Part 31-2 Hatred 怒り
Broadway Midtown Manhattan, NYC 19:50
午後7:50 ニューヨーク市 マンハッタン ミッドタウン ブロードウェイ
7番街からタイムズ・スクエアでブロードウェイに合流し、ブロードウェイ通りを南に車で流しながらマーサ・サブリングスとベリーズ・リーサウェイ副主任捜査官、ララ・ヘンドリックスの三人は歩道を歩く溢れかえる様な人達を見回し続けイズゥ・アル・サロームの姿を捜していた。
マーサは二人の部下を頼りにしていないわけではなかったが、万が一にも見洩らしてはいけないとばかりに頻繁に顔の向きを変え通りの左右へ視線を送り続けた。
そうしながらもマーサはクレンシー長官代理と二人の部下が時折交わす会話に耳を傾け、彼が部下達の集中力を維持し続ける為に何気ない会話にも手を抜かない事に感心していた。
「長官代理、“ウルフ”を見つけたら私らだけで確保してかまわないんですか?」
ベリーズが尋ねるとクレンシーは即答した。
「いいや、海兵隊リーコンズにやってもらう。彼奴はかなり危険な男だと分かった。恐らくは銃を向けられても大人しくする手合いではない。君達に危険な直接対峙をさせるわけにはいかない」
だがベリーズは引かなかった。
「それでも長官代理は我が局が奴を捕らえたと大統領に報告されたいんではないですか?」
「NSAの本分はなんだい、ベリーズ?」
「テロリストに限らず、アメリカの国益に反する者らを摘発し諸機関と協力し事態を未然に防ぐ事です」
「そうだ。だがそれは国家安全保障局の大儀に過ぎない。私のモチベーションを維持し続けている最もな理由は“怒り”だよ。誰もが拳を振り上げられ不安を感じるのと同時に耐え難い怒りを感じるはずだ。私は海兵隊特殊部隊にいた頃からそれに振り回されてきたんだ」
“振り回されて”という言い方にララが一瞬笑いを洩らしかかり慌てて咳払いをし取りつくろった。
「長官代理は“怒り”で悪人を処罰するおつもりですか? リーコンズの男達が“怒り”から奴を殺しかねないというのに私らでなく彼らをお使いになる?」
窓の外を見続けているベリーズがクレンシーに何を言いたいのか、マーサは分かる気がした。テロリストらにとっても大儀や信条の上に非道な行いを繰り返しているのは、軍人と変わらないと言いたいのだろう。リーコンズの者達に任せる不安がベリーズをそうさせているのだ。それは私も同じだとマーサは思った。
「ベリーズ、例え最高裁判事であっても法に則して判断する裏では非道に対して“怒り”を感じている。軍にいた頃は自分が行使する力に“怒り”が影響しない様にずいぶんと苦悩を重ねてきた。私は軍を除隊し不当な影響力からは離れたつもりだ。だから公正な立場から力を行使しているし、関わるどの機関であれ非道は許さない。それはリーコンズ達でも同じだ」
「軍産複合体の政府に対する影響を危惧したアイクと同じ発想ですね」
マーサがぼつりと呟きベリーズが振り向き彼女に尋ねた。
「アイク?」
ベリーズは誰だか思い浮かばず誰ともなく尋ねた。
「そうだベリーズ。第34代大統領のドワイト・D・アイゼンハワーが離任演説で警鐘を鳴らした。力に立った発想に統制力を持つ組織だけでなく広く国民に用心しろと」
代わりにクレンシーがベリーズに答えた。
「主任、そんな昔の人の話をよく覚えてますね」
ララに言われマーサは苦笑いしながらララに教えた。
「そんなに昔の事でなくてよ。五十六年と十ヵ月あまり前にアイクは大戦後拡大し続ける軍需産業という力に私達の自由や民主主義がねじ曲げられる事を警告したの──」
説明している途中でクレンシーのスマートフォンが着信したので彼女は口を閉じた。
「長官代理のクレンシーだ。──そうか。分かった。──対処する」
マーサは彼が誰とやり取りをしているのか気になった。クレンシーは短い通話を終えスマートフォンを仕舞いマーサに命じた。
「核弾頭の仕掛けられたと思われる場所が数ヵ所分かった。捜査官達を振り分けられるか?」
「どうやって捜し出したんですか?」
言いながらマーサは指揮車輌がブロードウェイをウォール街の近くまで来ていることを理解し“ウルフ”はもはやこの通りにいないのではと思った。
「CIAのアナリスト達が分析した。テロリストらの犯行主犯の男が自爆してしまい、連絡を取り合った通話場所から特定された付近の建物を調べさせる」
中央情報局が分析したと知りマーサはNSAが情報の収集力には優ってもそれを吟味する力には及ばないと感じた。
「どの地区ですか?」
「5番街の47丁目辺りと、同じ5番街の33丁目辺りだ」
クレンシーに言われマーサは即座に無線担当の男性職員に州西部と南部の道路検問から引き帰らせていた捜査官達をその交差点の周囲のビルの捜索に向かわせる様に命じた。
言いながら最初の交差点近くにはロックフェラーセンターがあり、後の交差点近くにはエンパイア・ステートビルがあると彼女は意識した。
テロリストの皆がNYCの地理に詳しくないはずだから無意識にせよ、それらのビルを標的に選ぶ可能性が高かった。
マーサはその一部の捜査官達をそのビルの捜索に向かわせる指示も出した。指示しながら彼女は視線を固定し一点を流し見ながら声を高めた。
「“ウルフ”です! 左の歩道。濃紺のダウンジャケットに青いベースボール・キャップ」
言いながらマーサはまたしてもサロームが外套を変えている事に感心し、どんな事をしても捜査官の目を逃れようとする執念を感じた。だが“ウルフ”がこのウォール街の端にいるという事が核爆弾の一つが近くにあるのではと彼女が疑念を抱いた傍でクレンシーが電話を掛け始めた。
「トールマン、対象をブロードウェイの南端、ウォール街の端に見つけた。トリニティ教会のある近くだ。至急、来てくれ」
マーサは彼が海兵隊特殊部隊を呼びつけた事を理解し、意を決して運転している職員にスピードを落とす様に命じた。
「下りて追います」
彼女がそう三人に告げた矢先にドアを開いてクレンシーが先に歩道際の道路に下りて歩き始めた。