反則否定
知らない天井だった。天井とは少し語弊があったかもしれない。
何せ、背景が全て白色に塗られた世界に天井もへったくれもないだろう。
「どこだ、ここ?」
見渡す限り白の世界は静寂そのものだった。
寒気すら感じるこの世界からいち早く抜け出したいが、出口らしいものは見当たらない。
そもそも、どうして俺はこんな所で寝そべっていたのであろう、とさっきまでの経緯を思い出し、慌てて左胸に手を当てる。
「……ない?」
左胸に手を触れ、感じる筈の感覚と感触が感じられない事に疑問を感じずにいられなかった。
「俺、刺されたよな?」
確かに俺は、悪巧み十級以下のクソライダーに左胸を刺されたはず。
胸に走る激痛や嗚咽感、血独特の鉄分の味を確かに味わった。夢幻の類とは言い難い。
けど、俺の左胸は出血はおろか、傷跡すら見受けられない。服だって、斬られたような形跡は全く持ってなかった。
「なんで?」
疑問を口にするが、当然の如く返答が来るわけないと思った。
――パン・パカ・パーン!
――777777777777777人目、おめでとうございます。
静寂の空間にファンファーレが響き渡る。
金管楽器による四重奏が数秒の間、盛大に鳴り渡ったかと思うと、今度は俺の頭上に「おめでとうございます!」と久寿玉が弾け飛んだ。
正直、何が何だか、が素直な感想であった。ツッコミどころ満載だ。どこから久寿玉を出したとか、何がおめでとうございますとか、色々と物申したい所である。
「おめでとうございます。あなたは、777兆7億7千777万7777人目の転生者様でございます!」
どうやら、こんなバカげた事をしでかした張本人がご到着のようだ。
楽しげな声と拍手音は後ろから聞こえてくる。俺は意味不明をのたまった奴を一目見ようと振り返って、言葉を失う。
「おはようこんにちは、こんにゃんば~。皆のアイドル、女神めがみ様ですよ」
元気よく右手を挙げる女神めがみ様と名乗る人物は、小さな女の子であった。一言で表すと幼女であった。
まだ小学校に入ると入らないか、と思われる女の子は俺の無反応さが面白くなかったのか「おはようこんにちは、こんにゃんば~」ともう一度、一字一句違える事無く登場台詞を口にする。
俺、確かに子供は好きだけど、こんなテンションで声を掛けてくる子供の相手はした事ないぞ。
対応に困っていると、満面な笑みを浮かばしている幼女は「はぁ」と可愛らしい容姿に似合わないほどの重たいため息をした。
「ノリが悪いよ、沢渡優音くん。キミ、人生を存しているタイプでしょ?」
「……たはは。幼女に俺の人生を見抜かれたよ。……疲れたのかな、俺」
きっと、疲れたんだな。
さっきまでらしくないヒーローの真似事をしたし、出血したから体力が一気に低下したんだろう。
だから、こんなおかしな夢を見ているんだ、きっと。
「残念な事に、これは夢幻の類でないのだよ」
「俺の心を読むなよ」
「キミの顔がそう物語っていたんでね。……さて、沢渡優音くん。キミはある男に殺されたのだが、それは覚えているかね?」
「殺された? やっぱり俺は死んだってわけか」
「そう。キミを殺した男を道連れにしてね」
「そうか。つまり、あの女の子は無事に逃げのびる事が出来たんだな」
それを聞いて安心した。
ここで、あのクソライダーを殺し損ねていたら、何の為に死んだのか分からない。
「それで、あんたは俺を天国か地獄へ案内してくれる水先案内人って解釈していいのか?」
「キミ、人の話しを聞いていなかったの? 私は転生者様って言ったんだけど」
「転生者? 悪い、言っている意味が分からない」
「文字通りの意味よ。転生は知っている? キミは異国の地で生まれ変わる事が決まったの」
「なんで?」
「なんでって聞かれても……。そうだ、としか言いようがないんだけど。私、末端の神様だし」
末端の神様って。
困惑する女神めがみ様の様子を見る限り、納得のいく返答は聞けないだろう。
「……分かった。どうせ死んだ身だ。転生するなり好きにしてくれよ」
「随分とあっさりと。それでね、あれを見て分かっているともうけど」
女神めがみ様は久寿玉を指さす。
「あなたでちょうど、777777777777777人目なのよ」
「……転生者ってそんなに多いのか?」
「そうね。ここ最近、少子化が激しいから少子化対策で増加しているのかもしれないね」
神様の世界でも問題視されているのかよ、少子化問題って。
「特に、キミの様に二十代前の人間は優先して転生させられるのよ。これは神様達の心意気ってやつね」
「いや、知らないが」
「それでね、何と二十代前の良い子さんには神様の祝福を受けられる権利があるけど、どうする?」
どうする、と意気揚々と問われても答えに困る。
そもそも、神様の祝福を受けた所で何がどうなるんだ、と強く問いたい。
そんな俺の気持ちが伝わったのか「あっ、ごめんごめん」と謝罪して、補足説明をしてくれた。
「祝福を受けるって事はね、普通の人よりも優れた能力や力を宿しやすくなるの。簡単に言えば、天才にする事も出来るし、ちょっとした特殊な力を持つ事も出来るのよ。ハーレムを望むなら、それも叶うわよ」
色っぽく科を作る幼女。
色っぽく胸をはだけて見せているようだが、そんな小さな胸のちっぱいに興味はない。
その前に、俺はロリコンでないのでそんな事をされてもドギマギするはずがない。
