Part 37-2 Behold ! 刮目せよ!
#1 Hall NDC HQ Bld. Chelsea Manhattan, NYC 9:50 Nov 24th
11月24日 午前9:50 ニューヨーク市内 マンハッタン チェルシー地区 NDC本社ビル 第1公会堂
総合司会室コントロール・ルームの百六インチ・モニターを見ながらマリーは両足が震えていた。
千人が入ると聞いている客席の空きがまったく見つけられなかった。それどころか壁際の通路だけで二、三百人は楽にいる。公会堂に待つ人達はすべて招待なので二千百十三人が記者会見を待っているのは間違いなかった。
集まっているのは新聞社や雑誌の取材記者やテレビ局のインタビューワァー・チーム──それが国内だけでなく四十ヵ国以上の国から来ている。
「チーフ、中央通路中ほどにいるカメラクルーは我が国のABCと、イングランドBBCです。あと第二通路壇上寄りのクルーはNBC、第四通路にいるクルーがCNN、中渡り通路に数台のカメラ、内一基は8Kビジョンカメラで貴女の枝毛すら視聴者が見抜けられる最新の収録機材で、それを構えるのが日本のNHK。いいですか、チーフ。貴女が壇上に袖から出た瞬間から戻るまで大きな局のカメラは中継枠を取っています。すべてが生放送、撮り直しの出来ない一発勝負です」
マリーは、横で説明するルナが詳細に話す事でわざと緊張させようとしてないのが十分に分かっていた。
「チーフ、貴女が耳目を集める間、私やフローラも壇上にいますが、司会の流れを阻害する個人的会話は出来ません。ですから一時間の記者会見中はパティを通して私とフローラが貴女をサポートします。貴女はマイクスタンドに向かい話す様な堅苦しい方式は取りません。ヘッドセットを使いブームマイクの音声を壇上の二十台のスピーカーから会場へ流します。ですから貴女は壇上を自由に歩き回り、身体すべてを使いパフォーマンスをして下さい。世界中の何億という視聴者は貴女の一挙手一投足を見つめています。貴女という人物を身近に感じる様に親しげに──手のひらや指の動きにすら、効果を期待し話し掛けて下さい。くれぐれも言いますが、拳は避けて手のひらを開いておくこと」
マリーはルナによっぽど打ち明けようか迷っていた。シリア陸軍一千人と斬り合いを始めた時より緊張しているのだと。
「チーフ、私が司会し貴女に登場を促します。貴女は微笑みながら、颯爽と私の傍らまで来て下されば、貴女が余計な事を言わなくてもいい様に取り計らいます。貴女は私が振る話しに答え、私が選ぶ記者の質問に実直に答えて下さい。回答に迷ったりして優柔不断な姿勢を見せるのもいけません」
マリーはあまりの緊張感にたまらずルナに尋ねた。
「あの人達は何を知りたがるの?」
「マリー、貴女のスリーサイズすらどさくさに聞き出そうとする不貞がいるものと思いながら、貴女の判断で事実を述べて下さい。大袈裟に話したり、事実と違う事を口にすると、必ずその事は後日叩かれ炎上します。それが冗談めかした事でもです。貴女がマッチポンプがお好きならそれも止めませんが、人は羨望を覚えるのと同じ力で引き摺り下ろしに掛かります。火種は小さければ消せますが、燻らせないのが一番です。ですが答えたくない事には後日回答いたしますと話を終わらせて下さい」
そこまでルナが説明した直後、総合司会室コントロール・ルームの職員が二人に時間が来たことを教えた。
「じゃあ行きましょう、チーフ」
そう言って踵を返したルナは颯爽と歩き始めた。彼女の着るパステル・パープルのスーツがとても引き締まって見えるのは身体にフィットしているからばかりではないのだとマリーは気がついた。彼女の姿勢、歩き方、気負い、そのすべてがルナを凛々しく見せていた。
逆に自分はおどおどし、ぎこちなく歩き、逃げ出したい気持ちで一杯だった。
通路を歩く間、運営スタッフ数人が一緒に付いて来てヘッドセットをヘアスタイルを損なわない様に取り付けたり、流れる明かりの下でありながら、メイクの手直しをしてくれ、女性スタッフの一人がマリーの左手にガーゼ生地の小さなハンカチを渡し、気がつかれない様にと言い渡した。
