後
「身分は僕のものじゃなくて父上のものだからさ、そういう意味では僕には顔しかないわけ。顔しかないから、顔を褒められると嬉しいんだよ。顔しか見てもらえなくてもさ、それしかないなら、それを褒められたら幸せでしょう」
あたしは黙り込んだ。そんなことないですよ顔以外だって、と言いたくて、しかし他に何も思いつかない輝かしいほどのへなちょこぶりに、口が開かない。
確かにそうなのだ。若様は貴族の男性としてはいまひとつ、得意といえるものがない。人懐こくて女性にモテる、だから男性受けは悪くて、頭脳は普通、運動能力は悪い。手先は器用なようだから、平民だったら職人にでもなれたかもしれないけれど、伯爵家の坊ちゃまが職人だなんてとんでもないと、多分みんなが言うだろう。
「それに、顔が気に入ってもらえるなら、いっぱい女の子と会えるし遊べるじゃない?」
でも、と思う。
貴族の若様でなかったら、そんな能力を求められるような立場でなかったら、このひとは、『いい人』なんじゃないだろうか。
自分をふっとばすようなお転婆娘にも優しい少年だった。未だに、男女と呼ばれるようなあたしを女扱いしてくれる。庶民の居酒屋に現れて安酒を楽しげに飲み交わして、歌ったり笑ったり喋ったり、領民との垣根は低い。毎日連れ歩く護衛に、やたらとお高い傷薬や胃薬を買い与えたりする。
そう、いろいろと残念だけれど、いい人だ。
ちょっと女の子に弱すぎるし男としてはかなり頼りないから結婚相手は苦労するだろうけれど、朗らかな楽しい家庭を作るのだろうなと思える。
「そのうちさ、父上がお嫁さん選ぶんだろうし、それまでにいろんな子と会っておいたほうがいいと思うんだよねー」
ああそうか、とあたしは唐突に思った。
若様の人柄を理解して、びしばしと手綱を握ってくれる良い奥方様を迎えたら、この人はいい領主になるのかもしれない。
そう、人柄は悪くないのだ。ちゃらんぽらんだけど。
「若様は、あれですね」
「アレ?」
得心の行く出来になったのか、あたしの髪を満足気に眺めていた若様が、きょとんと目を瞬く。あたしはくるりと向き直り、若様の正面を向いた。
「顔じゃなく、人柄で絆されてくれて、若様を尻に敷いてくれるようなお嬢さんをお迎えしたほうがいいですね、奥方様には」
「顔しかないのにどうやって?」
「若様はまあ軟弱ですけど、いい人じゃないですか」
「え?」
若様が心底不思議そうに首を傾げるので、あたしは思わず苦笑してしまった。
「あたしをちゃんと女扱いしてくれるのなんて、若様くらいですからね。それに、子供のあたしに打ち負かされて痣ができても若様は怒らなくて、笑ってらっしゃった。……一族ごと放逐されてもおかしくないようなことだったって、今は分かってますよ。あの時若様は、旦那様にとりなしてくださいましたよね」
そう。4歳の頃には分からなかったことも、今なら分かる。主家の嫡男に怪我をさせただなんて、怪我の程度など関係なく、普通ならば許されないことだ。生死の境を彷徨うような怪我ではなかったから斬首などはないだろうけれども、一昔前なら問答無用で、一家揃って放逐だとか家名剥奪だとか、そんな処分をされただろう事故だったのだ。
事実、あたしは伯爵家への出入りを金輪際禁止とされるはずだった。だというのにこの若様は、自分が剣の稽古を怠けていたせいだと言って(まぁそれも嘘ではなかったのだけれども)何も分かっていない馬鹿娘を庇ったのだ。
……あたしが騎士団に入ったのは、この恩を感じていたせいもなくはない。ちゃらんぽらんで女の子が大好きな駄目息子でも、恩は恩。あたしは騎士団で剣を振るうことでポルタ伯爵家に死ぬまでお仕えして、間接的に若様のお役に立てればいいかなと思ったわけなのだ。
「今だって、あんなに口の悪い兄を咎めるでもなく、使ってらっしゃる。胃をキリキリさせている兄に、いいお薬を頂いたそうですね。護衛失格と言われてもおかしくないのに」