「えっ!? 違うの?」
どうやら、またまた俺の心の声を読み取ったようだ。
幼女は驚嘆の声を上げたかと思うと「道理で反応が鈍いわけだわ」と妙に納得する。
「ちょっと待っててね、今、元の姿に戻るから」
と、俺の返事を待つことなく、指を鳴らす。
彼女の体が光に包まれて大きく光が弾けたかと思うと、先ほどまでいた幼女の姿はなくなり、代わりに年頃のお姉さんが立っていた。
「全く、ロリコンだと思ってせっかく気を使ってあげたのに、とんだ無駄骨だったわ」
「そいつは悪かったな」
俺は一言もロリコンだとは言っていないんだけどな。
「それで、あなたは何を望む? 強靭な肉体? 膨大な魔力? それとも、魅了の魔眼や最強の力、不老不死だってお安いご用ですよお客さん」
お客さんって……。
まるで、粗悪品を売り込む商人のようだな。手もみなんて細かい芸までしやがって……。
さて、簡単ながら状況を整理するか。
俺は死んだ。死んだら、自称女神様と言うおかしな人物が現れ「何でも願いをかなえてやる」なんてどこぞの神竜様のような事を言ってくる。
簡単にまとめるとこんな所か。
普通、十代のしかも思春期、いやいや発情期に近い思考回路を持つ男の子にそんな事を言うかな、この女神様は。
そもそも、引っかかる点があるし。故に、俺の返答は既に決まっている。
答えは――。
「……いらない」
「へ?」
女神様は目を丸くした。
俺の予想外の返答に素っ頓狂な声を上げ、目をパチパチとまばたきする。
女神様は右手の小指で両耳を掻いた後、再度問うた。
「今、なんて言いました?」
「必要ない」
聞き間違いだと思わせない様に、強くはっきりと言ってやった。
「えっと……。でも、何でも叶うんですよ? 巷ではチート乙ですよ。次の人生やりたい放題ですよ」
「……丁重にお断りさせていただきます」
深々とお辞儀してお断りさせていただいたのだが、女神様は納得してくれなかった。「え~」と奇声をあげて「なんでですか、何でですか!」と問い質してくる始末。
その疑問に俺は「気に入らない」と簡潔に答えた。
「気に入らない?」
「当たり前だろ。たとえ、神様の法則ミスとかそっちの落ち度で死んだと言う理由でも、あんたら神がその程度で人にチート乙だっけか? そんな反則技を与えるのは不気味だろ?」
「失礼な。神様だって、慈愛の心はありますよ。ヒューマン・ラブで一杯ですよ」
「そうかい。んじゃ、その慈悲の心で一つ頼まれてよ、女神様」
「何々? やっぱり、叶えてほしい願いがあるんじゃない。言ってみなさい、女神様が叶えて進ぜよう」
さっきと打って変わって楽しげに話しかける女神様。
次の俺の言葉でその無邪気な顔が崩れると思うと申し訳ない気もするが、俺の願いはただ一つ。
「仮に俺が転生なんてするのなら、人間のままでいさせてくれ。決して、チート野郎のような化け物なんかにしないでくれ」
「けど……。あなたが転生する世界は文字道理ファンタジーの世界ですよ。前の世界の様に平和なんてものは存在しない戦国時代ですよ。それでも、闘う力は要らないって言うんですか?」
「何を言っているんだ? 闘う力が要らないなんて一言も言っていないだろ」
「へ? で、でもさっきは……」
「あれはそう言う意味じゃない。力は自分で手に入れるものだろ? 神様から力を貰うなんて反則以外の何者でもないじゃないか。そんなつまらない人生、俺は嫌だ」
今の言葉に驚きを隠せないと言わんばかりに目を見張る女神様。
「ま……ま」
何かしらを呟いているようだ、声が小さくて聞き取る事が出来なかった。
「と、言うわけだ女神さんよ。俺は何も望まないよ。望むとしたら、凡人として生かせてくれよ」
「ほ、本当に良いのですね? 天才になりたいとどんなに願っても、勇者に、英雄に、と強く願った所で、あなたの運命はそれを許さないでしょう。それでも、そんなふざけた道を選ぶんですか?」
ふざけたと来たか。女神様も存外に口が悪よいに見える。
込みあがる笑いを抑えきれず、口端を曲げて笑みを零す自分がいた。
「知っているか、大方の人間はそんなふざけた道を通っている。そして――自分で運命を決めているんだぜ?」
……決まった。
俺もガラでもない事をのたまってしまったな。……死んだから、羞恥心やその他色々と消えてしまったのかな。
言葉を失う女神様。どう対処してよいのか困っているんのだろう。
何せこんなふざけた事を言う人間など777777777777776人の中にはいなかったはずだ。
「わ、分かりました。あなたがそう望むなら、私はそれに従うまでです」
「……そうか。ありがとう、女神様。こんな俺の我儘を聞いて下さって」
「いえ。……その、決して後悔しないでくださいね、沢渡優音くん。貴方の待っている運命は“ ”だけです」
肝心の所が聞き取れなかった。「え、なに? もう一回言って」と言おうと口にするが、発音する事が出来なかった。
自分の体に異変が起こったと気づいた時には、もう既に遅かった。つま先から光の粒になって拡散し、俺の体が徐々に形を失っていく。
これが転生か。何とも惨いやり方なんだ。
「さよなら。“ ”」
最後の女神様の声が耳に届いた時、自分がなんて言われたのか信じられなかった。
女神様……いや、奴は最後にこう言ったのだ。
――さよなら。哀れな人間よ、と。