魔法試験:2
夢を見ていた。
ひどく懐かしい夢のような気がしたけど、不思議な事にボクの記憶上にはない景色が広がっていた。
「ユウトユウト、今日の宿題やってきた?」
一人の女性が話しかけて来る。
ボクにだよね?
周囲を見渡してもボク以外の人らしき気配はない。
「ユウト、なにチョロチョロしているわけ? こんな美少女が話しかけているのに、それはないんじゃないかね」
普通、自分で美少女って自称するかなぁ。けど、違うかと言われると答えはノーだし……。
ノー? ノーってなんだ?
どうも、夢のせいかボク自身もおかしいようだ。
「ユウト、ちょっと訊いているの?」
「えっ? あ、あぁ……。ごめん、ごめん」
その後、自然に目の前の彼女の名前を口にした時、ボクは頭に引っ掛かりを覚える。
ボクは目の前の女性に会ったことがあるような気がする。しかも、随分昔に。
この、学園のような学び場の一室にボクは一度も行ったことがないと言うのに……。
「その様子だと、まだ思い出せないようですね」
口調がガラッと変わった。目の錯覚か、彼女から後光が差出し、光が全身を覆いこんでいく。
彼女の背中から真っ黒な翼が展開され、学び場の部屋から真っ白な空間に舞台が移り変わる。
唐突な背景の変化に戸惑いを隠せなかった。何より、全てが白に支配されたこの空間は気味が悪かった。
「ごめんなさい。こうするしか、あなたと会う手段がなかったの」
ボクの知人の姿をしていた彼女は、今では天使のような姿に変身していた。
いや、翼の色が黒いからどっちかと言うと堕天使って感じかな。けど、堕天使にしては第一印象が清潔感に溢れていた。
ボクの知る限り、天使は白き翼を持ち、月光を連想させる白銀の髪とサファイアのような円らな青い瞳と言われている。
けれど、彼女の翼や髪、挙句の果てに瞳の色も黒と来ている。
「……キミは誰なんだ?」
警戒を強めながら問う。
彼女は簡潔に「あなたの味方よ」と答えた。
「時間がないの。お願い、姉さんを止められる人間は貴方しかいないの」
「ちょっと待って。いきなりそんな事を言われても、何が何だか」
そもそも、さっきの光景はなんだったんだ。
キミは思い出せないと言ったが、一体ボクは何を忘れている。
それに、ボクはキミのお姉さんと面識がない。
聞きたい事は山ほどあった。こっちがそっちの事情を把握して話しを進められても困る。
「それに、ボクはキミの名前も知らない。名前の知らない人に「味方よ」と言われても、信じられる訳がない」
「ごめんなさい、それは禁じ手なの。私があなたに干渉出来るのは私からの一方的な助言だけ。それが決まり事なの」
「話しにならない」
「ごめんなさい。けれど、これだけは言えるわ。あなたは時機に分かるわ。だって――」
「ちょっと待て。肝心なところが聞き取れなかった。最後なんてい」
最後まで言う事が出来なかった。言っている間に、意識が徐々に遠のく感覚を覚える。
――お願い。姉さんに選ばれた人を助けてあげて。
目覚める前、彼女の言葉が届く。
その時の、懇願する様に叫んだ声は頭から離れる事が出来なかった。
☆★☆★☆★☆★☆
……不思議な夢であった。そう言えば、夢なんていつ以来から見ていなかったかな。
『……おっ、目を覚ましたか小僧』
目を開けると、最初に映ったのは火の玉――もとい、火の大精霊様ことイフリート様であった。
「あれから、どれぐらい経ちました?」
『なに、ほんの数分って所だ。……事態は、恐ろしく嫌な方向に行っているがな』
後半部分の意味が分からなかった。
嫌な方向? と訊き返そうとするが、この場にいる筈の人間がいない事に気づく。
「そう言えば、ココア先生は?」
周囲を見渡しても、先生らしき人影がなかった。
あろう事か、室内にいるのはイフリート様を除けばボク一人しかいない。
『うむ、それがな……むっ』
イフリート様から声が上がる。
「どうしました、イフリ」
ひどく緊張した声色に疑問を感じずにいられなかったボクの質問は、最後まで言う事が出来なかった。
俄然に出現する魔法陣。新緑の輝きを放ったそれは、一瞬だけ室内を覆うほどの強い発光したかと思うと、直ぐに消散される。
咄嗟の眩い光から目を両手で防いだボクは、恐る恐ると言った形で両手を開放し、瞑っていた目を開くと、二人の女性が経っていた。
一人目の女性は見覚えがあった。てか、さっきまでボクの試験やらを担当してくれた人だから、忘れようがなかった。
そして、もう一人は……。
『ほぉ、まさかお前さんが直々に現れるなんて……。どう言う風の吹き回しだ、【可能性の魔女】セシリア・ヴォルヒャルト』
どうやら、睨み付ける様にボクを見ている女性の名前はセシリア・ヴォルヒャルトと言うらしい。
……まて、ボルヒャルト? その名前、ついさっき訊いたファミリーネームだったはず。
セシリア・ボルヒャルとさんは睨み付ける様に向けていた眼差しをボクからココア先生に移し、怒鳴るようにココアに言う。
「まさか、本当にエアハルト・ブリューゲルを受験させるとは、どう言うつもりですか、ココア・ヴァリアブル先生」
「それは……。けど、受験希望者は全員受験を受けられる権利を持っているはずです。どうして、この子だけその権利さえ認められないんですか」
「この子に魔法の才能はなかったはずです。私の見定めをあなたは否定なされると言うのですか」
「それは……」
言葉を詰まらせるココア先生。
えっと、唐突の展開にボクは何が何だかさっぱり、と言うのが正直な感想なんだけど。
そんなボクの気持ちを察してくれたのか、イフリート様が補足説明をしてくれる。
『どうやら、お前さんを受験させるな! と、前々から言われていたらしい。騎士学校もしかりだ』
………………………………。
…………………………。
……………………。
…………え?
