Part 34-1 Bursting 決裂
Battery Park Lower Manhattan, NYC 20:25
午後8:25 ニューヨーク市 ロウアー・マンハッタン バッテリー・パーク
幾重にもかさなる狂った様に吹雪く暗いカーテンをかけ分けながら、時折ライトに照らされた背の高い樹木と芝生の間に曲がりくねった歩道を駆けていると売場の様な小屋を通り越し何もない広い場所に出てしまった。
離れた街灯に浮かび出たのは列なる低いフェンスだけでその先は闇があるだけだった。
イズゥ・アル・サロームはまさか街の外れまで来てしまったのかと追っ手の様子を探るように聞き耳を立てた。
微かに聴こえる水飛沫の音に彼はフェンスまで歩き闇の先を覗き込んだ。
彼の足下の方から打ちつける波しぶきが聴こえていた。やはりマンハッタンの際まで来てしまったのだと彼は奥歯を噛み締めた。
あの遮蔽物のない場所で兵士らと撃ち合えば即座に射殺されるのは目に見えていた。
だがなんという愚かな兵士らだと彼は思った。
振り上げ掛かった銃を暴発させ自らの足を撃ち抜くなど共和国親衛隊からしたら考えれない不鍛練さだった。
そんな輩に追い立てられていたかと思うと彼は腹立たしかった。だがあの場所から一マイルも離れていない。もたもたしていると、また直ぐに兵士らに取り囲まれてしまう。
ならここで決着をつけるか?──そうだ。ここですべてを精算するのだ。そう考え彼はスタジアムジャンパーのポケットから赤い携帯電話を取り出した。
「イズゥ・アル・サローム!」
名を呼ばれ彼は脈が跳ねゆっくりと振り向き突風に飛ばされた帽子が海へ消えていった。聞こえたのは若い女の声だった。
二つ先の街灯の薄暗い灯りの傍に誰かが立っており足先だけが辛うじて見えていた。
「やっと貴方にたどり着いたわ」
流暢なアラビア語だった。どこか聞き覚えのあるその癖のある母国語をこんな場所で耳にするとは思わずに彼は驚きを覚えた。イズゥがじっと見つめているとその何者かが灯りの下に歩み出てきた。
幾つもの雪が目に当たるのに彼はその瞳を丸く開き瞬きを忘れ見入ってしまった。
それは身体の引き締まった女だった。
ウエットスーツの様な身体に密着した艶のある黒い衣服にブーツを履き両手は指先が艶のない手袋を着けていた。だがただの女ではない事が明白だった。
左太股にレッグホルスターを装着しており上部に銃のストックの様なものが見えていた。右太股にもスカバードを着け刃物のハンドルが見えている。
だが彼が目を奪われたのはそんな着衣や武装ではなかった。
その女の両眼はわずかな街灯の灯りの下にありながら静かに青紫の輝きを揺らめかせ、荒れ狂う様に靡かせる白銀の髪から千切れ飛び辺りの吹雪すべてが生まれいた。
その人間離れした標榜に彼は手にしたリモートコントローラーをきつく握りしめ固唾を呑んだ。
「私は貴方をミュウ・エンメ・サロームの元へ連れて行き謝罪させる為に向かえに来たの」
マリーは彼の名を呼び振り向かせると刺激しない様にゆっくりと灯りの下へ数歩進み出た。
彼が英語を理解できるのかと困惑しながら名を呼びイズゥを意識した瞬間に彼の言語能力が流れ込んできてマリーは驚いた。
どうして、と困惑したがそんな事に構っている余裕はなかった。
あの彼が手にする携帯電話を使わせてはならない。
CIA工作員だけでなくアイテンプ・ビルの屋上にいる仲間すら拡散するプルトニウムに被曝する可能性があった。彼の意識を私に集中させ続けなければとマリーはイズゥを睨み据えた。
「私は貴方をミュウ・エンメ・サロームの元へ連れて行き謝罪させる為に向かえに来たの」
わずかに間をおいて呪縛から解き放たれる様に彼が問い掛けた。
「何者だ!? 貴様はなぜミュウの事まで知ってる?」
問い掛けられマリーは、そうよ私との会話にのめり込みなさいと念じその間に誰かを呼び寄せ貴方からその赤い携帯電話を取り上げてみせるからと考えた。
「私が何者かだなんてどうでもいいわ。彼女は──ミュウは貴方に騙され核爆発テロに巻き込まれ大きく傷ついているのよ」
言い終わりマリーは彼が右手に握ったコントローラーを掲げるのを眼にして息を呑んだ。しまった! 核爆発テロという言葉に触発されたんだわ!
