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継妹

私は父親の顔を知らない。普通の家族の形を知らない。幸運なことにそれを悲しいと思ったことはなかった。口うるさいけれど面倒見のいい姉と働き者で優しい母。その二人がいれば父親がいない家庭を嘆く理由は何もなかった。

そこにシンデレラとその父親が飛び込んできた。最初は公園で会ったり、食事に行ったりして友達のような付き合いをしていた。シンデレラは姉と同じ年だったけれど博識で落ち着いていて大人っぽく、たちまち私の憧れの存在となった。

何でも彼女の真似をした。喋り方、歩き方、考え方に至るまで彼女になりきって生活をした。母はとても褒めてくれたし、姉と喧嘩をする回数も減った。シンデレラも私が知りたがれば読み書きから計算まで何でも教えてくれた。母や姉が『まだ早い』と言って禁止していたことも彼女はこっそり教えてくれた。

「二人だけの秘密よ」

そう言ってシンデレラと指切りをする。私は秘密を固く守った。

やがて私たちは二人が暮らしている家に引越し、共に暮らし始めた。毎日、賑やかな食卓を囲む度に家族が増えたみたいで嬉しく思った。私はこの日常が永遠に続くと信じていた。

そのうちに何でも出来るシンデレラのことを姉が嫉妬して意地悪し始めた。でも私は小さな悪戯に気付かない振りをした。姉から抗議を受けた母がシンデレラと距離を置き、関わるのを止めた時も私には関係ないと割り切った。

私たちは家族になったのだ。家族には切れない絆がある。

姉は昔の記憶を失ってしまった訳ではない。二人の仲が良すぎるあまり意図せず私を仲間はずれにして泣かせてしまった時代を忘れた訳ではない。私さえ彼女を慕っていればまた以前のように三人で姉妹のように仲良く過ごせるようになる。そう信じていた。

私はなるべくシンデレラの傍にいるように気を付けた。掃除、洗濯、料理と忙しく動き回るシンデレラに付き纏い、時には家事の方法を教えて貰った。上手く出来るようになった時は自慢気に披露した。それを見た母は褒めてくれたけれど、姉は褒められる私の向こう側に彼女の姿を見てますます嫉妬心を募らせていった。家族の形は徐々に歪んでいった。

私が根拠もなく信じていた永遠には終わりがある。それに漸く気付いたのは彼が倒れた時だった。

彼が倒れた時、それまで私の中で形のなかった『病気である』という事実がはっきりとその存在を示した。

寝室から運び出された彼は全身の力が抜けて死人のように真っ青で、力の強い男の人たちに抱え上げられても目を開かない。首がだらりと上を向き、薄らと開いた目が私を見たような気がして怖かった。

付き添っていった病院から帰って来たシンデレラは酷く青い顔をしていた。彼の様子を聞いて、落ち込んでいる彼女を励ましたいと思ったが、彼女は私が見ていることに気付くと逃げるように自分の部屋の方へ行ってしまった。

その途中で姉に捕まり、しばらく二人は小声で話をしていた。最近の姉の様子からして彼女を励ましている訳ではないと思った。せせら笑いながら何か囁く姉に対してシンデレラは悲しく憐れむような目をした。怒りや憎しみは感じなかった。

話を終えて姉が立ち去ると、一人残されたシンデレラは彼の部屋へ向かった。クローゼットの扉を開き、そこに入っていた服の一つを縋るように掴んで顔を伏せ、肩を震わせた。

泣いている。それに気付いた瞬間、胸の中が冷たい水で満たされていくような感覚を覚えた。

姉に酷いことを言われても、私が我侭を言って困らせても笑って受け入れていた彼女の姿が私の中で音を立てて崩壊していった。変わらずそこに存在し続けると思っていた現実がいつか消えてなくなる不確かなものだったことに気付いた。

まだ一部が壊れただけだ。修復出来るはずだ。私は何度も自分にそう言い聞かせたが、日常に入った亀裂は広がるばかりで私の手ではどうしようもないということは解っていた。

シンデレラを守る父親がいなくなると姉は今までにも増して彼女を攻撃し始めた。家の中をわざと汚し、服を破き、顔を合わせれば必ず小さな声で彼女を罵った。シンデレラが父親と会う機会を奪い、わざと不吉なことを言う。彼女が困ったような顔をして黙り込むとそれを鼻で笑って満足そうに離れていく。

姉がいなくなると私はシンデレラの傍に駆け寄った。

「お姉ちゃんが嫌なことを言ってごめんね」

「いいのよ。気にしていないから」

「でもどうして言い返さないの? お姉ちゃんに怒ってもいいんだよ」

私が聞くとシンデレラは汚れた床を磨きながら言った。

「どうしてかしらね。私、怒ってないのよ」

そう言った彼女の表情は何だか嬉しそうに見えた。

この頃から母は姉の悪戯やシンデレラに対する態度について何も言わなくなった。気が付いてはいるはずなのに咎めない。もしかしたら私の知らないところで窘めていたのかも知れないが、そんなことは感じさせないくらい姉の攻撃はエスカレートしていた。

最初は私や母の前で彼女を攻撃していなかったのに、人目を気にしなくなった。悪戯をする回数が増えて、彼女を罵倒する言葉も子供の喧嘩のような言葉から心を直接攻撃するような言葉に変わっていった。それを言っている姉の顔が嫌いで、怖かった。横で聞いた自分まで傷付くのが嫌で泣きながら姉を制止したが、どうやら姉は私が彼女を庇ったと感じたらしい。

「私から母だけでなく妹まで奪うつもりなの!」

悲鳴のように叫んでシンデレラを責め立てた。母は泣く私を宥めるだけで姉を止めようとはしなかった。

私の家族は壊れてしまった。昔のように私を愛してくれる優しい母と姉はいなくなったのだ。

彼が死ぬと、遠慮する相手がいなくなったせいなのか、母までもがシンデレラに冷たく接するようになった。

それまで母がやっていた洗濯や料理までシンデレラにさせるようになり、食事を一緒に食べることを禁止した。私たちはリビングなのにシンデレラはキッチンで食べるようにさせたのだ。彼女の仕事が自分の思う通りにいかないと姉が罵倒した。例えば自分が空腹になった時に食事の用意が出来ていないと怒ったり、着た服を洗濯しろと昨日の夜に出したにも関わらず、翌日着るつもりだったと詰ったりする。