今、イフリート様はなんて仰ったのだろうか。
受験させるな……って言った?
なんで、ボク、を。
「イ、イフリート様。すみません、今、なんて……」
『お前の祖父母は、自分の学園に入れさせるなって部下に命令させたんだよ! この女、セシリア・ヴォルヒャルトとヴァッサー・ボルヒャルトが!』
理解出来なかった。正確には理解したくなかった。
どうしてボクは、セシリア・ヴォルヒャルトさんに否定されないといけないんだろう、と。
初見で、赤の他人であるはずのボク達に接点など……接点。
「イフリート様、さっき祖父母って言いましたか?」
『あぁ、お前の目の前にいる魔女は八矛の騎士、つまりお前の父親、デュラン・ブリューゲルの母親にあたる。彼女はお前の祖母だ』
「ボクのお祖母ちゃん」
お母さんからは、ボクの双祖父母は既に他界したと言われていた。
いま思えば、ボクの母さんと父さんは祖父母方達から結婚を反対され、それでも強引に添い遂げた経歴を持っている。
それを考えると、遠縁あるいは絶縁状態になっていても不思議ではなかったはず。
それで、お母さんはそんなドロドロした事実を隠す為に、他界したなんてボクに言ったのかもしれない。
それが直ぐに分かる嘘だと知っていたとしても……。
『おい、セシリア』
「なんです、火の大精霊様。まさか、大精霊様もこのような凡人以下の少年を受験させるとは、火の大精霊の名前が泣きますよ」
『あん? 貴様、俺様に喧嘩売っているのか? 名前が泣くのは貴様の方だろうが。こいつの可能性すら読み取れないで、よく【可能性の魔女】なんて言えたものだな』
セシリア・ヴォルヒャルトさんの言葉にイフリート様の球体が炎上する。声も怒りによって凄みをましている。
『なんなら、この場で俺様と貴様の因縁に終止符を打っても良いんだぞ』
「相変わらず、あなた様は直ぐに熱くなりますね。私がどの系統の魔法使いか知っていて、そのような事を口にするんですか?」
『知った事か』
炎上する火の玉が変化を遂げる。
火は人の形になったと思うと、太陽の様にギラギラと光る瞳が生まれ、口が、耳が、顔が作られていく。
「って、ちょっと待った! ストップ、ストップ!!」
慌てて制止の声を上げる。
なに、このカオス状態。なんか今にも戦闘が始まってしまいそうな雰囲気なんですけど。
ボクの声が届いたのか、妙な圧力を放っていたイフリート様は人型形態になるのを止めてくれた。
『なんだ小僧。よもや戦うなとか言うんじゃなかろうな』
「やっぱり闘う気満々だったんですね。てか、戦う前提で話しを進めないでください」
『おいおい、小僧。お前は悔しくないのか? 才能ある癖に才能がないと言われ、挙句の果てにお前の夢を妨げた元凶の一人だぞ』
「あなた方の話しを聞くとそう見たいけど、ボクはまだ本人から聞いていない。それに、気になる点もあるし」
みんな、この雰囲気に熱くなっているみたいで、当然の如く感じる疑問点に頭が回っていないらしい。
じゃなければ、最初に挙がる論点が未だに出てこないのはおかしすぎる。
「とりあえず、ボクに任せてくれないかな? ココア先生もね」
「えっ……。あ、はい。分かりました」
「ありがとうございます」
目を丸くしている。当然かな。仮に7歳のクソガキが歳不相応な言葉で「任せろ」なんて言われて唖然としない人はいないであろう。
子供のくせに大人の会話に口を出すな、と伝家の宝刀が抜かれる前にさっさと話しを済ませよう。
「初めまして、セシリア・ヴォルヒャルト様。ご存知でしょうが、自己紹介させてください。ボクはデュラン・ブリューゲルとイリス・ブリューゲルが一子、エアハルト・ブリューゲルと申します。以後、お見知りお気を」
「知っています。随分と生意気に育っているようですね」
「ははは。よく言われます」
セシリア様の顔が歪む。どうやら今の言葉が皮肉を込めて言ったらしい。
ガキらしく口応えの一つもするべきだったかな。
「セシリア様。察するにボクはどの学園にも入れないようですが、それは事実なのでしょうか?」
「事実です」
