしてる、スルムス」



 クレンシーがそうつぶやくと突如イスラエル側から通話は切れた。彼はスマートフォンをカフマン本部長へ返すと清々しい表情でベーカー大統領へ顔を向けた。途中から長官代理がモバイルフォンでやり取りする会話を聞いていた大統領は眼が合うなり開口1番に長官代理へ問うた。



「クレンシー、再捜索の手段があるんだな」



「はい、大統領」



「確実性は?」



「限りなく」



「よし。本事案の捜索をNSAに任せる。核爆弾の安全な確保、及びテロ実行犯の拘束若しくは射殺までクレンシー、君に全軍及び各省庁、関係機関を最大限に使えるよう本日──」



 そこで大統領は一旦言葉を区切り執務官の顔を見た。



「閣下、只今10時35分です」



 執務官が自分の腕時計を見て大統領へ教えた。



「10時35分をもって核テロの捜査に関して大統領権限を付与する。やりたまえサンドラ・クレンシー長官代理」



 大統領の声は明確だった。クレンシーははっきりと返事をし、与えられた事の大きさを実感すると、息をゆっくりと吸い込みながら上着の内ポケットから自分のモバイルフォンを取り出し考えた。





 さあ、マーサ、お前の能力を最大限に発揮してもらう時が来たぞ──と。











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