耐え兼ねた私が文句を言うと姉は狂ったように喚き散らした。

「どうしてシンデレラにばかりさせるの? 皆で手伝えばいいでしょう」

「あの子はお母さんに養われてるのよ。他に何も出来ないんだから家事ぐらいして当然でしょう」

「お姉ちゃんも私もお母さんに養われてる立場だわ。それなのに彼女にばかりさせるのは変よ」

「私とあなたはお母さんの実の娘よ。親の違う彼女が私たちと同じ立場な訳がないでしょう」

「でも彼女だって私たちの家族になったのだから、助け合うのは当たり前でしょう!」

「助け合う? 彼女が一度でも助けを求めたことがあった? 自分で出来ると言ってるのに助けたりしないわよ。嫌なら出ていけばいいのよ!」

部屋の外にいるシンデレラに聞えるよう大声で姉が言うと母が口を挟んだ。

「やめなさい。大きな声を出すのはみっともないわよ」

「どうしてお母さんまでシンデレラに冷たくするの? 彼は自分が死んだ後、お母さんにシンデレラを守って欲しくて結婚したんでしょう。今のお母さんの態度を見たら彼はきっと怒るわよ」

母は一瞬、顔を歪めた。姉が割り込んできて言った。

「死んだ人を利用してお母さんを傷付けて楽しいの? 家に住まわせて食事もさせてる。ちゃんと守っているじゃない。何が問題なのよ」

「二人の態度が問題なのよ。お姉ちゃんは何もしていない癖に文句ばかり言うし、お母さんは家事を何でもさせようとしてる。私たちのように勉強をしたり、外で遊んだりする自由があっていいはずなのに、彼女にはそれがない。二人共、自分のやっていることが間違っているってどうして解らないの?」

言っているうちに涙が出てきた。世の中、不公平なことは数え切れない程あるけれど一番嫌だったのはその不公平を正せない自分自身だった。

部屋を飛び出した私が泣いていると繕い物を持ったシンデレラが傍に寄ってきて腰を下ろした。

「どうしたの? また喧嘩したの?」

私は頷いた。シンデレラは言った。

「私のことは気にしなくていいのよ。お姉さんに何を言われても気にしていないし、あなたの気持ちは解っているから」

「どうしてシンデレラは言い返さないの? 腹が立たないの?」

「私はママやお姉さんのことを怒ってないわよ。勿論、あなたのことも怒ってないわ」

シンデレラの声は昔と変わらず穏やかで優しい。疑っている訳ではないが、納得していない私の気持ちを感じたのか、彼女は言った。

「私の家族は何も言わない人だったの。お母さんは病気の辛さを隠して毎日笑顔を絶やさず暮らしていた。休みながらでも欠かさず家事をして、お父さんを支え、私を育ててくれた。弱音は決して吐かなかったのよ」

「シンデレラのお母さんは強い人だったのね」

「そうね。強い人だったから少し寂しかったわ。私は出来る限り我侭を言わないように気を付けたし、家の仕事もなるべく手伝った。お母さんはいつも褒めて、感謝してくれたけれど本当はもっと支えてあげたかった。不安を分かち合って一緒に泣きたかったわ」

話をするシンデレラの顔が曇った。

「お父さんもそうだった。お母さんが死んで、私以上に辛かったはずなのに何も言わなかった。だから私も大声で泣いたり、お母さんに会いたいと思っても誰かに言ったり出来なかった。お父さんと私はいつもお母さんと過ごした思い出を語り合って悲しみを紛らわせていたのよ」

そう言ってシンデレラは涙ぐむ目を誤魔化すように微笑んだ。

「それならシンデレラは今、どうやってお父さんが死んだ悲しみを紛らわせているの?」

「家のことをしているとお母さんとお父さんが傍にいて、私を見守ってくれているような気がするのよ。料理や掃除をしている時、不意に思いもよらないアイディアが頭に浮かぶことがあるの。その時、私にはお母さんが私にそれを教えてくれているような気がするの。声が聞こえたり、姿が見える訳じゃないけど近くにいて、私が楽しめる工夫を教えてくれる。そう思うととても幸せな気分になれるのよ」

それはシンデレラなりの心の守り方なのかもしれない。彼女は優しい目をして言った。

「ママもきっと私と同じくらい悲しいんだと思うわ。一緒に暮らし始めた時には病気になっていて、夫婦になった途端に死んでしまったでしょう。その悲しみを紛らわせるためにどうすればいいか解らないの」

私は頷く。確かに母が彼のことを思って泣いている姿を見たことがない。私でさえ、彼が死んだことにショックを受けたのだ。毎日病院に通って世話をしていた母が何も感じていないはずがない。母は彼のことを愛していたのだ。

「私にしか当たれないの。あなたやお姉さんは大切な娘だから、体の中から湧いてくる感情を理不尽にぶつけることが出来ないんだと思うわ。父と深い繋がりを持っていて、ママにとって他人である私にしかこの役目は出来ないの」

「だからってこれからもこんな扱いを受け続けるの? 言われたことを口答えせずにやって、それなのに感謝されない。何をしても好意を寄せられずに怒られて罵倒される。あなたの生活はまるで奴隷と同じなのよ」

私が言ったことにシンデレラは驚いたように目を見開いた。目が覚めたのかと私が安堵したのも束の間、すぐにまた微笑みを浮かべた。

「ママが本当に私のことを嫌いならお父さんが死んだ時に私を置いてこの家を出て行ったはずよ。私を施設や親戚の家に捨ててここで暮らすことだって出来たはずなの」

「それは優しさじゃないわ。自分の都合がいいように働かせるためよ」

「私はこう思っているわ。ママはみんなで一緒に食事をすることは許さなくても、きちんと食べさせてくれる。昼間は何でも用事を言いつけるけど、寝ているのをわざわざ起こしてまで仕事をさせたりしない。居眠りをした時も嫌味は言われたけど、それだけだった。怒ったり、冷たくしたりするけどママは私を殴ったり、傷付けたことはないわ。お姉さんが手を出す前に窘めてくれているの」

微笑む彼女が本当に母を優しい人だと思っているのが解った。私は母のそんな部分を見ていたことはない。ただ嫌な人、醜い顔をして平然と人を傷付ける人だと思っていた。彼女は続けた。

「苦しんでいるのが解るの。ママはお父さんが最期まで愛していたお母さんに似ている私が憎くて仕方ない。でもそれ以上にお父さんのことを愛しているのね。約束を守ろうと必死なのに憎しみや悲しみがそれを邪魔しているだけなの」