「左様ですか。理由は……訊いても言ってくれないでしょうね?」
聞いた所ではぐらかされるのがオチだしな。
話しても進まなさそうだし、ここはさっさと本題に行こう。
「って、エアハルト君。いいんですか?」
「いいんですかって?」
『そんなに簡単にあきらめて良いのか、ってココア嬢は言っているんだよ』
「……あぁ、そんな事?」
何をいまさら。……って、そうだった。
最終的に結果がどうなったとしても、ボクの意思をココア先生とイフリート様は知らないんだっけ。
『そんな事って、お前な。悔しくないのか! こいつの身勝手な意思でなりたいものになれないんだぞ』
「確かに、そいつはちょっと悔しいかな。それに、どうしてそんな事をしたのかも気になる。……けど、みなさん。最初に考えるべき事があるんじゃないですか?」
『最初に考えるべきこと、だと?』
「はい、そうです。それは――」
「どうして、あなたが魔法学園の試験を受けられた事、ですね」
ボクが口にするよりも早く、セシリア様が言ってしまった。
おいしい所を持っていったな。
けど、そう。最初に考えるべき疑問はそれだ。
そもそも、ボクの受験が規制されているなら、ボクがこの場所に来ることじたいがおかしい。
「あなたは、どうやって一次試験を突破したのですか?」
「知りませんよ。それこそ、どうしてさっさとボクを不合格にしなかったのですか、とセシリア様に訊きたいぐらいです」
そうなれば、こんな面倒くさい場面に立ち会わなくって良かったのに。
「そう言えば、今日の試験が決まったのも急だった気がする」
ふとつぶやくココア先生の言葉に、引っ掛かりを覚える。
「ココア先生。今の言葉は本当ですか?」
「え? そう、だけど……。急に候補者が現れたって、ボルヒャルト先生が……っ」
……ビンゴ。って、ボクはまた何を言っているんだ?
ビンゴなんて言葉あったかな。今度、調べてみるかな。
「この学園に、セシリア様意外に、ボルヒャルトのファミリーネームを持つ者は?」
『おい、待て小僧。この場合は普通、セシリアを言及するのが普通だろ』
「こんな事を画策したのがセシリア様なら、さっきの会話がおかしくなる。勿論、演技と言う点も考えられないけど、そんな事をしてなんになる?」
『しかし、なぁ……』
未だにイフリート様は納得してくれないようだ。
ガキのボクでは大精霊様を説得するのは無理か。
けど、場の流れはまだボクにある。不意打ちの有利性がなくなる前に、さっさと会話をまとめてしまわないと。
「ココア先生。ボクとリンドウさんの一次試験を担当した人は誰だったんですか?」
「そいつは、俺だよ」
再び、ボク達の空間に魔法陣が展開される。
さっき、セシリア様やココア先生が出現した時に見せた魔法陣と同じものだ。
「……いやはや、流石はデュラン兄の息子って所かな。中々、頭がキレると見える」
現れたのは金髪碧眼の美男子であった。
真紅の法衣で身を包み、両手にはボクの背丈ほどある木の杖と本を抱えていた。
「マルス。あなたがエアハルトを」
「そうです、お母様。一度、兄さんのお子さんを視たくってね。けど、うん。中々、有望そうじゃないか」
「どう言うつもりですか、マルス。あなたが私の言う事に背くなんて」
「どう言うつもりなのかは、俺が訊きたいよ母さん。【可能性の魔女】が唯一の可能性を否定したらダメじゃないか」
「くっ」
えっと、事態が全くと言っていいほど夢ないんですけど。今日で何度目かな?
こんな風に自分の話しなのに、自分の意志が関与していない会話って。
「ボルヒャルト先生。私達には全く話しが見えません。説明してくれるんですよね?」
「もちろんだ、ヴォルヒャルト先生。だが、その前に……。イフリート様は、ここにいるかな?」
「えっ、イフリート様ですか? 直ぐ目の前にいますけど」
「そっか。じゃあ、ちょうど良い。……すまなかったね、エアハルト君。大事な試験の途中で」
ボクに謝罪すると、マルスさんは事態についていけないボク達を放って、場を仕切り始める。
「では、二次試験を再開させようか、エアハルト君。次は実践試験。キミは、俺と闘ってもらうよ」