そうして階段を下り公会堂壇上の裏口を入り壇上左袖壁の陰で皆は一度立ち止まった。そこに先にフローラが待っていた。
マリーが気がつき眼で会釈すると彼女は一度頷いて明るい壇上へ顔を向けた。
その横姿を見て、初めて彼女がキンダリー証券に来た時より数段輝きのある淡いピンクのスーツ姿でしかも締まった脚を優美に見せるタイトスカートで決めている事にマリーは羨望を感じてしまった。
マリーは一瞬自分のネイビィ・ブルーのスーツが見劣りしないかと意識した。その時先に立つ背を向けたルナがわずかに振り向きマリーに声を掛けた。
「みんなを、ジャガイモと思って下さい」
そう言い残し皆を出迎えるように両手を広げリズム良く壇上へ出て行った。
ジャガイモは質問したりしない。ジャガイモは写真を撮ったりしない。マリーは様々な抵抗を思い浮かべているとルナの声に気がついた。
「──就任記者会見にお越し下さりましてありがとうございます。では、さっそく記者会見を始めたく思います。我がNDC最高経営責任者の──」
マリーの名前が呼ばれカメラのシャッターが切れる音が重なり始めた。
それでもどんな顔で出て行けばいいのか彼女は迷い続けた。
あまり間が開き過ぎても出にくくなる。
この後に及んでヘアスタイルやスーツ、パンプスが気になりだした。
「くそっ!」
吐き捨てて心臓が太くなった様に感じた瞬間、マリーはダッシュし袖壁の陰から皆の前に駆け込んだ。
「こちらが新しき社長のマリア・ガーランドです。皆さまが帰られてはいけないとばかりに駆け足で来て下さいました」
そう言ってルナが気転を利かした紹介をしてくれ片手を流す様に伸ばした彼女は揃えた指先でマリーを指差した。
マリーは報道陣という群衆を見つめ、まずにこやかに微笑んだ。二千人以上の人から見つめられるのは初めてだった。皆が私の第一声を待っている。気が利いた事なんて言えはしないと分かっていた。
「皆様方、初めまして、NDC当社副社長のミズ・ロリンズからご紹介頂きました。マリア・ガーランドです。今、私を見て愕然としている方にはこれから辛いお話をしなければなりませんし、重大な発表も幾つかあります。新任の私では心もとないので、頼もしい方を皆様にご照会いたします。美しき前任者でありNDC本社社長職の勇退を決断されたミズ・フローラ・サンドランどうぞ」
マリーはそう言って自分が出てきた袖壁へ片手を上げた。彼女が壇上に姿を表した瞬間、会場に恐ろしい数のストロボが明滅し重なったシャッター音がさざ波の様にうねった。
フローラは松葉杖をつきながらマリーの傍らまで時間をかけて歩み出た。そうしてマリーとルナに微笑み、その笑顔を会場へ振り向けた。
「さて、新旧の責任者が揃いました。前社長からの贈る言葉、新社長の重大な発表と皆様方の今夜や明朝のスクープとなるお話が飛び出してくるのでしょうか? さっそく、ミス・サンドラン、今回、社長職を退かれたお話から伺いたいと思います」
そう言ってルナは軽くマリーの手前越しにフローラを覗き込んだ。
「皆様方、新しい社長、ミズ・ガーランドからお話がありました勇退には当たらないと思い、私自身からご説明いたします。我がNDCは未だもって急成長を続けるグローバル復業企業です。今期まではその欧州極東地域での裁量権は本社にありましたが、より効率性のある企業運営の為、欧州極東支社として独立裁量権を該当地域で担う事になりました。当社、筆頭株主でCEOのミスター・バスーンからその責任者としてNDC欧州極東支社長就任の依頼があり、私はこれまでの評価の賜物と喜んでこれを引き受けた次第です」
フローラが説明を終えると、まだ質疑応答の時間でないにも関わらず、手を上げ発言を求める者がかなり見受けられた。
「皆様方の御手元にありますパンフレットに今年四半期までの当社の経営収支に関わる大まかな資料がございます。今、ミス・サンドランからお話のありました当社欧州極東支社のものもございますので、ご覧頂き、ミス・サンドランへご質問等を募りたいと思います。では先に新しき社長となりましたミス・ガーランドに色々とお話を聞きたいと思います。まず、社長就任につきましての詳しいお話をお願いします、ミス・ガーランド」