「それは解るけど……でも私は今の醜いお母さんやお姉ちゃんが怖いの」

シンデレラが私の手を握った。温かくて柔らかい手が力強く私の手を握り締めた。

「お願いだから私のことでママを怒らないで。怖くても嫌いにならないであげて。あなたはママに優しくして、支えてあげてほしいの」

真剣な目だった。その強い意思の篭った目に見つめられた私は頷くしかなかった。

それからはなるべく注意して母を観察した。シンデレラに言われるまで母の気持ちが解らなかった。その行動の意味も考えたことがなかった。

母はシンデレラに無理をさせないよう気を付けていた。顔色の悪い日は自分が料理を作り、余計な仕事を増やさない。

「あなたの料理は私の口に合わないのよ」

「何していたの? 遅いわね。私がやるからもういいわ。下がっていなさい」

口ではそう言っているが、本心は違うのが伺える。

シンデレラはいつも姉のお下がりや自分の服を繕って着ている。穴が開いたら当て布をし、サイズが合わなくなったら端切れを継ぎ足した。それを見かねた母が新しい服を買ってきた。

「そんな継ぎ接ぎだらけのみっともない服はやめて。近所の人に見られたら恥ずかしいわ」

そう言って新品の可愛らしい服と動きやすそうな服を差し出した。シンデレラは謝りながらそれを受け取り、嬉しそうに微笑んで見せた。

そういえば母は私と姉が喧嘩している時、姉の態度や言葉を咎めることはあっても私を叱ることは少ない。せいぜいが姉に対して生意気な口を利くことを叱るくらいだ。

娘の私でさえよく観察しなければ気付けなかった母の本心を毎日家事に追われながら気付くことが出来るシンデレラを私はより一層尊敬した。

母の優しい心が理解出来るようになると余計に姉の嫌がらせが際立って見えた。母が気を遣って仕事を代わったのに、影でシンデレラに繕い物や急ぎの洗濯などの余計な仕事を増やす。新品の服をわざと引っ張って破いて謝りもしない。あまりにも自分勝手な態度に私は怒り、意見したが、姉は私を見下して何も聞き入れようとはしなかった。

しかし姉がどんなに傲慢な態度をとっても肝心のシンデレラは気にした様子もなく平然としている。私が姉に対して怒っても効果がないのはそれも理由の一つだと思う。

姉には本心を知られないように気を付けた。シンデレラと語り合った話は勿論、母の気遣いや優しさは絶対に姉には教えないことにしていた。私は姉の知らないことを知っている。その小さな優越感が姉に対する恐怖や怒りを和らげた。

シンデレラに対して見下したような発言をする姉を見ても今では呆れてしまう。シンデレラが何を言われても姉を怒らない理由が少し解ったような気がする。

そんな私の心境の変化を感じたのか、姉は私にも噛み付くようになってきた。以前から小さな喧嘩は日常茶飯事だったが、その度に私を馬鹿にしてきた。それが如何にも妹の私は姉である自分に見下されて当然だと言わんばかりだったので余計に姉のことが憐れに思えた。

姉は何でも私と張り合おうとした。私が新しい服を買えば自分はそれより高価な物を選ぶ。私が休日に友達と出掛けることになれば、自分は男性とデートだと自慢する。私がシンデレラと楽しそうに話していれば姉はそれを邪魔するために彼女に用事を言いつける。舞踏会のお知らせが来た時も案の定、ドレスから靴、コートやバッグまで私よりいい物を選ぼうと躍起になっていた。

私は母に頼み込んだ。

「シンデレラも舞踏会に連れて行きましょうよ。私たちだけ行って一人だけ留守番をするのでは楽しめないわ」

母は迷っていたようだった。簡単に決意出来ない話ではある。彼女が行くとすればもう一人分のドレスや靴を揃えなくてはならないからだ。母が悩んでいると姉が横から口を出した。

「彼女は自分で行かないと言っているのよ。自分は踊れないし、安くて流行遅れのドレスしか用意できないからわざわざ恥をかきに行きたくないんですって」

「それはお姉ちゃんが言わせたんでしょう? ねぇ、お母さん。お願いよ。シンデレラを舞踏会に連れて行ってあげて」

「駄目よ。あの子は留守番よ。王子様とは私が踊るわ。そこで結婚を申し込まれるの。あの子に邪魔なんてさせないわ!」

姉の発言に嫌気が差した。まともに相手をしてはいけないと自分に言い聞かせたがどうにも我慢出来なかった。

「お姉ちゃんは彼女に嫉妬しているだけよ。彼女が父親の愛情を惜しみなく受けて、お母さんからも褒められる、誰からも好かれるいい子で、頭が良くて美人だから妬んでいるの。彼女に憧れて無い物ねだりしてるってことをいい加減に認めたらどうなの?」

「そんなこと思ってないわよ。私があんなボロを纏った女の何処に憧れるっていうの?」

「嫉妬に狂う女は醜いわよ。そんな醜い女を王子様が相手にするはずないじゃない」

「うるさいわね! あの子に何か吹き込まれたのね。妹だからって優しくしてきたのが間違いだったわ。何も知らない癖に余計な口出ししないでよ」

「あなたに優しくされた覚えはないわよ。お母さんの本当の気持ちも解らないのに自分は全て知っているような顔をして……馬鹿みたい。可哀想な人ね」

私は言い捨てて早足で服屋を出た。家に帰って自分の部屋に戻ると涙が溢れてきた。

まだ心の何処かで期待していた自分に気付いてしまった。本音を言い合うことが出来れば元のように仲の良い家族に戻れるんじゃないか、姉が自分が何を考えているか気付けばシンデレラにもまた優しく接することが出来るのではないか。

でもその期待は粉々に打ち砕かれた。変わらず永遠に続く物なんて存在しない。必死に堪えていても変化して、元の形など解らないくらいに歪んでしまう。幼い頃に嫌という程思い知ったはずだったのに、いつの間にかそれを忘れてまた期待してしまった自分の愚かさを恥じた。

それでも何かせずにはいられなかった。事あるごとに母を説得しようと試みたし、誰にも見つからないように自分の古いドレスをレースや刺繍で飾ってシンデレラのためのドレスを用意しようとした。

