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領主様――ポルタ伯爵様のご長男のウェスペル様は、なんていうかもう、ドラ息子というかバカ息子というか……いや、それは言いすぎかしら、ともかくも道楽息子の好色息子で、ちゃらんぽらんのダメ息子だ。なんでも、社交界デビューを迎えてからというもの、ふわふわふらふら、あちらこちら、貴婦人たちと遊び歩いているそうな。
爵位の継承もまだで、妻どころか婚約者もいない男性が、華やかに女遊びしようが何しようがあたしの知ったこっちゃないけど、まあ、確かにね。若様――ウェスペル様のことよ――は金の巻き髪に青い瞳の甘い顔立ちで、すらっと背と手足の伸びた鄙には稀な美少年だったし、王都育ちの奥方様の薫陶を受けて洗練された、美青年にお育ちになられた。平たく言えばキランキランな王子様顔でいかにも遊んでそーな、貴族の坊ちゃまよ。
……でもだからって、渡り鳥とか花泥棒とか、あまつさえ「花のように移り気で妖精のように気まぐれ」な「春妖精の貴公子」なんてご婦人もびっくりの二つ名を戴いているというのはどうかしらね? 軟弱にも程がない? あんなのが次期ポルタ伯爵――つまるところ、ポルタ辺境騎士団の総領だなんて、とんでもないことよ! ほんとに!!
やけに詳しいじゃないの、って? ええ、ええ、そうでしょうよ。あなたもあたしの名を聞いたなら納得してくれるんじゃないかしら。
あたしの名前は、ディーエ。ディーエ・フィーニス。……ええ、そうよ。あたしはポルタ辺境騎士団長、フィーニスの長女。兄のセラータが若様の護衛なの。だからちょっと詳しいってわけ。
え? それだけじゃないだろう、って? まあ、よく知ってるじゃない。そう、『ポルタの魔女騎士』とは、あたしのことよ。
……辺境騎士団には今、あたししか女騎士がいない、って話なんだけどね。
ウェスペル様の実家——ポルタ伯爵家はいわゆる辺境伯で、だから騎士団を持っているのよ。そもそもはフロース伯が魔法伯と辺境伯を兼任していたのが、魔術師としての仕事が忙しくなり騎士団まで手が回らなって、当時の伯の娘であるフロースの魔女が辺境騎士団の団長に嫁し、爵位を分け与えられたのが起源、ってあたしは習った。それ以来、私設騎士団を持つことを許された数少ない家の一つとして今も、魔法大国との国境である、魔の森を守っているってわけ。フィーニス家はそんなポルタ家に代々仕える、魔法騎士の家系なの。
……とはいっても。魔法大国とのこの国の関係は長年良好で、今では乱世のころの名残の祭り、通称『小競り合い』で、あちらの辺境の町と武芸大会を開いて戦力を誇示しあうくらいなんだけどね。辺境よりは王宮周りのほうがよっぽどきな臭い、なんて時代だもの。
そんなわけで、ポルタ辺境騎士団の団長と言ってもうちは、「準貴族」と呼ばれる身分だ。家名を持ち、平民よりはちょっとだけ貴族に近く、しかしてその実態は貴族の家に代々仕える古い家、という感じ。騎士団長は世襲制でもないし、暮らし向きは一般家庭と何ら変わりないのよね。
だから、現在の騎士団長の娘であるあたしが剣をとったのは、誇りのためとか、そういう家だからとか、そんな重たい話じゃない。至極単純に、まあ向いているだろうなと思ったからなのよ。
なにせあたしは、若様の剣の兄弟子だった兄について回って、兄のお下がりの木刀を振り回し、終いには3つ年上の若様に打ち勝ったりしてしまう幼女だったのよ。いくら若様が血が駄目なへなちょこで、幼女相手に手加減してくれただろうとはいえ、七歳児を打ち負かす四歳児は普通じゃないでしょ。その上あたしは幼くして、お嬢さん仕事への才能が微塵もなかったのよ……。おかげで、母すらもため息をつくだけで、あたしに剣を持つなとは言わなかった。あたしが母親でもそうしたろうなーと思うわ。……それだけ壊滅的なのよ。
いや、刺繍は辛うじて何とかできなくもないわよ? だってほら、料理とか掃除と違って何日かかってもいいわけだし。音楽みたいにその場で披露ってものでもないし。やり直しきくし。編み物ほど複雑じゃないし。花一輪刺すのに一日かかるけど。ってそんなのどうでもいい話よね。
ええと。そんなわけであたしは七歳にして正式に、兄と若様と同じ師匠に弟子入りして馬と剣と魔法を覚え、幼年学校を出ると――確か、若様が社交界デビューして、ふらふらしはじめたのはこの頃だ――当然のように騎士団に入った、ってわけ。
今ではほら、ご覧のとおりよ。すっかり筋肉もついてしまったし、手のひらも分厚い。声もやたらと通るし、女にしては気迫と姿勢が良すぎるってみんな言うわね。
まあ、それでもあたしに不満はないの。体を張った仕事である騎士は実入りもいいし、相変わらず……あたしの家事能力は底辺だしね。