胃が痛い胃が痛いとしょっちゅう呻いている男が、護衛としてまかり通っているのも、若様のとりなしのおかげだろうとあたしは思っている。もちろん、気心がしれている人がいいだとか、色々と引き起こしたやんちゃを共有してきた幼なじみが頼もしいとか、騎士団長の息子だという箔が無謀な敵を減らすのだとか、若様の事情もあるのだろうけれど。
でも、胃の弱い護衛ってどうなんだって思うじゃない? そんなんで、お毒味ができるはずもない。伯爵様に知られたら護衛から降格されてもおかしくないじゃない。
「まあ、それらは、あたしと兄が若様の、幼い頃からの知人だからというのもあるかもしれませんけれど。若様が剣に苦手意識があるのも、血が駄目だから——相手の痛みを想像してしまうからだと、師が言っていましたし」
騎士団員としては、ちょっと……いやかなり情けなくもあるけれど、それは優しさでもあろうと思うのだ。
「そういうのは、優しいって言えるんじゃないかなと思ったんです。それに、若様は、あたしたち領民との垣根も低いですよね。庶民の飲み屋で楽しそうに酒を飲んでて、みんなに囲まれて笑ってて。見下したり、虐げたりはなさらない。——民を人とも思わぬ貴族の方もいるのだと、兄に聞いています」
どうにも頼りない人だけれど、そんな人だから憎めない。
貴族の娘さんだって、いろんな人がいるだろう。入り口はその綺麗な顔立ちだとしても、若様のそういう良さに気がついて、そこを好いてくれる人だっているはずなのだ。
そうだ。きっと、こんな若様を愛してくれる人がいるだろうと思うのだ。
「若様は剣も馬も駄目で、魔力もないし、女好きですけど——いい人なんだけどなぁっても思います。だから、若様の顔じゃなくて、そういうので絆されてくれる方のほうがいいですよ、きっと」
だから元気だしなさいなと、あたしは若様のグラスにカチンと自分のグラスをぶつけた。
若様はぽかんと間抜けな顔であたしを見ている。美貌が台無しとはこういうことを言うのだなあと考えながら、あたしはグラスに口をつけた。いつのまにやらボトルは半分空になり、煮込みもほとんど残っていない。……焼いた肉も頼んでおけばよかったか。
「………………ねえ、ディー」
「なんです」
「うちにお嫁に来ない?」
「寝言は寝てから言ってください」
馬鹿げたことを言い出す若様を一刀両断に切って捨てる。いやいやいやいや、となんだかよくわからない事を口走って首を振った若様は、フォークを置いたあたしの手をガシっと掴んだ。……サイズは大きいけれど、白くて細い手だ。一瞬で振り払えそうである。
「いやちょっとディーが男前過ぎて僕、感動した」
「さっき兄にも言われましたよ」
「セラは純情だからねえ」
セラが結婚できたら僕もいいお嫁さん貰えそうな気がする、と非常に難易度の高い事を口走る若様は、まだあたしの手を離さない。目線で離せと訴えれば、残念そうにようやく離してくれた。
「感動したからおごってあげる! ディー、何食べたい?」
「……では鶏の香草焼きを」
「マダムー! 鶏の香草焼き2人前ちょうだい〜!」
「あいよ。若様葡萄酒はどうなさいます?」
「ディーの分けてもらう〜 空っぽになったらもう一本持ってきて!」
「あいよー」
「えっ若様も食べるんですか?!」
「ディーの顔見ながら食べたら美味しいかなーって」
「ホントに女なら誰でもいいんですねぇ若様……」
「ええ〜違うよ、ディーはとくべつ!」
「はいはい」
*
そんな、酔っぱらいの戯言だと放置した若様の発言が全力で本気だった事をあたしが知るのは、国中を追い回された挙句に伯爵閣下に土下座され、気がついたら息子を生んでいた4年先の春のことである。
おしまい
4年後のおまけを割烹……じゃない活報にちょこっと追加。
気が向いたら探してみてください。