「お前、そんな事までどうして知っているんだ?」
彼が圧し殺した声で尋ねてきた。
イズゥは女がミュウの事ばかりでなく核爆弾テロまで知っている事に驚いた。なぜ、この白人の女は何もかも知っているのだと混乱し、そうだ、その爆弾を今まさに私が爆破させるのだと右手にした携帯電話を掲げ問い掛けた。
「お前、そんな事までどうして知っているんだ?」
「私は──何だって知ってるわ。貴方の仲間の一人──フィラス・アブゥドがモサドの工作員で貴方達の妨害を命じられている事だって」
そんな事があるか! イズゥは怒りが込み上げてきた。
この白人の女は動揺させようとしている。
混乱させテロを阻止しようと。その間際にミュウの喜ぶ顔が意識に過り彼に伝えた感謝の言葉がリフレインの様に思い出された。
「貴方が八時間あまり前に駄賃に与えた航空券とホテルの宿泊費にミュウが何と言って喜んだか覚えてるでしょう──“イズゥ叔父さん、ありがとう。覚えていてくれたんだ”──と」
イズゥは自分の顔が引き攣っている事に気がつきながら目の前の女が自分の考えを何もかも読み取っている事に気がつき、あの昼間に身体を乗っ取り心の奥底まで覗かれた感覚が甦ってきて鳥肌立った。
こいつが──あの“魔女”だったんだ!
そうだ。そうに違いない! だからこいつの髪が老婆の様に白髪なのだ! こんな化け物は核爆発でも死にはしない。そうだ──幼いころサーヒラが首を刈られ殺された噺を聞いた。
「お前だったんだな──俺に侵食して身体を奪った、サーヒラ!」
「貴方が八時間あまり前に駄賃に与えた航空券とホテルの宿泊費にミュウが何と言って喜んだか覚えてるでしょう“イズゥ叔父さん、ありがとう。覚えていてくれたんだ”と」
かいま見えたイズゥの思考からそう告げた瞬間にこの暗がりでもはっきりと分かるくらい彼が蒼白になってしまった。
マリーがやり過ぎたかと後悔仕掛かった刹那、男からとんでもない事を言われた。
「お前だったんだな──俺に侵食して身体を奪った、サーヒラは!」
その憎悪の隠ったサーヒラの意味がアラビア語の魔女だと意識しマリーはパティが困惑して彼女に告げていた魔女と思われているとの意味を思い知った。
まずい! 彼が興奮してコントローラーを使うかもしれない。
決して怒りがそうさせたのではないと分かっていた。何とかしてこの急場を凌ぎきってやると咄嗟にマリーは左胸を右手のひらで叩き、押し殺した声で彼に告げながら自分へはそんな事は駄目だと心へ叱りつけていたのに実行に移してしまった。
「核爆弾なんかで私の心臓は髪の毛ほども傷つかないわ! 生き延びて、貴様の滅び掛かった母国の民すべてを、地獄へ導いてやる!」
マリーが後悔しながらそう威嚇した刹那、イズゥ・アル・サロームは赤い携帯電話をスタジアムジャンパーのポケットに仕舞い、その手を腰の後ろへ回すと身体の前に青白い光を流し大型の細身のククリナイフの様な半月刀を一気に引き抜き銀髪の女へ告げた。
「まず、お前の頭を切り落とす! その後に首に戻せない様に両腕を切り落とし、最後に二度と陸に戻れない様に両脚を切り離して海に叩き落としてやる!」
それを耳にしながら、もう引き返せないのかとうつむき震える唇を引き結び彼女はわずかに顔を上げラピスラズリの三白眼で男を睨みすえた。
「癪にさわるわ──」
そう呟きマリア・ガーランドは右手の指を脚のナイフ・ハンドルへと伸ばしつかむとスカバードから両刃のファイティング・ナイフを引き抜き溢れ散る様な月白の帯を曳き横様に構え中東のテロリストへ言い放った。
「私をクローズ・コンバット(:白兵戦)に引き戻した貴様を後悔させてやる!」
刹那マリア・ガーランドは中東のテロリスト目掛け猛然と駆け出した。