Part 4-1 Situation judgment 状況判断
N.S.A. HQ D.C.,U.S. 9:20 Nov.22th
11月22日 午前9:20 合衆国 ワシントン国家安全保障局本部
対テロ情報統括本部長のウッディ・カフマンは受話器を握り締めた右手に力が入り蒼白になっていた。
今日は災厄の日だと呪いながら彼はこのとんでもない話を持ち込んだ相手を取り次いだ職員を後で叱り倒してやろうと一瞬電話から意識がそれ、引き戻すように相手に念押しした。
「間違いないのですか」
さらにしばしの間があり彼はトーンを下げ声を絞り出した。
「なんということだ。情報源は確かなんでしょうな。こちらと直接対応する者の名を──」
カフマンは受話器に聞き入りメモを取り始め彼は用紙に書いた文字を何度も確認するように眺めた。
「情報を感謝します。こちらの担当官が折り返し連絡をいたします」
そうしめくくりカフマンは受話器を戻した。彼は下ろすなりフリーハンズに切り替え三桁の内線番号を押し込んだ。その部所の誰かがワンコールで即座に応じた。
『はい、エシュロン監理部』
「対テロ情報統括本部長のウッディ・カフマンだ。今しがたの私が通話していた記録をあたってくれるか。相手はどこから掛けてきた?」
『局の回線ですか? 部長のモバイル・フォンですか?』
「局の電話だ」
『少々お待ち下さい』
カフマンはじりじりしながら待った。もしもどこかのど阿呆が国内から掛けて来たのなら、連邦捜査局を動かし虚偽申請という犯罪行為で手錠を食い込ませてやると思った。
『イスラエルのガザ地区にある交換局迄は辿れました。通話内容のコピーが必要ですか?』
「いや、結構だ。10年経っても1字1句忘れはせんよ」
カフマンはそう言って内線を切り直後に吐き捨てた。
「くそう、ホンモノだ!」
わずかな間をおいて彼はあてがわれている個室を後にすると長官室へと歩き始めた。
本来なら情報を推し測るアセスメント・ミーティングを課長クラスの者数人を集め開くべきなのだろうが、もたらした相手が悪戯電話をする為に料金の高い国際通話を利用したとは思えなかったのでアセスは省略だと決めた。
だが心の片隅では悪質ないたずらという、今ではほぼ望み薄の理由にすがりつきたかった。
彼は歩いているつもりだった。だがいつしか速足になっていた。それほど事は重大だった。まだ可能性に過ぎない事案だったが、もしもの事を予測すると彼自身が自分の範疇で片づけるにはあまりにも事が大きすぎた。
カフマンは長官室の前にたどり着くとノックもせずにドアを引き開けた。
直ぐにデスクについた長官秘書のナターシャが書類から顔を上げた。ナターシャは入室してきた人物が知っている顔であり緊迫感をみなぎらせていたので目線を横の扉に振って目当ての人が奥の部屋にいることを静かに教えた。カフマンは頷きその扉に歩み寄るとドアノブに手を伸ばしかかり思い直して慌ててノックをした。すぐに入るようにと中から声が聞こえ彼は扉を引き開けた。
部屋の正面には両袖の執務デスクがありその向こうに座るのはカフマンよ15歳は若い男だった。
男は電話中で片手でカフマンに待てと合図した。本部長は電話を続ける男をじっと見つめた。目の前のこの若い長官代理、サンドラ・クレンシーを見つめながら本部長のカフマンは、長官が先月末から癌治療の為長期休暇を取る際にこの若者を代理指名したことに衝撃を受けたことをまざまざと思い出していた。
いや驚きを隠せなかった局内の上級職員は他にも多くいる。サンドラ──まるで女の名のような30代半ばのこの男は海兵隊から局に配属されるなり敏腕を発揮してわずか五年でNSA長官代理にまで登りつめていた。
長官代理は通話を終わると回転椅子の向きを正した。
「どうしたカフマン?」
そう彼は手短に聞いてきた。本部長は話し出す前に事案の大きさを意識しどこから話すべきかと生唾を呑み込んだ。
「サグレ・ウムズから連絡が入った」
言い終り人物捕捉が必要だろうとカフマンは思った。
「イスラエル情報局サダトの事務局長だな」
クレンシー長官代理は思い出す素振りも見せずに即答で返した事にカフマンはわずかに驚き長官代理は短く問うた。
「どういう事案だ?」
問われ本部長は自分が関わることで得られる利益より、目の前の男に丸投げする事が結果保身に繋がると本能で悟った。
「トルコ現地時間で5日前、デルタとトルコ陸軍特殊部隊が失態をやらかした。奪回しそこねたのはロシア製SS-N-32ブラヴァの分離核弾頭の2基」
本部長の報告にサンドラはじっと耳を傾けていた。
「START-Ⅳ、アメリカ、ロシア間最新の戦略核武装削減交渉に基づきロシア海軍が保有していた戦略原潜用長距離弾道核ミサイルの保管されるはずだった核弾頭が強奪されトルコの武器商人が仲買した」
「オファーをした相手は分かっているのか? バイヤーが抱くには高すぎる商品だが」
カフマンは長官代理が情報自体を疑わずに飛躍した事に驚き眼を丸くした。
「現時点において不明だ。だが取引人が“灼熱の壺”と漏らしたのは分かっている。そのキーワードにヒットした人物がいた」
「何処の誰だ?」
ただ誰だと問わない長官代理にカフマンはまたわずかに驚いた。
「フィラス・アブゥド。元IRG(/Irqi Republican Guard:イラク共和国親衛隊)少尉。この者はサダトの資産と思われる」
カフマンは通告を受けた短い情報からアブゥドがサダトの工作員だと推論し断定的に語った。だが重要なのは所属していた先だった。
「イラクの核攻撃を警戒したイスラエルの意向か?」
さらりと答えたサンドラにカフマンは頭振った。
「違う。中東の揉め事の話ではない」
カフマンは長官代理がさらに何か問うてくると思い同時にその核弾頭の存在をなぜ疑わないのか不思議に思ったが、サンドラは黙ったまま視線を本部長の双眼から外そうとはしなかった。その沈黙に屈したようにカフマンは続けた。
「問題なのはそのアセットがアメリカ国内に居ることだ」
「うむ──国内からその取引に何らかの手引きをしただけかもしれない」
長官代理の意見は当然だと本部長は思いたかった。だが伝えなければならない重大な事実がそれを退けた。そして総てをこの青二才に押し付けるのだと悪魔が囁いた。
「船積みされたのはブラジル船籍の貨物船エスメラルダ。寄航地は──ニューヨーク近郊のブルックリン港」
その瞬間、サンドラ・クレンシーはインターカムに手を伸ばし秘書のナターシャに指示を出していた。
「大統領に核テロの緊急事案があると至急面会を申し込んでくれ。直ちに出向くとも伝えてくれ。カフマン本部長も同伴する。それとロシア大使館の代表電話番号を」
こいつは俺を断頭台に引きずって行くつもりだ! 聞いていたウッディ・カフマンの胸板にどっと汗が吹き出した。彼はとんでもない事になったと神を冒涜する言葉を口の中で呟いた。