シンデレラがいつも自分の服や私の服を繕ってくれるのを見てきたし、やり方だって教わったことがある。出来ないことはない。

指先が傷だらけになって、睡眠不足でうたた寝をしてしまっても、薬を塗って、眠い目を擦りながら毎日少しずつ作業を進めた。

漸く完成したドレスはあまりに酷い出来上がりだった。縫い目がガタガタで刺繍の彩りも悪い。子供のお遊戯会でももっとまともなドレスが用意されるだろう。こんな服を着せてシンデレラを王宮へ連れて行く訳にはいかなかった。

母への説得も実を結ばず、母は最後まで首を縦に振ろうとはしなかった。考えてみれば当たり前だ。母は死んだ彼への愛情からシンデレラを気にかけているだけで彼女自身を愛している訳ではない。むしろ憎んでいる。それなのに自分の娘を差し置いて、その母親譲りの美貌で王子の結婚相手に選ばれるかも知れない彼女を舞踏会に連れて行くはずがなかった。

全ての手段を失った私は自分の無力を思い知った。何もかもを奪われてもう涙も出ない。彼女が本心では舞踏会に行きたいと思っているのを知っていただけに余計辛かった。

落ち込んで口も利けない私をシンデレラはとても心配した。何の力にもなってあげられない私のことを彼女は優しく励ましてくれる。ベッドの上で彼女が運んでくれたホットミルクを飲む。甘味のあるホットミルクは疲れた体を解すように染み込んで心の奥から温めた。

「元気になった?」

「うん。ありがとう」

気分がすっきりと軽くなった。私を心配してくれる彼女の優しい声が私の目の前を暗くする絶望を追い払ってくれたように思えた。彼女の優しさは私に希望を与えてくれる魔法だ。

私はせめてこの心優しい魔法使いに幸福が訪れるよう祈った。

舞踏会の当日、朝から美容院に行くという姉の誘いを断って私は家に残った。

「一緒に行かなくて良かったの?」

「ええ。良ければあなたに髪型と化粧をやって貰いたいの。いいかしら?」

「勿論いいわよ。プロに比べたら上手じゃないけど、それでも良ければ」

シンデレラは快く承諾してくれた。二人で椅子と道具を用意した。

「良かった。シンデレラが引き受けてくれて」

「あら、どうして? あなたなら自分でも出来るでしょう?」

「そうだけど、こうでもしないと二人きりで話なんて出来ないんだもの。いつもお姉ちゃんが邪魔をするし……」

シンデレラが笑った。私は今日のことを謝る機会を待っていた。話題を変えてその時を引き伸ばし、やがて会話が途切れたところで意を決して言った。

「ごめんね。ドレス、間に合わせようと思って縫っていたんだけど無理だった」

「間に合わせる?」

「うん……私が持っているドレスを上手く作り直したら舞踏会に着ていけるんじゃないかと思って。いつもシンデレラがしているのを見ていたから自分でも出来ると思ったの」

脳裏に悲惨な姿になったドレスが浮かんだ。同時に私たちが馬車に乗って出かけた後、一人残された彼女の姿を想像した。居た堪れない気分になり、奥歯を噛み締めて黙り込んだ私をシンデレラは笑った。

「あなたのドレスは私が着るには小さ過ぎるわよ。それにドレスなんて私にも作れないわ。作れるなら最初から作っていたでしょうね」

彼女が私を励まそうとしてそう言ってくれているのが解った。私は頷いた。

「そうよね」

本当はドレスのことを謝ろうと思ったのではなかった。彼女一人を家に置いて舞踏会へ出掛けることを、姉と母の身勝手を謝りたかったのだ。でも、それは言葉では言い表せないような気がした。謝ったところで私は舞踏会へ行く事実は変わらない。シンデレラが行けない事実も変わらない。それなのに謝罪の言葉を伝えたところで意味がないような気がした。

俯いた私の顔を両手で挟んで上に持ち上げて鏡越しにシンデレラが微笑んだ。

「でも頑張ってくれたのね。ありがとう」

視界が滲んだ。涙が溢れてきて私は唇を強く噛んだ。彼女は私の言わんとすることを何もかも解ってくれている。

どうして何の役にも立たない無力な私が着飾っていて、この優しくて素晴らしい人がボロを纏っているんだろう。何故、嫉妬に狂った醜い女が王子と踊れる機会を手に入れて、この心まで美しい人は家に残らなければならないのだろう。私が愛されていて、彼女が憎まれているのは納得がいかない。

もし生まれた場所が違ったら、私はこの優しさを知ることが出来ただろうか。親が違ったら、私も彼女のような人になれただろうか。生まれた時が違ったら、私も姉のように彼女を恨んでいただろうか。答えは解らない。人は命が宿った瞬間に与えられた物を取捨選択して生きていくしかないのだ。自分に与えられた条件を恨んだり、与えられなかった物を羨んだりしても手の中にある物は限られている。

それから帰って来た姉と母と共にシンデレラが作った料理を食べ、迎えに来た馬車に乗って私たちは舞踏会へ出かけた。

王宮というのは想像していたより凄いところだった。豪華な飾りに、国中の女性たちが集まってもまだ余裕のある広さ。食べ物は芸術品のように美しく盛り付けられており、ジュースのように甘いお酒がいくつも並んでいた。

玉座には王様とお妃様。その横に王子様が並んで座っていて、フロアに集まった女性たちは遠くから横目で見ながら興奮気味に美貌を囁き合った。

やがて王子様はフロアに下りてきて、女性たちと話し始めた。貴族の品がいい女性たちの間を愛想よくすり抜け、庶民の女性たちが多く集まっているところで足を止めた。女性たちは我先にと王子様を取り囲み、自分を売り込みだした。

色気でアピールする者、話術で王子様を捕まえようとする者など色々なタイプの女性がいたが、王子様はそれらを軽くあしらい、早足にフロアを一周した。

「ほら、王子様と踊るんでしょう。こんなところにいないで声をかけて来なさい」

母がそう言って私と姉の背中を押した。姉は顔を真っ赤にして首を振った。

「だって恥ずかしいわ。見て、あの貴族の方の素敵なドレス。あんな人を見慣れていたら庶民の娘になんて興味ないわよ」

「馬鹿ね。王子様は貴族の女性なんて相手にしていないじゃない。庶民の娘の中から結婚相手を探そうとなさっているのよ。せめて声だけでもかけて来なさい」

力強い母の手に押し出された私たちは顔を見合わせた。

「お姉ちゃん、王子様と話が出来るの?」

「馬鹿にしないでよ。そのくらい出来るわよ。見てなさい」

そう言って姉は人混みに消えた。私は時折隙間から見える頭を目で追いながら後を追った。

姉は確かに王子様と話すことに成功していた。しかし、緊張しているのか話が全く噛み合っていない。顔を真っ赤にしているその手にはシャンパンのグラスが握られていた。私は慌てて話に割り込み、困り顔をの王子様から姉を引き離した。

