Part 2-3 Conditioning 条件づけ
NDC HQ Bld. Chelsea Manhattan, NYC 16:05 Nov 22th
11月22日 午後4:05 ニューヨーク市マンハッタン チェルシーNDC本社ビル
突如エレベーター内に侵入してきたのは、黒ずくめの戦闘服を着て布製の目だし帽を被った何者かだった。
身長でマリー鼻先に劣るもののその踏み込むステップは恐ろしく素早かった。だがマリーがもっと驚いたのはフローラの後退りする速さだった。賊の侵入より半歩も速くハイヒールで後ずさると彼女はマリーと並んだ。
どうして目の前の襲撃者は銃や刃物などの凶器を使わないのかとマリーの意識に瞬間的に疑念が浮かびはっきりとした理由には到らなかったが相手が金品目的ではないと即断した。
だがマリーは本能から対抗するという反射神経に身を任せアドレナリンを全開にさせた。黒い襲撃者はエレベーターに入り込むとブーツのステップを瞬時に踏み両足を交差させた。次の瞬間、凄まじい勢いで回転すると強烈な右足を蹴り出した。だがもっと素早かったのはマリーだった。彼女はフローラが並んだ瞬間にはアタッシュケースを胸の高さに抱え上げ構え防御姿勢を取っていた。
襲撃者の繰り出した右足はいったんフローラの胸ぐらに命中するかと思われた。それをマリーはアタッシュケースでかばおうと眼で捉えていた。だがマリーが驚かされたのはCOOが左手に持ったヴィトンのハンドバッグで襲撃者の蹴り足の底を叩き流して難なくそらし、勢い余った襲撃者の繰り出された足が凄まじい勢いのままでマリーの構えたアタッシュケースに命中すると、襲撃者は一瞬で蹴り出した膝を曲げ爆縮したように身体に引きつけた。そして次の攻撃に出ようと高速回転で体制を立て直したのをマリーは見逃さなかった。
その襲撃者の回転する軸足目掛け彼女はプラチナブロンドの髪を振り乱しアタッシュケースを力一杯振り下ろした。
しかしその襲撃者はまるでマリーがそうするであろうということを知っていたかのようにケースを易々とかわしエレベーターの出入り口へ跳びすさった。マリーが繰り出したアタッシュケースは空を切り手から離れると賊を追いかけるように廊下へ跳びだし床へと激しくぶつかった。
賊が外に出て床に片手をつきながら後転をした直後だった。マリーは賊を追いかけ叩きのめそうと踏み出した足を滑らせ踏み止まった。
出てはいけないと彼女の五感以上の高位の感覚が警告を発したがフローラがハンドバッグの表面をパンッと叩いて声を出した事で意識が逸れた。
「何てお粗末なのパティ! 外の左脇に隠れているのはアリッサね! 私がパティを追いかけ出てくるのを待ってるでしょう!」
直後襲撃者の動きが止まった。
「どうして分かったの、チーフ!?」
黒い襲撃者は口答えしながら覆面を片手で剥ぎ取った。布地の下から出てきたのはまだあばたの残る十六、七歳ぐらいのブロンド髪をポニーテールにした可愛い少女の顔だった。
その横の壁に隠れていたもう一人の襲撃者が出てきて覆面を同じようにとった。背丈はパティと呼ばれた少女より低いが赤毛のソバージュの髪が肩までかかった美しい金色にも見える瞳をした十代中の少女だった。
「チーフ、この人が噂の新任さんね。よろしく」
パティはマリーを一瞬見つめるとそう言ってエメラルドグリーンの瞳を細めにこりと微笑んだ。
「会長室であらためて紹介します。さあ、二人ともそんな格好をしてないで直ぐに着替えて顔を出しなさい」
エレベーターから降りたフローラは腰に右手を当てて二人の少女にそう告げると彼女らが駆けて立ち去った後にマリーの方へ振り向き謝罪した。
「マリー、御免なさい。あの子たち、現場に出してもらう条件に私へ一撃を入れることになってるの」
そう言いながら社長が振り向き目にしたのは両手に拳を握りしめ顔を赤くした証券レディだった。
「あんな子供たちにこんな乱暴なことを条件出しして!」
フローラは怒りに唇を震わせるマリーの視線が廊下に立つ彼女の足元に向けられていることに気づき床を見た。そこにはリノリュウムの床に激突して蓋が開き中身を撒き散らしたアタッシュケースが転がっていた。蓋の蝶番の一つは完全に千切れ片側だけで繋がっていた。ケースの周囲には書類やパンフレットが散乱し、エレベーター出入口逆側の廊下の壁そばまでノートパソコンが飛んで開いていた。エアー・マックは液晶パネルに数本のヒビが走り、一目で修理が必要なことが分かった。
「マリー──アタッシュケースとラップトップは弁償するわ」
「結構です社長! 私がしたことですから!」
マリーは声を抑えはしたものの語調がきつくなった事を後悔した。
「これらは後で片付させます。ついてきてマリー」
マリーの剣幕に理解し難いと肩をすくめそう告げて歩きだした社長の後をマリーは仕方なくついて行った。フローラの背を睨みつけマリーはしばらく歩きながらあのパティという子は私の事を確かに“新任”と言ったと思い返していた。
あれは聞き間違いなんかじゃないと膨れ上がる疑問に気を取られていたマリーはフローラがとある扉の前で唐突に立ち止まり慌ててしまった。扉を眼にすると“会長室”とプレートが表示されていた。