Part 36-3 Breakthrough 打開
Quay Promenade of Battery Park Lower Manhattan, NYC 20:50
午後8:50 ニューヨーク市 ロウアー・マンハッタン バッテリー・パーク 波止場遊歩道
十年間、マリーは顔を見るのも嫌で電話越しにしか話す事を赦さなかった父、マイクが傍らに現れた刹那、威嚇する言葉を放った。その父が率いる三十名以上のシールズがマリーとイズゥへMCXコントラクト・カービンのブレーカーの付いたマズルが睨みを効かせていた。
それを畏怖せずにマリーは見つめた。
構えている男逹に懐かしい顔が幾つもあった。だが彼らを指揮する眼の前の父は射殺すると言い渡したなら例え娘であろうとそうする生粋の軍人なのだと彼女は知っていた。
だが同時に威嚇が軍の典型的なやり口だとマリーは承知していて、ゆっくりとシールズへ振り向いた。
公園を抜けテロリストの姿を捜し求め、埠頭の遊歩道の街灯の灯りの下に向かい合う二人を見つけ、マイク・ガーランドは即座にハンドサインで自らの後方と左右に部下達を振り分けた。
灯りの中にたたずむ一人は間違いなく作戦指示書にあったテロリストの一人だった。その前に立つプラチナブロンドのウエットスーツの様な黒い着衣の者が左の太股にレッグホルスターを装着しておりそこからハンドガンのグリップが見え、下げた左手にファイティング・ナイフの刃を握りしめているのを確認した瞬間、大佐は警告を発した。
「動くな! 動けば容赦なく射殺する!」
わずかに間をおいてフロッグマンが振り向いてマイクは一瞬混乱した。
風が止み深々と降る雪の先に見えた顔が娘とあまりにも似ている事をどう受けとめていいのかと困惑しながら確認する様に彼は尋ねた。
「マリア──なのか?」
彼の問いに女が優しく答えた。
「久しぶりね父さん」
娘の声を聞きマイクの背後にいる一枚岩の特殊部隊に幾つかの動揺が湧き起きたのをマイクは感じ取っていた。
「何をしてるんだ、マリア? そいつは──」
言い掛かっている最中、娘が瞳を細めた。
父に問われ、たった十年程度で記憶にある娘の顔に自信がもてないのかとマリーは鼻で笑いそうになった。それでも棘のない様に、感情的にならない様に、マリーは父に声を掛けた。
「久しぶりね父さん」
声を聞き父が珍しくわずかに銃口を下げたのをマリーはじっと見つめていた。
「何をしてるんだ、マリア? そいつは──」
問い掛けるまでの間合いが父の困惑の証なのだとマリーは思った。
「よく知っているわ。イズゥ・アル・サローム──元イラク共和国親衛隊大佐。そして核爆弾テロ実行犯の一人よ」
そうマリーが語ると父が顔を強ばらせた。
「マリア、その男から離れろ!」
父に命じられ、マリーはもう私は貴方の人形じゃないんだと思い血の滴る右手を横へ振り上げイズゥを庇った。
「断るわ、父さん。この人を連れて行かなくてはならないから」
娘の十年越しの抵抗を目の当たりにして一瞬だが父の瞳が揺らいだのをマリーは見抜いた。だが父が大人しく引き下がるなんてマリーは小指の先ほどにも思わなかった。
「ならん! たとえお前でもテロリストの肩を持つなら撃たねばならん!」
そう──貴方には任務が至上。本気で撃てるだろう。だけれど──これならどうかしら、父さん?