酔いが回って足元の覚束無い姉を近くの椅子に座らせて母と二人で介抱していると、不意に人々がざわめいた。見ると、入口の辺りに真っ白なドレスを着た女性が立っている。遠くて顔がよく見えないが、人々の反応から想像するにかなり美人なのだろう。

視線を戻すと姉に飲ませる水を手に母が硬直していた。その視線は今入ってきたばかりの女性に注がれている。私は母が青褪めていることに気付かず言った。

「綺麗な人よね。きっとあんな人が王子様の結婚相手に選ばれるんだわ」

私が言うと母は息を詰まらせた。曖昧な返事をしながら表情が強張り、油の切れた機械のようにゆっくりと私の方を向く。

「あなたは彼女が誰だか解って言っているの?」

「いいえ、ここからでは顔なんて見えないもの。 知り合いなの?」

母はもう一度女性の方へ視線を戻した。顔を真っ赤にして震えている。

「ええ……よく知っているわ」

王子様が女性に駆け寄っていくのを追いかけていた母の目が驚きに見開かれた。王子様の手が女性の手を優しく握り微笑んだ瞬間、その表情が困惑から絶望に変わった。

舞踏会から帰ると母は真っ先にシンデレラの寝室へ走った。ベッドの上で静かに寝息を立てる彼女を見て安心したように溜息をついた。それでもまだ険しい顔をしている。

「どうしたの、お母さん」

「いいのよ。何でもないの」

「何でもない顔じゃないわ。嘘をついても解るのよ。あの人は誰だったの? 私の知っている人?」

問い詰める私を母は叱ろうと口を開いた。だが、またすぐに口を閉じた。目を閉じて深く深呼吸をすると私に部屋へ来るように言った。

母の部屋に入るのは彼が死んで三人一緒だった部屋を分けた時以来だった。母はベッドサイドに置いたローテーブルの上にかかっていた布を外した。それはテーブルではなく箱だった。

震える手がゆっくりと箱を開いた。中は空だった。

「この箱は何? 何が入っていたの?」

私が聞くと母は確かめるように箱の底を叩いた。本当に空だと解ると黙り込んでしまったが、しばらくして意を決したように話し始めた。

「これは彼が前の妻と結婚した時に作ったドレスを入れていた箱よ。真っ白なドレスでとても美しかった。彼が使っていた寝室をシンデレラのために整理した時に見つけたの」

「それをどうしてお母さんが持っていたの?」

「最初は前の妻の物なんて捨ててしまおうと思ったのよ。でも、あのドレスを見ていたらそんなことは出来なかった。前の妻が死んでから何年も経っているのに歳月を感じさせないくらい綺麗に手入れされていて……彼がシンデレラのために母親の思い出を残そうとしていたんだと解ったの」

母はそう言って空の箱を指でなぞった。

「だから私はこれを捨てずに手元に置いておくことにしたの。あの子がこれから先、結婚する時に全てを話そうと思って。彼への愛や、彼女に抱いていた恨み、ドレスのことも全部ね。あの子の親の形見を手元に置いて、私に逆らった時の人質にしようと思ったこともあるけどね」

「それが、どうして今は空なの? ドレスは何処へ行ったの?」

「解らないわ。シンデレラはドレスのことを何も知らなかったはずよ。でも、そうね……本当は私が隠していたことを知っていたのかも知れないわね。何も知らないと思っていたのは私だけだったのかも知れないわ」

母は自嘲するようにそう言った。私は母の手を握った。

「シンデレラはきっと知らなかったわ。知っていたら私に話していたはずだもの。確かに彼女は人の心が読めるんじゃないかって思うくらい鋭いけれど、人の秘密を探るようなことをする人じゃないもの」

「そうなのかしら……あなたは本当に彼女が好きなのね」

「だって私たちは家族だもの。家族は愛し合って、支え合うものだわ」

私が言うと母は優しい微笑みを浮かべた。

「私はあの子と家族にはなれないわ。多分、これからもずっとそうよ」

母の悲しい告白は姉には秘密にしておくことになった。幸いにも姉は舞踏会に遅れてやってきた彼女のことを知らないし、もしシンデレラの手元に母親の形見が残っていると知ったら何をするか解らないからだ。彼女の部屋を引っ掻き回してそれを探し出し、気に入らないことがあれば母のようにそれを人質にしようとするかも知れないし、跡形もなく壊してしまうかもしれない。彼女からそれを奪って自分の物にする可能性だってある。

どちらにしても避けたい結果だった。彼女や会ったこともない彼女の母親にどんな恨みがあったとしても、それを彼女のために大切に手入れ、保管してきた彼の気持ちとそれを引き継いだ母の気持ちを台無しにしてしまいたくはない。

都合のいいことにシンデレラは舞踏会に行ったことを誰にも話さなかった。形見の美しいドレスのことも、王子様と踊ったことも全て自分の胸に閉じ込めて、それまでと変わらず暮らしていた。

私もなるべく言葉に気を付けるようにした。遅れて舞踏会に来たのが本当に彼女だったのか、母が保管していたドレスは今、何処にあるのかを聞いてみたかったが、姉がしつこくシンデレラに絡んで纏わりつくのでその機会もなかった。

どうやら姉は舞踏会で酒に酔い、王子様の前で失態を犯したことが許せないらしい。

「ただの八つ当たりじゃないの。それにもし酔っていなかったとしても王子様はお姉ちゃんに興味なかったわよ」

「そんなことないわよ。王子様は私との会話を楽しんでいらっしゃったもの。あなたが邪魔さえしなければきっと私を踊りに誘って下さったはずよ」

私は呆れて溜息をついた。姉は遅れて来た彼女の姿を見ていないからそんなことを言えるのだ。

王子様はやって来た彼女を見るなり、その場にいた女性を振り切って一目散に駆け寄り、その手を取った。それを見て泣き出した娘たちがいたくらい、王子様が彼女に惚れていたのは明らかだった。