そう言ってルナがマリーへ振ると、マリーが肩をびくつかせ驚いたのが丸分かりだった。
「私が、社長になる切っ掛けですか?」
マリーはまるで驚いたのを誤魔化す様にルナへ顔を向け問い返した。ルナは何も言わずただ頷いただけだった。
マリーは正面会場席のさらに前へ視線を落とし話し出した。
「私が社長をしなければならなくなった理由ですね──」
そこまで言ってマリーは言葉に詰まった。
ルナ、何を話せばいいの? とマリーはパティを通してルナに助けを求めた。
『チーフ、差し障りのない、エピソードでかまいません』
私の存在自身が差し障るのにと考え、マリーは自虐だと思わず笑いそうになって奥歯に噛み殺した。
「私は二日前の午後三時ぐらいまで静かに証券会社のフロント・アナリストとバイヤーをしていました。静かな日常に埋没していたのです」
そう静かな生活に逃げ込んでいた私を、今、同じ壇上に立つ二人が引き摺り出したのだ。客席の前の床を見つめながらそう考えていたマリーはいきなり、記者逹へ視線を振り上げた。
今度は私が貴女達を私の思惑に引き摺り出す。
「しかし残念なことに、二日前ここニューヨークが核爆破テロの標的となりました」
マリーの話し出した内容に記者達は一瞬で色めき立ち次々に質問の声が重なりだした。それをわずかに声のトーンを上げマリーは割って入った。
「皆さん──待って下さい。幸いなことに大惨事が起きる寸前で事は回避されました。それは我がNDCが極秘裏に創設活動してきた対テロ部門の活躍による吉報です」
質問発言を求める手の上げ様が半端な数でないほどになり、逆にマリーは熱くなった。その時、最前列に近い場所に座るセルロイド眼鏡を掛けた一人の記者が立ち上がり大声でマリーに尋ねた。
「COO、それはNDCが公に軍事行動を行ってきたととってもよろしいのですか?」
今や報道陣だけでなく壇上のフローラとルナが唖然とした面持ちでマリーを見つめているのが、彼女には見ずして分かっていた。
「そう、我がNDCは世界最大のEX-PMC(:例外的超民間軍事企業)を表一部門としここに創設します」
ここにいたる紆余曲折が走馬灯の様にマリーの意識を駆け巡った。今すべてを思い返しても最初の動機がなんだったのか明白だった。
何人の命も失いたくない。この軍勢の様なマスメディアを前にして躊躇逡巡する刻はすでに終わったのだとマリーは理解した。
そう私は──。大きく息を吸い込み備えた。
「刮目せよ! 今、この時をもってNDC率いる我は宣言する!」
マリア・ガーランドは目の前の人々すべてが息を呑むのを感じた。音一つたてることを憚られる一瞬、様々なネットワークを通して数千万──いいや、数億、それ以上の数多の意識が私に集中し次なる言葉を待っている。
息をゆっくりと吸い込み、顎を引き上目遣いに視線を上げ遠い世界が見えているとでもいうように遥か彼方を見据え言葉を押し出した。
「世界中のテロリストども! この──マリア・ガーランドにかかって来い!」
その瞬間横を向いていたフローラは愕然とし、笑みは微塵もなく消え失せた。
目の前の会場を見つめる女一人、マリアが考え出したとんでもない戦略──世界中のテロリストの標的となり他への被害を最大限に回避する──の現実性を様々に考慮してみても──もう取り返しのつかないDH(/Decision Heigh:離着陸決定高度)を通り過ぎたのだと理解しても彼女の、マリアのその背中を押すべきなのか、それとも彼女の華奢な肩に手を掛けて引き留めるべきなのかを迷ってしまっていた。
自分の不遜な思惑と不甲斐なさを呪って新任の横へ近づき肩が触れ合うほどに並ぶとマリーが気がつきわずかに顔を向け片側の口角を持ち上げてみせた。
その笑顔にまたしてもやられたのだとフローラは素直に負けを受け入れた。
「マリア、貴女が指揮するそのSOF(:スペシャル・オペレーション・フォース)の名も発表して」
フローラが言葉を振り頷いたマリーは晴々とした面持ちでヘッドセットのムーブマイクに片手を添え言い切った。
「我が最強の部隊──S.T.A.R.S.! 特殊戦術強襲偵察中隊!」
その刹那、すべてが滑り出した。