「フロッグメン、銃口を下ろしなさい」
そうマリーが命じて微笑んだ刹那、電子擬態を解いたスターズ二十五人と忍び寄って来ていたアンがシールズ全員の脛椎へ銃口を押し当てていた。
「チェックメイト、この闘いにもう意味はないぜ、少佐の親父さんよ」
マイクと傍にいるもう一人のシールズ兵の首に左右に握るブロウニングHPのマズルを押しつけアンが瞳をギラつかせながらマリーの父へ囁いた。
だが父が銃口を下げるどころか進み出て至近距離からマリーの額に向け照準した刹那、急激に辺りは爆風に捲き込まれ、巨大な航空機が彼女の後方に一気に降下し水飛沫が左右に瀑布の様に舞い上り、機首のターレットが音もなく旋回し二十ミリ機関砲がマイクの額を狙った。
膠着した世界をマリア・ガーランドの張り上げた声が揺るがした。
「武器を収めよと言ってるんだ!」
マリアの言葉にシールズ古参の兵士らが銃口を下げ始めた。それに気づいた新参の隊員達が動揺した。
「この私がぁ!」
さらに怒声の様な音が響き渡りまるで凪いだ水面に投じられた言葉の波紋がシールズ隊員達の判断を決定づけ彼女の父であるマイク・ガーランド大佐を除き彼の部下達の行動を左右した。
部下達が戦闘放棄した事実を振り向かずに感じ取ったマイクはそれでも服従させようとした。
「貴様ら、これが命令不服従で重大な軍規違反だと──」
マイクはそこまで言い絶句した。数人の古参兵士からカービンの銃口を向けられ、初めてその表情が愕然とした。
「大佐、テロリストをあの方の部隊に委ねて下さい。お嬢さんの──」
バイタル・ゾーンを正確に照準しながらそう控え目に命じる腹心の部下ドール・ジョージア中佐の言葉がマイクの心を揺さぶり右腕とする長年の友が最後に繋いだ言葉の意味する事に到達し彼の意思は力尽きた。
「──マリア少佐の部隊に」
もはや娘マリアの額を捉えていない小刻みに揺れる銃口がゆっくりと静止した。そのカービンのサプレッサーには手が掛けられていた。マリーはその銃口を下げさせると父にそっと呟いた。
「父さん、退役して貴方が私を何者にしたのかよく考えて──私を極限の殺傷兵器に育てた意味を」
言い終わりマリーは父の手から短機関銃を奪うと見つめる彼に微笑んでみせた。
「でも、恨んでなんかいないのよ──」
「私は受け入れたから」
『あの少女が私を救ってくれたの──彼等を信じていいわ、クレンシー』
公園出口の傍らに立つ男女の女の方がそう男に言ったのがマリーには届いていた。
パティ、あの女の意思を伝えたのはあなたなの?
あれは誰なの!?
────いいえ、マリー。わたしじゃないわ。
少女の思念が即答した。
じゃあ、あの女は誰なの!?
刹那、マリーの思考に濁流の様に飛び込んで来たのは、命を張ってここまで辿り着いたNSA・NY支局主任捜査官の目まぐるしい一日だった。
市警署長に銃を抜いて脅してやりたいぐらい苛立ちながらも譲歩を引き出し、部下が見失った“ウルフ”を追い求め、底無しに深く気持ちは落ち込んでいたのに歳上ばかりの部下の手前臆面にも出さずに指示を出し続け、州間ハイウェイから“ウルフ”が逃げ込んだ工場跡の様な場所を目指し雪で濡れた雑草に何度も脚を滑らせながらも駆け、乗り越え様としたフェンスが指に張り付きそうなぐらい恐ろしく冷たくて、暗い倉庫の中を急ぎ罠のワイヤーを足に引っ掛けてしまい、遮蔽物から顔を出したその瞬間逸れた弾丸がブルネットの前髪を掠り、自分を射った相手が一瞬まったく面識のない少女に見え戸惑い、三度に渡り取り逃がしたイズゥを夜になりサウス・パーク先の埠頭へ追い込もうした矢先にトリニティー教会前で見えない相手と激しい銃撃戦をおくってきた。
ここにもいたんだ。
この街を、多くの人々を全力で救おうとしてあがいていた者が。
マーサ・サブリングス。国家安全保障局の優秀でなにものにも弱気にならずに駆け抜けるランナーが。マリーは攻撃輸送機に搭乗し始めた仲間から顔を巡らしその女性を目に焼き付けた。
クレンシー長官代理とマーサが駆けつけた時には黒いウエットスーツの様な戦闘服に身を包んだ銀髪の女とテロリストの一人が街灯の灯りの下でクロースクオーターズコンバットを繰り広げていた。