どうせ相手にされるはずがないと最初から諦めていた私でさえ心に重い物がのしかかったくらいだ。姉のように夢を見ていた娘たちは立ち直れないくらい落ち込んだことだろう。あの場所にいた誰もが彼女と代わりたいと願うような羨ましい光景だった。

その瞬間を見ていなかった姉は実はかなり強運の持ち主なのかも知れない。私がそう思い始めた頃、王国中に王子様から御布令が出た。

「王子様が舞踏会で出会った女性を探しているそうよ。足の小さな女性ですって」

知らせを見て帰って来た姉は興奮気味にそう言った。母が言った。

「それなら私の娘は二人共、その条件に当て嵌るはずよ。舞踏会に行って良かったわ。私の娘が王子様の妻になれるかも知れないなんて」

私ははしゃぐ姉に聞こえないよう、小声で母に言った。

「王子様が探していらっしゃるのは彼女よ。私たちではないわ」

「でも御布令には足の小さな女性が名乗り出るように書いてあるのよ。条件から外れない以上、名乗り出る義務があるわ」

「お母さん、お姉ちゃんに本当のことを話しましょうよ。あのまま期待させておくのは可哀想だわ。王子様がこの家に来て彼女を見たら一目であの時の娘だって解るわよ。舞踏会に行かなかったはずの彼女が王子様に選ばれたと知ったらどうなると思う?」

「それなら見せなければいいのよ」

母は自信に満ちた笑みでそう言った。私は首を傾げた。

「どういうこと? 名乗り出ないの?」

「いいえ。王子様はこの家にお招きするわ。でも会うのは私の娘たちだけ。彼女は部屋に閉じ込めるか、外に出掛けさせて会わせないようにすればいいのよ」

「そんなこと出来るはずないでしょう。例え上手くいったって王子様は『あの夜踊った娘はこの家にいない』と判断してお帰りになるに違いないわ」

「その時は一緒にお食事でもして、彼女ではなくあなたたちを選んでいただけるようにすればいいのよ。どうせ王子様は彼女に会えないのだから、他の女性を探すしかないの。そこに失恋の傷を癒す魅力的な女性がいれば、誰でもいいはずよ」

上手くいくとは思えない。が、母は本気のようだった。

国から名乗り出た娘のことを調べるために調査員がやってきた時もシンデレラを自分の部屋に篭らせて一歩も外に出さず、その存在を明かさなかった。

「この家にいる娘はこの二名だけですか?」

「ええ。私の娘は二人だけですわ」

そう答える母の顔が醜く歪んでいくのを私は震えながら見ていた。調査員はその言葉を疑いもせず、私たちの髪の色や瞳の色、足の大きさを測って帰って行った。

姉は浮かれていた。王子様が来る時に着る服、新しい靴、それに髪型や化粧を毎日飽きずに考えてはしつこく私に相談してきた。

「この前は舞踏会用に少し華やかな感じだったけど、今度は家にお招きするのだから庶民の娘らしく質素に可愛らしくした方がいいわよね」

私は気のない相槌を打ってその場をやり過ごした。

母も姉と同様に浮かれていて、私と姉に着させる服を新調するだけでなく、足に痛くて歩けない程きつく布を巻いた。

「きっと王子様は足の小さな女性がお好みなのよ。これを毎日続けて足を少しでも小さくしましょう」

最初は痛くて嫌がっていた姉もそれを聞いてからは大人しくなった。一日中、色が変わる程きつく巻かれるので足の感覚がなくなって、腐り落ちそうだった。姉は素直に巻き続けていたが、私は数日でやめてしまった。

締め付けられていたせいで指が歪んで血の気が失せ、赤黒くなった私の足を見てシンデレラは眉を寄せた。私を椅子に座らせて桶に汲んだお湯と水で交互に洗い、丁寧にマッサージをしてくれた。

「ありがとう。少し楽になったわ」

「いくら王子様と結婚したくてもあまり無理をしては駄目よ」

私は頷いてシンデレラが足を拭いてくれるのを眺めながら聞いた。

「どうして何も言わないの?」

シンデレラは顔を上げ、首を傾げた。

「シンデレラは王子様と結婚したくないの?」

私が聞くとシンデレラが笑った。

「王子様は私のことなんて選ばないわよ」

「そんなことないわ。王子様はあなたを探しに来るのかも知れないでしょう。どうしてそう思わないの? 願いが叶わなくても夢を見るくらいはいいじゃない」

国中で多くの女性たちが嘘をついている。自分こそが舞踏会で王子様と知り合い、選ばれた人間だと言い張っている人たちは自分が欺いていることを知っていながら都合のいい夢を見ている。

それなのにただ一人、夢を現実に出来るはずのは夢を見ることさえ許されない。幸せになって欲しいと願っているのに、無力な私はチャンスを手放そうとする彼女を説得出来ないまま運命の日を迎えてしまった。

王子様が馬車に乗り、私たちの住む町へやってきた。町の人たちは仕事も休み、広場をお祭りのように賑やかに飾ってそれを出迎えた。馬車から降りた王子様は握手を求める人々に対して丁寧に礼を言って応えていた。

歓迎の挨拶が済むと王子様と従者は二人で一件目の家へと向かった。町の人が付き添いを申し出たけれど

「お気遣いはありがたいのですが、これは私の個人的な訪問ですので」

そう言って断り、行ってしまった。私たちは家に帰り、王子様が来る準備を始めた。

母はまずシンデレラを部屋に閉じ込めて、出られないように扉を塞いだ。その後、前日から作っていた王子様に振舞う料理の仕上げに取り掛かった。

姉は服を着替え、化粧を直した。鏡に顔が付くくらい近寄って髪を耳にかけたり、下ろしたりしている。

「どっちの方がいいと思う?」

「好きにすれば?」

どうせお姉ちゃんが王子様の結婚相手になるはずがないんだし、と思ったけれど言わなかった。キッチンにいる母のところへ行って最後の説得を試みる。

「シンデレラを王子様に会わせましょうよ。もしかしたら舞踏会には似たドレスを着ただけの別人が来たのかも知れないんだし、何にせよ閉じ込めるなんて酷いわ」

「また今更そんなこと言って……あなたは王子様の妻になりたくはないの?」

母は溜息をついた。私はなるべく母の神経を刺激しないように注意して話した。

「真実をお話するべきだと思っただけよ。嘘をついたと解ったら王子様はお怒りになるわ」

「嘘なんてついてないわよ。私の娘はあなたたち二人だけだもの。あの子は他人の娘。一緒に住んでいるだけの他人よ」

「他人じゃないわ。彼女も私たちの家族よ」

母の手に握られていたナイフの先が不意に私の方を向いた。私は思わず一歩、後ずさった。

「いい? 王子様の前であの子のことは言わないで。私の娘を差し置いてあの子だけが幸せになるなんて許さないわ。邪魔をするならあなたも部屋に閉じ込めてやるわよ。お姉ちゃんが王子様に結婚を申し込まれるのを指を咥えて見ていなさい」

母の意思は固く、何を言っても受け入れて貰えなかった。やがて姉が部屋から出てきたので話を切り上げざるを得なかった。

シンデレラの部屋の扉に立ち、その向こうにいるシンデレラの姿を思い浮かべた。物音は聞こえない。泣いているのかも知れないし、いつものように物思いに耽りながら繕いものでもしているかも知れない。一つだけ確かなのは彼女が部屋を抜け出そうとしていないことだ。

私は部屋に戻って服を着替え、髪を整えた。舞踏会の夜、シンデレラに施して貰った化粧と同じようにして滅多につけない香水を頭の上からふりかけた。部屋を出た私を母は嬉しそうに迎えた。

「やっとその気になったのね。よかったわ」

「ええ、お母さん。私も王子様の妻になりたいもの」

姉は相手にならないと言った様子で鼻を鳴らし、横目で私を見た。その瞳に焦りが映ったのを見て私はほくそ笑んだ。流行の化粧と髪型で飾った姉と違い、私は自分の身の丈に合った方法を知っている。質素でも十分に女性らしさを表せる服と顔の作りを際立たせる化粧は姉の言う庶民的な可愛らしさを演出しているはずだった。

私は静かに王子様が来るのを待った。やがて玄関の扉がノックされて従者の声が聞こえた。姉は立ち上がって王子様を迎えに行こうとしたが、動かない私を見て考え直した様子でもう一度座った。

王子様が部屋に入ってくると私は静かな心で真っ直ぐにその目を見つめた。シンデレラならどうするかと考えて思い付いた通りに動いた。微笑んでゆっくりと立ち上がり、貴族の娘のようにお辞儀をする。従者は口上を述べた後、姉の前にガラスの靴を差し出した。

シンデレラのことは母から口止めされている。余計なことを言えば後でシンデレラが酷い目に合う。これ以上、彼女を不幸な目に合わせたくない。私は言葉にせず、王子様にシンデレラの存在を気付いて貰わなければならないのだ。

姉の番が終わり、私の前へガラスの靴が差し出された。全員の目が私に注がれているのを感じる。この靴が私の足に合ってしまったら王子様は私を妻に選ぶのだろうか。そうなったら私はどうするべきか悩んだ。

足が靴に触れる。冷たい靴の硬い感触が伝わる。王子様が私を選ぶと言ったら本当のことを言おう。探している娘はここにいて隠されていると。私が選ばれることになったら母もシンデレラの存在を明かしたって文句は言わないはずだ。彼女はこれ以上不幸になることはない。

不幸になることはない。どうしてそう思うのだろう。私は彼女が幸せになることを願っていたはずなのに、いつの間にか彼女が不幸にならないように必死になっていることに気付いた。

今のままの暮らしを続けることは彼女にとって幸せではないと解っていたのに、私は彼女をこの家に縛り付け、母や姉から受ける仕打ちに耐える辛い生活から逃げ出す手助けはしなかった。母を説得し、姉に怒り、シンデレラに自分の意見を主張するよう求めながら、自分は何もしていなかった。他人に変化を求めても、自分は何も変わろうとしなかった。

この二人の罪を責めるのならば、それを止められず、欺き、黙認していた私も同罪だ。変化を起こしたいのならまず自分自身が変わらなければ。

背を向けて玄関へ向かって歩き出そうとする王子様の背中を呼び止めた。

「お待ち下さい!」

爆発した心から飛び出した声は家中に響き渡り、思いもよらぬ程大声を出した自分に驚いた。

王子様は振り返り、私と目を合わせて聞いた。

「どうした?」

「この家にはまだもう一人、娘がいます」

「今、そこの母親が娘は他にいないと言っていたが……嘘をついたのか?」

優しかった王子様の目が鋭く光り、母を睨みつけた。怒りの目で私を見つめていた母は王子様の低い声に怯えたように首を振った。

「いいえ。共に住んでいるだけで、実の娘ではありませんの。嘘などついてはおりませんわ」

気が付いた時には母の肩を掴み、殴りかかりそうな勢いで怒鳴り付けていた。

「嘘つきね。私には王子様に知られないように黙っておけって言ったわ」

「やめなさい。人前で母親にそんな口を利くものではありません」

「子供に醜い嘘をつけと教える人が母親なもんですか。あなたたちにはうんざりよ。私は私の正しいと思ったことをするわ!」

従者が母に掴みかかった私を引き剥がし、何か言おうとした姉を制止した。私はそのまま部屋を出てシンデレラの名前を呼びながら塞がれた部屋の前へ走った。

「シンデレラ、あなたも来て。私たちに権利があるのならあなたにも試す機会が与えられるべきだわ」

「駄目よ。私をここから出したらあなたが怒られてしまうわ」

「いいのよ。私はもう誰の言いなりにもならないわ。無力な自分はもう嫌なのよ」

部屋の扉を開けて、そこに立ち尽くしていた彼女の手を取り、私は王子様の待つ部屋へ戻った。

彼女の姿を見た王子様の表情を見て、やはりこれが正しかったのだと胸を張りたい気分だった。結婚を申し込まれ、王子様の腕に抱えられたシンデレラは私を見て嬉しそうに笑った。

「幸せになってね、シンデレラ」

「ありがとう。あなたは最高の妹よ」

そう言ってシンデレラが私を抱き締め、キスをした。

その瞬間、私は髪を掴まれ、後ろに引き倒された。涙を流し、怒りに震えた姉の手が悲鳴を上げて手を振りほどこうとする私の頬を打った。

「どうして余計なことをするのよ! あなたは私の妹でしょう。私のことを一番に考えていればいいの!」

「あなたが妹の私を一番に考えていたのならそうしたわ。でもあなたはいつも自分のことばかりだった。時々優しくするのもお母さんや、周りの大人に褒められたいから。自己満足の道具に使われるのはもううんざりなのよ」