だが女が肩を刺されてなおテロリストの男が手にするナイフを振り切る様に折った後、男が銀髪の女のナイフを奪い女の手を刺した。直後、いきなり男の殺気が消え失せてしまった。
どうなっているのだとクレンシーとマーサが静かに見守っている最中、二人を駆け抜けて行ったシールズ兵達が歩道に広がり、つい先ほどまでクロースクオーターズコンバットを続けていたテロリストの男と銀髪の女兵士へカービンの銃口を向けた。
遠く明瞭ではなかったが、聞こえてくる会話から女兵士とシールズの指揮官が身内であり、指揮官が女兵士を説得しようとしているのが分かった。
クレンシーは多数の人の気配を感じ取り、横へ視線を振り向けた直後、戻した視界の光景に驚いた。
シールズ全員に銀髪の女兵士と同じ着衣でフェイスガードの付いたヘッドギアを被った一群が火器を向けていた。あの教会前の通りでリーコンズやNSA捜査官達をがたがたにした金髪の女兵士と同じ様な装備だった。
銀髪の女兵士が武器を下ろす様にシールズへ怒鳴り、それでも進み出たシールズの指揮官が女兵士の額にカービンのマズルを向けると、まるで輸送ヘリのチヌークが同時に数機降下してきた様なダウンウォシュにクレンシーは顔に片腕を上げ強風の中すべてを見ていた。いきなり上空から現れたグローブマスターほどの航空機がホバリングしながら機首のターレットに付いた機関砲を振り向け一気に状況が変わった。驚いた事にシールズ兵の十数人が指揮官へ銃口を向けていた。
いったいどうなっているのだと長官代理が見つめていると銀髪の女兵士がシールズの指揮官からカービンを取りあげた。
直後、ホバリングしていた航空機が旋回し、スロープのない後部開口部を向けた。
いきなり彼の隣でマーサが片手を上げその航空機のテールゲートを指差した。
「クレンシー、あの左の娘です。私を“ウルフ”の銃弾から守ってくれたのは──」
開口部の際に肩を並べた二人の少女とブロンドのウェーブヘアをしたモデルの様な体格の女兵士がたたずんでいた。
その黒いウエットスーツの戦闘服の兵士達がシールズを開放し次々に腰の高さのフェンスを乗り越え航空機に搭乗し始めた。最後にシールズの指揮官と肉親と思われる女兵士がテロリストの男を連れ彼女らの仲間に手を引き上げられながら乗り込んだ。
「彼らを信用して下さい」
マーサに呟く様に諭されてクレンシーが頷いた瞬間、まるで眼底越しに入り込んできたやわらかな声に彼は眼を大きく見開き眉間を右手ひらで押さえた。
────クレンシー長官代理、テロリストのイズゥ・アル・サロームとアハメド・バーハム、それにサダトのアセット──フィラス・アブゥドの身柄を預かります。三人共に状況の落ち着いた一時間以内にNSAニューヨーク支局へ出頭させます。フィラスはサダトのスルムス・ワウリンカ中佐とのお約束通りにイスラエル大使館へ貴方が引き渡して下さい────
────それから二基のMIRVの内一つはCIAがアイ・テンプ・ビルから押収、一つはエンパイア・ステート・ビルのエレベーター機械室に。どちらも核爆発しない様にしましたが、わずかに原爆を囲んだ合成爆薬による小規模な爆発を起こす可能性がありEODS(:爆発物除去を行う専門者)を至急派遣して下さい────
────あとペンタゴン内でこのテロを画策した内の一人の中佐を射殺した事でブリガム元陸軍大将とカーチス上院議員、それにステージFBI捜査官がCDIに訊問されています。彼らに恩赦を。それから──大統領へ状況終了ともうお報せなさってかまいません。皆を安心させて下さい────
幻聴などではなかった。その明確に女のものに間違いない意識が去るとクレンシーは手のひらを額から離し、横にいるマーサ・サブリングスを見つめた。
彼はなぜ自分しか知りえない事まで、語り掛けてきた何者かが知っていたのだと困惑しながら、彼女が不思議そうな面持ちで見つめている事に気がついた。だが、サンドラ・クレンシーはこんな事は誰にも理解してもらえないと口をつぐんでいた。