「黙りなさい! そもそもどうして彼女が選ばれるの? 一体どれだけの物を私から奪ったら気が済むのよ!」

姉は私の髪を掴んだままシンデレラに詰め寄った。従者が抑えようとしたが、シンデレラはそれを止めた。正面から向き合い、強い目で射抜くように姉を見つめた。

「私は何も奪っていないわ。ママの愛情も、父との時間も全てあなたの物だった。あなたが自分の手の中にある物に気が付かなかっただけよ」

「私が何を持っているっていうの? 皆を自分の味方につけて、私の周りには誰も残らなかった。あなたは母を傷付けたのに母はそれを許して受け入れた。妹もあなたにばかり懐いて、父も結局はあなたとあなたのお母さんだけを愛して死んだわ。私に何が残っているっていうの? 王子様の愛まで奪ったあなたに無いものが私にはあるっていうの?」

姉の震える声が冷たく心に突き刺さった。母は姉のことを愛している。私も姉を愛している。だから姉には幸せな夢を見ていて欲しかったし、シンデレラへの仕打ちも見逃してきた。思うがままに暮らせるよう手を尽くしていたつもりだったのに、その思いは少しも伝わっていなかった。姉は家族の中に愛を感じられていなかったのだろう。その責任は彼女ではなく私たちにある。

醜く顔を歪め、獣のように歯を剥き出して睨む姉に向かってシンデレラはポツリと呟いた。

「あなたには家族があるじゃない。母が死に、父も死んで、姉も妹もいない私では手に入れられない物をあなたは持っている。それなのに、何が不満なの?」

その大きな目に涙が浮かび、頬を伝って流れ落ちた。彼女の泣く姿は彼が死んで以来、初めて見るような気がした。人前ではいつも笑顔を絶やさず、弱音も零さない彼女の姿しか私たちは知らない。

言葉を失った姉を母が抱えるようにして運び、部屋から出て行った。

王子様の手が震えるシンデレラの肩を優しく抱いた。シンデレラは固く目を閉じた。再び開いた目から、もう涙は流れなかった。

何を言っていいのか解らなかった。姉の言葉を代わりに謝る気にはなれない。謝ることは、それで終わりにしてくれと言っていることと同じだ。姉は彼女に会う度に同じ過ちを繰り返すだろう。それなのにその場限りの意味のない謝罪など必要とは思えなかった。

シンデレラは大きく深呼吸をして私を見つめた。

「私、小さい頃からあなたとお姉さんが羨ましかったの」

「どうして?」

「いつも些細なことで喧嘩をして、でも次の瞬間にはそんなことなかったかのように振舞って……何をするにも一緒で友達みたいに仲が良いあなたたちが羨ましかった。あなたたちと会う度に私にも姉妹が欲しいと思ったわ」

「私はあなたを姉だと思って慕っていたわよ」

私が言うとシンデレラは頷いた。

「解っているわ。あなたたちがこの家に来た時、私は嬉しかったの。家族が増えたみたいだった。でもママに母親の役割を求めてはいけないと思った。ママはあなたたちの母親だし、私には母と呼ぶとママ以外の人の顔が浮かぶから、彼女に思い切り甘えることは母を裏切るようで出来なかったの」

だからシンデレラは私たちとの間に線を引いた。こちらからは決して超えることの出来ない線を引くことで、自分の母親と過ごした思い出を守っていたのだ。彼女の心の中で新しい家族との思い出が膨れ上がり、死んだ母親の記憶が薄れることを恐れたのだろう。

「あなたが私を姉のように慕ってくれて嬉しかった。お姉さんには嫌われてしまったけれど、私にとってはそういう感情を惜しみなく曝け出してくれるお姉さんのことも嬉しかったのよ。あなたやママは何度も止めさせようとしてくれたけど、彼女が自分の思ったことを言ってくれる時、私はあなたたちと心の底から家族になれた気がした」

「あんなに酷いことをされるのが、あなたの家族なの?」

「昔、私の父や母は本心を隠して何も言わない人だったという話をしたわね。ずっとそれが当然だと思っていたの。でもあなたたちと出会って何でも言い合える家族に憧れるようになったの。あなたとお姉さんはいつも思ったことを言い合って、喧嘩ばかりして、それでも姉妹だから何もかも許してまた一緒にいる。私も二人とそんな風になりたかった」

そう言ってシンデレラは無防備で感情の読めない表情を真っ直ぐに姉と母が出て行った方へ向けた。

「私、あなたたちと姉妹になりたくて意地悪なことをしてしまったわ。今更謝ったってもう許しては貰えないわよね。私は他人で、本当の家族はもういないんだもの」

その目が悲しそうに歪んだ。私が黙っていると王子様がそっとシンデレラの手を取り、言った。

「家族がいないのならこれから作ればいい。これから僕と君は結婚して家族になるんだ。子供を作って、本当の家族になればいいだろう」

「そうよね……私にはこれから家族になってくれる人がいるのよね。すっかり忘れていたわ」

シンデレラは心の底から感心したように呟いた。新しい家族が自分の手で作れることを本当に忘れていたのだろう。王子様は苦笑した。シンデレラも微笑んだ。

それから従者とシンデレラはすぐに荷物をまとめ、馬車にそれを運んだ。家を出る前に姉の部屋の前で声を掛けたが、返事はなく、出てきた母が黙って首を横に振った。

「お姉さん、大丈夫ですか?」

「あなたは気にしなくていいのよ。他人なんだから」

母は冷たい口調でそう言ったが、表情は晴れやかで優しい目をしていた。

「あの子には私とこの子がいるわ。家族が支え合えば大丈夫。あなたは何も心配しなくていいのよ」

シンデレラは頷き、母に抱き着いてその頬にキスをした。

「ありがとう」

囁くようなその声を噛み締めるように母は頷き、シンデレラを抱き締め返した。

外に出ると噂を聞きつけて集まっていた町の人々の姿があった。シンデレラと王子様は手を取り合って歩き、人々から祝福を受けながら馬車に乗り込んだ。窓から身を乗り出し、見送りに来た私の手を握った。

「さようなら」

「ええ、元気でね」

そんな言葉を交わした私たちは誰から見ても家族の別れに見えただろう。

私は涙が出そうになるのを堪えながら手を振り、馬車が見えなくなるまで見送った。

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